「お寺の門前にある『ありがたい言葉』」 | ずっこけじいちゃんのひとりごと

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定年退職後のひまじいちゃんです。ウォーキング、家庭菜園、読書、
なんでも、その時思いついたことを書いています。
返事は書きませんので、独り言と思ってお許しください。

 

だめな人は一人もいない

大谷選手が30号ホームランを打ちました。

それを横目で見ながら、このブログを書
いています。

お寺の門前にある「ありがたい言葉」
です。


一つ目の「ありがたい言葉」は、



「大いなる いのちいただき 

          生きるわれ

 おかげさまよの 思い忘れじ」


私たちの食べるものは、ほとんど他
の生き物の命をいただいて、私たち
が生かされています。

そのことを、ときどき、思い出して
感謝の気持ちをもちたいものです。



二つ目の「ありがたい言葉」は、


「『明日会える』ことは

   あたり前ではない」


これは、「過去のことは忘れた、未来
のことはわからない、いま、ここ」の
大切さを別の言い方で言っていると思
いました。

横に書かれた、能登半島地震の募金
のお願いと対比すると、その意味の
強さがより感じました。


三つ目の「ありがたい言葉」は、


「だめな人は 一人もいない

  『弥陀の本願には老少善悪の人を

         えらばれず』」


ダメな人は一人もいないと同時に、
いい人も一人もいない、と言われて
いるようにも聞こえます。

 

色眼鏡で人を判断することの不条理

を説いている言葉だと思います。

老少善悪、だれも同じで、その時々
の善悪・感情に現れると言われて
いるように思いました。