超訳 ブッダの言葉という本の紹介をテレビで今見ました。



なんか、怒りや悲しみなどを否定的にみている感じがします。



私がこの本に対するテレビの説明を誤訳している可能性もありますが。



怒らないことがいいこと、っていうノリは感情を縛り付け、感じる心を麻痺させます。



猫ならこう言います。



「空を見てください。天気は荒れもすれば穏やかな日もあります。



心も荒れもすれば、穏やかな日もあるのが、自然です。



怒りや悲しみを抑えることも、感じないことも不自然です。



肝心なのは、怒りや悲しみに執着しないことです。



怒り続けることも、悲しみ続けることも、不自然です。



感情は猫じゃらし。



遊ぶだけ遊んだら、すぐ手放しましょう。」



人によって物事の捉え方は違います。


例えば、鰻と言えば関東では背開きで蒸して焼くのが常識。


関西では腹びらきでダイレクトに焼くのが常識。


もっとも、蒸して焼くのは歌舞伎とか見る時のお弁当にするのに、さめたら硬くなるから蒸して焼くという工夫をしたのが始まりって噂もあります。


他のものもけっけこう人によってとらえ方が違うと思います。


例えば、ZOUKをラテンダンスという狭い世界に押し込めることも可能です。


これは、その人が「ZOUKはラテンダンスだ」と決めつけてしまえばそうなってしまいます。


ダンスばかりしている人にはダンスという枠組みを外すことができないため、その枠の中でしか可能性が見えてこなくなります。


しかし、たった一つのものに対してでも、その人の物事の捉え方が柔軟で、人生経験が豊富なら複数の見方ができるようになります。


つまり、物事の可能性を広げるのは「人」なのです。




私にとっては、ZOUKは言語を超えたコミュニケーションツールです。


言葉を使わないので、それは真実味があります。


嘘が存在しないつながり、絆を体感できます。


それはラテンダンスという狭い枠組みではなく、人々の連帯のひな型と言えます。


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音楽を聞く。


私がMafieから習ったことのもっとも重要な要素。


でも、最初は意味がわかりませんでした。


オーストラリアから帰国して、日本でZOUKを踊る人を見て、その意味がわかりました。


みんなリズムは正確。


ステップを正確に踏んでいます。


でも、踊っているというより習った技をただリズムに合わせて「やっている」ってこと。


リズムに合っているけれど、音楽に合っていない・・・。


音楽とはメッセージでそれを感じる「心」が重要ですが、それが欠けている。


そして、それを体で表現すること、それがダンスです。


そうそう、感じる心を取り戻すのは、非常に簡単で、1時間もあればできます。


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