20180304-7 | ☆☆★☆★★☆歴史タイムッス☆★☆★☆★★古今東西歴史関連記事リンク集

☆☆★☆★★☆歴史タイムッス☆★☆★☆★★古今東西歴史関連記事リンク集

日本史娯楽検証物語サイト「歴史チップス」執筆のネタ探しとして日本や世界のメディアや個人・企業サイトから歴史関連記事リンク集を作成(リンク切れ御免)。また、「古今チップス(旧歴史タイムズ・現歴史タイムス)」の2005年11月~2014年12月のバックナンバーも掲載。

日本遺産の歴史をあのキャラで…!! コスプレバスツアー

あさぶら

日本遺産の歴史をあのキャラで…!! コスプレバスツアー. 2017年8月に実施された、高校生の自由な発想で考える観光プランを競う「第9回 観光甲子園」において、同年春に日本遺産に認定された「銀の馬車道×鉱石の道」をコスプレで楽しむことをテーマに、県立生野高校生有志が考案した観光プランが全国の84プランの中で ...

 

「雪どけ」とソ連の歴史

SEIKEI University Repository

雪どけ」とソ連の歴史学. ―1953-56 年の『歴史の諸問題』誌の活動―. 立 石 洋 子. はじめに. ソ連解体後のロシアでは、ソ連時代の過去といかに向き合うのかという. 問題が常に人々の関心を集めてきた。なかでも 1956 年のスターリンの. 「個人崇拝」批判に象徴される「雪どけ」と呼ばれたスターリン死後の政. 治、経済の改革 ...

 

『八重山の芸能探訪』 民衆側に立つ歴史

琉球新報

琉球王国時代に、役人の身の回りの世話をした島の賄(まかな)い女の多くは「現地妻」であったという。これについて八重山研究の第一人者喜舎場永珣が「役人の賄い女になることは名誉中の名誉であった」としていることに著者は異を唱え、史料や古謡の分析を通して賄い女は意に反して悲惨な運命を背負わされていたことを ...

 

北方領土遺産発掘・継承事業

毎日新聞

ビザなし専門家交流により13年前から北方四島で歴史文化遺産の調査をしている北海道博物館の右代啓視(うしろひろし)学芸主幹が「北方四島の歴史・文化遺産」と題して講演。「北方四島の遺跡からは、(道内の)置戸や白滝などの黒曜石が出土し、その後も繰り返し日本固有の文化が伝わっている。『遺産相続人』が誰な ...

 

ホントに本物? 巨大な石を「日本最古の明治20年のコンクリート」

トゥギャッチ

... 人と「学者らしきおじさん」が話し込んでいるのを見かけた。そのおじさんは石の正体について、なんと「明治20年の日本最古のコンクリートですよ、これ」と話していたという。 大きな石を抱えた業者が学者らしきおじさんと何か話し込んでる。おじさん曰く「明治20年の日本最古のコンクリートですよ、これ」 https://t.co/sM7xJpNE7V.

 

「江辻遺跡第4地点出土品」「一朝軒伝法竹」「石井坊庭園」「千女房のヤマザクラ」 新たに4件 県教委 /福岡

毎日新聞

県教委は2日、粕屋町の「江辻遺跡第4地点出土品」(有形文化財)▽福岡市博多区の「一朝軒伝法竹(いっちょうけんでんほっちく)」(無形文化財)▽篠栗町の「石井坊庭園」(名勝)▽みやこ町の「千女房(せんにょうぼう)のヤマザクラ」(天然記念物)--の4件を県の文化財に指定した。一方、北九州市小倉南区の横代神楽 ...

 

栃木)地域の文化財、一堂に 益子町中央公民館で展示

朝日新聞社

地域文化の継承・保存に取り組んでいる益子町は、町民から預かって保管している文化財などを町中央公民館で展示している。普段は見る機会があまりない地域の文化財を知ってもらおうという試みだ。 会場には町内の古墳や窯跡から出土した勾玉(まがたま)や須恵器、汽車土瓶など約80点が並んでいる。中でも壮観なの ...

 

久渡古墳群から石棺材

読売新聞

大和政権成立期の勢力関係を知る上で重要とされる上牧久渡古墳群(3~7世紀)は、昨年6~10月に未調査だった7号墳や古墳時代前期の前方後円墳とされる1号墳などを発掘。7号墳からは凝灰岩製の石棺の一部や土器がし、古墳時代後期の古墳であることが判明した。 同古墳群ではこれまで7基が確認されていた ...

 

「回天」描いた絵本を京言葉で あきやまりこさん朗読会 松江

産経ニュース

また、戦死者の遺書や書簡をまとめた書籍「英霊の言乃葉」から、回天の搭乗員として亡くなった3編を朗読した。 「死に直面しても特攻隊員の方々は、家族への愛情や祖国への思いを美しい日本語で書き残した」と指摘するあきやさん。「決して戦争を美化したいわけではない。先の戦いで亡くなった方々の命の上に今が成り立っ ...

 

「堺の鉄砲は江戸後期に衰退した」は的外れな通説? 幕末も大量受注 1万点超の古文書を精査

産経ニュース

この中で、17世紀後半から幕末にかけて鉄砲の受注などに関する古文書約1万1700点を精査した。それによると、大名や旗本からの鉄砲の新調の注文は、宝暦2(1752)年は約30丁だったが、その後注文量は増加し、幕末の元治元(1864)年には約230丁に増えたことが確認された。 さらに古文書のうち、「諸家様方御 ...