本作における仮面ライダーのアクションシーンは、昭和のアクションシーンの再現と新しい形での演出のハイブリッドであった。
突如どこからともなく現れる敵の傭兵たちや、謎めいたカット割りなどは昭和っぽい演出を感じさせる。
一方で、いわゆるライダーキックと言える空中蹴りのシーンはCGも使ってシンプルかつ迫力のあるキックが見られた。
オリジナルへのリスペクトを残しつつ、現代的なカッコ良さも追求したアクションの演出が魅力的である。
ショッカーの目的は人類の幸福。
人間の科学によって、幸せになることを目指して世界を統一しようと目論むのだ。ショッカーの幹部たちはそれぞれの能力を使って、様々な形で人々の幸福を実現しようとしているのだが、その方法は独善的であったり、非人道的であったりする手段ばかり。
政府と仮面ライダーは、そんなショッカー幹部たちを一人ずつ打ち倒していく。
ショッカー幹部として出演した人々が豪華だった。
冒頭のクモオーグが声のみの出演となった大森南朋。その他、長澤まさみや西野七瀬、本郷奏多などが怪人として存分に暴れ回っている。
子供向けの特撮番組のように完全な怪人スーツに身を包むのではなく、革ジャンにマスク程度といったいかにも人間らしい姿を残しているのが、リアルな"怪人"っぽくて良い。怪物じゃなくて、あくまで怪人なのだ。
後頭部から人間の髪の毛が出ていたり、サソリオーグもほぼ長澤まさみだったりして、人間が堕ちて狂った姿を感じさせる。
そんなショッカー幹部に対して優しすぎるヒーローは、たとえ敵でも殺したくない時には手を引くのがおもしろい。武力による解決の必要性がなければ、撤退することも選択するのだ。
そしてたとえ敵でも、人の命に対する敬意を忘れない。
ルリ子の旧知の仲であるハチオーグのことを殺すことができず、本郷とルリ子が闘わずに手を引くよう説得を試みた矢先、政府機関の男からハチオーグが殺されてしまった時、亡くなったハチオーグに対して本郷は頭を下げて黙祷を捧げるのだ。
彼は常に暴力を憎んでいるのだと思う。仮面ライダーとして闘うことを決意した後も。たとえ自分自身の暴力であっても、それによって命が失われることになればそこに無念な気持ちを乗せて祈りを捧げるのだ。
そんな本郷とルリ子の前に、新たに強化されたバッタオーグが現れた。
一文字隼人という人間が変身する仮面ライダー2号は、ショッカーによって洗脳された状態で本郷との戦いに挑戦状を叩きつけてきた。
ショッカーの洗脳スタイルは、絶望し、悲しみに暮れる人々からその記憶を奪い取り、多幸感を上書きすることで洗脳していくらしい。
逆に言えば、本当の自分の記憶を取り戻した時、彼らは忘れていた悲しみに打ちひしがれることとなるのだ。
ルリ子によって一文字隼人が本当の記憶を取り戻した時、一文字は彼個人の絶望に打ちひしがれる。
仮面ライダーの仮面にはいわゆる「涙ライン」と呼ばれる、涙の跡がある。その涙の跡があるから、仮面ライダーのマスクには哀愁を感じさせるのだ。
その涙は、悲しみの記憶や暴力による苦しみの涙に他ならない。
そんな戦いの最中、ルリ子はK.K.オーグの急襲によって致命傷を負い、死んでしまった。
力があっても側にいる人間を守りきれなかった本郷は、更なる悲しみを負うこととなってしまう。
悲しみに暮れる中、ルリ子のデータを手に入れるためにマスクをかぶる本郷。彼女の最後の記憶を知り、本郷はマスクの中で涙する。仮面ライダーのマスクは悲しみの顔さえも隠してしまうのだ。
辛い気持ちや、苦しい気持ちを仮面で隠すヒーロー。それでも隠しきれない「涙ライン」。
マスクを外さずとも、ライダーは常に泣いている。
実に切ないマスクではないか。
本郷と一文字が最後に対峙した敵は、ルリ子の兄の緑川イチローだった。
無差別殺人という暴力で愛する母を失った緑川イチローは、人の魂を別次元へ送り込むことで幸福を実現しようとする危険思想の男だ。
あの時、力があれば母を守れた。イチローは常々そのように感じてきた。
「あの時、力があれば」という根源的な願いは、本郷にも通じるものがある。
暴力によって愛する人が不条理な死を迎えた二人。片方は力を手に入れて、人々を守るために行使する。片方は力を手に入れて、暴力の存在しない世界へ人々を強制的に導き、自分だけが存在する世界を構築しようとしている。
同じ願いを抱えてきた対極的な二人が、ルリ子の思いを背負って最後に衝突するというドラマが熱い。
イチローと本郷の最後の戦いでは、イチローの強力な力に対して本郷が意地で粘り強く戦い続けた。
やがて互いに息を切らせながら押さえつけ合うのが、リアルな戦闘シーンで良かった。
怪人やヒーローとはいえ元は人間。息も切れるし、スタミナ切れもある。羽交締めにしながら、息も絶え絶えに戦い続けるのだ。
最終的には泥臭く戦ったまま決着がついた。
派手な爆発や、派手な必殺技など披露されなかったのが好感が持てる。
ふと、子供の頃、友達と喧嘩した時を思い出す。
普段は仲の良い友達との喧嘩は、手も出るし、足も出ていた。取っ組み合いになって、決着がつかない。今思えば、お互いに決着などつけようとしていないのだと思う。
だから暴力を振るいながら、泣きたい気持ちになる。喧嘩しながら泣いてしまったことだってある。
クライマックスのイチローと本郷の戦いは、そんな喧嘩の後に訪れる虚しさを思い出した。
ヒーローの戦いは決してカッコ良いものではない。何度も繰り返すように、それはただの暴力の応酬であり、ヒーローである主人公自身も、暴力による解決は望んでいないのだから。
一文字にすべてを託し、延々と続く戦いから解放された後の本郷の声は、風を感じてとにかく清々しそうに見えた。