コロナ対策反対のデモに出くわし、呆れた話 | 生物学者ママの実験的スイス生活

生物学者ママの実験的スイス生活

スイスドイツ語圏最大の都市で、仕事と子育てに奮闘中の研究者ワーママ。人生の3分の1以上をすでにスイスで過ごし、すっかり現地に同化中。
夫ともはやチビではない息子たちとの家族4人の日々の生活を、生物学者としての視点で(独断と偏見も交えつつ)考察します。

先週のウスターには、少しいつもとは毛色の違う人達が大勢集まっていた。

政府のコロナ政策反対派のデモに参加する人たちが集まっていたのだ。

補習校の授業の間、いつものように友人たちとまったりとぐろを巻いていたレストランにも、参加者の一部がやってきた。

 

天気がいいのでテラス席にいたのだが、いつもガラガラなのにその日に限って大勢の人がやってきた。

なんだか自然愛好家のサークル?と思わせるサークル名の入ったおそろいのTシャツに、ウシの形の金属モチーフのついたベルトなどをしており、明らかに普段着ではない格好のグループだったので、デモ参加者かな、と気づいた。

しばらくして、そんなような文句が書いてあるプラカードを持った数名も合流したので、そう確信した。

 

前にも書いたが、何らかの政府の施策(この場合はワクチンパス導入を筆頭とした諸々)に反対してデモをやること自体は自由である。

それは民主主義国家における有権者の権利なので、好きにすればいい。

私個人的には、このようなデモは科学的に考えて全く生産的ではないとは思うが、彼らの権利である。

だが、彼らの問題点は別のところにあるとおもった。

現状、公共交通機関の中、レストランなど建物内(着席時以外)にはまだマスク必須になっているはずだ。

ところが彼らは、レストランのトイレ(建物内)に行くときにも、誰一人としてマスクを着用しようとはしなかった。

 

おそらくこの人達は、ワクチンは未接種かつ陰性証明も持っていないだろう(なんせデモ隊だし)。

テラス席は今の所証明不要で利用OKとなっているが、厳密に規則を解釈するならば証明を持たずに建物内のトイレには立ち入ってはならないことになる。

そこは生理現象なので目をつむるとしても、そのときにマスクすら着用しないというのは、利己主義的な行動以外の何物でもないのではないだろうか。

 

ワクチン済みの我々だって、自分では大丈夫(症状もないし感染していない)と思っても、万が一を考え、周囲への気遣いとして不特定多数の人がいる換気の悪いところではマスクは必ず着用する。

むしろ、症状が出ないであろうからこそ、マスクはしておくべきと考える。

 

全うに教育を受けた大人なら、権利と義務は常に表裏一体というのは理解しているはずだ。

自分の権利を尊重してもらいたいなら、他人の権利を尊重することは義務である。

自分の権利を主張することが、もしかしたら他人の権利を犯すのであれば、その権利は保護されるべきものではない。

そのことにこの人達は思い当たらないのだなと思うと、やっぱりこの手のデモはたんなる利己主義的行動に過ぎないと捉えられても仕方ないなと感じた。