昭和ボクシングその3~精密機械 ★ボクシングNo3 1971年1月3日 静岡県駿府会館 WBC世界Jライト級タイトルマッチ15回戦 同級王者 沼田 義明(極東) 判定2-1 同級1位 レネバリエントス(比) 正月では小学三年生にチャンネル権はないので この試合は専門誌でしか見てません!(キリっ) で、まずはWBCって?から (ワタシの独断と偏見満載ですよ。) WBAの下部組織で評議会の名目での組織であり しかし米国主導の状況にメキシコが反旗を 翻しWBCを独立させる。 さらに独自のランキングを作成するため当時の WBA王者にはいろいろ因縁をつけて王座をはく奪。 WBCチャンピオンを製造。 小林弘もその一人で本人からすれば え?俺いつの間にWBCのチャンピオンなん? コイツと試合しろ?メキシコで? ええわ、WBAの方が主流でしょ。いらんわ (という心境だったのではないかという憶測) WBCは12回戦移行、フリーノックダウン制、 ランキング上WBA王者は自動的に1位 その後特別な地位としてランク外へ、 暫定王者、チャンピオンベルトの統一化 (一本50万円を強制的に徴収) など新しいルールを設立していく。 その王座に就いた強豪レネバリエントス 小林の初防衛戦の相手で辛くも引き分け。 沼田が王座返り咲きの時も2-1と接戦。 プロレス&ボクシング誌では バリエントスの足を踏んずけて動きを止め アッパーをたたき込む沼田を見開きで掲載。 こんな写真よく残っていましたね。 アッパーを叩き込む沼田義明 あーこれは足踏んでませんね あーそれもテクニックなんや、と思うも いいのかそれで? 試合はやはりフィリピンのジャッジが 挑戦者を支持し2-1のスプリットながらも 沼田の防衛。 この人ロハス戦でもそうなんだけど 開き直るとバランスお構いなしに遮二無二 攻め込む。うまくいけばKO。 アルレドンド戦ではうまく見極められ敗北。 地味な印象とは別な面も持っていました。 ところでゴング誌で王者と助ける家族という 特集で一度王座を追われた時の苦しい期間を 支えた沼田の奥様という記事があり まあ~凄いべっぴんさんなんですよ。 (あくまで個人の嗜好です) 残念ながら別れちゃったみたいですけどね。