父の思い出 | るんるんカメラ散歩…時々「バレエ」

るんるんカメラ散歩…時々「バレエ」

五十代半ばからバレエを始め、今年(2023年5月)華?の80代を迎えました。
これから先は「老い」にいちいち落胆する時間は勿体ない。
出来る事を楽しまなくちゃ!

2024.06.15 紫陽花(通勤道路)

 

 

 今日は父の祥月命日。

無口な人でしたから何か話をしたという記憶はほとんどありませんが、いつも近くにいてくれた実感があります。


父は絵を描く事が趣味でしたから、私が小学校低学年の頃は写生に出かける時は絵の好きな私を自転車の後ろに乗せて出かけたものでした。目的地に着くと私は父と並んで座り、隣りの父の絵を覗き込みながら何となく真似て描いていたような気がします。


元々油絵を描いていたようですが、戦争で絵の道具一切を失ってしまい、私が子供の頃は水彩画を描いていました。子供達が独立した頃からまた油絵に戻ったようです。





終戦後はずっと社宅暮らしでしたから、会社は近くて父は自転車通勤をしていました。
時々妹とも思い出して笑うのですが、父は自転車をゆっくりゆっくり走らせる人で、「あんなにゆっくり走らせるって自転車の場合むしろ難しいよね」って ウインク



出勤時間と退勤時間は毎日どこへも寄らずに帰って来るのでほとんど同じでした。家では細々とよく動いてましたね。





母が動きやすいように家の中直したり、家中のガラス窓ピカピカに磨いたり、包丁研ぎもマメにやっていましたから、父が亡くなってから母が「包丁なんていつもスパスパ切れるものだと思っていたけど、お父さんがいなくなってから包丁の切れ味が悪くなったわ」と言っていた事を思い出します。


無口で何にも話しませんでしたけど、家族思いであることは子供心にもひしひしと感じました。
昭和の男でした。(父は大正生まれだから “大正の男” と言うべき?



そんな父の祥月命日。
父の好きだった甘い物、地元の和菓子をお供えしていたら、「ピンポ~ン」。
何と、山形の義姉からサクランボが届きました。






昨年義兄が亡くなって、サクランボの世話も大変なようです。
まして今年は雨が降らずに暑い日が続いたので収穫が激減したそうで、兄弟全員には送れず我が家だけだから「他の兄弟には内緒にね」だそうです。(このブログの存在は話していないので…大丈夫)


さっそく父にお供えしました。
お父さん、いっぱい食べてね。