前回のブログで書いたけれど、オジー・オズボーンが亡くなったことで、「なぜ俺はロックをこんなに好きなのか」「一度も会ったことのない人間が、なぜ身内以上に大事なのか」ということを改めて考えた。
そして少しずつ答えが見えてきている。

俺の持論だけど、男の心というのは常に孤独だ。
どんなに友達がいようが、裕福であろうが、ポジティブであろうがネガティブであろうが、結局は自分の世界という殻に閉じこもっている。
その殻を破るのは容易じゃない。

だけどロックは、その殻をトンカチで叩き破って無理やり入ってくるような存在だった。
俺にとって最初にその衝撃を与えたのはX JAPAN。
続いて、B’zやZIGGYも大好きだったけど、心の奥にドンと穴を開けて入ってきたのは、オジー・オズボーン、イングヴェイ・マルムスティーン、筋肉少女帯、そしてBUCK-TICKあたりだった。
彼らは圧倒的にクレイジーで、圧倒的に音楽が良かった。

オジーは、隣に座る友人のようでありながら、遠い存在のロックスターでもあった。
バカみたいでありながら、誰よりも高みにいる存在。
そして何より、ワーキングクラスからの叩き上げのヒーローだった。

彼はどんな時でも「生きてて大丈夫だ」「俺たちは君の味方だ」とロックンロールを通じて語りかけてくれる存在だった。
だから俺の心の世界には、オジーが自然に混じり込んでいて、自分の価値観や生き方の取捨選択にまで影響を与えている。

だからこそ、亡くなったと知った時は心の一部が欠けたような気がした。
とても大事なものを失った感覚だった。
それは鳥山明さんやすぎやまこういち先生が亡くなった時と似ていて、俺の「孤独な男の心」を形作る上で強烈に作用した人たちだったからだ。

オジーは、ロックという形で「俺は理解されなくていい」という殻を破って、「ロックしようぜ」と心に飛び込んでくれた存在だった。
だから、亡くなってなお勇気づけられるし、元気をもらえる。

やっぱり俺にとってロックは特別で、オジーは永遠の英雄だ。


最近、本当に忙しくて、ここ一週間くらいは日記の質も落ちていたかもしれない。
それでも気づけば8月も毎日ブログを書き続けていた。
「1週間に何本かでいいかな」と思った時期もあったけど、結局は毎日だ。
振り返ってみれば8月は濃い1ヶ月で、自分にとっての転機を実感できた時間だった。

今、俺がやっている営業手法は「自分たちで市場を作る」というものだ。
人間関係を構築し、輪を作り、その中で売っていく。
いわゆる「リファラルマーケティング」と呼ばれる方法だ。

例えば、半年ほど通っている交流会で、喫煙所に入った瞬間に音楽をやりたい人と出会った。
その週にはもう自宅に来てもらって機材を一緒に見たりして、すぐに受発注に繋がった。
また別の日には、営業課題をFacebookにたった数行で投稿しただけで、
信頼できる仲間や社長が選定してくれた営業さんとアポがすぐ決まった。

昔からリファラルマーケティングは存在したけど、今の時代にすごく合っていると思う。
昔の営業マンは「足で稼ぐ」と言われ、太ももの筋肉が異様に発達していたという。
でも今は、1日9件、10件のアポもオンラインで可能になっている。
コロナ以降の時代は、まさに戦略的にこのやり方が合っているんだと実感する。

ただ、利他の精神は簡単ではない。
会社のスタート時は特に、すぐに結果が欲しい。
でも利他は結果に時間がかかる。
「周りからバカに思われてるんじゃないか」と不安になることもあった。
それでも時間をかければちゃんと成果が出ることが分かった。

つまり、今もこれからも「利他をやり続ける」しかない。
人に対して、与え続けること。
その先にしか結果はない。

課題はまだある。
自分のこと、家族のこと、仕事のこと。
でもトンネルの出口は見え始めていて、光は確実にある。
結果も少しずつ出ている。

音楽の仕事や、どうやって俺がビジネスを作っているかという話は、また別のブログで書こうと思う。



江古田に「一角家」ができたと聞き、足を運んでみました。
全国に展開する資本系の家系ラーメンとして有名なお店ですが、個性派ラーメンがひしめくこの江古田に出店するというのは、なかなかに思い切った決断だと感じます。
 
自称ではありますが、私は江古田のラーメンを食べ尽くし、食べログに記録してきた人間の一人として、この街のラーメン事情に関しては世界でもトップレベルの知見があると自負しております。
そんな立場からしても、やはりこの街で家系を名乗る以上は、ある種の「覚悟」が必要だと感じていました。
 
この日は石神井公園で軽くライブをした帰り道。音楽の余韻をほんのりと引きずりながら、ふらりと立ち寄ることにしました。
オープン記念ということで、トッピングが無料になるサービス券をいただき、今回はのりを追加。麺は固め・味は濃いめ・油多めのいわゆる家系王道のスタイルで、チャーシュー麺を注文しました。
 
お店は出来立てでとてもきれいでした。以前は居酒屋だったような記憶もありますが、今は完全にラーメン店として整えられ、席もトイレも清潔感があり、これはとても好印象です。
 
ラーメンが届き、一口すすってみると、確かに家系の形はしています。
しかしその味わいは、いわゆる「セントラルキッチン」の安定したもので、驚きや個性といった面ではやや物足りなさを感じました。
「美味しくない」とまでは言いませんが、江古田という土地であれば、他にもっと個性ある家系ラーメンを選ぶだろうなというのが正直な感想です。
 
とはいえ、チャーシューは思いのほか美味しく、ライスが100円で追加できる点や、卓上調味料の充実度など、食べ方によって楽しめる要素は多く、工夫次第では満足感のある一杯になると思いました。
 
江古田という街は、ラーメンへのこだわりが強く、競争も激しいエリアです。
味にしろ価格にしろ、何かひとつ飛び抜けた魅力がなければ、長く支持されるのは難しいかもしれません。
 
ただ、学生のグループが数組入っており、楽しそうにラーメンを囲んでいる様子を見ると、こうしたカジュアルさや入りやすさにも確かな需要はあるのだなとも感じました。
 
江古田の街とともに歩んできた自分としては、こうした新しい風がどう受け入れられていくのか、少し離れた位置から見守っていきたいと思います。
またひとつ、江古田に「記録すべき一杯」が増えました。
 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ブログのネタがない。
なのに ChatGPT はそれを読み込めない。
どうにも無力なAIだ。

でも実は、それはとてもいいことなんだと思う。
AIが無力だということは、人間の活動の余地があるということだからだ。
ただ、僕を含めて多くの人はAIに頼りすぎている。
だからこそ、結局はこうして口述筆記で言葉を出すしかなくなる。
特に酒が少しでも入ったらもう、そうやって吐き出すしかない。

今日は久しぶりに kotowari というバンドのライブに行った。
ステージを見ながら、いろいろと思うことはあった。
でも「アドバイスをしろ」と言われても、特にない。
細かく「こうしたほうがいい」と言うことはできるけれど、
そんなものは誰でも分かっていて、それでもできないから難しいんだ。
だからあえて言わなかった。

ライブを見て、夜に少し飲んで、今日はそんな一日。
眠い。本当に眠い。
最近は駆け足のように、ずっと走り続けている気がする。
一昔前は、1ヶ月や2ヶ月なんて「あっという間」どころか、のんびりと流れていたような気がするのに、
今は1ヶ月前、2ヶ月前のことが、もうすごく昔のことに思える。

毎日の景色が変わって、まるで冒険の連続だ。
そんな日々の中で、ブログを書く時間は自分にとって瞑想に近い。
特に最近は口述筆記で書いているからなおさらだ。
ただ横になって眠ればいいのに、言葉を漠然と吐き出しているのが心地よい。
不思議だけど、アウトプットすること自体が大事なんだと思う。

吐き出したいことはいろいろある。
オジー・オズボーンの死を通して「ロックとは何か」を考えたこと。
なぜ身内でもない人の死にここまでショックを受けるのか、その理由が少しずつ分かってきたこと。
経営者の資質について──自分はどういうタイプで、世の中にはどんなタイプがいるのか。
生成AIの限界や量子力学、そして人間の脳の仕組みについての哲学的な問い。

いくらでも書きたいテーマはある。
けれど今日は眠気に勝てそうにない。
ひとまず眠って、また改めて言葉にしていこう。
最近、強く感じているのは「親が子供に与える影響」の大きさだ。
以前の俺は、親よりもむしろ自分自身のバイタリティや読書、人生経験でいろんなことを克服できると信じていた。
今でもそれは俺の基本姿勢ではある。

けれど、現実にはやはり「親の存在」そのものが、子供の成長に決定的な影響を与えるのだと分かってきた。

特に問題になるのは「毒親」だ。
子供の感性を抑え、自己肯定感を削り、発達を遅らせてしまう。
その影響は大人になっても残り、時には死後までも心を縛り続ける。

結果、本来成長過程で経験すべきことが押しつぶされ、後になって歪んだ形で噴き出す。
年齢にそぐわない行動や不適応につながるケースも多い。

最近はそうした話を耳にすることも増え、調べてみるとこれは個別の家庭の問題というより「社会構造の問題」だと分かってきた。

一方で、俺自身が愚痴を言わずにガッツでやれている背景には、まともな教育者であった親の存在があるのだと実感する。
これは決して当たり前ではなく、むしろ幸運なことだと思う。

ただ社会全体を見渡せば、子供を育てるに値する人間性やモラルを持たない親が多く存在するのも事実だ。
そこから目を背けてはいけない。

だからこそ「毒親問題」とは、社会が正面から取り組むべき課題だと思う。
これは一家庭の問題ではなく、社会全体の課題なのだ。

仕事の合間に Amazon を覗いていたら、オジー・オズボーンの伝記ドキュメンタリーがプライムビデオで無料配信されているのを見つけてしまった。
気づけば手を止めて最後まで観てしまった。端的に言えば、とても感動した。

この映画を通して改めて考えたのは、「なぜ俺はここまでオジーという人間を好きなのか」ということ。
そして「なぜオジーは死んでなお、俺に勇気や元気を与えてくれるのか」ということだった。

その答えはやはり、彼の人生そのものにある。


貧しさや劣等感、どん底からバンドマンとして立ち上がり、破天荒で社会的にそぐわない行動を繰り返し、時に家族や周囲を傷つけもした。
それでも、オジーの根底には“絶対肯定の精神”があった。
どんな時でも惨めでも生き抜く。歯を食いしばって前に進む。
ジョジョの言葉に置き換えるなら“黄金の精神”。
自己啓発風に言えば“生命への絶対肯定”。

それがオジーの存在そのものに宿っているのだ。

 

俺の人生も、人から見ればどう映っているのかは分からない。
楽しいこともあれば、試練のようなことも降りかかる。
けれど俺は逃げずに、愚痴を言わずに、自分の力で解決を模索する。
どうしたら進めるかを考え、自分で選択し、自分の足で動く。
その結果が回り道に見えても、バカに思えても、やらなくちゃいけないと感じたことをやり切る。

 

そんな人生の辛さや楽しさを、オジーは“肯定”してくれる。
味方が誰もいないように見える時でさえ、胸の奥にある信念と価値観を支えてくれる。
だから子供の頃に夢中になったし、歳を重ねてもなお、オジーを大好きでいられる。

俺にとって、オジー・オズボーンは間違いなく“英雄”。


ただの成功者よりも、もっと泥臭く、もっと人間臭く、だからこそかっこいい。
勇気をもらえる。背中を押される。

 

この映画の感想を一言でまとめるなら──
やっぱりオジーは俺の人生にとって、唯一無二のでっかい存在なんだと再確認できた。

ふと、「もしあの時、今の道を選んでいなかったら俺はどうなっていたんだろう」と思うことがある。
でも同時に、「結局、俺は今の選択しかしてこなかったんじゃないか」とも思う。

今の頭で昔に戻れば、もっと冷静な作戦を立てて“ドリームバンド”のようなものも狙えただろう。
けれど、あの当時の俺や周りの環境では、その発想や抽象度に至ることはなかっただろう。
そう考えると、生まれてから今日までの人生はやっぱり必然だった。

今日この瞬間にブログをアップして、目の前の環境を見渡すと、オリジナルなキャリアが積み上がっている。
それは偶然のようで必然の出会い、周囲の人たち、そして積み重ねてきた環境があったからこそ。

思春期に出会ったオジー・オズボーン。
もし10年早くても、10年遅くても、別のヒーローだったかもしれない。
でも俺は、あのタイミングでオジーに出会うべくして出会った。
父と母から生まれたこの自分にとって、それは運命の線上に必ずあった出来事だと思う。

だからこそ、今の人生がチャレンジングで面白い。
「すべて必然だった」と思える。
そして未来の自分が今を振り返ったとき、必ず「これもまた必然だった」と言うのだろう。

ただ一つ意識しておきたいのは──
どの未来の自分が、今を必然だったと言うのかと言うことだ
人身事故で電車が急遽止まり、Xで情報を調べたり駅員さんに確認すると、しばらく運転再開は見込めないとのことでした。なぜ死を選ばなければならなかったのか、何がそこまで追い込み、周囲は止められなかったのか。心からご冥福をお祈りします。しかし同時に、X上でそうした言葉をほとんど見かけず、罵倒や自分自身の活動が制限された不満が溢れ、日本の倫理観はここまで落ちてしまったのかと悲しくなりました。
人間をこんなにゴミクズにしてしまう社会システムや教育であれば不要だと思いました。
 
そんな気持ちを紛らわすように、評判のとんかつ店を訪問。平日の真夏の暑さの中、行列に並び、特上(2500円)を注文しました。
 
運ばれてきたとんかつは美しく分厚い一枚。脂身からいただくと甘みが際立ち、わずかに野生味を感じる。鹿児島の黒豚の旨さがダイレクトに伝わり、上品さのあるとんかつです。正身はサクッと軽やかな歯ごたえで、「やはりとんかつは美味しい」と思わせる仕上がり。醤油、塩、ソースとどれもよく合い、ご飯やキャベツ、お吸い物や漬物に至るまで確かなこだわりが感じられます。
 
極上の体験である一方、量は控えめで、都内のとんかつガチ勢と比べると“美味すぎる”の領域には届いていない印象でした。しかし、揚げの技術や豚の質、全体の完成度は間違いなく高く、贅沢をしている実感のある一軒です。柿生が誇る名店であることに間違いなく、また訪れたいと思いました。
 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

BNIで出会ったロック姉様を連れていくのにふさわしいお店を探していました。とはいえ以前から「やばいとんこつラーメンが食べられるロックバーがある」という胡乱な噂を耳にしていたので、ロック好きの姉様を口実に、こちらに伺うことにしました。

店内に入ると、ラーメン屋と居酒屋の中間のような雰囲気で、所々にロックの香りが漂います。ブラックサバスのレコードが飾られていたり、レインボーやオジー・オズボーンがちょうどいい音量で流れていたりと、心地よい空間でした。

お酒は「メガ」で注文すると非常にお得で、800円ほどで腕が筋肉痛になりそうな大ジョッキのハイボールが楽しめます。合わせて頼んだチャーシューは赤身がしっかりしており、山盛りのネギとともに食べると非常に美味しい。博多天神のチャーシューを思わせる味わいでした。餃子は肉汁たっぷりでジューシー、オイリーな口当たりがたまりません。ニラ玉も「これこれ」と思わせる滋味深さで、お酒のつまみにぴったりです。

姉様は肉があまり得意ではないので焼きそばを注文。こちらはシンプルながら手作りの良さが出ていて美味しかったです。私はラーメンを注文し、一口分を姉様とシェアすることにしました。

そしてお待ちかねのラーメン。登場した瞬間から濃厚な香りが漂います。かつて北九州出身の同期に連れられて福岡で食べた大砲ラーメンを思い出すほどの迫力。スープは豚骨を炊き込んだ強烈な旨味があり、臭みと旨味の境界線のような重さが鼻と舌に迫ってきます。バリ細でバリカタの麺がスープをしっかり持ち上げ、抜群の相性。ラーメンを頼むと紅生姜と高菜が添えられ、さらにお願いすればニンニクも出していただけます。強烈なスープなので、早めに紅生姜・高菜・ニンニクを加えると味が整い、自分好みに仕上げられるのが楽しいところです。

店主の方も気さくで、必要な調味料を気軽にお願いできるのも魅力。東京で本物のとんこつラーメンを体験するなら、間違いなく候補に入る一軒だと思います。shin shinのような軽やかな系統を望む方には違うかもしれませんが、ヘヴィでハードなとんこつラーメンを求める方にはぜひおすすめです。