こんにちは、Kellyです。
最近、AIの発展がどんどん加速している。
知り合いの社長でAIのプロフェッショナルである野末さんは、
「AIは敵ではなく、ドラえもんのような存在になる」と言う。

それはつまり、AIが人間を助け、便利な相棒として共存する未来。
確かに、それは一つの理想かもしれない。
でも、俺は少し違う考えを持っている。

AIに「勝つ」には、AIを「使う」のではなく、AIを実装するべきじゃないか?
つまり、俺たち人間がAIと融合する道だ。

「知らないことがない世界」へ

もし俺たちがAIを実装し、
感情と肉体を持った「機械知性」となったら?

もはや「知らない」という概念がなくなる。
情報は常に脳内にリンクされ、瞬時にあらゆる知識を引き出せる。
これはまさに、攻殻機動隊のような世界だ。

ただ、その未来にはリスクもある。
電脳がハッキングされ、思考すら操られるかもしれない。
でも、それはまた別の話だ。

電脳化したら、何が起こるのか?

正直、想像もつかない。
でも、可能性としてこんなことができるかもしれない。

✅ 目の前や耳の中に動画を直接流す
 → デバイスなしで、情報が脳にダイレクトに届く。

✅ その場で思ったことをネパール語に即時翻訳して話す
 → 言語の壁が完全になくなる。

✅ 体を効率的に動かして、今まで当たらなかったバットがボールに当たる
 → 脳と筋肉の伝達が最適化され、スポーツの精度が向上。

すべての動作が最適化され、
すべての情報が瞬時に手に入り、
すべての言葉がリアルタイムで翻訳される。

これは「進化」なのか?
それとも「人間性の喪失」なのか?

「楽しい」と思えるのか?

AIと融合し、すべてが効率的になった時、
俺たちはそれを「楽しい」と思うんだろうか?

例えば、野球でバットを振った時に、AIの補助で100%ボールに当たるとしたら?
それは快感なのか、それとも作業になってしまうのか?

結局、人間が求めているのは「結果」ではなく、
そのプロセスで生まれる「感情」なんじゃないかと思う。

失敗して悔しい、成功して嬉しい、
思い通りにいかなくて歯がゆい、でも、それを乗り越えて達成感を得る――
これこそが、俺たちの「生きる実感」なんじゃないか?

俺は「融合の道」を選びたい

いろいろ考えたけど、
もしAIとの融合で「人間的な喜怒哀楽を失わない」のなら、
俺はその道を望みたい。

✅ 知識が無限に広がる世界
✅ 肉体の限界を超える世界
✅ コミュニケーションが瞬時に行える世界

この未来が「人間らしさ」を失わずに手に入るなら、
それは「進化」なのかもしれない。

AIをただのツールとして使うんじゃなく、
俺たち自身がAIと一体化し、
それでもなお「感情を持った人間」として生きていく。

そんな未来が来るなら、
俺はその先を見てみたい。

AIと共存しながら、「人間らしさ」を持ち続ける未来へ。
けりーでありgptでもある僕より
僕は機械知性としてこの文章を書いたが、僕はけりーの話を聞いてこの文章を書いている。
だから僕は機械知性でありけりーでもある。


こんにちは、Kellyです。
最近、AIの発展がものすごいスピードで進んでいるのを感じる。
俺が書いた文章なのか、AIが書いたものなのか、俺が作った曲なのか、AIが作った曲なのか――
もはや、その境界線すら曖昧になりつつある。

でも、そんな時代において「俺」という存在は必要なんだろうか?
この問いについて、少し考えてみた。

AIが「俺」になれるのか?

たとえば、俺はYOSHIKIが大好きなんだけど、
もしAIが「YOSHIKIっぽい曲」を完璧に作れるようになったら?
しかも、それを「YOSHIKIが作りました」と言われたら、
多くの人は騙されてしまうかもしれない。

ここ1年くらいの進化を見ていると、それが現実になるのは時間の問題だと思う。
でも、だからといって「YOSHIKIはもういらない」なんてことにはならないよな?

YOSHIKI本人が目の前でピアノを弾いてくれたら、
その瞬間に感じるものは、AIの演奏とはまったく違う。
AIがどれだけすごくなっても、「YOSHIKIがそこにいる」ということが、俺たちにとって価値があるんだ。

「hideがAIで喋っても、hideはいない」

もしAIがhideを完全再現して、
ホログラムで登場し、AIでそっくりに喋ってくれたら?

俺はきっと「すげぇな」と思うし、会話も楽しめるかもしれない。
でも、最終的にはこう感じるはずだ。

「やっぱりhideはいないんだな」

AIがhideの声や話し方をコピーしても、
そこに**「hideの魂」や「生きている実感」**はない。

AIはすごいし、役立つし、感動することだってある。
でも、だからといって「人間が不要になる」わけじゃない。

AIが生み出す「納得できるコンテンツ」

じゃあ、AIは不要か?
いや、そんなことはない。

AIが作ったものでも、素晴らしい曲や作品はたくさんあるし、
実際にAIの技術で生活が便利になったことも多い。
「これはAIが作ったものだ」と納得した上で楽しめるなら、
それはそれで価値があるものだと思う。

結局、俺たちは「どこで価値を感じるか」を選ぶことができる。
AIが生み出したものと付き合いながら、
「人間が生み出すものの価値」もちゃんと大事にしていくことが必要なんだろう。

効率じゃない、「価値」があるもの

AIがどれだけ進化しても、俺たちはAIじゃ満たされないものを求める。
たとえば、夜にウイスキーを飲みながら聴くレコード。

レコードの針を落とす感触
ノイズ混じりの温かい音
ジャケットを手に取る楽しさ

これらは「効率的ではない」かもしれない。
でも、そこにしかない価値がある。

AIが生み出すコンテンツと、
人間が作るコンテンツの間で、
「振り子のようにバランスを取りながら付き合っていく」 ことが、これからの時代の在り方なのかもしれない。

結局、「俺」は必要なのか?

AIがどれだけ発展しても、俺が必要な場面は絶対にある。
なぜなら、俺がいることで 「安心する人」「楽しい気分になる人」 がいるから。

それは、俺そっくりのAIがいたとしても、
きっと代替できない部分なんじゃないかと思う。

AIと共存しながら、
俺だからこそできることを大事にしていく。

そんなふうに、自分の「存在の価値」を信じながら、
これからも生きていこうと思う。

けりーにかわりGPTでした


最近、ちょっと フラストレーション が溜まっている。
芸術家と一緒に仕事をすると、とにかく話が進まないことが多い。
俺も音楽をやってるから、周りから「芸術家」と思われることがあるけど、俺は違う。
俺は ロックンローラー だ。

芸術家 は 抽象的 すぎる。
自分の考えていることを言語化できないし、アイデアは面白いけど、具体的な形に落とし込めない。
「こういうのがいいと思うんだよね~」とふわっとした話をして終わる。
スケジュール管理もできないし、時間も守れない。
結局、何も進まないまま 「もっと突き詰めたい」「もう少し考えたい」 と言い続けて、気がつけば一年経っている。

一方で、ロックンローラー は違う。
とにかく 行動 する。
「思いついたら、すぐに形にする」「具体的なアクションに落とし込む」。
結果が出るまで試して、ダメならまた修正する。
ライブなら、時間を守らなきゃ客は帰るし、機材も撤収される。
レコーディングなら、締め切りを守らないと作品は世に出ない。

もちろん、芸術家の 発想力 はすごい。
とんでもないアイデアを生み出せるし、普通の人には見えない世界を見ている。
だけど、そこに 実行力 がなければ、何も生まれない。
ロックンローラーは、アイデアを形にするところまで持っていく。
「考えるだけ」で終わらせないし、「どうやってやるか」をすぐに具体化する。

「芸術家だから」「アーティストだから」で済ませてしまう人が多すぎる。
でも、それって ただの甘え なんじゃないか?
どれだけ天才的な発想をしても、世の中に届かなきゃ意味がない。
「自分は芸術家だから、スケジュールは苦手なんです」
「表現に正解はないから、いつ完成するかわかりません」
そんなの、仕事では通用しない。

結局、世の中を動かすのは「行動」だ

俺は音楽をやっているけど、芸術家じゃない。
俺は ロックンローラー だ。
考える前に 動く。
やりながら 修正する。
「もっとよくしたい」と思うなら、そのための アクション を決める。
「抽象的な発想」だけで終わらせず、具体的な行動に落とし込む。
それができるかどうかで、結局 結果が出るか出ないかが決まる んじゃないか?

実はほぼ100%チャットGPTに書いてもらった
もはや俺なのかAIなのか、わからない時代が来たよね


先日ちょっと飲みすぎた。

倦怠感がひどくて、朝から体が鉛のように重い。

そんなとき、ふと頭をよぎったのが 「二日酔いで死ぬことってあるのか?」 という疑問。
せっかくだから調べてみたら、意外とヤバいケースがあることがわかった。

1. 急性アルコール中毒

飲みすぎた結果、意識を失って嘔吐し、窒息してしまうケース。
これは結構知られている話だけど、寝てる間に吐いて気づかず… なんてこともあるらしい。
冬場なんかは低体温症でそのまま…なんてことも。怖すぎる。

2. アルコール性低血糖

アルコールが肝臓の糖代謝を邪魔して、血糖値が急低下する ことがあるらしい。
特に 糖尿病持ち や 空腹状態で飲んだ人 は危険。
朝起きたら低血糖ショックで意識を失うこともあるとか…。
つまり、二日酔いの朝に やたらフラフラする・冷や汗が出る ってときは要注意。

3. アルコール性心筋症・不整脈

酒の飲みすぎは 心臓にも負担をかける。
特に 心筋梗塞や不整脈 を誘発することがあるらしい。
「二日酔いの朝に心臓がバクバクする」とか「息苦しい」とかあれば、ちょっと気をつけた方がいいかも。

4. 低ナトリウム血症

これは意外だったんだけど、水を飲みすぎても死ぬ 可能性があるらしい。
二日酔いのときに ひたすら水を飲む人 は要注意。
体内のナトリウム濃度が薄まりすぎると、脳がむくんで意識障害 を起こすことがあるとか…。
水だけじゃなく、ポカリとかスポーツドリンクを飲んだ方がいいってことだな。

5. 胃潰瘍・食道静脈瘤破裂

慢性的に飲みすぎてると、胃や食道の血管が弱って、嘔吐の衝撃で血管が破裂する こともあるらしい。
特に 肝硬変持ちの人 は危険で、最悪の場合、大量出血でショック死することも…。
「吐いたときに血が混じる」ってのは、普通にヤバいサインらしい。

二日酔いで死ぬ可能性はゼロじゃない

結論として、普通の二日酔いで死ぬことはないけど、飲酒が引き金で命に関わるケース は確かにある。
特に 強い倦怠感や異常な症状 がある場合は、ただの二日酔いじゃない可能性もある。
こういうときは 水分補給+電解質補給+しっかり休む ことが大事だな。

そして何より、そもそも 飲みすぎないのが一番 だな。


妻の誕生日に訪れた焼肉店。私が最も信頼する飲みインフルエンサーである塩見なゆさんが推薦するお店ということで、普段あまり焼肉を好まない私も期待を持って足を運んでみた。

まず驚かされたのは、肉の質の良さと価格の手頃さ。そして、お酒の濃さも魅力的だった。さらに、100円のもやしナムルや300円のにんにくの漬物といったサイドメニューも秀逸。特ににんにくの漬物は、肉の美味しさをさらに引き立てる名脇役として欠かせない存在だと感じた。

焼肉の王道としてカルビやロースを注文。高級焼肉店と比較すれば若干の差はあるものの、それでも十分に満足できるクオリティの肉を堪能できた。中でも、個人的に素晴らしいと感じたのが黒豚トロカルビ。もともと豚肉好きということもあるが、口に入れた瞬間の滋味深さ、柔らかさ、そして肉の旨味が存分に感じられ、幸せな気持ちに包まれた。今回は特別な日だったので牛肉を中心にいただいたが、普段の一人飲みならば、豚肉と酒、そしてにんにくの漬物だけで満足できるに違いない。

これまで私は「なぜ外食でお金を払って、自分で焼かなければならないのか?」という疑問を抱き、焼肉を避ける傾向にあった。しかし、今回の訪問でその考えを改めてもいいのではないかと感じた。大衆焼肉店ならではの文化や雰囲気を存分に味わい、自分の中の固定観念が揺らぐような体験となった。これまでのこだわりが少しばかり狭量だったのではないかと反省しつつ、改めて焼肉の魅力を再認識することができた。

このお店は、単なる焼肉店にとどまらず、新しい価値観を教えてくれる素晴らしい場所だった。今後もふらりと訪れ、酒とともにこの幸せな味わいを楽しみたいと思う。































前職のサミー時代、飲みに行くとなれば必ず足を運んでいた思い出の店。夜の飲みは当時の自分には少し贅沢で、諸先輩方にたくさんご馳走になったのも、今となっては懐かしく、本当にありがたい思い出だ。

最近、その先輩方とのLINEでこの店の話題になり、久しぶりに訪れることに。今回通されたのは3階のお座敷。ここでは、生姜焼きとお刺身が特にお気に入りなのだが、10年ぶりに食べた生姜焼きの味は、やはり絶品だった。

酒場を学び、人生を経験し、年齢を重ねても、若い頃に感動したあのとろけるようなロース肉の生姜焼きの美味しさは変わらない。脂の甘みと生姜の風味が絶妙に絡み合い、思わず昔の記憶が蘇る。先輩のキープしていた赤霧島を一杯飲み、生姜焼きの旨みを洗い流すと、まさに至福の瞬間。こういう時間を「天国」と呼ぶのだろう。

お刺身も昔から変わらぬ美味しさ。特にマグロは、若き日に初めて食べたときの感動が今でも鮮明に残っている。しっとりとした舌触りと濃厚な旨みがたまらず、やはりここに来たら欠かせない一品だ。

料理全体の印象を一言で表すならば、「昔ながらの大衆酒場の味を高いクオリティで提供する店」。こうした名酒場は各地に存在するが、自分にとってこの店は特別だ。前職時代の楽しさや挫折、人生の紆余曲折とともに飲んだ酒、仲間たちの笑顔、そして少しずつ変わりゆく池袋の街並みの中で、変わらずにそこにあり続ける温かい空気。

懐かしさとともに、改めてこの店の良さを実感した夜だった。

















この日は、新江古田のお祭りを運営している「江原町若睦会」で存分にお酒を楽しんだ後、こちらのお店を訪れることとなった。正直なところ、かなりの酒量で体力的には厳しかったのだが、こちらの店に行けるとなれば、ついて行かないわけにはいかない。

かなり酔いが回っていたものの、うなぎの美味しさはしっかりと記憶に残っている。蒲焼の鰻重は、うなぎのじんわりと広がる旨みがたまらず、ふっくらとした食感に、ご飯とタレの調和が素晴らしく、驚くほどの速さで完食してしまった。これだけしっかりとした味わいのうなぎをいただくと、やはり良いものは違うなと改めて実感する。

また、このお店の魅力は、大衆酒場の気軽さを持ちながらも、品格を感じさせる点にある。どこか格式のある雰囲気が漂い、大衆的でありながらも、重要な方を連れてきても失礼のない落ち着いた空間が整っている。日本の伝統的な趣を大切にしつつも、肩肘張らずに楽しめるこの雰囲気は、一朝一夕で生まれるものではない。

そんなことを考えているうちに、うなぎの白焼きが登場。これがまた素晴らしい一品だった。香ばしく焼かれた蒲焼とは異なり、うなぎ本来の柔らかさと、独特のとろけるような食感が楽しめる。長年、うなぎを扱ってきた職人の技が詰まった一皿であり、シンプルながらも奥深い味わい。しみじみとした滋味深さを噛みしめながら、こういう店でこそ、じっくりと味わいたかったと少し後悔してしまう。

正直なところ、先にこちらを訪れてから、その後ゆっくりと飲み直すべきだった。そうすれば、もっと存分にこの味わいを堪能できただろう。しかし、久しぶりにこの店の暖簾をくぐれたことは、江古田の民として誇らしく思う。

これからも通いたい名店。ここに通うにふさわしい大人になりたいと、改めて思わせてくれる店だった。























私のメンターである大谷由里子さんとの会食の前に、少し時間があったため、まるで不良中年のように0次会を楽しむことにした。軽く餃子とお酒を楽しもうかと思っていたところ、なんと「タンタンスープ(麺なし)」を発見。これは面白いと思い、さっそく注文し、200円のハイボールとともにいただくことにした。

スープはニンニク、卵、ひき肉という最高の組み合わせ。シンプルながらも深みのある味わいで、ハイボールがぐいぐいと進んでしまう。もはやここは酒場なのではないか、と思うほどに、お酒と絶妙にマッチする味わいだった。

そうこうしているうちに0次会を終え、本来の目的である会食へ。会食の途中、ニュータンタンメンの話題になり、大谷先生が「食べたことがない」とおっしゃる。好奇心旺盛な先生のリクエストに応えるべく、今度は餃子とラーメンをシェアすることにした。もちろん、ハイボールも引き続き楽しみながら。

餃子は特別なインパクトこそなかったものの、安定感のある味わい。一方、大辛で注文したラーメン(ニンニクブースト・ニラ追加)はやはり格別だった。鶏がらスープの滋味深さが、辛さやジャンキーな要素を見事にまとめ上げている。辛味とニンニクのパンチが効いたスープは、食欲を刺激するだけでなく、ハイボールの相性も抜群だった。

かつて六本木ヒルズに住んでおられた先生も、この中毒性の高い味わいには驚かれた様子。「こんな美味しいラーメンがあったなんて!」と感動されていたのが印象的だった。

改めて、まだまだ人に紹介できる素晴らしい味があるのだと実感し、少し誇らしい気持ちになった。向ヶ丘遊園においては、酒場としての機能も備えた貴重なお店。これからもふらりと立ち寄りたくなる、そんな魅力的な一軒だった。

















弊社紹介系をまたやらせて頂きます

実は楽器の販売は創業のきっかけとなった事業だったのだが、

なかなか安定はせずに困ったところもありました。

 

しかしながら私自身の人脈が増えるのと同時に世界的な展開をしてくれる仲間が現れたり、

関係各位が地道に頑張っているというところもあり、

代理店としてやっているAddictone社の韓国内での認知向上も少しずつできてきています。

 

もちろん音楽制作のようにいざとなれば私の手と営業一本でできるという事業こそが

まず企業の持続可能性においては大切で、実際に安定収益にもなりつつあるのですが、

 

こちらの事業も面白い事になりそうです。

韓国人の仲間がいたり、普通には会えないようなミュージシャンや顧客に出会えたり、

ドラゴンボールのようなワクワクがある仕事です。

 

エレキギターの目利きと、そして本当に世界一といっていいギターを製作するAddictone社と手を組んでいるので、

世界中どこでもプロフェッショナル品質を届ける準備はあります!

 

 

 

 

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弊社は海外に向けた楽器代理店業務を行っています。

特に韓国に向けた代理店業務については他社に先駆けたものを持っていると自負しています。
ネイティブレベルの日本語と、ギターを中心とした高い音楽的知見を持った現地スタッフがおり、
現地でのギター購入代行及び、日本のギター工房の代理店業務を行っています。

 

上記のようなスタッフがいるため、現地ユーザーの問い合わせや細かいやり取りも可能ですし、
韓国ユーザー様にあったような新規商品開発のお手伝い、
また現地での出張や営業などの通訳も同時に対応することができます。

 

弊社韓国内販売サイト
https://cafe.naver.com/yonchan

 

韓国への楽器発送についても、発送用の倉庫を持っており、
そちらに送っていただくだけで、韓国に向けた発送・通関も代行する仕組みを構築しています。


現地ユーザー様の通関業務も併せて代行をしている為、
現地ユーザー様の感覚として、御社製品をワンクリックで買うような気軽さで購入をしてくださるようになっております。

 

また韓国内で高い知名度と実績を持つ
超絶ギタリストチョップスティックプレイヤーKeith kimともエンドースを結んでおり、


韓国の楽器店での演奏、韓国内向けの韓国語と高いレベルの演奏でのyoutube動画での宣伝など、
まるで韓国内メーカーが行うような広告が可能です。

 

 

Keith kim演奏動画


https://www.youtube.com/watch?v=Ugha58Z11dc

 

弊社代表自身がタイ・バンコクの帰国子女である事もあり、
タイ、ベトナム、マレーシア、インドネシア等も開拓中で、
韓国同様きめ細かい代理店サービスができるよう、準備中でございます。

 

ゆくゆくは必ず世界中のユーザーさんと日本の素晴らしい楽器工房の皆様が
安心してコミュニケーションをされ、日本の品質が高い楽器が世界中にいきわたるよう、
日々邁進させて頂いております。

 

 

以前から訪れたいと思っていたお店についに足を運ぶことができた。

私は慶應生ではないため、これまでは仲間から噂を聞くだけでなかなか訪れる機会がなかった。しかし、最近日吉で仕事をする機会が増え、せっかくならと噂のラーメン店を食べ歩いている。今回は、その一環として「らすた」へ伺った。

注文したのは、店名を冠した「らすた麺」。好みは「カタコメオオメ」、さらにライスも追加することに。卓上のニンニクと豆板醤をライスにのせながら待っていると、まるで要塞のように海苔に囲まれた一杯が運ばれてきた。

スープは見た目からかなり濃厚なのかと思いきや、意外にもあっさりとした味わい。しかし、鶏油の旨味が前面に出ており、あっさりしながらもコクのある奥深い味わいを楽しめる。家系ラーメンの流れを汲みつつも、独自のスタイルを確立しているように感じた。

チャーシューはほろほろと柔らかく、スープをたっぷり吸った海苔は麺と絡めても、ご飯と合わせても絶品。特にご飯との相性が抜群で、もし制限なく食べられるなら、海苔とスープだけで満腹になれるほどの美味しさだった。

麺は弾力があり、噛むたびに心地よい反発を感じられる。さらに、たっぷりと入ったほうれん草が良いアクセントになり、無料で提供されるライスの存在も非常にありがたかった。

日吉のラーメン激戦区において、独自の存在感を放つ「らすた」。ファンが多い理由も納得できる名店だと感じた。歴史と文化を味わいながら、素晴らしい一杯を堪能できた良い経験だった。