最近よく「執着を手放すことの大切さ」を伝えてくれる人が周りに増えた。実際、自分自身は他の人よりも環境を変えることに抵抗が少ないほうだと思う。苫米地式コーチングなどを通じて、自分の心の枠組みを意図的に壊し、抽象度を上げて新たな挑戦ができるようになってきた。
けれども一方で、子供の頃からずっと心の奥底に「これだけは譲れない」という、手放せない執着があることも自覚している。ぶっ飛んだ活躍をする経営者やビジネスマンと深い話をすると、表面的にはビジネスの話が多いが、一対一で長時間話すと必ず指摘されることがある。「君には執着がある。それを手放せばもっと飛躍できる」と。
自分では気づきにくい心の奥の部分を指摘され、確かにその通りかもしれないと最近思い始めた。成功者や人生を切り開いている人、コーチングのプロの言葉はやはり深い気づきを与えてくれる。幼少期から根深く持っているその執着は、自分では見えないけれど、大きな足かせになっているのかもしれない。
ただ一方で、譲れない信念と執着は違うのではないかという疑問も湧いてくる。自分が自分でなくなってしまう境界線と、ただ単に長く信じ込んできた価値観との区別が難しい。その見極めが必要だと思うときがある。
しかし、そもそも安定や変わらないものを守る生き方を選ばず、変化と進化を選んだのが自分だ。もし心の深いところに根強い執着があるなら、それを捨て去る勇気を持たなければいけないのだろう。
人は変わることを恐れるし、変化した人を非難したり心配したりするかもしれない。それでも毎日異なる人と会い、異なる経験をする中で、人生観が徐々に変化するのを実感している。だが同時に、心の底にある熱いものや、昔からの友情は変わらない大切なものだとも思う。
執着を手放すことが、自分の人生の次なる扉を開く鍵となるのかもしれない。最近はそんなことを深く考えることが多くなった。