一日一禅 | おてらさん

おてらさん

大分にある臨済宗のお寺さんです。

「懺悔」

 仏教において懺悔(さんげ)とは、自分の過去の罪悪を仏、菩薩、師の御前にて告白し、悔い改めること。 本来はサンスクリット語で「忍」の意味を持つ。
(Wikipediaより)

娘が得度式から帰ってきて、その時に使ったテキストを見た。
得度式に読み上げるお経が全部載っているのだけれどその中の一つが「懺悔文」(ざんげもん)

懺悔文
我昔造る所の悪業は
皆はてしなき貪り、怒り、愚かさに由る
身と口と心に従って生ずるところのもの
すべて我今皆懺悔し奉る


私のしたいろいろな悪い行いは、深いむさぼり・いかり・おろかな心より生じたものです。
それは身(しん)口(く・ことば)の行い、意(い・こころ)の行いから生じたものでした。
一切を私は今、懺悔いたします。



むさぼり・いかり・おろかなこころは貪・瞋・癡とんじん・ち)の三毒と呼ばれ、
(しん)(く)(い)は三業(さんごう)と呼ばれる。

いくら我々の中には仏性が在ると言っても、日常生活の中でわき上がる様々な思い(三毒)と、それに基づく行い(三業)は、どんな人にも必ずと言って良いくらいつきまとう苦だ。

仏弟子として戒を受ける際には、まずこれらの悪行を懺悔することから始まる。
三毒と三業の存在を自覚し、自分の行いを悔い改めて、人はちょっぴり仏に近づくのだ。

苦の仕組みを理解せず、ただただ苦しい苦しい、と、訴え続けるだけでは、死ぬまで心の安楽は得られないだろう。


誰の中にも、悔いはあるだろう
悔いがあるからこそ、懺悔が在る
悟りを求める心が生まれる