人によって物事の捉え方は違います。
例えば、鰻と言えば関東では背開きで蒸して焼くのが常識。
関西では腹びらきでダイレクトに焼くのが常識。
もっとも、蒸して焼くのは歌舞伎とか見る時のお弁当にするのに、さめたら硬くなるから蒸して焼くという工夫をしたのが始まりって噂もあります。
他のものもけっけこう人によってとらえ方が違うと思います。
例えば、ZOUKをラテンダンスという狭い世界に押し込めることも可能です。
これは、その人が「ZOUKはラテンダンスだ」と決めつけてしまえばそうなってしまいます。
ダンスばかりしている人にはダンスという枠組みを外すことができないため、その枠の中でしか可能性が見えてこなくなります。
しかし、たった一つのものに対してでも、その人の物事の捉え方が柔軟で、人生経験が豊富なら複数の見方ができるようになります。
つまり、物事の可能性を広げるのは「人」なのです。
私にとっては、ZOUKは言語を超えたコミュニケーションツールです。
言葉を使わないので、それは真実味があります。
嘘が存在しないつながり、絆を体感できます。
それはラテンダンスという狭い枠組みではなく、人々の連帯のひな型と言えます。