40年近くも何かを続けるのは、言葉では失礼なくらい大変な事だと思う。


出口の先にある不安も、達成感も、きっとそこに着いた人にしかわからないものだと思う。


親族経営の会社に就かず、自らの力で生きてみたいと考えた父は、石油業界一筋でやってきた。

転勤が多く、持ち家に住んでからは、父は1人、東京で仕事を続けた。


単身赴任が決まった時、父は中学生になりたての僕に

「エイジ、お母さんを頼むよ。」

そう言い、僕を大きく成長させてくれた。


そんな父は、いつの日かプレジデントにまで昇りあがっていた。

だけど、彼が社長になった事を、僕は随分知らされないでいた。


ある日、父の会社に電話する事になった時、「じゃぁここにかけておいで。」

そう渡された名刺には、○○会社 社長 と肩書きが添えられていた。


派手な事を好まず、お金を振りまかない父。

運転手つきの送迎も、自ら断り、会社の為に働く父。


僕はココ1年でやっと、父の肩書きに実感がわいた。

寿司屋に行ったときの事、


「社長、こんにばんわ。」


そう呼ばれている父に、僕は少し遠い距離を感じた。

その帰り道、今度は少し遠くから、父の背中を見てみた。

離れてみる彼の背中は、今でもかわらぬ父としての背中だった。

昔に比べて随分優しく、丸くなった父。

それはプレジデントになるには必要なもので、色んなものと引き換えに得たものかもしれないけどね。


数年前、僕はそんな父を恨んだ事もあった。


僕が就職した会社を辞めるのにあたり口論になった時、


「散々『好きなようにしたらいい』って言っておきながら、いざとなると、世間体が気になるんだろ? まさか兄弟二人ともまともじゃないって、『息子さんは?』って聞かれた時に、まずいんだろう?」


「そりゃそうだろう!」


ショックだった。息子の人生より、自分の昇進、世間体がきになるなんて、コイツは父親じゃない。そう思ってからは、約2年間、ロクに口もきかなくなっていた。

きっと父は、言葉の弾みで、そう言っただけに過ぎない。その後は何も言わず、僕を家にいさせてくれていた。

心配だったんだと思う。10年も家を離れて、僕を見てこなかった父には、僕の事が理解できなかったんだと思う。


ある日、母が「お父さんから」と僕に10万円を渡そうとした時、


「あんな奴の金、受け取らない。要らんって返しておいて。」


僕はそう言い放った。2階にいた父に聞こえるように。


仲を取り戻したのはトラブルが発端だった。


母親と、父親が大喧嘩をした時、


「母に謝って。家族だから仲良くしよう。」


僕が約2年ぶりに父に言った言葉だった。

僕からの彼へのメッセージでもあった。


それから、やっと何もかも上手くいきはじめた。

小学生の頃から、父が単身赴任してから、失った物をやっと取り戻した気がした。

父が払った犠牲は、埋めるのは誰でもない僕らだった。


心配事も、沈む自分の気持ちも、1人で抱えてきた父。

楽しい事も、共有できず、1人生活してきた父。

ずっと、ずっと、ひたすら働いてきた父。

人一倍まっすぐにやってきた父。
何も言わず、守護神のような父。

僕はあなたの肩書きではなく、人柄の偉大さに、尊敬しています。


定年を迎えて、親族経営の会社へ行っても、もう無理はしないでください。

たった、1ヶ月だけですが、ゆっくりしてください。


ひとまずは、上りきった山頂で、一息ついてください。


もう死ぬまで、母の側から離れないでやってください。


あなたから預かったバトンは、確かにあなたにお返ししましたから。


長い間のお勤め、ご苦労様でした。


本当にご苦労様でした。


これからは、少しオシャレもして、自分のタメに時間とお金を費やしてください。



ありがとう。


深い感謝を込めて、息子より。

































「何やってんだ俺は。」

携帯のバッテリーは切れて、ちゃんとした時間がわからない。


最近、体を休めていないでいたから、今日くらいはゆっくり休もう、そう思っていた。
車で早めに帰路に着いた僕の目に、「ボク」が目にとまった。
夜中の0時。
僕は気にとめたけど、そのまま通り過ぎた。

僕も昔、家出したことがある。
大抵の家出は、親を心配させるためにあるんじゃないかな。
僕は違った。
家出、というよりは逃亡。
容赦のない親父から逃げる手段だった。

殺される。
そう考えて、家を飛び出した僕はとても落ち着いた。
靴も履かず、裸足で飛び出した。
季節は、ちょうど初夏だったと思う。
静かな夜に月明かりで、夜空を見るのが好きだった僕は、守られてるような気すらした。

ヤンチャ坊主だった僕には隠れ処は沢山あった。
だけど、当時は携帯もポケベルすら持たなかったから、本当にたった一人だった。

歩きながら色んな事を考えては色んな可能性を見つけていた。

小さな町に友達も沢山いた。
友達の家の前から、友達の部屋を覗いたのを良く覚えてる。
気付いてさえくれれば、友達はきっと僕をかくまうか、一緒に出てくれただろう。
だけど、明るい部屋を見て、僕は合図を送るのさえ、する事はしなかった。

とにかく家から離れないと。
僕は何故か学校に行った。
夜の学校に興味があった。
僕が知っている学校は、明るくて、必ず騒がしい。
眠る校舎に、僕は引き寄せられた。
2メートルくらい金網を越えて運動場から入った。
正門は、もしかしたら警備があるかもしれないから。
僕はお金もなければ、靴すら履かない家出少年だったけど、日常から備えたモノだけは肌身放さず持っていた。
本当に静かだった。
だけど、だれかの気配がする。
学校ってそんな場所だ。
誰もいないのに、誰かいる気がしてしょうがない。
僕は思ったより落ち着かなくて、校舎を眺めてその場を離れた。

どっちかって言うと、家出はとてもいい体験になる。


僕は、車で通り過ごした「ボク」が気になっていた。
車を引き返し、少年が上がっていった階段を車を置いて追いかけた。

正直なんで追いかけたのか今でもわからない。
「家に帰れ」なんて言うとは思えないし、警察に連絡するつもりもない。

ただ、少年だった「僕」に話しかけたかったのかも。
その時間はとても貴重で、キミだけの時間。
だから、自分の足と、知識だけで、好きなだけ街を歩け、って。
缶ジュース一本買ってあげて、愚痴とその後に少しの夢を聞いてあげたかった、
それだけなのかもしれない。

例えば異文化。
普段の生活が少し違うと、重なったそれは異文化になる。

僕は、英語がとても好き。
ペラペラとはとてもいえないけど、雰囲気がいいし、ストレートな表現が好き。
テンションがグングンあがって、僕はホントはそっちの世界の人間じゃないかって思うくらい。
だけど、体調が好調でない時とか、ノッってない時は全然ダメ。
これはマスターしてない人はわかってもらえるんじゃないかな。

ハワイで英語が通じるなんて思った事がない。
行く先々、メニューも英語だったし、チェックインも、レンタカーも。
日本でのオフシーズンにいくから余計かもしれないけどね。

語句が前後しただけで、伝わり方も内容も変わる「会話」はめちゃ複雑。

僕はいつも思ってたんだけど、あの人ってすごいよね。
僕はあの人すごいって、いつも思ってた。

どちらを選ぶ?
その影響力って、会話では結構なもんだよ。

髪切ってん。
これを英語に。
I cut my hair.

ブブー

私は私の髪を切った。

おかしい・・・。

I have my hair cut.

英語では自分の事でも省略しない。
私か、あなたかを先に表現する。

日本語の会話で、相手の名前をあまり呼ばないのはそこからきてるんじゃないかな。
僕は、初めは意識して、今は無意識に人の名前を会話に登場させる。
これは、親近感を早くつけるためだったけど、今はある種、礼儀に近いものだと考えてる。

ちょっとなんか難いね。

英語が好きなのは、敬語の観念がないから、フランクに話せる。
Please pass me the salt.
年上も、年下も関係ない。
映画でもよくあるよね。
カモ~ン。
語尾が下がるヤツ。
語尾が上がると、ホントのカモン。
語尾が下がるバージョンは、ノッって来いよ!そんなん言うなよ的なヤツ。
映画を見ると気分が変わるのは、英語のテンションと雰囲気にのまれるから。

礼儀や、敬語の文化ももちろん悪くない。
どっちかって言うと僕は礼儀正しい方だから。
無礼なヤツを見ると、切ってやろうかと思う。
距離感って大事だよ。
その文化、その文化でいいトコも悪いとこもある。
大事なのはそれを理解して、受け入れる事。
僕はそう思う。

僕は、大事なことは理解して受け入れる事だと思う。

全然違うよね。

細かい?

コダワリって言ってよね。

あなたにとっての仕事って何?

僕は、仕事をしてなかった日々が人生で一番充実していた気がする。
自分の好きに使える時間は後にもきっと先にもあんなにないかもしれない。
図書館とジムに通い、バイクで写真を撮りに行って、やりたい勉強もしていた。

僕は答えがあったから、この質問に答えず、そのままその人の答えをききだした。

―あたなにとっての仕事って何ですか。

その人は真面目な顔でこう答えた。

「社会貢献やと思っとる。」

期待しちゃう答えだった。
彼は僕の期待通り、こう続けた。

「実際、2年間仕事してない期間があって、俺、病気でもないのに寝てるんよな。体悪くないのに。次々に断られて、俺は何をやっとんたんだと、何をやっとんだと、そう感じた。その期間、俺は『献血』に行きまくった。俺に出来るのはこのくらいや、と思って。俺の血が役にたつんやったら、何ぼでも使ってくれって感じで。その時、俺は何かに貢献したいんやなって知らされたんやな。だから、今めっちゃ嬉しいねん。誰かの心に響いてるって感じたり、問題を解消するのが。」

僕は正直、後半ほとんど聞いてなかった。
献血が面白くてしょうがなかったから。
ごめんなさい。

だけど、献血には続きがある。

「ある日寝てたら、一本の電話がかかってきた。それは献血センターからだった。
『今日、AB型がどうしても足りないんです!なんとか来ていただけませんか』
俺は迷った。献血するまでの交通費が往復で500円かかってしまうから。だけど、熱い血を巡らせていったさ。誰かに貢献しようって。そしたらな、なんと500円の図書券くれてな。嬉しかったわぁ。」

僕は思った。
この人は、究極のアホだ。
利用されても極限までそう感じずに、自費を削ってかけつけちゃうんだから。
献血センターもそんな事していいのか。
勧誘してどうする。
まぁ、でも結果は誰か救われたかもしれないんだから、それでいいんだろうね。
実は、この人は僕が尊敬の念を持っているたった一人の人です。
まぁ、それはまたいづれ。

僕にとっての仕事はちょっと違う。
just enjoy!
僕は楽しむためだけに仕事をしている。
自分で刺激を感じて、誰かに残るため、全ては自分のエゴであり、[THANKS]の見返りのためかもしれない。

卒業旅行を手配した学生が、店の外から僕を見ていた。

接客中だった僕は、そのお客さんをおいて、外へでた。

「どうした?」

「あしたから、東京に行くんスよ。挨拶しておこうと思って、電車降りてきたんですよ。人生でなんか困ったら相談のってくださいね。」

これだ。

僕はこの感動する瞬間の為に仕事してる。


え?
してないって?

いいの。

仕事も遊びも違わないよ。

リラックス&エンジョイだ。

僕は九州は博多、九州大学病院で産声を轟かせた。

母親は箱崎で育ち、ばぁチャンは今でもそこで暮らしている。

かつてはお金持ちの家だった。今は違うけどね。

ばぁちゃん家に帰ると決まって行く屋台がある。 徒歩5分、筥崎宮を横目に歩くとそれはある。

   

「花山」


その暖簾(のれん)をくぐれば、僕の人生でもトップ3に入る男前が出迎えてくれる。


ボク 「大将、戻りました。」

大将 「おぉ、なんね、いつ戻ったと? ばぁちゃんは元気にしとーね?」

ボク 「大将っとこは皆さん元気にしとーとですか?」

大将 「生意気いうごとなりよったね、おぅ何にすると?」


この大将は男前は顔だけじゃない、ハートがメチャアツイ。


その昔、福岡は箱崎に屋台路があった。

筥崎宮から海岸へと続くその通りは、今でも夏の終わりに「どんたく」という祭りで屋台いっぱいの通りになる。

普段はかつての面影も今や昔、たった一軒の屋台だけが明かりを灯す。

賑わっていた頃、大将の先代、お父さんが「花山」を切り盛りしていた。

だけど残念な事にバクチをやる人で、大きな借金を作って店は決して楽ではなかったそうだ。


先代が倒れた時、大将は家のばぁちゃんの助けにより、小さな店を引き継いで店を建て直す決意をした。


「必ずお返ししますけん。」

方々に頭を下げ、お金を集めた。

そのまっすぐな熱い大将の気持ちはすべてをひっくり返した。

仕入れもすべて変え、驚くべきタレを生み出し、店は瞬く間に流行りはじめた。

寝ずに働き続け、気が付けば周りの店をすべて、たたませていた。

花山に大将あり。屋台では味も雰囲気もさることながら、大将の人柄が人を寄せ付ける。

「そんなの偶然や、おおげさに世間が言い寄るだけたい。」大将はそう言う。

3年くらい前の事、大将の横で高校生くらいの男が串を反していた。

「ボウズ、いくつや?」聞けば正に高校生の年頃だった。

ゴツゴツした石のような指が真っ赤に焼けきっているそのコは中学卒業以来、ずっと大将の下で働いてきたという。

謙虚にふるまいつつも、自信に満ちてた。そして、そのコよりはるか年上の20代の同僚の人に頼りにされている感じがした。


とてつもない苦労をしてきた男は、雰囲気がガラリと違う。

度胸とも違う独特なモノを感じる。


ある時、生粋の博多っ子の母親が僕に、


「ビシっと頭の下げれる男」大将の事をそう教えてくれた。


僕の憧れのオトコです。

家を買った。


そんな周りが考えてるほど大きな事じゃないけど、一戸建てを買った。

駐車場が目の前にないと、なんとなく心細いから。
僕は小さい音に反応するから、多分マンションは難しい。
楽だろうけどね。


中古の家を買ったから、リフォームをすることになった。
ほとんど変えちゃうから、期間も約2ヶ月かかる。


何社か見積もりをしたり、設備を選ぶのにホント苦戦した。
楽しかったから、苦労とはちょっと違うけど、時間は相当費やした。

リフォーム会社を最終的に決めたのは、値段ももちろんだけど、最後はやっぱ「ヒト」。
コネを使うと、やりにくい部分とかも出てきそうで遠慮した。


ところで、トイレってどこで買えるか知ってる?
キッチンは?
一流メーカーって知ってる?


僕は全然知らなかった。
べたにTOTOで買ったらつけてくれるんだ、とばかり思っていた。
そしてTOTOを完全になめてた。
INAXやほかの方が全然安いし、値引きもしてくれる。
TOTOのネオレストってトイレはすごいよ。
まぁ、そんな話はご興味のある人だけでいいや。


とにかく、トイレはトイレ屋では買えない。
これホント。
どっか業者を見つけて、見積もりをそこに出して、幾らになってどこにつけるかとか打ち合わせをするわけ。
オプションがどうとか、かなり時間がかかる。

そんなワガママを言うのはリフォーム業者になんだけど、実際に施工してくれるのは、もち棟梁。


僕の家の担当は荒木さん。
僕は、大工さんといえば、ネジリ鉢巻で垂れた鼻を親指でぬぐいつつ、「てやんで」的なおっさん、そう思っていた。

ところがどっこい。
荒木さんことアラーキーはかなり丁寧で、毎日きっちり片付けて帰るくらい繊細。
ミリ単位で仕事をするんだから、そりゃそうかもしれないけどね。
すごく気さくな感じの人で、文句いいようのない人。
そんなアラーキーも家を見ながら、
「どうしようかなぁ、こうしたらなぁ、でもなぁ。」
なんて、頭を抱えてくれている。

骨と肉をつけてくれる大工さん。
服を着せてくれる壁紙屋さんに、設備さん。
みんな感謝してる。
僕が出来ないことだからね。


マイホームの最終決済日。
その日は晴れていた。

銀行に足を運んだ僕。
遅れてきた家主、篠田さん。
僕は篠田さんが言った言葉をずっと忘れない。


「僕がねぇ、初めて買った家だからね、なんかやっぱ寂しいよ。」


僕は家の解体前日、夜に家に向かい、暗い中じっと眺めていた。


誰かがつけたキズ。


誰かが踏んだ床。


誰かが、何かを作ったキッチン。

ぬくもりこそ失っていたかもしれないけど、誰かを育んだ歴史が確かに、そこにあった。

贅沢モノの僕は、それをひっぺがえしてリニューアルしようとしてる。
心が少し痛んだ。
このままでも住めるじゃないか。
そうも考えた。


考えながらふと見上げた天井から、梁が見えた。
壁紙を剥がして、バスもトイレもキッチンも変わるけど、家を支えるモノは何もかわらない。

外国では、家を住み替えると、その人の色に染めるべく、新家主はペンキを塗ったり、増設したり様々な工夫をする。
かつてのものを大切に自分色にそめて大切に使う。

僕はこの家を長く使おう。
気に入ったモノしか入れない。
大切にしよう。

僕の家だから。
僕の色に染めて、僕がリラックスできる空間に。

色んな人が、色んな想いがあって出来上がる僕の家。


いよいよ、そこに。
春の風が吹き付ける。


お楽しみに。

3月だというのにこの陽気はすごい。
外を歩くと春の装いで、街に桜が咲いたよう。

だけど、だけど、僕は実は4月がニガテ。
自分でも信じられないくらい気分が落ち込む。一度診てもらおうかと思うくらい。

結論からいうと、4月は1月よりも、何もかも「新しくなる」季節だと感じて、「別れ」も感じるから。
僕はこれまで、いくつもいくつも『置いてけぼり』にされたから。

僕はいつも後ろを走ってる。
前を走っているように見えるのは、この時期に追いつかれるのをサトしてだよ、きっと。

自分自身は嫌いじゃない。
マイペースな自分も結構好きだ。
だけど、周りに置いてかれるのはやっぱり好きじゃない。
他の人より環境に適応は上手だと思うんだけど、それは、これまでに数多くの環境変化があったから。

今の家に住むまでは、父親の仕事の都合で毎年のように転勤していた。
そのたびに友達と別れ、イチからどころか、ゼロからのスタートを踏まなきゃイケない。
それでも、当時はそんな環境が憎いわけではなかった。
嫌いじゃなかった。

だけど、みんなが大人になるにつれて、旧友と話をすると「変化」を感じて本当の「別れ」を知ってしまう事がある。
本当に寂しさを感じるのはその瞬間だ。
僕が今、周りにいる人達を大切に思うのはそんなとこからでもある。

中学生時代に仲の良かった友人に会ったとき。
当時モデルガンだとか、暗いところ、森の中、アソビは無限だった。
絵に描いたような少年時代をすごした友人、だった。

「パチンコでもいかへん?」

僕は、信じられなかった。
いや、パチンコが悪いわけじゃない。
だけど、何かとても、悲しかった。
寂しかった。

僕は、モデルガンの店に行って、またそれを手にして、遊びたかった。
昔みたいに隠れて人を撃つことは出来なくなったけど、多分、環境問題とか考えて、無害なBB弾を買っちゃったり、当時とは同じには過ごせないけど、変わらないものを求めていた。
僕は変化を嫌うのではなく、成長しない自分に穴をあけてしまう。

今越してきた所は住んで長い。
人生の半分を今のこの土地で過ごしてきた。
知らない間に高校生になり、大学生、社会人にまでなった。
何人かは結婚したり、神戸を離れ東京に行ってしまったりした。

神戸がとても好きだから、将来は外国に住むかもしれないけど、それまでは神戸がいい。
色んな街を見てきたから、よその土地に行きたい願望もない。

環境も、友人も、全てを満たすものはないけれど、流れないものが僕は好き。
4月は激流。
のまれないように、呑まれないように。
例え、おなかいっぱいになってもね。


僕にはある種の劣等感がいつもついている。

一時期ほどじゃないけど、完全には消えてない。

先日、ある家の屋根裏部屋に上った。
なぜかって、LANケーブルを這わすため。
これが、結構曲者だった。

屋根には特別な思い出がある。
小さい頃、屋根に上がるのが好きだった僕はよく怒られた。

「エイジく~ん。すごいわねぇ、そんなとこまで上がって。お母さんも連れて行ってよ。」

そういわれ、降りていった僕を、

「あんた、あんなトコどうやって登ったの!危ないからやめなさい。」

そうだまされ、叱られた。

屋根は好き。
薄暗くて、いつも裏。
月の裏のような存在。
なにかあるわけじゃないけど、ちょっとした冒険心。

至る所にクモの巣がある。
換気口もあるし、断熱材も、もちろん梁もある。
灯りは階下からもれる電気のみ。
とても静か。

どこにどんな虫がいても、生き物がいても不思議じゃない。
そう考えると、至る所を余計に凝視してしまう。

あれ?
なんだろぅ、あれ。

無数の丸っこいものが集中している。
近づくと、梁の陰で隠れていたものが見えた。

げっ!

それは、羽をたたんだコウモリだった。
干からびかかってる。
だけど、羽や、毛の状態からコウモリなのは間違いない。

真っ暗な状況でみるその光景は、どうしても、気持ち悪かった。
一度、屋根裏をでる。

だけど、放置したところで、なにもかわんないんじゃないか。
片付けないと。

そう思い、再び屋根裏へ。
今度は別にひるまない。
それどころか、イタズラ心まで沸いてくる。

もってかえって、脅かしてやろう。
へへへ。

捨てるのはいつでも出来る、そう思って自宅に持って帰った。

帰った僕は、一番に眠そうな母親に
「これなんだと思う?」
そう歩み寄った。

ひるみながら
「もう、やめなさいよ。」

「コウモリ。」

「ヒッ!」

「あんた、どうすんの?」

「まぁ、適当に捨てるよ。」

僕は完全に童心に還っていた。
次の母親の言葉で、懐かしさと、どっぷりつかった童心とで、フラッシュバックした。

「あんたね、かわいそうだから、ちゃんと埋めてあげなさい。小さな命でしょうが。」

ハッとした。
昔、カマキリを持って帰って同じことを言われた。
僕は全然変わってなかった。
悔しさと、申し訳なさで、暗い庭でスコップを探した。
コウモリの墓を掘りながら、月あかりの中で、僕は昔の色んな事を考えていた。

僕は多分ずっと変わらない。
暫くは、いい意味で「変わらない」といわれるだろう。
だけど、みんな結婚して、子供が出来て、大人になったら、こう違う目で同じことをいわれるだろう。

だけどいいや。
気にしない。
全然気にしない。

僕は死ぬとき、あのコウモリのようにそっと羽をたたんで、静かに眠るように死のう。
やさしく誰かが、僕を知る誰かが、月影の中、僕を思ってくれるのならそれでいい。

国内旅行、北陸へ行ってきた。

僕は、モノゴゴロついてから電車に乗っての旅行は記憶にない。
前にも書いたように、転勤族で、名古屋、宮崎、東京、福岡と転々としていたし、親戚もいたから、各地へ行くのは「旅行」ではなかった。
だから、僕は国内旅行をしてこなかったし、興味が持てなかったんだと思う。
今回の旅行も、非日常感は海外旅行とは全く違ったものだったし。
もちろん、楽しかったし、気軽さは抜群だから、機会があればまた、ぜひ。
今回は、僕のそんな慣れない旅行、国内の、というよりは、なれない旅行の難しさを痛感した2日間でした。

2月17日
天気、曇り。
大阪駅から、電車に乗る。
時計を見ると余り時間がなかった。
電車で腹ごしらえをしようと、バッテラを迷ってるうちに時間を忘れてしまっていた。
プライオリティー的には腹の方が高かったから。

少し急ぎ足で改札に向かう。
切符を確認して、投入。


「ピコーン、ピコーン」

ババッ!
目の前の通路がふさがる。

「最近の自動改札は2枚ざしできるんだぜ。」的な感じで、乗車券と特急券を同時に挿入したはずなのに。
通れない・・・。

あれ?

あっ、流石に、特急券が下じゃぁ、読めないわな。
では、乗車券を下にして、おりゃっ!

「ピコーン、ピコーン」

ババッ!

おぁ~れ?
おかっしいなぁ。

一歩下がって冷静に考える。
これは、俺が大学時代いつも使っていた改札・・・ってこことは、乗車券だけの人もいる・・・。

恐る恐る1枚だけ、入れて通ってみる。

スコーンという爽快な音をたてて、僕の目指す改札の向こうに、僕の切符が勢いよく飛び出した。
・・ナメやがってJRめ。

僕はその時気がついた。

切符にゲートナンバー(ホーム番号)が書いてない・・・。
切符を改札に通せば、ゲートナンバーが記載されるんじゃないかと考えていた僕だったけど、乗車券だけとなると話は違う。

ヤバイ!マジヤバイぞ!

時計は40分
切符の刻印は42分。

ホームを探す。
電光掲示板を見ながら、
「身軽さな電車旅はなんと恐ろしいか、乗り遅れたらどうなるのか、NO-SHOW(無連絡無乗車)扱いでヤバイんじゃない?」
とか考えてた。

走る、走る。

ホームへ駆け上がったときにはすでに時計は44分・・・。

やってしまった・・・。

これシャレになんないぜ。
旅行社が旅行者として乗り遅れるなんて。
どうなるんだろう。

次の電車にトライしよう。

電光掲示板を見上げたその時、
僕の乗るはずの電車の後ろに赤い字で何か書いてった。

「サンダーバード00号 20分遅れ。」

ふざけんじゃねぇよ。
なら、改札のトコにも書いとけよ・・・。

サンダーバードは思ったより綺麗だった。
電車の旅もPCでDVDを見てたので快適。
本とは景色とか見てた方がいいんだろうけど、最近忙しくて、見たい映画があったから。

温泉、料理、景色、楽しかった。

だけど、僕には旅行、というよりは遊びに出かけた感じだった。

知らない日本の土地にはいつの間にか慣れっこになっしまっているのかもしれない。

来月、僕は上海に行く。
何度目だろう。

言葉も違えば、価値観も違う、通過も違えば、食事も違う。
日本では起こらない事が起こり、見えないものが見える。

僕はまだまだ子供だ。
近くのものもよく知ろうとしないで、刺激のあるモノを求めてしまう。
困ったり、怒ったり、人の優しさに触れ、普段手に入らないものを手に入れる。
国内でも海外でも関わらず、そんな旅がしたい。
でも、ゆっくり過ごすのは、まだまだ先でいい。

僕は来月、またまた上海にいく。

この海はとても深い。
光でさえもそこには届かない。
時間の支配でさえも、衰弱する。


人は上を見る。


そこには多くの星があって、銀河を彩っている。
未確認飛行物体、地球外生命体。
とても魅力的で、浪漫はつきない。


インテリぶったように聞こえるけれど、僕はアインシュタインの相対性理論を初めて目にしたとき、
すげぇぇぇ、って感動したのをよく覚えてる。
時に中学1年生だった。
小難しい解説ではなく、ニュートンという雑誌の特集だった。

光は常識を超える。
僕は初め信用してなかった。
一般相対性理論でさえ。

とにかく光ってすごい。
光があってこその世界で、人は光を目指す。
コンビニに集まる、バグみたいに。


深海には光は届かない。
そこは真っ暗。

誕生をシルス「無」の世界。
水があり、音はあるけど、重力も無力化する。


そんな世界もの住人はいる。
深海魚。
ほとんどの生態は知られず、研究もままならない。
深海を調べるには莫大な財力と、時間、技術が必要だから。

そんな世界からあるモノが訪ねてきた。

つい最近の話。

彼の名前は、「ラブカ」。
彼は深海に住む化石。
偉大な深海からの使者。

ラブカは苦しいながら、海面へと浮上した。
何かを伝えるためだったのかも。

ラブカは漁師に捕らえられ、見世物にされるべく、水族館へ送られた。
すでに衰弱していたラブカは、数時間後に息を引き取った。


オロカモノ。


ヨクニオボレルモノ・・・


ワレノナハ、カブカ


シンカイヨリマイッタシシャナリ。


なぜ、WEELLLLL COMEEEE!!!!!って迎え入れないんだろう。
もし、宇宙人が来てもそうするかな。
ひっとらえて、衰弱しても研究対象にするかな。
宇宙戦争だ。


地球は長くないね、きっと。