とても苦しかった。


長く、長く望んでいた。


最後に会えてよかったよ。



僕はとてもワンちゃんが好き。
初めて一緒に暮らしたのは、僕が10歳のとき。
名前はロギー。
彼はハーフだった。

とても賢くて、簡単な日本語も、だいたいは理解していたくらい。
ロギーは家族で一番の人気者だった。

彼中心で回っていたし、彼がいなければ、母親は何度家出していただろう。
ケンカをして泣いた母の頬をなだめる様に、ペロペロと舐めて、そっと傍に寄り添っていた。

臆病者で、散歩に行っても他のわんちゃんと余り仲良くなれなかった。
たぶん、ロギーは自分を人間だと思っていたんだと思う。
大好きだった。


ロギーをリードにつないだ事はほとんどなかった。
どこにも行かないし、噛み付くなんてとんでもないから。
批判されたことはあるけど、それでもつながなかった。
ロギーは文句を言わない。
最高だった。


だけど、別れはやってくる。
ロギーは突然いなくなった。
僕が家に帰ったら、母親が目を腫らして


「ロギーがいなくなっちゃった。」

そういった。


来る日も来る日もロギーを待ったけど、1年経っても、10年経ってもロギーは帰らなかった。


僕は、ロギーが帰ってこないと悟ったときから、

一度でいいから、たった一度でいいから夢で会いたいと願った。

夢でもいいから、ロギーと向き合って、ロギーに触れたかった。

だけども、願っても、願ってもロギーは一向に夢に出てこなかった。
父も、母も、兄も、みんなロギーの夢を見た、と大喜びで少し切なそうにいうのに、僕だけは見なかった。

僕はそのことにとても苦しんだし、夢の仕組みを勉強しては、色々試した。
だけど、ロギーは、帰らなかった。


ある日、外に出て、ボーとしていた。
どういう場所だったかも覚えていない。
多分、お昼だったんじゃないかな。
周りには人がいて・・・そう、確か繁華街だった。
信号を待っていたのかも。
僕がロギーのことを考えていたら、突然、目の前が真っ暗になった。

少し暖かくて、ゆっくり時間が流れていた。
真っ暗だけど、はっきりしていた。
変な時間だった。

何を捜すわけでもなかったけど、何か期待していた。
だけど、ぬか喜びはしたくなくて、冷静を装っていた。

何も考えられない、僕はどうしたんだろう、そう考えてた。
そのうちに、ふと、気配がした。
小さいさくて、存在感のある気配。
もしかして、そう思ってしまった。期待してしまった。


次の瞬間、信じられないことが起こった。

目の前に、僕の愛したロギーが現れた。


「ロギー!」


だけど、声は出なかった。
笑顔もなかった。
ただただ、うれしくて、信じられなくて、ロギーに触れようとした。
だけど、ロギーはとても悲しそうな顔をして、少し後ずさりをした。


「会えてよかったよ、だけど、もう帰って。」

ロギーの声が聞こえた。


「まだまだ来ちゃダメだ。僕と二度と会えなくなる。もし、キミががんばって、全うしなたのなら、また僕に必ず会える。だけど、ここでキミが僕に触れたのなら、もう二度と会えない。」


僕は自分がどこにいるのかも、何をしているのかもわからなかった。
はっきりしているのは目の前にロギーがいる、ということだけ。

僕は考えた。

だけど、僕は保証のない未来より、保証される今を信じた。
この瞬間だけでいい。僕はそれだけでよかった。
僕はそれだけで、幸せで、生きてきた満足感が得られる、そう確信していた。


「僕も悲しいし、皆悲しむ。キミのこの瞬間の為に全てが犠牲になる。僕もキミに会いたかったし、ここで会えただけで満足はしてないよ。だけど、僕らは再会した。」


ロギーは泣いてた。

それが嬉しくてか、悲しくてか、なぜかはわからない。
だけど、ロギーは確かに泣いていた。

僕も、ロギーにもう二度と会えない事を感じて、涙がとめどなく流れてきた。

ロギー・・・。

涙がこぼれて、とまらなくなって、目の前が歪みだした。

灯りがこぼれて来たと感じた瞬間、声が聞こえた。
ロギーの最後の挨拶だった。

ありがとう。

ロギーは「さようなら」ではなく「ありがとう」、そう僕にいった。
最後にさようならじゃ、悲しすぎるから。

ロギー、どうもありがとう。

本当に、本当にありがとう。


病院で目が覚めた僕は、母親と医者らしき人に顔を覗かれていた。
僕は感情がやむことなく、まだ泣いていた。

「あなたは事故にあった。交通事故に。」

そう説明を受けた。
乗用車に引かれた僕は、2日間意識不明だったそうで、医者は半ばあきらめていたそうだ。

だけど、そんなことはどうでもいいことだった。
母親は泣いていた。
「良かった。良かった。」とみなが言っていた。

そして、僕の感情が動いた。
父親までが泣いていた。
涙を一度も見せず、実の父親の葬式でさえ泣かなかった父が泣いていた。

僕は、自分の満足の為に、全てを捨てようとしていた。
きっと間違っていたんだろう。

あの時、ロギーに触れていたら、それはそれで幸せだったのかも。
自分が悲しんでも、痛みを伴っても、周りの幸せや喜びで、それを帳消しにして幸せを感じ取ることだってあるんだ。
僕にだってきっとわかる。


僕は信じてる。
いつかロギーに触れられる日を。

「お金は人を傷つける。」

僕の頭に、最近印象に残っている一言。

僕はお金を借りるのが大嫌いだ。
借りるくらいなら買わない。
プリペイド大好き、カードは大嫌い。
国内ではカードで買うことなんて1回もないし、これからもないと思う。
物欲は、自分でコントロールできる。

netで仕方なく使うことはあっても、店頭ではご法度。
後で請求が来るカードは、資金管理しにくいからね。

誰だってケチとは言われたくないだろうし、お金はとても大事。
そのハザマで、友人同士のやり取りがとても難しい。

もう一度言うけど、僕は人にお金を借りるくらいなら買わない。
オゴッテくれるっていうなら、別だけど、お金がないのにご飯を食べに行ったり、物を買うほど強欲じゃない。

奢ってもらったら、必ずそのお返しはするよ。
忘れたりしない。
だから、親しい仲では
「あらら、お金財布になかったわ。奢って。」

そう甘える。
必ず返すなら、借りればいいのだけれども、借りとお返しは全然違う。
借りは決まった額を機械のように数字で返す。
だけど、奢りは気持ちでお返しする。
5000円借りたら、5000円返す。
5000円奢ってもらったら、今度美味しいトコご馳走する。
予定は未定。
僕はきっと縛られたり、せかされたりするのがイヤなだけなんだ。
気になる。気になる。

僕のこと信用して、奢ってくれるのなら、美味しいお返ししてみせます。

今日は起きたら、一面銀世界。

キレイだったぁ。


写真を撮りながら、てくてく駅まで歩いたけど、気持ちよかった。

まだ積もったばかりで、誰も足跡を付けていない新雪を音を立てて歩く―キュッキュ・・・


大切な大雪


もっちろん、仕事場には遅刻。

その上、社長からは電話が入っているらしかった、だけどこの景色見てたらどうでもいいよね、そんな事散っちゃな事に思えて仕方なかった。

社長のコゴトは明日でも聞けるけど、この景色は今日しか見れないんだし。


駅に行けば、券売機に行列で構内に入れない。

ある若い女性が、

「△■と知り合いでしょう?なんとか入れてもらえない!」

みたいな事をケータイで話してる。

ホソーイ目をして見てしまったよ、悲しかった。


オオユキでタイセツな事を思い出しました。

    大雪≠大切 じゃないけどね。


四季に感謝。

先日友人が『彼女ができた』、といって訪ねてきました。

友人と、その彼女、そして彼女の友人。

彼女の友人は外国人で、イングリッシュオンリー。

友人は片言の英語で話をしていたそうな。

コミュニケーションが取れる英語のレベルを図るのは難しいけど、彼女の友人が流暢なので、通訳代わり。

知人→友人→知人と世界は広がります。


ところで、以前紹介した、別の友人が世界周遊をして帰ってきました。

どうでした?と漠然な僕の質問に対し、

「人はナゼ生きているのだと思う?」

と、逆質問をかけられました。

僕はいつもこう考えている。


「人生はおもちゃ箱をひっくり返したようなもの、楽しいものもあるし、時には怪我をすることだってある。拾い上げた時期によっては遅すぎるものもあるし、悩ませられるのもある。だけど、基本信念は、Just enjoy!」だってね。


彼はこう答えた。

「俺は、今までより広い世界を見てきて感じたんよ。人は子供の為に生きる。子孫繁栄は、生き物の務めで、とても大切なんじゃなと。」

僕はこの言葉を聞いて、身震いした。


人が言語や道具を操り、エンターテイメントを楽しみだしたのは、祖先がそれを、歴史を、築き上げたからだ。

子を思い、後世を考えてこそ、本来の生物のあり方だってね。

冗談抜き、本気で。


世界中で、子供はとても大切にされている。

子育てこそ、仕事よりも大切で優先されるべきだ、現に世界ではいわんばかりの社会のルールがそこにはある。

日本では中々浸透せず、戦後の名残からガムシャラさが求められたりするけど、すでに(経済とは別に)金銭での豊かさを回復した日本は次に行かなくちゃいけないんじゃないかと思う。


ブログを更新しながら世界を旅した彼は、あとがきに、こんなことを書き綴っている。

若者ものはもっと外に出なきゃいけない。

次世代のため、その土台作りのためにも。

英語を学び、外国と同等にコミュニケーションし、理解をしなきゃ。

英語の話せない人が総理大臣になり、大切な話を通訳を交えてできるだろうか。

どうしてそういう人が日本のトップに君臨するのか。

日本にいるから英語は要らない。なんて、もう話しにならない。

日本は世界と共存して生きていくのだから。


言葉だけじゃない。

次世代の為、自分の為にも視野を広げなきゃ。

もちろん僕もだ。

おもちゃ箱のおもちゃも探さないとね。

日本の歴史を保ちつつ、次をクリエイトしよう。

僕はとても尊敬している、

竜馬をね。








映画Memoirs of Geisha を見ました。

女性の美について、深く考えされられました。


僕が、女の人を「本当にキレイな人だ」と感じるのは”しぐさ”や”雰囲気”に惹かれる時が大半。

ちょっとした瞬間だったり、指先の美しさだったり。

街中ですれ違う人を”キレイだった”と言うことは、あまり無い。


丁寧で、凛とした雰囲気を持った人、自分を徹底的に意識している人を良いと思う。


僅かでも、剥がれかけたマニキュアを見るのは、最も苦痛を伴う瞬間の一つで、一日嫌な気持ちにさせられるくらい。美しさを求めてした行為が、自分の体の一部なのに、忘れ去られて、変わり果てた姿になっても気にならない、そんな意識が悲しい。


生まれ持った顔や、体は形こそ変わらずとも、磨けば光る。キレイゴトじゃない。ちょっとした仕草で、かなり響くものだけど、それはすぐには身につかないだんよね。


男も同様。

僕は決してイイオトコではないけど、それを磨く努力は怠らない。

ある意味ではカッコつけかもしれない。

女性のワガママに押し潰されるのは、自分に度量が無いからだと言い聞かせてる。

女性はワガママでいんじゃないかな、と僕は思う。


もちろん以上は女性としての魅力であって、その人自身の魅力では無い。

すごく面白い人だったり、センスのある人だったり、知的な人だったり、独特の世界を持っていたり。

なんにせよ、意識している人はきっとキレイだよね。


十人十色とはウマくいったものだ。

十人九色でもイロイロでもないんだもんな。

カラフルな世の中にバンザイ。

――世界で幸せなクリスマスを迎えられるのは、子供全体のたった10分の1にも満たない子供だけ。

                                     もし世界が100人の村人だったら ――


読んだことがありますか?

僕はこの本を読んで、2年くらい経つけれど、いまだに良く思い出しては自分を省みる。



僕の叔父さんの言葉

「寄付なんてものはな、『寄付しています』と言った時点で寄付ではなくなるんだよ。それはその瞬間、その人を称える宣伝に変わってしまう。」


この言葉にはきっと、深い意味があるんじゃないかと思う。

たぶん、「寄付してます」とそう言った瞬間は、相手にもそうして欲しかったり、自分を良くみて欲しかったりするんだと思う。だけど、その後はその人は、誰の為、何の為にお金を入れるんだろう。


世界単位で見たら、貯金があって、助け合える人がいて、着る服があって、靴があって、食べ物があって、安心して飲める水がある、そんな環境にいる人にこれ以上の幸せがあるだろうか。ヤバイくらいに物が溢れてるよね、ホント。

人に分け与えるココロが少なく、自分を満たして、独占している。

その中にいながら、さらに凌ぎあって、上をみて欲する。それは人間が向上心のある素晴らしい生き物で、自己欲の多い貧しき生き物だから。


ヤンキース松井がスマトラ沖地震に5000万円寄付をした。

上記述を抜きにして、すごいと思う。彼は年俸10億円だとして、年収の5%を寄付したっていうから。

例えば、300万円の年収の人がいて、15万円寄付する感覚だ。

正直今の僕には勇気がない。 寄付はしていても、そんな額は思いもつかなかった。

そんな自分に悲しい、お金だけでなく、気持ちまでもリッチになれない。

僕が本当に欲しいのはお金ではなく、そんな余裕のはずなのにな。

こう書いても、虚心を知り、矛盾を感じる。


僕は誰の為にお金を得て使っているのだろう。

自分が小さく思えた――

王子、(タマゴじゃないよ)そうぴったり来るようなそんな人。


今までこんな人に会ったことなかった。

始めてあったときの印象は、[オシャレな人]で2回目にあったときの印象は[変態]。


バイクを貸してもらう時の事、

「このバイクちょっと具合が悪くてサ、OFFにするときは、ここのスイッチを左右指で挟んで・・・ビビビ!!!」


『!!!!!』

「大丈夫ですか?」


「へへ、気持ちいいね、微量の電気は。これは右から漏れた電気を体を伝達させて、左のほうに送るようにしてとめるから、近くに子供がいない事に注意してね。」


「・・・はい。っていうか、感電ですよね?」



「まぁ、軽くネ。」


「僕にはまだ少し、早いです。ありがとうございました。」



「イラナイノ?走るんだけどなぁ。」



{コイツ、頭おかしいんじゃないのか?やせ我慢してるようには見えないし}



ある日のこと、I 藤さんの時計をみて

「カッコイイ時計ですね、レトロデザインでオシャレじゃないですか。」



「コレ?アンティークなの、見てみる?」



「へぇ、かっこいいなぁ~。」



「そんなに気に入った?あげるよ。」



「えぇぇぇ? い、いやいいですよ。」



「ほかにもいっぱいあるし、はめときなよ。」



「あ、ありがとうございます。」



「・・・????見たことあるマーク・・・」

「Ω」

「Ω!!」

「オメガじゃないですか、もらえませんよ。」



「いや、本物だよ、スイスに空輸してオーバーホールも済ませてあるし、正真正銘、しかもこのカラーのメタルのダイナミックは売ってないよ。」



「いや、余計に・・・。」



頂いたオメガはベルトが合わなくて、東京の伊勢丹に合うベルトを探してもらった。

その時、定員さん(といってもLABOだった)が


「このカラー、ダイナミックメタルは初めて拝見しました。貴重なもの有難うございます。」


そういわれたとき、I 藤さんの本当の太っ腹さを知った。

こんな話、ほんの一部です。メチャクチャすごい人です。心の広さは誰にも勝てません。




7人で焼肉に言っても、一人一つユッケを頼む。そして全員分払う。

理由は好きに頼みたいから、みんなで割り勘にすると気を使うから。


I 藤さんの教えてくれた事の一つに

―人の好意に甘えてもいいけど、100%もらっちゃいけない。もらったら、そのうち30%だけでも、自分のポケットにいれてその人に蓄えておきなよ。

コレは解ってはいたけど、簡単じゃない。そう実行している人が少ないから、お手本が無かったからかもしれない。

普段はそんな事、絶対皆の前じゃ言わない人なのに、僕には真剣にそう教えてくれる。


僕はこの人の凄さをジックリと見ようと思う。

イロンな事を見て、話して、学ぼうと思う。

いつか、僕もそこへ行けたらなと思う今日この頃。

季節が変わり人が変わる。

場所が変わり、物が変わる。

だけども、既存のものに固執してしまう。
それは、愛情にもにたものだと思う。

僕が学生の頃、2ヶ月間過ごしたアデレードという町。

何も無い町だった。

メインストリートがあり、ビーチがあり、カフェがあり、お気に入りのフィッシュアンドチップスのお店と、スコーンのお店。
古着屋があり、美味しい中華のお店があった(ここのエッグタルトは最高でした)。
市場があり、綺麗なポストオフィスと教会もあったなぁ。
シティから離れたところにウェストレイクスという湖があった。
湖沿いの家にはボートが浮かび、絵本のような風景だった。

観光客は決まって言うだろう。
「なんにも無い町だ」って。

時間があれば、ビーチを30分程あるいて、隣町まで出かけた。
道中には犬を散歩させている人に出会い、ゆっくりと歩いた。
隣町は、これまた小さい町で、小さな教会と数件の宿泊施設、パン屋と小さなスーパー、お気に入りのスコーンを焼いてくれるカフェがあった。
デザインはとても古く、ちょうど、映画「スタンドバイミー」のラストシーンの雰囲気ににている。
そのカフェではきまってスコーンを注文した。
イギリスで過ごした時に食べたスコーンは格別だったけれど、ここのそれは、それを凌ぐ程美味しかった。
今でも忘れない、あそこで働いていたおじさん。
スコーンをテーブルに置いて必ずこういってくれた。
「enjoy!」


僕が滞在したのは冬だった。
それでもグレネルグといわれるビーチに路面電車に乗って何度か出かけた。
夏には人で溢れかえりそうな、冬でも泳ぎたくなるような場所だった。
その入り口、看板にはこう書いてあった。
「 danger!! shark!!!!」
一気に冷めた。


観光地といえば離れ小島にカンガルーアイランドと言う町があった。
日帰りは難しく、神戸から言うと、小豆島くらいな感じじゃないかな。
カンガルーアイランドだけど、夜になるとペンギンで埋め尽くされる。
魚臭いペンギンがウヨウヨ出てくる。
自然がいっぱいの島だった。
オーストラリアはユーカリが有名だけど、ユーカリはとても燃えやすい。
ユーカリから取れるオイルは万能薬として親しまれていて、カンガルーアイランドでも生産していた。
その工場で、オーナーらしき人が、
「ここでは火気厳禁だ。なんてったって、大火災の原因になったユーカリのオイルを生産してるんだからな。」
そういいながら、右手にはしっかりタバコを握っていた。

とても自由で、食が豊かで、感情的になれる。
そんな街でした。
またいづれ、必ず訪れようと思う。
場所を離れても、移っても、忘れないこともあるし、変わらない思いでもある。
それでいんじゃないかな。

子供生まれてん。


そう電話をしてきたのは、中学校時代の同級生。

同じ部活だったけど、タイプの違う僕らはあまり親友という感じじゃなかった。


僕は中学生の頃は最悪だった。

意味もなくケンカをして、散々だった。

ただのカッコつけ、ちゃらんぽらんだった。


確かにその中でも部活の連中は暴力もなく、和気藹々とやってた方だった。

だけど、僕が居るせいでガラの悪い連中はくるし、追い返すのにトラブルになるし、迷惑だったと思う。

その証拠に中学3年になると僕は、孤立してた。

まぁ、その時代の話はまたいつか。


僕は一貫してIt's meだといえる事がある。

自分のルールで自分で決める、ということ。

人から頂戴した意見も参考にはしつつ、だけど最後に決めるのは自分だ。

自分が悪いと思ったら、だれも謝らなくてもちゃんと謝る。

誰かが謝るから、相手が折れてきたから、ではなくて、自分だけをみて。


中学の頃、僕は彼に大怪我をさせたことがあった。

5人くらいで悪ふざけをしていて、彼は高い位置から落ちて顔面を強打した。

幸い、縫うだけで済んだものの、大怪我にはかわりなかった。

夕方、彼のお母さんが、学校へ来て、病院から戻った彼を家へとつれて帰ろうとしていた。


僕は、もの凄く反省していた。

その日の夕日は今でも忘れていない。


裏にあるテニスコートから、赤々としたグランドを通り、西門へ走った。

『怪我させてホントにすいませんでした。俺です、怪我させたの。』


僕は、謝っても相手の両親から怒鳴られるパターンは何度も通ってきてた。

『あんたね、ふざけんじゃないわよ。どうかしてる。』そういわれた事もある。


だけど、彼のお母さんは、

『あまり危ない事しないでね。気をつけてね。』

そう涙をためて僕に訴えた。


何よりも胸に響いた。

同時に、「謝って良かった、ご両親の痛い面持ちも、心もわかったから」

そう思えた。


僕は人より頭も悪いし、幼稚だけど、自分でちゃんと考えて、自分で行動し、反省もできる。

救いだ。



今度僕は、彼の子供を覗きに行く。

その子供のお母さんにも会う。

楽しみ。

あの頃と、今と、僕は成長しただろうか。



彼は、電話の最後にこういってくれた。


「はっちゃんには、言うとこうと思うて。」