昭和ボクシングその3~精密機械 | ジジイが来たりて愚痴を吹く

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人生還暦を超えていよいよロスタイムに入りました。
いろいろ過去をふりかえりながら未来を描きたい
#MIOつくし #FC草津26期生

★ボクシングNo3
1971年1月3日 静岡県駿府会館
WBC世界Jライト級タイトルマッチ15回戦
同級王者 沼田 義明(極東)
 判定2-1
同級1位 レネバリエントス(比)
 
正月では小学三年生にチャンネル権はないので
この試合は専門誌でしか見てません!(キリっ)
 
で、まずはWBCって?から
(ワタシの独断と偏見満載ですよ。)
WBAの下部組織で評議会の名目での組織であり
しかし米国主導の状況にメキシコが反旗を
翻しWBCを独立させる。
さらに独自のランキングを作成するため当時の
WBA王者にはいろいろ因縁をつけて王座をはく奪。
WBCチャンピオンを製造。
小林弘もその一人で本人からすれば
え?俺いつの間にWBCのチャンピオンなん?
コイツと試合しろ?メキシコで?
ええわ、WBAの方が主流でしょ。いらんわ
(という心境だったのではないかという憶測)
WBCは12回戦移行、フリーノックダウン制、
ランキング上WBA王者は自動的に1位
その後特別な地位としてランク外へ、
暫定王者、チャンピオンベルトの統一化
(一本50万円を強制的に徴収)
など新しいルールを設立していく。
 
その王座に就いた強豪レネバリエントス
小林の初防衛戦の相手で辛くも引き分け。
沼田が王座返り咲きの時も2-1と接戦。
プロレス&ボクシング誌では
バリエントスの足を踏んずけて動きを止め
アッパーをたたき込む沼田を見開きで掲載。
こんな写真よく残っていましたね。
アッパーを叩き込む沼田義明
あーこれは足踏んでませんね


あーそれもテクニックなんや、と思うも
いいのかそれで?
試合はやはりフィリピンのジャッジが
挑戦者を支持し2-1のスプリットながらも
沼田の防衛。
この人ロハス戦でもそうなんだけど
開き直るとバランスお構いなしに遮二無二
攻め込む。うまくいけばKO。
アルレドンド戦ではうまく見極められ敗北。
地味な印象とは別な面も持っていました。
 
ところでゴング誌で王者と助ける家族という
特集で一度王座を追われた時の苦しい期間を
支えた沼田の奥様という記事があり
まあ~凄いべっぴんさんなんですよ。
(あくまで個人の嗜好です)
残念ながら別れちゃったみたいですけどね。