「三業」
さんごう
業はサンスクリット語で「カルマ」
もともと「造り出す・創造する」という意味合いがあるらしい。
「業が深い」のように宿命的でネガティブな使い方をされがちだが・・・
仏教では人間の業(ごう)は、大きく3つに分けて考える。
それが身・口・意だ。
身業・・・身体で行うもの。立ち居振る舞い。
口業・・・ことばを発すること
意業・・・心でものごとを感じたり、考えたりすること
動く、喋る、考える。
しかしこれらは、日常生活の中で我々が普通に行っていることだ。
つまり業とはもともと「行為」そのもの。
人の動くことも、話すことも、考えることも、これらはどうやっても止めることはできない。
それらを制限してしまっては、人の成長はなくなってしまうから。
「身体による過ちを犯さぬように、身体について慎んでおれ。
身体による悪行を捨て、身体によって善行をなせ。
言葉による過ちを犯さぬように、言葉を慎んでおれ。
言葉による悪行を捨て、言葉による善行をなせ。
心の過ちを犯さぬように、心を慎め。
心による悪行を捨て、心による善行をなせ」
『ウダ-ナヴァルガ』(感興のことば、中村元訳)
業はなくせないが、戒めは必要だ。
行動を、言葉を、心を慎め。
常に。
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