“お釈迦様”‥の説法の1つに、この様な説法があります。
ある所に4人の妻を持つ商人が居ました。
第一の妻は、いつも側に置いて可愛がっていました。
第二の妻は絶世の美女で、他人と争って奪ってきました。
第三の妻は、時々会うとホッとします。
そして、第四の妻は働き者で何時もホコリにまみれ、居る事さえ忘れる様な妻でした。
ある時商人は長い旅に出る事になり、寂しいので妻を1人連れていく事にしました。
そんな商人の誘いに対して、
第一の妻は、
“一緒に行く訳にはいきません”
‥と言い、第二の妻は、
“貴方が好きな訳では無いし、ついて行く義理もありません”
‥と言い、第三の妻は、
“ついていきたいけれど無理なので、せめて町の外まで送ります”
‥と断りました。
しかし、第四の妻だけは、
“貴方の妻ですから、どこまでもついていきます”
‥と言ってくれました。
‥といった様な話です。
働き者でホコリまみれで、居る事も忘れてしまう様な妻だけが、
“ついていく”
‥と言ってくれた‥という少々切ない話の様に感じますが、実はこれ 商人とは自分の事を指し、旅‥というのは “死出の旅”‥の事を指している‥のだそうです。
そして、第一の妻は “肉体”、第二の妻は “財産”、第三の妻は “親族”、第四の妻は “貴方の心”‥を指す‥といいます。
そう考えると、“肉体”‥は どんなに可愛がっても あの世への旅には連れていけませんし、“財産”‥は争って奪った‥としてもお墓の中にまでは持っていけません。
“親族”‥は時々会えばホッとする存在ですし、貴方が死んだら悲しんでくれますが、葬式で送ってくれるだけです。
でも “心”‥は煩悩という埃まみれで、働き詰めで疲弊していて、その存在が忘れがちな存在だった‥としても、あの世までついてきてくれます。
つまり、“お釈迦様”‥が この説話で言おうとした事は、
“第四の妻”‥を忘れずに、大切にしてこそ、後悔の無い現世を送れる‥という事なのではないでしょうか?
まぁ、現世では第四の妻どころか第一の妻も居ない ふーにゃんの解釈ですから、合っているとは限りませんが‥