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「風と行き来し雲からエネルギーをとれ」(by宮沢賢治)

落書きといっても、変なことを想像しないで下さいね。大まじめな落書きなので。政・官・財・学・報が一体となった「原発村」の図。ある意味、日本の縮図かも。これくらいは書いても逮捕されないよね。

写真をクリックすると少し大きくなって見やすいかも。

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明治村は愛知県犬山市にあり、桜の名所としても有名である。
数あるお花見のスポットとして、ぼくがこの明治村を選ぶのは
古い建物があるということも理由のひとつである。
古い建物と桜はとてもよく似合うのだ。

春うららか、という表現がぴったりの日で、
いつもながらに美しい桜を満喫したのであるが、
気分はいつもと違っていた。

全く見えない亡霊のような影が背後に迫っている。
そう、放射線のことを気にしなければならない。
iPhone用のアプリ、放射線チェッカーで調べると
愛知県は、1時間あたり0.04マイクロシーベルト。
まず問題のない値に一安心。ぼくが用心深すぎるのか?
園内の人は放射線などどこ吹く風といったようで
首都圏とはかなり温度差があるかもしれない。

そして、明治村ということで、電気というものが
少なかった時代のことに思いを馳せてみる。
電気など少なくなっても、これほど豊かな生活ができていた。
というか、精神の豊かさ、意志の強さ
というものを感じさせてくれる。
まぁ、博物館ということでそういうものばかり集められているのではあるが…
たしかに、部屋にエアコンは無いし、炊事はかまどに薪。
夜、煌々と輝くネオンライトも無い。
通信機器と言えば、電話があるくらいである。
しかし、これで十分なのではないか。
上ばかりを追い求めるのではなく、
時には階段を降りるようなことも必要なのではないか。
明治時代のものたちが、そう語りかけてくれているようである。

こんなことを書いている間にも、東京などでは反原発デモ、
そして、福島第一原発では再臨界の可能性が囁かれている。
最悪のシナリオだけは何とか回避してほしい。


明治144年!
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桜には古い建物がよく似合う。
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西郷従道邸
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木は人間に優しい。
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ヤマツツジもここでは桜にまけていない。
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遠く入鹿池を望む
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漱石は今の日本を見て、何を思うだろうか。
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桜は見ている人の方を向いて咲く。
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桜吹雪
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雨ニモマケズ
風ニモマケズ
雪ニモ夏ノ暑サニモマケヌ
丈夫ナカラダヲモチ
慾ハナク
決シテ瞋ラズ
イツモシヅカニワラッテヰル
一日ニ玄米四合ト
味噌ト少シノ野菜ヲタベ
アラユルコトヲ
ジブンヲカンジョウニ入レズニ
ヨクミキキシワカリ
ソシテワスレズ
野原ノ松ノ林ノ蔭ノ
小サナ萓ブキノ小屋ニヰテ
東ニ病氣ノコドモアレバ
行ッテ看病シテヤリ
西ニツカレタ母アレバ
行ッテソノ稲ノ朿ヲ負ヒ
南ニ死ニサウナ人アレバ
行ッテコハガラナクテモイゝトイヒ
北ニケンクヮヤソショウガアレバ
ツマラナイカラヤメロトイヒ
ヒドリノトキハナミダヲナガシ
サムサノナツハオロオロアルキ
ミンナニデクノボートヨバレ
ホメラレモセズ
クニモサレズ
サウイフモノニ
ワタシハナリタイ



このブログのサブタイトルにも
宮沢賢治の句を引用させていただきました。
かつて、オートバイを駆り、東北地方から北海道を旅した。
ぼくの世界観を大きく広げてくれた旅。

「銀河鉄道の夜」を読んで以来、宮沢賢治が大好きだったので
岩手県花巻を訪ねてみた。通りのあちこちに宮沢賢治の句碑がある。
今も慕われ、道奥の人たちの心の拠り所となっている。

「風と行き来し雲からエネルギーをとれ」
オートバイの旅は決して楽なものではない。
travelはtrouble続き。
そんななかで出会った句。
これには本当に勇気づけられた。

そして、「雨ニモマケズ」
こんなりっぱな生き方はできないけど
詩の最後の方は、なんとなく近づいているような気がする。
ぼくの深層心理のなかで息づいているのだ。


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いくら影響力の少ない個人のブログで、言論の自由が保障されているとはいえ、こんなことを書いていいんだろうか?

詩を作ってみました。

もしも私が総理大臣なら     zoota

もしも私が総理大盤なら
どれだけ放射能が出ても
危険だなんてことは絶対に言わない
だって、国民を不安の中に
陥れたくないから

絶対に放射能がたくさん出ているなんて言わない
その後のがんが放射能のせいにされ
政府がすべて補償していたら
破綻してしまって
国民の生活を危うくするから

もしも私が総理大臣なら
避難しろなんて言わない
自分の土地を手放し
家族がバラバラになり
不幸になってしまうと思うから

少しがん患者は増えるかもしれない
でも、20%が22%になったところで
大して違わないでしょ
それよりも、原発の信頼性を傷つけ
原発の計画が白紙に戻るといけないから

だから私は
大丈夫、安全、安心、問題なしを連呼するでしょう
一国の総理大臣としての責務を全うするために
例えばすスギ花粉は小さくて目に見えない。しかし、目のかゆみ、くしゃみ・鼻水等はっきりとした症状が現れる。だから、薬を飲み、マスクをするという対策をとれる。花粉の飛散が終われば嘘のように回復し、後遺症も無い。

放射線・放射性物質も目に見えない。ところが、厄介なことに花粉と違って、微量であれば目立った症状が「ただちに」現れるわけではない。皮膚についたものは洗えば落とすことはできるので深刻な被害は無いかもしれない。問題は、鼻(口)から吸い込むみ、食べ物等から消化器官に入ることによって起こる内部被曝である。これもあるレベル以下であれば、ただちに症状が現れるわけではなく、徐々に人体の組織を侵し、やがてがんなどの病気になる。また、厄介なことに日本人のおよそ20%が悪性腫瘍で亡くなることから、被曝によって悪性腫瘍になったのか、それ以外の原因で悪性腫瘍になったのかは証明することが難しい。おそらくこれから数パーセント、がん患者が増加するだろう。その統計が残るだけである。

シーベルト、ベクレルという単位をもとにどれだけの放射線が放出されるか、また浴びているかといった数値は計器が示してくれるが、どこまでが安全で、何が危険なのかはっきりと判断することは難しい。年齢や健康状態によっても大きく異なる。これも厄介なことである。

国(政府)とそのお抱え報道機関は安全・安心、ただちに影響が無いと繰り返すばかりだが大量の放射線・放射性物質が放出されていることは間違いない事実だから、花粉症のようにマスク等で予防することが望ましい。マスク程度でも放射性物質が付着した塵を吸い込むことが少なくなれば、しないよりましだと思われる。

国(政府)は人体に危険性のある放射性物質が大量に漏れているとアナウンスすると、これから発症する悪性腫瘍患者に莫大な保証をしなければならないので、それが言えない。だから、この程度なら安全・問題なしを繰り返すのだ。ならば、我々が自分で判断して、どのような予防が成り立つのかを考えながら生活しなければならない。

注 がんと悪性腫瘍は同義として使っている。
ぼくが高校生だったころ、数学の先生が言っていたことは今でも鮮明に覚えている。
「新聞なんて未だに信じられない。戦争中は負けているのに勝っていると、すべて嘘の報道で塗り固められていた。・・・」
まさかねぇ。今の時代にそんなことあるわけ無いでしょ。ぼくは、新聞やテレビは最も信頼のおけるものとして疑わなかった。

今になって、その先生の言う事がよく分かるようになってきた。

非常時において、報道管制がひかれ政府の統制下にはいってしまう。今の状況は戦時下と同様に、十分非常事態に相当する時期なのだ。国民がパニックに陥らないような配慮、いわゆる「嘘も方便」だったとしても、現代社会おける昨今の報道はペナルティに値する出来事ではないだろうか。実際に被曝して健康を害してしまっては元も子もなくなってしまう。まずは、国民の安全と健康ということを最優先に考えてもらいたいところだ。

しかし、政府からの情報が最も信じられないなんてなぁ・・・


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花見はいつものとおりさせていただく
酒を飲んでばか騒ぎなどする気は毛頭ない
厳かな気持ちで桜を愛でるのだ

季節は巡り否応無く桜は咲く
以前の風景とは激変している
それでも桜の花は咲く

ぼくの心象風景も激変した
それでも桜の花は咲くので
花見はいつものとおりさせていただく


$zoota's weblog-桜
昔から言われていることだけど、事なかれ主義がはびこっているんじゃないだろうか。社会の時間に「官僚主義」っていう言葉を習ったよね。任務中に重大事が起こらなければそれで良い。「大過なく」という言葉がある。禍いが無ければそれが最高の状態であるという精神である。

やっぱり、何か事が起こったときにはその対処が甘くなってしまうんじゃないでしょうか。起こっている現実を直視せずに、過小評価しようとする。物事を隠蔽しようとする。例えば、いじめがあるのに、無いというような・・・

物質的には豊かでも、精神的には貧しいと言わざるをえない。これは、他人を批判しているんじゃなくて自分に対して言っていることなんだけどね。精神的にもっと成長しなければ決して豊かな社会、豊かな国とは言えない。
 音楽に関しては、RCサクセションを聴きつつ、マーラーも聴いたりして分裂症ぎみなんだけど、最近ラフマニノフのピアノ協奏曲第2番が心に沁みる。大切な人とお別れして、心が感傷的になっているからかもしれない。

 70'sが好きな方は、エリック・カルメンの「オール・バイ・マイセルフ」をご存知でしょう。



最近ではフィギア・スケートの村主さんが使いましたね。



 とても抒情的で感傷的な曲として有名で、コアなクラシックファンからはポピュラーミュージック扱いされていますが、この曲をユジャ・ワンが演奏すると、世のピアノ協奏曲の中でナンバーワンと思える曲になっているから不思議だ。
 この手の曲はすぐに聴き飽きてしまうものですが、ユジャ・ワンの演奏は何度聴いても聴き飽きない。一日中頭の中で鳴り響いていて、軽く中毒状態なのです。来日公演の様子は、先日このブログでもご紹介しましたが、ピアノに興味のある方はぜひググッてみてください。http://p.tl/A3XZ
やっぱり命がけってことなのかな。普通ならしないでしょ。自分の命の方が危ないって思うもんね。

どうしてぼくが原発にこだわるのか。それは、関東地方へ引っ越した人のことが心配で頭から離れないからなんです。ぼくにとっての妹のような存在。嫁ぐためだからどうすることもできなかった。見送るときも放射能の「の」の字も言えなかったよ。どうにか彼女が無事でありますように。そして、皆が騒ぐほど大したことじゃなくて、何にもなくて、元気な子どもを生んだよって言えるようになってほしい。お願いします。お願いなんて、無神論者が言っても仕方がないね。


いつの日かの夕方

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