最近、ChatGPTの新モデル「4.5」とカスタムGPTを組み合わせて、自分のブログの文体やスタイルをトレースした文章が書けるようになった。また、iPhoneの高精度な音声入力を使って、寝る前の時間に自分の気持ちをどんどん吐露するような形でブログを書くことが増えてきた。

実は、パソコンでもブログを書くことはできるけれど、音声入力の精度が高いため、最近では専らiPhoneに向かって話すスタイルになってきている。もちろん、音声入力に頼りすぎると文章力が落ちる可能性はあるかもしれない。しかし、それはガラケーで打っていた時代からパソコンに移り、さらにスマートフォンで音声入力する時代へと、ツールの変化に伴って文章のスタイルが変わることと同じで、自然な流れだと思っている。

大切なのは、自分の気持ちや考えをいかに言語化できるかということだ。僕の語り系のブログは、自分自身が心の奥底に抱えている、言語化できない何かを、ひたすら言葉にして書きながら整理している。そうやって書いているうちに、「ああ、そういうことだったんだな」と気付くことが多い。

このプロセスは、メンタルケアとしての役割も大きく、思いを吐露することで気持ちが整理され、心が落ち着くという側面もある。

そういう意味では、このブログは自分自身と向き合うための大事な時間となっているのだ。



「石の上にも三年」なんて言葉があるけれど、正直言って何の結果も出ないまま続けるのは本当に辛い。

でも俺はやってきた。半年以上、人に会っては話し、反省し、またブラッシュアップする繰り返し。やりたいからじゃなくて、やらなければならないからやるしかない瞬間ってあるものだ。

でも、そうやって続けていると、いつの間にか誰かがビジネスの話を真剣に聞いてくれたり、余計なお世話と思えるくらい熱心に手を貸してくれる人が現れたりする。「その見せ方じゃもったいないよ」とか、「そもそも骨格がズレてるかもよ」といった、ありがたいダメ出しをしてくれる人たちこそ、実は一番ありがたい存在なのだと思い始めている。

何度も何度も自分の音楽ビジネスをブラッシュアップしていくうちに、最近ようやく曲が売れ始めた。例えばサーカスの演出に音楽を使ってくれたり、モデルさんが購入してくれたり。本当に必要としている人がいるのに、その人にまだ出会えていない、あるいは必要性を伝えきれていないだけだったりする。

でも、やっぱり出会うまでやるしかないのだ。

地道にプレゼン資料を作り、商品の違いを説明し、「フリー素材ではできない特別なこと」を丁寧に伝える。会社のテーマソングを歌詞付きで作るなんてことは既製品では無理なことだから。

ロックは不器用でも、真っ直ぐにやり続けることだと思う。

最近では経営者コミュニティで俺の話を真摯に聞き、ちゃんと形にしてくれるサービスを受けて、少しずつ結果が出始めている。以前、倫理法人会で突然名刺を渡してきた女性モデルさんが、SNSで俺の音楽を紹介してくれたり、「似たようなアイドルがいる」と別の人が繋げてくれたり。

ようやくビジネスになってきてホッとしているが
いや、本当はホッとしてはいけないんだけどね。まだまだ、ここからが本番だ。


最近よく「執着を手放すことの大切さ」を伝えてくれる人が周りに増えた。実際、自分自身は他の人よりも環境を変えることに抵抗が少ないほうだと思う。苫米地式コーチングなどを通じて、自分の心の枠組みを意図的に壊し、抽象度を上げて新たな挑戦ができるようになってきた。

けれども一方で、子供の頃からずっと心の奥底に「これだけは譲れない」という、手放せない執着があることも自覚している。ぶっ飛んだ活躍をする経営者やビジネスマンと深い話をすると、表面的にはビジネスの話が多いが、一対一で長時間話すと必ず指摘されることがある。「君には執着がある。それを手放せばもっと飛躍できる」と。

自分では気づきにくい心の奥の部分を指摘され、確かにその通りかもしれないと最近思い始めた。成功者や人生を切り開いている人、コーチングのプロの言葉はやはり深い気づきを与えてくれる。幼少期から根深く持っているその執着は、自分では見えないけれど、大きな足かせになっているのかもしれない。

ただ一方で、譲れない信念と執着は違うのではないかという疑問も湧いてくる。自分が自分でなくなってしまう境界線と、ただ単に長く信じ込んできた価値観との区別が難しい。その見極めが必要だと思うときがある。

しかし、そもそも安定や変わらないものを守る生き方を選ばず、変化と進化を選んだのが自分だ。もし心の深いところに根強い執着があるなら、それを捨て去る勇気を持たなければいけないのだろう。

人は変わることを恐れるし、変化した人を非難したり心配したりするかもしれない。それでも毎日異なる人と会い、異なる経験をする中で、人生観が徐々に変化するのを実感している。だが同時に、心の底にある熱いものや、昔からの友情は変わらない大切なものだとも思う。

執着を手放すことが、自分の人生の次なる扉を開く鍵となるのかもしれない。最近はそんなことを深く考えることが多くなった。



作品の主人公になれるならこの人

最近、ふと思ったことがある。「もし自分が作品の主人公になれるなら誰がいいだろう?」という問いだ。


色々な作品が頭をよぎったが、僕の場合はやっぱり『美味しんぼ』の山岡士郎がいい。何より飯が好きな自分としては、美味しいものをとことん追求できる山岡の生活が魅力的に思える。


最近では特に、豆腐を食べるときにその質や味わいがわかるようになってきたり、食レポの経験を通じて、食べ物の美味しさや組み合わせの妙を考えるのが楽しくなってきたりしている。別に高級なものでなくても、身近にあるもので美味しく食べる工夫をするのも大好きだ。


もし自分が山岡になったら、そもそも海原雄山と対立することもなかったかもしれない。性格的に、自分は山岡よりも素直なところがあると思っているからだ。


もちろん『ドラゴンボール』や『ジョジョの奇妙な冒険』のようなカッコいい戦闘系の主人公にも憧れるけれど、やはり命の危険と隣り合わせというのは自分には向かない。『ダイの大冒険』の冒険感も魅力的だけど、やっぱり平穏に美味しいものを楽しめる人生の方が性に合っている。


新聞社で経済力もあり、財界の有名人たちとも親しく交流しつつ、美味しい料理を極めていく山岡士郎。


やっぱり僕にとっては、山岡一択なのだ。

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オープンしたばかりの二郎系「鷹の目」が江古田にできたと聞いて、早速行ってきました。店頭には開店祝いの花が並んでいて、新しい空気が漂っていました。以前は別のラーメン屋があった場所ですが、あの場所がいいだけに、しっかりと客が入らないと厳しいだろうなと思っていました。

鷹の目のような人気店がこの立地に入ってくれるのは、街としてもありがたいと思います。ちなみに江古田には「兄貴んち」という、ライトで独特な方向性の二郎系もあって、あっちもなかなか美味しいです。だから、この二店はいい感じに棲み分けできると面白いなと思っています。

この日は、普通のラーメン(豚入り)をチョイスしました。麺は300g、価格は1100円で、トッピングで卵も追加しました(+100円)。この卵が素晴らしくて、つやつやしていて、見るからにいい卵を使っているなと感じました。

ラーメンの構成は、野菜少なめ、揚げは普通、ニンニクちょいマシ、脂マシでお願いしました。運ばれてきた一杯は、しっかりとしたゴワゴワ麺と溶けきったスープ、キラキラの脂が印象的でした。スープに辛い揚げがじんわり溶けていき、スパイシーなエッセンスが加わることで、より立体的な味わいになっていきました。

ただ、スープ単体だとちょっと弱い気がしました。飲んで「うまい!」と叫ぶ感じではなかったのですが、とろとろのチャーシュー、ミルキーな脂、辛揚げとの掛け算で食べ進めると、「ああ、これが人気の理由か」と納得させられる味になりました。

インスパイア系として大事なところはしっかり抑えていて、安心して食べられるクオリティです。次回は汁なしラーメンも試してみたいと思います。きっと新しい発見があると思います。



























堺町市場の飲み屋街をブラブラしていたところ、ちょっと気になる喫茶店を見つけました。喫茶店と言いながら、どこが喫茶店なのかと疑いたくなるようなスナックで、雰囲気満載のママさんがやっているお店でした。試しに入ってみたところ、これがなかなか面白いお店だったんです。

突然「マグロいる?」と言われ、半信半疑で「マグロじゃいります」と答えると、マグロのお刺身が運ばれてきました。まあ、マグロ自体はそんなに特別なものではなかったんですが、その人情味あふれる雰囲気に引き込まれてしまいました。お酒もレモンサワーを2杯か3杯飲んで、軽く終わった感じです。

そのお店は、沖縄らしい現地感が溢れていて、まさに「沖縄の人は沖縄の人にこだわる」と感じさせられるような、暖かい雰囲気がありました。お店の人たちはフレンドリーで、まるで「また来てね」と言われているような気分にさせてくれる。沖縄のローカルを感じるには、とても良い場所だと思いました。

沖縄に初めて来た時に、情報収集を兼ねて訪れるのにもぴったりかもしれません。とはいえ、この手の店にはちょっと入りづらいと思う人もいるかもしれませんが、そういう店を得意とする人には非常に良いお店です。











首里の「うかじそば」に行ってきました。前日に沖縄で友達の結婚式があり、その際に店主と軽く話していた流れで「行きますよー」と言ってしまった手前、行かないわけにもいかず。でも結果的には行って本当に良かったです。むしろ、沖縄そばに対する印象が大きく変わりました。

店に到着するとすでに人が並んでいて、地元の人たちが通う店の雰囲気があり、これは間違いないなと思いました。注文したのは、三枚肉とソーキが入ったそば。せっかく来たならフルスペックで味わいたいと思い、このメニューを選びました。

オリオンビールを一杯だけ注文し、これもまた美味しかったです。生ビールで提供され、ほんのり酸味があり、南国らしい味わいが口いっぱいに広がりました。沖縄の空気の中で飲むオリオンビールは本当に特別なものに感じます。

そばが運ばれてくると、まずその香りに引き込まれました。カツオだしの香りと、肉の香ばしさがふわっと広がり、食欲をそそります。

ひと口食べると、つるっとした麺と深みのあるだしが絶妙で、味の構成はとてもシンプルながら、それだけで完結しています。三枚肉もソーキもとろとろで、食感の違いも楽しく、スープとの相性も抜群です。

スープは、肉と一緒に飲むと、まるでトロピカルな旨味のスイッチが入るような感じ。爽やかさと美味しさが共存したスープで、ついつい飲み続けたくなります。これこそが「沖縄そばの決定版」だと感じました。

あまりにも美味しくて、沖縄そばが大好きになってしまいました。この素晴らしいそばに出会えたことが、今回の旅の大きな収穫でした。





















久しぶりにジョジョ風バーディオに行ってきました。こういう敷居の高い場所にいくことのプロフェッショナルである私が、ジョジョ好きの仲間たちを誘って7人で伺いました。

店員さんにメニュー名は言わないように釘を刺されていたので、もちろん名前は伏せておきますが、花京院のコスプレをしていた私は、当然のようにその酒を注文しました。

そして赤ワインが実は波紋レーダーだったことに気づき、私は北風がバイキングであることにも気づいたのです。さすがここはジョジョの世界、改めて「ようこそ、男の世界へ」と言われた気がしました。

そして、パスタが登場!!まさに今ここでパンナコッタフーゴが
「こいつにスパゲティを食わしてやりたいんですがかまいませんね!」
と言う幻聴が聞こえそうなほど、世界観が完全に再現されていて驚きました。

ただし、スパゲティは給食で食べるような、何とも言えない懐かしさを感じる味。イタリアンからは程遠いですが、そこは愛嬌ということで、ジョセフジョースターがいちゃもんをつけながらも、「ンまい!」と言いそうな感じです。

ジョジョの世界に浸れた素晴らしいバーでした。



























武道家といえば、長らく中野でお世話になっていましたが、実は早稲田で食べるのは初めてでした。

友人のバンド「滅流辮」の18周年記念ライブが長丁場だったため、途中で抜けて、八幡様に手を合わせた後、こちらのお店にやってきました。

夏バテの影響もあり、チャーシューメンは少し辛いので、普通のラーメンを注文しました。武道家は味が濃いので、固め多めでお願いしました。ライスは100円で食べ放題という破格のサービスですが、腹いっぱいにご飯を食べられるほどの状態ではなかったので、今回は少なめにしました。

ラーメンが届き、まずスープを一口。ねっとりとするほどに炊かれた豚骨と醤油、たっぷりの鶏油のバランスが絶妙で、口の中で広がる美味しさに心が満たされました。酒井製麺を使用した麺はぷりぷりで、その美味しさがたまりません。

武道家は「世界一ご飯に合うラーメン」とも言われていますが、その理由がよくわかりました。にんにくとオイリーなスープ、そしてそれをよく吸う海苔やほうれん草が、ご飯をどんどん食べさせてくれます。ラーメン自体も超美味しいのですが、本当にご飯が美味しすぎてどうしようかと思いました。

チャーシューは吉村家のようなスモーキーな味わいで美味しかったですが、個人的にはもっとトロトロのチャーシューの方が好みなので、もしそれがあればさらに点数が上がったかもしれません。

もし私が早稲田の学生だったら、毎日この誘惑と戦うことになりそうです。あまりに美味しすぎて、さすが東京の雄といった感じでした。









私の人生において、モルモットを飼育したことは、自分の価値観を大きく変えるきっかけになった。


自分よりも絶対的に弱く可愛い生き物は、今生きている飼育5年目のぽーを含めて三匹を飼育してきた。


そういった生き物が美味しそうに餌を食べたり、自分に懐いたり、冷蔵庫をあけると泣いたり、

私が1週間ぶりに帰ったらぷいぷいと喜んだりしてくれることに言葉にはできないような愛と絆を感じる。

今モルモットの平均寿命に近づいてきたぽーが元気でいてくれることが嬉しい。


人といながらも心のどこかで孤独を感じる私にとって、どんな時でも一緒にいる文字通り仲間であり家族だ。




一方で死んでいったぐぅとちーというモルモットとも仲良くしていった。

彼女らは可愛く生きて最後の最後まで生きようともがき死んでいった。

その事は私に生きるという事は何なのだろうかと深く考えさせてくれたし

結局死にたくはなくて必死で生きる、だからこそ頑張るということを学んだ。

自分は会社をはじめ、目の前の困難や課題を乗り越えなければ死ぬと感じるからこそ、この自堕落な私が何とかしようと走り回っている。

これが必死ということだし、生きるって事だ。


自分が今まで怖くてできなかったことも一つずつ確実にできるようになっている。

言いたくても言えなかったことも言えるようになっている。


創業とモルモットたちからこの必死という感覚を学んだこそだ。