40年近くも何かを続けるのは、言葉では失礼なくらい大変な事だと思う。
出口の先にある不安も、達成感も、きっとそこに着いた人にしかわからないものだと思う。
親族経営の会社に就かず、自らの力で生きてみたいと考えた父は、石油業界一筋でやってきた。
転勤が多く、持ち家に住んでからは、父は1人、東京で仕事を続けた。
単身赴任が決まった時、父は中学生になりたての僕に
「エイジ、お母さんを頼むよ。」
そう言い、僕を大きく成長させてくれた。
そんな父は、いつの日かプレジデントにまで昇りあがっていた。
だけど、彼が社長になった事を、僕は随分知らされないでいた。
ある日、父の会社に電話する事になった時、「じゃぁここにかけておいで。」
そう渡された名刺には、○○会社 社長 と肩書きが添えられていた。
派手な事を好まず、お金を振りまかない父。
運転手つきの送迎も、自ら断り、会社の為に働く父。
僕はココ1年でやっと、父の肩書きに実感がわいた。
寿司屋に行ったときの事、
「社長、こんにばんわ。」
そう呼ばれている父に、僕は少し遠い距離を感じた。
その帰り道、今度は少し遠くから、父の背中を見てみた。
離れてみる彼の背中は、今でもかわらぬ父としての背中だった。
昔に比べて随分優しく、丸くなった父。
それはプレジデントになるには必要なもので、色んなものと引き換えに得たものかもしれないけどね。
数年前、僕はそんな父を恨んだ事もあった。
僕が就職した会社を辞めるのにあたり口論になった時、
「散々『好きなようにしたらいい』って言っておきながら、いざとなると、世間体が気になるんだろ? まさか兄弟二人ともまともじゃないって、『息子さんは?』って聞かれた時に、まずいんだろう?」
「そりゃそうだろう!」
ショックだった。息子の人生より、自分の昇進、世間体がきになるなんて、コイツは父親じゃない。そう思ってからは、約2年間、ロクに口もきかなくなっていた。
きっと父は、言葉の弾みで、そう言っただけに過ぎない。その後は何も言わず、僕を家にいさせてくれていた。
心配だったんだと思う。10年も家を離れて、僕を見てこなかった父には、僕の事が理解できなかったんだと思う。
ある日、母が「お父さんから」と僕に10万円を渡そうとした時、
「あんな奴の金、受け取らない。要らんって返しておいて。」
僕はそう言い放った。2階にいた父に聞こえるように。
仲を取り戻したのはトラブルが発端だった。
母親と、父親が大喧嘩をした時、
「母に謝って。家族だから仲良くしよう。」
僕が約2年ぶりに父に言った言葉だった。
僕からの彼へのメッセージでもあった。
それから、やっと何もかも上手くいきはじめた。
小学生の頃から、父が単身赴任してから、失った物をやっと取り戻した気がした。
父が払った犠牲は、埋めるのは誰でもない僕らだった。
心配事も、沈む自分の気持ちも、1人で抱えてきた父。
楽しい事も、共有できず、1人生活してきた父。
ずっと、ずっと、ひたすら働いてきた父。
人一倍まっすぐにやってきた父。
何も言わず、守護神のような父。
僕はあなたの肩書きではなく、人柄の偉大さに、尊敬しています。
定年を迎えて、親族経営の会社へ行っても、もう無理はしないでください。
たった、1ヶ月だけですが、ゆっくりしてください。
ひとまずは、上りきった山頂で、一息ついてください。
もう死ぬまで、母の側から離れないでやってください。
あなたから預かったバトンは、確かにあなたにお返ししましたから。
長い間のお勤め、ご苦労様でした。
本当にご苦労様でした。
これからは、少しオシャレもして、自分のタメに時間とお金を費やしてください。
ありがとう。
深い感謝を込めて、息子より。