権力に屈しなかった男の話 | 風似庵(ふ~にゃん)の独り言のブログ 心をフラットにして

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自分が感じた面白い事、ちょっとイイ話、考えさせる話 を徒然なるがまま 「独り言」として書いています。
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“ゴットフリート・フォン・クラム”‥は “ドイツ” チーム‥にテニスの “デビスカップ(国別対抗戦)”‥でチーム最多記録となる 86勝‥という記録をもたらした  “ドイツ”‥が世界に誇ったテニスプレーヤーです。

“フォン・クラム”‥は その容姿もスマートで大変に人気があり、彼が世界のテニス界で向かうところ敵なし‥となると、彼を最大限に利用しようと  “ナチス・ドイツ”‥が彼に近づきます。

“フォン・クラム” が貴族出身‥だったという事も “ナチス・ドイツ”‥にとっては魅力であり、その事が “ドイツ”人の優秀さを世界に誇示出来る絶好の材料でもある‥と “ナチスドイツ”‥は考えたのです。

“フォン・クラム”‥が試合に出場すると、“ヒトラー”が電話をかけてきたり、時には “総統” 自らが試合会場に赴き “フォン・クラム”‥を激励しました。

でも、これは激励した‥というよりは、“ヒトラー”‥が “フォン・クラム”‥と握手をしたり、“フォン・クラム”‥が “ヒトラー”‥をコートの入り口で迎える光景を写真に撮り、新聞に載せる為のものでした?

新聞には、

“フォン・クラム が総統に勝利を誓い、ナチスドイツの栄光と名誉を全ヨーロッパに顕示する決意に燃えた❗”

‥といった解説と共に その写真が掲載されます。

しかし、かねてから “ナチス・ドイツ”‥の政策や思想に疑問を持っていた “フォン・クラム”‥は、“ヒトラー”‥を試合会場のコートで出迎えても、決して 例の踵を合わせ 手を高くかかげる “ナチス”式の敬礼は行いませんでした。

そんな彼を、“ヒトラー”‥は、

“ナチスの思想を受け入れないならば、反国家的人物として投獄する”

‥と脅します。

1938年、“フォン・クラム”‥は パリで行われた “世界選手権”に出場し、その後 イギリスで行われる “ウィンブルドン選手権大会”‥に出場する予定でした。

パリに入った “フォン・クラム”‥に対し、“ナチスドイツ”‥は 例の敬礼だけでは無く、党への入党をはじめ、積極的に “ナチスドイツ” 賛美の宣伝活動に協力する様に求めてきました。

彼は悩みました。

“政治の為にテニスをしろ❗”

‥と命令された訳ですから‥。

パリの大会で優勝した “フォン・クラム”‥は、“ウィンブルドン”‥に出るか or 出ないか?‥で悩んだ‥といいます。

そんな彼を、自宅に招いて 慰め 激励したのが、チェロの世界的名手 “パブロ・カザルス”‥でした。

“カザルス”‥は、“フォン・クラム”‥の為に、バッハの “無伴奏 チェロ ソナタ”‥を演奏しました。

彼の為だけに、奏でられた 世界最高の演奏家による “無伴奏 チェロ ソナタ”‥は、“フォン・クラム”‥の心に染み渡ります。

“フォン・クラム”‥は、“カザルス”‥の演奏の意味を全てを了解し、自分のとるべき態度を決定します。

そして、“フォン・クラム”‥は自らの意思で投獄され、大好きなテニスを捨てたのです。


尚、終戦後 自由の身になった彼は、1951年に14年ぶりに “デビス・カップ”‥のドイツ代表に復帰し、44歳を迎える1953年まで代表を務めた‥という事です。