(1996年・日本)
〈ジャンル〉ドラマ/青春
~オススメ値~
★★★★☆
・岩井俊二監督による圧倒的な世界観の奥深さ。
・民族が入り混じった新しい世界。
・超豪華キャストの夢のような共演。
(オススメ値の基準)
★1つ…一度は見たい
★2つ…良作だと思う
★3つ…ぜひ人にオススメしたい
★4つ…かなりオススメ!
★5つ…人生の一本、殿堂入り
〜オススメ対象外は月毎の「ざっと書き」にて紹介
〈〈以下、ネタバレ注意!!〉〉
《あらすじ》
『"円"が世界で一番強かった頃、一攫千金で故郷に大金を稼いで帰ろうと目論む外国人たちは日本に集まり、街を円都(イェンタウン)と呼んでいた。日本人たちはそんな違法労働者たちを円盗(イェンタウン)と呼んで卑しんでいた。円都の娼婦である母が亡くなって身寄りがない少女アゲハは、娼婦のグリコに引き取られる。グリコや彼女の恋人のフェイホンは上海系の円盗だった。アゲハが彼らと共に過ごしていたある日、アゲハを強姦しようとしたヤクザを誤って殺してしまう。殺人を隠蔽する一同だったが、ヤクザの身体から一万円札の磁気データが記録されたテープを発見。何でも屋のランの技術で、フェイホンらは偽札作りで大金を稼ぐ方法を見出す。』
〜むかしむかし、"円"が世界で一番強かった頃、その街を移民たちは"円都(イェンタウン)"と呼んだ。〜
《監督》岩井俊二
(「打ち上げ花火、下から見るか?横から見るか?」「花とアリス」「ラストレター」)
《脚本》岩井俊二
《出演》三上博史、Chara、伊藤歩、江口洋介、アンディ・ホイ、ミッキー・カーティス、渡部篤郎、山口智子、大塚寧々、桃井かおり、ほか
【どこかにあったかもしれない日本の物語】
劇中バンド、YEN TOWN BANDが歌うエンディング『Swallowtail Batterfly〜あいのうた〜』も最高に美しい岩井俊二監督作品。
1996年公開でありながら、2020年の現代よりも少し先の時代を描いているようで驚いた。公開当時、とても先見性の高い作品だったと思う。
円の価値が上がり、日本で稼いで祖国に帰る移民に溢れたパラレル・ワールドの日本が舞台である。
そのため、劇中では様々な国籍の人間が入り乱れる。日本語と中国語、英語が縦横無尽に飛び交うばかりか、中国語かと思って字幕を追っているといつの間にか外国人訛りっぽく潰れた日本語も混ざっているというカオスな新言語が定着しているのも面白い。
言語というものは時代に応じて絶えず変化していくものだが、この世界では複数言語がごちゃ混ぜに融合したのだ。
一攫千金を求めて日本にやって来た移民たちは街を"円都(イェンタウン)"と呼び集まっていた。
日本人はそんな違法労働者たちを"円盗(イェンタウン)”と呼び、卑しんでいる。円都と円盗が同じ発音というのも、言葉遊びが巧みな日本人らしい皮肉めいたジョークだ。
円都に生まれた少女は、娼婦の母親が亡くなって身寄りがなくなってしまった。
少女を引き取ったのはChara演じる娼婦のグリコだ。
胸に蝶のタトゥーを入れたグリコから、「アゲハ」という名前をもらった少女は、グリコやグリコの恋人のフェイホンらと共に過ごすことになる。
彼らは円都に住む円盗であった。信じやすい日本人を相手に詐欺的な手法で金を巻き上げ、貧しくも楽しく生活していた。
そんなある日、自室にいたアゲハを強姦しようとした狂ったヤクザが現れた。グリコらは咄嗟に抵抗し、誤ってヤクザを殺してしまう。
その死体を皆で埋めに行ったとき、ヤクザの身体から謎のカセットテープが見つかった。それは、一万円札の磁気データが記録されたテープだった。
何でも屋のランの技術を借りて、フェイホンらは偽札作りの技術を見つけ出す。円盗の一同は、偽装紙幣を使って一攫千金を手に入れた。
磁気データが記録されていたテープに録音された曲はフランク・シナトラの『My way』である。
この曲は劇中で何度も印象的に歌われる名曲だ。グリコがライブハウスでバンドメンバーと共に美しい歌声で歌い上げ、フェイホンが留置所で思い出に浸りながら歌う。
この曲は人生を閉ざそうとしている今、自分自身の力で人生を切り開きながら生きた誇りを高らかに歌い上げた曲である。
円盗の面々は、犯罪にも手を染め、危ない橋も渡って来た。それでも自分らしく、人生を謳歌している。そんな彼らの生き様がこの曲に乗って伝わってくる。
いやはや、ベストな選曲である。
さてそんな中、上海系マフィアは行方が分からなくなった磁気データのテープを探していた。
執拗に探し続ける追手がいるとも知らず、フェイホンとグリコらは偽札で貯め込んだ金を使って円都からダウンタウンに移り住み、ライブハウスの経営に着手。そして、その歌声が見初められたグリコはあっという間にスター歌手へとのし上がるのだった。
しかし、音楽事務所からすればグリコが日本人でないことやイェンタウン出身であることは隠したい事実であった。そのため、フェイホンが不法滞在者であることをリークし、グリコと繋がりの深い彼を入国管理局に拘留させるのであった。
グリコ、フェイホン、アゲハ。皮肉にもグリコの夢が叶ったとき、それぞれが離れ離れになってしまったのだ。
フェイホン釈放後も昔のように円都に集まれなくなったことを憂いたアゲハは、お金の力でまたグリコを取り戻したいと考え、偽札作りを再開する。そして、少しでもグリコに近付こうとグリコと同じように胸に「アゲハ蝶」のタトゥーを入れるのだ。
その一方で、当時、ヤクザの殺害現場を目撃していた娼婦から情報を聞き出した上海マフィアらは、急激にグリコやフェイホンらの元へと近付きつつあった。
マフィアから逃げる中で偽札を使用したフェイホンは警察に見つかって逮捕されてしまう。拷問のような取り調べを受けたフェイホンは、グリコらとの思い出や妄想を夢見ながら留置所で死亡してしまった。
グリコの元にも危機が迫っていた。
記者の鈴木野はグリコがイェンタウン出身であることを突き止め、強引に取材しようとするがそこに上海マフィアが現れた。
グリコと鈴木野はマフィアから命辛々逃げ出し、暗殺者に追われてランの元へと逃げ込んだ。
絶体絶命の危機の中、ランと彼の仲間の放った一撃でマフィアは一掃された。呆気にとられるグリコたち。
ランの正体は暗殺組織の一員だったのだ。
歌手活動を辞めたグリコはアゲハと再び一緒に暮らすようになった。そして、亡くなったフェイホンの葬儀が仲間たちと共に行われた。
遺体を燃やし、フェイホンに密かに恋心を抱いていたアゲハはもう必要なくなった札束を炎の中に投げ込む。
煙は天高くどこまでも登ってゆくのだった。
【近未来の新たなアイデンティティ】
とにかく出演者も豪華である。
主演の三上博史、Charaのみならず、江口洋介や山口智子、大塚寧々、渡部篤郎に桃井かおりまで登場する。
実力派俳優たちの夢の共演。今となってはこの豪華共演はもはや叶わないだろう。
特に、渡部篤郎と山口智子の暗殺者コンビがカッコ良すぎる。
大軍で来た上海マフィアに窮地に追い込まれた時、バズーカで呆気なく一掃。大爆破の後で桃井かおりが「何これ、戦争……?」と呟くのも拍子抜けしていて面白い。
主演のCharaの演技力には驚くばかりであった。
Charaが演技をしているところをあまり見たことがなかったため新鮮でもあったのだが、円都の娼婦でありながら決して落ちぶれているわけではない誇りとオーラがある。美しい歌声で歌い出せば、彼女を円の中心にして皆が聞き惚れる。
グリコ役は彼女しかあり得なかっただろう。
しかし、何より本作の見どころは、とにかくこの円都と円盗という世界観の確立の細やかさにあると思う。
どこまでもどこまでも深掘りしてリアルを追求した結果、まるでそういう世界が実在するかのような完璧な設定だ。
例えば、それはアヘン街の描写に至るまでリアルですごく怖い。
ゾンビのように目的もなく歩き、脳が機能しなくなってどこか虚空を見つめて横たわっている人々の群れ。感情もないし、当然、論理的な思考もない。肉体という器だけこの世に取り残してしまった人々。
その姿はまさに「人間を辞めた人たち」だった。だが、世界中から移民たちが集まると共にそういった薬物犯罪の魔の手も近付くだろう。
アヘン街のような彼らが住み着く場所が生まれるのも自然な流れのように感じる。
こうした設定は、外国人労働者の増えた近年では妙にリアリティすら感じる世界観である。
近年の日本でも外国人の観光客や労働者、留学生は激増し、イェンタウンのように国籍が入り混ざる状態も虚構ではなくなりつつある。もはや彼らの存在が日本の生活に欠かせなくなっている。
「日本人」という民族のみであった島国も、次世代、その次世代へとバトンを渡していくうちにいずれ民族同士の血が混ざっていく流れは変えられないだろう。
劇中でも日本で生まれ、日本語しか喋れない"風貌だけ欧米人"のデイブが登場したように、もはや国籍や言語や人種に捉われる価値観は変わりつつあるのだ。
そんな中でイェンタウン(円都)のイェンタウン(円盗)と呼ばれる人々がいるという設定は考えさせられる。
「俺たちは日本人だ」とか、「お前は何人だ?」とかいう人種のアイデンティティに晒されて悩み苦しむ人がイェンタウンに集まっている。彼らはそういう不安定なアイデンティティの上に日々を過ごしている。
やがて、移民2世のアゲハのような人々が「自分はイェンタウン(円都)出身のイェンタウン(円盗)だ」という新たなアイデンティティを確立していくのだ。
日本人でも中国人でもなく、アゲハのイェンタウンなのだ。
この辺りの価値観の変容、人種が融合する経過の描き方が本当に素晴らしい。
20年以上前の作品で近未来を予見するような設定が描かれているのだから。
本作を見ているとき、正直今ほどの衝撃はなかった。
しかし、こうして記録するために映像を見返したり、歌詞を調べたりするにつれて、次第に本作の深い魅力にハマってきている。
それは設定の奥深さのせいだろう。本作のことを知れば知るほど、どこまでも緻密に構築された世界観に驚かされるのだ。
今の日本には、まだ円都のような完全に民族が融合した社会は確立されていない。しかし、現に一部の国籍を持つ人種に対するヘイトの声が多くなっている昨今は、皮肉にも日本に住む外国人が増えてきて国が変わりつつあることを示している。
いつの日か様々な民族が融合して円盗のような新たなアイデンティティが誕生する時代も近いうちに現れるかもしれない。
アゲハのような移民の子たちがその時代を築いていくのだろう。
日本という国が外国人との共生に向けてこれから変わっていく途中にあるのだとしたら、今、本作を見ておくことには大きな意味があると思った。
(149分)