どうも、買い物疲れしてるおっさんです。
ジメジメして蒸し暑いのは毎年苦手でして、そうじゃなくても老いてきてるだけにね、一層応えるというか、デフォルトで憂鬱気味になっちゃうよね。
前回更新はもうひと月前。
なんだか特に何かしたって訳でもないのにあっという間だったな、6月。
体調があんまり芳しくなかったのもあるし、それと相まってメンタル的にも電池切れ感が否めないんですよ、ここ最近。
別にブルーになってるとかヘコんでるとかでは全く無いし、下降気味って訳でもないんだけど、微塵もアッパー方向に向かわないってのかな・・・キーを回してもエンジンが掛からない的な。
『やる気が失せる』 ってのはこういう事を言うんだろうなと思うんだけど、そもそも 『ガンガンやろうぜ!』 タイプの人間でもないからね、上がらない事に悩んだりはしない訳です。
ただ、総体的に調子悪いのは悪い訳だから、悩まずともイライラしてたりはします。
何が面倒臭いって、そうなるとやりたい事のほとんどが実質的に出来なくなるのが俺だって事。
ホントにこればっかりは我ながら面倒な奴だと呆れるんだけど、要は典型的な職人気質というか芸術家肌というか、最重要なのは 『さほど長くない助走』 の期間なんですよ。
つまり、その助走となる期間に些細でもケチがついたり邪魔が入るとダメになる・・・一気にやる気が無くなる・・・ヘソ曲げるw
めんどくせーw
そこさえクリアしちゃえばわりと無敵に進めちゃったりするんだけどね。
で、そんなこんなでグダグダしてる内にひと月とか経ってたりする訳。
実際、このひと月って、ボツにするしないの話じゃなく、そもそも記事の下書き自体を全然書いてなかったもんね。
普段はなんだかんだ衝動的に書いて少し寝かしてたりするんだけど、最近は全然。
いや、気になる事とか書こうかなって思うネタはたまにあるんだけど、下書き以前に頭ん中でザックリとした内容すらまとまらんのよね。
で、「じゃあ書かない!」 っていうヘソ曲がりですよw
どこの偏屈ジジィだよっていうw
さて、今回もさほど書こうと思ってる事は多くないんだけど、たまたま見つけた記事の話を一つ。
【EU発!Breaking News】動物園の飼育係がダチョウを撲殺。「無抵抗のポニーを蹴り殺した恨み」。(仏) - Techinsight
こんなのがあって、ちょっと引っ掛かった。
真相は解らないし、詳細も知り様がないけども、「優しさとか思い遣りってなんだろな~」 とか思っちゃった訳です。
結論から言えば、常々俺が言ってるアレですよ、「物事は客観的且つ多角的に見よ」 って話になっちゃうんだけど、相変わらずこういうのを見ると考えちゃうんだよね。
額面通りに記事を読めば、そんなに気になる様な話でもない。
勝手に復讐した飼育係は自分勝手とも取れるし、ポニーへの愛情が深かったと捉える事も出来る。
まぁ、その辺りはぶっちゃけ知ったこっちゃないんですw
結果だけ見れば、ポニーが死んで、ダチョウも死んで、飼育係が罪人になったってだけの事。
細かい事情が解らない訳だから、正義だの悪だの外野が判断する話でもないんだろうし、どうだっていい。
真相はどうあれ、「もしも」 の想像力を膨らませるには良いネタだなと。
飼育係が本当にポニーを特別な存在として認識していたとしたら、ダチョウに復讐するのは 「馬鹿げてる」 と簡単に言える話なのかどうか。
例えば、自分のペットが隣家の犬に咬まれて死んだとしたら、隣家の犬や飼い主に復讐を考えるのは果たして異常な心理なのか?という事。
俺はそれを異常だとは思わないし、むしろ正常で筋も通ってると思うんですよ、実行するかどうかは別として。
いや、実行してしまったとして、それは罪になるとしても、心理として充分に理解は出来る。
行為は悪に分類されるとしても、思いや気持ちは極めて善だろうなと。
無論、そこに他意があってそういう行動に出たとも考えられる訳で、本当のところは当人にしか解らない話になっちゃうんだけど。
仮に飼育係が純粋にポニーの敵討ちとしてダチョウを殺したとするならば、その衝動は主に 『怒りや悲しみ』 を原動力とするものだろうけど、怒りや悲しみ以外に 『ポニーに対する優しさや思い遣り』 が含まれてる可能性だって充分にある。
ポニーに対する愛情が深いだけに、その反動として復讐心が過剰に膨らんだとも考えられる訳だ。
だとすれば、ダチョウを惨殺した飼育係は果たして非道な人間なのかどうか。
『優しく思い遣りのある人間だからこそ、ダチョウを許せなかった』 という判断が出来なくも無い。
だとしたら、非道とは真逆の人物像になる。
これが面白いところ。
いずれにしても、事実は変わらない。
ポニーはダチョウに蹴り殺され、そのダチョウは飼育係に撲殺され、そして飼育係は罪を科せられた。
そこで余計な事をしたのが誰かと言えば、飼育係に他ならない。
因果応報、飼育係は報いを受けた訳だ。
怒り、憎しみ、悲しみ、優しさ、思い遣り、いずれがどれほどの大きさだったのかは誰にも量れないけども、死んだポニーもダチョウも生き返りはしないんだから、感情で動いてしまった飼育係は愚か者なんだろう。
でも、そんな愚かさから逃れられないのが人間でもある。
我が子を殺された親が犯人に殺意を覚えるのが必然なら、殺されたのがポニーでも同じだろうし、犯人がダチョウであったとしても同じだろう。
決して馬鹿げた話なんかじゃないってのは言い切れる。
で、結局、優しさや思い遣りって一体なんなのか・・・って話になっちゃう訳だ。
罪を犯す事になったとしても、優しさや思い遣りが無かったとは言えないし、それが偽りだの嘘だのとも言い切れない。
優しかったり思い遣りのある人だって、場合によっては積極的に罪を犯す。
社会的ルールとして罪であっても、人として罪なのかどうかは別問題だったりするのが現実ってもんだ。
「良い子良い子する事ばっかりが愛情や思い遣りじゃない」 ってのと通ずるところで、本気で向き合ってるからこそ突き放したり厳しくする事もあるし、怒りを見せる事もある。
つまり、愛はちっとも綺麗でもなけりゃ素敵でもないって事で、ともすれば命をも奪いかねない本質がそこには絶対的にある。
その辺りを当たり前に理解していると、他人に優しくする事だったり、思い遣りを示すのがなかなか難しい事になってしまったりもする。
例えば、自分の彼女だからって甘やかしてばっかりいると、結果的に調子こいた言動を平然としてよこす様になったりする訳だよ、経験から言ってもw
ポニーの仇討ちをした飼育係の優しさがダチョウにも向けられていれば・・・という発想は些か安直すぎるけど、優しさや思い遣りなんてもんは結局、当人にしか知り様がないものなんだろうなと。
戦国時代、負け戦となれば先の不幸を案じて身内をあえて皆殺しにしたり、身内の方が手を煩わせまいと自害する事は実際にあった。
それはどちらも相手に対する優しさであり、思い遣りの精神。
現代社会の価値観で言えば愚かに思える殺人や自殺も、当時は極めて潔い行為として認知されていた訳だ。
相手に対する配慮がそこにある以上、価値観がすっかり変わってしまった現代においてもそれらを否定は出来ないだろう。
相手の事を考えた上で殺すとして、その相手が死を望んでなくても優しさや思い遣りは恐らく存在するんだろう。
つまり、相手の個や意思を尊重するかどうかは、優しさや思い遣りの有無を判断する上で必要だとは言えないという事。
それは 『他人をどれだけ尊重するか』 という判断による訳で、結局のところ重要になるのはそこ。
他者をどれだけ他者として認識し、どこまでどう扱うか・・・という個々のスタンスや価値観の問題。
ぶっちゃけて言えば、優しさや思い遣りの程度なんてさほど重要じゃないって事だ。
他人をちゃんと尊重する人は、優しさや思い遣りが僅かばかりしかなくてもちゃんと相手を踏まえて判断を下せるし、それは 『世界一相手の事を思い遣ってる自分勝手な奴』 よりもよっぽど配慮深いだろう。
結局、優しさだの思い遣りだの以前に、『他人を他人として認める』 という基本こそが大事で、他人しか存在しない社会だって事を根っこから認識してなけりゃ、いくら善人であっても毒にしかならないって事。
100点満点の優しさや思い遣りより、60点でもいいから他人を他人としてちゃんと認識してる事の方が重要なんですよ。
ありがちな理想の彼氏像を尋ねたアンケートなんかだと 「優しい人」 を挙げる女性が多いみたいだけど、どんだけ優しくたって、アナタをアナタとして尊重しない男は、優しさを掲げた我侭や身勝手をアナタにぶつけて来るだけですよ?・・・と思って呆れてしまう。
まぁ、知ったこっちゃないけどw
さて、飼育係の話に戻るとして・・・ダチョウを殺した飼育係は、ポニーの事を考えてもダチョウの事はちっとも尊重しなかった訳だ。
もっと言えば、ポニーにはそもそも人格が無い訳で、ダチョウに対する怒りや恨みすら恐らく皆無だろうし、ましてや復讐を望むなんて事はまず考え辛い。
となれば、ポニーの仇討ちを実行するなんてのはナンセンス以外の何物でもないし、それは単なる飼育係のエゴに過ぎないという事。
『自分勝手で傲慢』 という人類の特性が顕著に出た例だ。
しかしながら、じゃあ飼育係の優しさや思い遣りはインチキなのかと言えば、そうとは言い切れないから面白いしややこしい。
優しさとか思い遣りってなんだろな~と思ってしまうのも、難しいな~と思ってしまうのも、結局そんな風にそれだけを取り上げて良いとか悪いって言えないからな訳。
感覚的に生きてたりすると、そういった本質も解らないで他人を判断しちゃうから怖いよね。
・・・さて、また無駄に長くなった上に、途中で力尽きたり色々とやる事があって中断しまくったもんで、他に書こうと思ってたのは次の記事に回す事にします。
また疲れ目酷くなっちゃってダメだ。