近衛文麿の自筆資料が家族の鏡台の裏から発見された。
スチュアート燕京大学長を介して中国の蒋介石(しょうかいせき)政権との和平を模索した内容で、昭和十四年(1939)のもの2点、昭和二十年(1945)のもの2点が便箋(びんせん)23枚に万年筆で書かれていたという。[朝日新聞]
● 近衛文麿(このえふみまろ) ●
(1891-1945) 昭和時代の政治家。首相(在職1937-1939,1940-1941)。昭和六年(1931)貴族院副議長に、昭和八年(1933)貴族院議長になり、昭和十二年(1937)首相に就任、国家精神総動員運動を唱え、日中戦争を遂行、昭和十三年(1938)「国民政府を対手とせず」「東亜新秩序」「近衛三原則」声明を発し、昭和十四年(1939)国家総動員法を制定、総辞職後は枢密院(すうみついん)議長に転じ、昭和十五年(1940)再び組閣、基本国策要綱を決定し、新体制運動を展開、大政翼賛会・大日本産業報告会を組織し、北部仏印進駐を決行、日独伊三国同盟・昭和十六年(1941)日ソ中立条約を結ぶが、日米交渉が決裂したため総辞職した。(「歴史チップス 基礎人物集」より)近衛文麿の戦争責任/PHP研究所
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