海に木 | weblog -α-

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なんとな~く  思いつきで  好き勝手に  (=゚ρ゚=) ボヘー  っとやってます。


ここ最近、またちょっとヘルニアの主張が激しくなってまして、先週辺りはかなり酷くて参ってました。
なんとか出来うる限りの対処をして、ここ数日でかなり楽になったけども、あの地獄の日々の再来かと冷や汗もんでしたとさ。
梅雨になるとまた湿気のせいか調子悪くなるんだけどね、どうせ。


ハィ、今回は結構な昔話から始めます。
今から23年ほど前、西暦にすると1991年
湾岸戦争が始まり、TVゲームの様な空爆の光景がブラウン管に映し出される中、新宿には無駄にデカい新都庁が建ち、大横綱だった千代の富士が 「体力の限界!」 と現役を退き、ワンレンボディコンやお立ち台ブームの象徴的スポットだったジュリアナ東京が開店。
年末にはソビエト連邦が崩壊し、日本国内でもバブル景気の崩壊が徐々に始まりつつあったそんな頃。

当時16歳のあんび少年は、都内のデザイン学校に通ってました。
髪ボサボサ、服ダサダサ、色気も飾りっ気もないあんび少年は、通学の度に六本木を行き交う人々見た事もない様な外車に、いちいち若干のカルチャーショックを受けつつ、現在の六本木ヒルズ周辺をウロウロしてた訳です。

当然、学校ではいつも絵を描いてました。
厳しく 「描きなさい!」 って感じの校風ではなかったけども、他にやる事も無いんで 「ま、絵でも描いとこう」 的な。
一応、授業では毎回お題が出されて、デッサン科の授業ではベタに石膏デッサンか、クラスメイトの人物デッサンが多かった。
イラスト科の授業はもう少しバリエーションがあって、六本木の有名店のマッチ箱のデザインをしてみろって言われたり、点画で(TENGAじゃないよ?w)何でも好きな物を描けって言われたりした。

で、俺は描けと言われれば素直に描くんだけども、それが楽しいと思った事は一度も無かった
知らない知識なんかを教えてくれるのは単純に勉強になったけど、肝心の 『絵を描く』 って行為は、どうにも全て自分自身にイニシアチブが無いと面白くない
要は、『俺が描きたい物を、好きな時に好きな状態で好きに描く』 という大前提が無いとダメって事。
別に描けない訳じゃないし、指示されて描いた絵だと下手になるって訳でもない。
ただ、描きたくて描いたんじゃない絵は、100%自分の作品って感じがしなかった
ま、要するにヘソ曲がりなんだろうけど。

さて、そんな16歳のあんび少年、他のクラスメイトの大半が将来的に絵を生業としたいという夢がある中、これっぽっちも絵で食って行こうとか思っちゃいなかった。
昔から絵は見るのも描くのも好きだったし、得意でもあったけど、一度たりともそれでメシを食うなんて発想にはならなかった。
ただ好きなだけで、それ以上でもそれ以下でもないのが絵。
専門学校に通ったから上手くなるとも思ってなかったし、自分のセンスをひけらかす場だなんて事も思っちゃいなかった。
単純に、ほとんど担任のお情けで中学を卒業させて貰って、そのまま何もせずブラブラしてたんじゃ申し訳が立たないな・・・と。
数少ない選択肢の中で、自分が出来そうな事を扱ってる学校は東京のデザイン学校だけだった・・・というだけの話。

そんな訳で、絵に対する夢も希望も持たず通い始めた学校には、特別な期待もしちゃいなかった。
大体、絵なんか誰だって描ける
下手とか上手いとか評価はされるけど、そんな評価には屁ほどの価値も無い
芸術の評価なんて、要は好きか嫌いかだけの事。
当時からそう思ってたから、ちっとも構えずに学校に通った。
で、頑張ってる他の連中全く頑張ってない俺が居て、なのに評価が良いのは頑張ってない俺の方。
現実ってのは実に皮肉に出来てるもんだと思いつつ、頑張ってない俺は自分自身の内なる問題として居心地が悪くなった。
嘘でも頑張ってる奴が評価されるべきだと強く思ったし、課題をこなすだけの絵に面白味すら感じてない俺が、みんなと同じ様な顔して座ってるのはどうなんだと感じた。
で、そんな反動もあったのか、俺は学校よりも家で絵を描いた
好きなもんを好きな時に好きな様に描いた。
自論で言えば、それこそが 『自分の作品』 ってもの。


さて、そんな当時の絵が、今も一枚だけ部屋にある。
他のはしまってあるけど、その一枚だけは当時からなんだか気に入ってて、引っ越しても必ず部屋のどっかに飾ってた。
さすがにタバコのヤニやらホコリやらで汚れまくってるし、さほど良い絵って訳でもないんだけど、未だに目的も無く壁に掛けてある。

元

これがその絵。
タイトルは当時付けてたかどうかも忘れたんで、『Sea Tree』 って安直なので良いかなと。
恐らく、ただただ思い付きで描いただけの絵だと思う。

で、少し前、久々に絵が描きたくなったんだけども、イーゼルやら絵の具やらを出してきて描くのは面倒で、PCに入れてるペイントソフトで適当に描く事にした。
何を描くかも決めずにペイントソフトを立ち上げて、さてどうしよう・・・と考えてた時、部屋にある絵が目に入った。
「・・・汚くなったから描き直すか?」 ぐらいのノリで、やっぱりさほど構えるでもなく上の絵とほぼ同じデザインの絵を描いてみた。

Re

こんな感じ。
いつか買おうと思いつつペンタブをまだ買ってないもんで、ブラシは筆にしたけど全部マウス描き。
やっぱ細かい部分はペンタブじゃないと難しいやね。
手描きと言えども一応はCGなもんで、背景とかを単独で一括処理出来るのは凄く楽チン。

で、せっかくPCでこしらえたもんで、今度はもっとCGらしい処理のバージョンも作ってみようかな・・・と。
CGって事になると、どうしてもデジタルな処理をメインにしちゃう訳で、アナログな絵をそのまま描き直すのは逆に面倒ってか、アナログ感を意識しないといけなくなるんだよね。
「筆書きっぽさ」 とか 「絵の具っぽさ」 みたいなのを、あえて前面に出すアプローチが必要になる訳。
それをしたのが上のバージョンなんだけど、せっかくCGで描いてるんだから、いわゆるCGの良さも加味したデジタルなバージョンを作ったら、元との比較が面白いんじゃないかなと。

CG

そんな訳で描いたのがこれ。
いかにもCGな作品ってのは、描くってよりビルドって感じなんだけど。

同じデザインでも雰囲気は大分変わるんだよね、やっぱり。
でも、元々俺の頭の中に浮かんでたのは、こっちの方がイメージとして近い

背景は筆書きの味を残したかったんで、ツールでグラデーション処理したのをそのまま使うんじゃなく、筆書きの背景に重ねて薄っすら透過処理してみた。
デジタル処理だけじゃ絶対出ない色合いの変化が良い感じに活きてると思う。

メインの木の部分は、原画から輪郭だけ抜き出して、実際の木のテクスチャを張りつつコントラスト処理したもの。
葉っぱはあえて原画と同じアプローチ。

土台のイカ足みたいな黄色の部分は、ぼかしと黄色の影付けで処理。
この薄っすら感というか透明感は、ベタ塗りのアクリル絵の具じゃ難しいんですよ。
イメージは最初からこのスケスケ感

シャボンは、画像編集ソフトでオート処理してくれるのを使う予定だったんだけど、それだと配置修正がいちいち面倒だったもんで、文字とか画像の自動処理機能からイメージに近いのを選んで、一つ一つサイズと位置決めして置いてった。
数は原画より少なくしたんだけど、これぐらいの方がクドくないし不思議感が出る気がする。


という訳で、結局はCGらしく処理したのが圧倒的に良い出来になっちゃいました。
そもそも抽象画で不思議な絵だからね、それを見た目一発で印象的に伝えるには、それなりの手間を掛けないとアナログじゃ難しいって事なんでしょう。
つーか、俺はいかにも神経質な絵って性分として得意じゃないから無理w
写実派の絵とか描ける人って、悪意は無いけど 「気持ち悪っ!」 って若干思っちゃうしw
理屈屋な分、絵には衝動をまんまぶつける方が好きなのかもね。
バケツのペンキをぶちまけるタイプのアートとか好きだし。
逆に現代アートの思考派なアプローチが苦手っていうか、めんどくせーって思っちゃうんだよねw