読書『足摺岬』『桜島』『ルポ・池袋アンダーワールド』他、2023、3~6月 | レイモン大和屋の <シネ!ブラボー>

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映画感想、読書感想を備忘録として書いてます。
三浦しをん氏のエッセイを愛読しています。
記憶に残る映画と1本でも多く出会えることを願っています。

3月~6月の読書記録(Ⅲ)

 

自分のための備忘録として文章を一部抜粋しています。

 

「田宮虎彦 梅崎春生集」筑摩現代文学大系64

 

『足摺岬』 田宮虎彦

 

<私は机も本も蒲団も持っているかぎりをたたき売って、ふらふらと死場所にえらんだ足摺岬に辿りついていた。

ちょうど梅雨のころであった。田舎びた乗合の馬車を降りた私の頬を横なぐりの雨が痛いように殴りつけたことを、私は今もはっきり思い出す。その雨の中を私は漁師町とも港町ともつかぬ淋しいのきの低い町並みをあるき、諸国商人定宿清水屋とかいた小さな軒燈をみつけてはいっていった。

清水というのはその淋しい町並みの名であった。戸数、四五百、人口にして二三千もあるだろうか。淋しいそんな町に、私はあとで知ったのだが、同じような宿屋が六七軒あった。>

 

<私が清水屋の近くまで帰って来ると、電柱のかげにたたずんでいた八重が私の名をよんで走りよって来た。八重の瞳に涙をみとめたのは私の感傷であっただろうか。だが、足摺岬の絶壁から遂に身を投げることの出来なかった私には、死のかわりに八重がひそかな翳をなげかけていなかったとどうしていえよう。

死と生とは背中あわせといわれている。死ぬために辿りついた場所で、私は死とはまるでうらはらな生の営みをはじめたのだ。

私は涙をうかべた八重を痩せた腕にかきいだいた。>

 

<喚き声は蹌踉と往還を近づき、やがて清水屋の前を素通りして風のように雨の中を足摺岬の方へつっぱしっていった。

私は遠ざかって行くその狂ったような竜喜の声をきいていたが、ふと、その声に、「夢だ」と叫んだあの年老いた遍路の声を聞いたように思った。夢であった、―― すべてが夢であった。

どこに夢でない真実があるのか。わたしは、既にきこえなくなった竜喜の声をもう一度追いもとめようとしたが、その時、電燈が一瞬はかなくまたたいたかと思うと、ふっと、きえた。>

 

感想)『足摺岬』は高知県にある岬で、四国遍路の巡礼者たちが宿泊する「清水屋」という古びた宿屋が小説の舞台になっている。主人公の大学生は母がなくなり、父親とも憎みあう仲で身体も弱く、生きて行くための仕事をさがし歩いたが身体が残された人生に耐ええないと感じる。「大学を出たところでむなしい人生しか残されていはしない」と死に場所をもとめて東京から足摺岬にやってくる。

そこで宿屋の娘である八重に出会い自殺を思いとどまり、東京で八重と暮らす道を択んだ。だが、戦争下の東京では満足な食糧もあがなえず失意のうちに八重は亡くなった。主人公は戦争が終わったあと、十七八年ぶりに足摺岬を訪れる。

 

田宮虎彦の年譜、経歴をみると出生は東京だが、数か月で高知の父方の祖父の家に帰っている。その後も船員であった父の仕事の関係で二歳で下関に移り、翌年一月に姫路、五月に神戸に移り、九歳の時に高知県の母方の祖父の家に移っている。翌年また神戸に移り十四歳で神戸第一中学に入学、二十歳の時に第三高等学校に入学、東京帝国大学を二十六歳で卒業したあと「都新聞」に入社、「人民文庫」の執筆者に加わったが無届集会の理由で検挙されたため「都新聞」を退社。

国際映画協会という団体の臨時嘱託となり映画年鑑の編集に従事、「人民文庫」の廃刊問題が起こり自らの限界を知り一時小説を書くことを断念、その後京華高等女学校の教師になり敗戦に至るまで様々な職業を転々。三十歳(昭和15年)に発病、翌十六年から5年間気胸療法を受けている。同人誌的な集団に参加しながら作品を発表し、三十八歳で作家生活に入ったと記されている。なぜ経歴にこだわるのかといえば、この本に収録されている作品の多くが(『霧の中』『天路遍歴』『ぎんの一生』等々)目まぐるしく変化する主人公の流転の人生が描かれており、それは畢竟田宮虎彦が歩んできた人生がその文学観や作品の中に深い影を落としていることを強く感じさせるからである(当たり前と言えば当たり前だが)。東京の学生時代の赤貧洗うがごとき生活を描いた『絵本』をあわせて読むと『足摺岬』の主人公の気持ちにより近づけるように思えた。

収録作品 無花果 霧の中 天路遍歴 落城 土佐日記

     足摺岬 鷺 絵本 ぎんの一生 銀心中

 

 

『桜島』梅崎春生

 

<七月初、坊津にいた。往昔、遣唐使が船出をしたところである。その小さな美しい港を見下ろす峠で、基地隊の基地通信に当っていた。私は、通信員であった。毎日、崖を滑り降りて魚釣りに行ったり、山に楊梅を取りに行ったり、朝夕峠を通る坊津郵便局の女事務員と仲良くなったり、よそめにはのんびりと日を過ごした。電報は少なかった。日に一通か二通。無い時もあった。

此のような生活をしながらも、目に見えぬ何物かが次第に輪を狭めて身体を緊めつけて来るのを、私は痛いほど感じ始めた。

歯ぎしりするような気持ちで、私は連日遊び呆けた。日に一度は必ず、米軍の飛行機が鋭い音を響かせながら、峠の上を翔った。

ふり仰ぐと、初夏の光を吸った翼のいろが、ナイフのように不気味に光った。>

 

<「そうね。可哀そうね。――ほんとに可哀そうだわ」

妓は顔をあげて、発作的に笑い出した。しかしすぐ笑うのを止めて、私の顔をじっと見つめた。

「そして貴方は、ここで死ぬのね」

「死ぬさ。それでいいじゃないか」

暫く私の顔を見つめていて、急にぽつんと言った。誰に聞かせるともない口調で ――

「いつ、上陸して来るかしら」

「近いうちだろう。もうすぐだよ」

「――あなたは戦うのね。戦って死ぬのね」

私は黙っていた。

「ねえ、死ぬのね。どうやって死ぬの。よう。教えてよ。どんな死に方をするの」

胸の中をふきぬけるような風の音を、私は聞いていた。

妓の、変に生真面目な表情が、私の胸の前にある。どういう死に方をすればいいのか、その時になってみねば、判るわけはなかった。死というものが、此の瞬間、妙に身近に思われたのだ。覚えず底知れぬ不吉なものが背骨を貫くのを感じながら、私は何気ない風を装い、妓の顔を見返した。

「いやなこと、聞くな」

紙のように光を失った顔から、眼だけが不気味に私の顔の表情につきささって来る。右の半顔を枕にぴたりと押しつけた。

顔が小さく夏蜜柑位の大きさに見えた。

「お互いに、不幸な話は止そう」

「わたし不幸よ。不幸だわ」

妓の眼に、涙があふれて来たようであった。瞼を閉じた。

切ないほどの愛情が、どっと私の胸にあふれた。>

 

感想)「戦争文学」と呼ばれる作品は大岡昇平や島尾敏雄の作品などわずかしか読んでいないが、梅崎春生の代表作の一つである『桜島』も異色の戦争小説として心に刻まれる作品である。

印象的な冒頭部。

<「七月初、坊津にいた。往昔、遣唐使が船出をしたところである。その小さな美しい港を見下ろす峠で、基地隊の基地通信に当っていた。私は暗号員であった。」>そのあとに続く簡潔でテンポの良い情景描写と主人公の心境描写。場末の妓楼で出会った右の耳のない妓とのつかの間の交わり。変質者的狂気をおびた上官や、年上の兵隊たちとのやりとり、死を覚悟した中での突然の終戦の詔勅。生まれて三十年、何の為に生きて来たのかという自問自答。「どの道死ななければならぬなら、私は、納得して死にたいのだ」という思い。妓楼で出会った妓のことが浮かぶ。

<「耳たぶがないばかりに、あの田舎町の妓は、どのような暗い厭な思いを味わって来たことであろう。あの夜、あの妓は私の胸に顔を埋めたまま、とぎれとぎれ身の上話を語った。耳なしと言われた小学校の時のこと。身売りの時でも、耳たぶがないばかりに、あのような田舎町の貧しい料亭に来なければならなかったこと。そのような不当な目にあいつづけて、あの妓はどのようなものを気持の支えにして生きて来たのだろう。妓の淋しげな横顔が、急に私の眼底によみがえって来た。」>

個人の力ではどうにもできない生まれながらに背負った理不尽、国家という巨大な力によって背負わざるをえない「戦争」という理不尽。梅崎春生の『桜島』は読むたびに人生の不可解と不条理について考えさせられる作品である。

収録作品 桜島 日の果て 輪唱 空の下 Sの背中 紫陽花

     飯塚酒場 侵入者 豚と金魚 仮象 幻化

 

 

 

ルポ・池袋アンダーワールド』 中村淳彦 花房観音 著

                       大洋図書

 

<池袋という地名だが、『遊歴雑記』に「当村を池袋と名付けしは往古夥しき池ありしに因るなり。中古より漸次埋まりしが、今は尚三百余坪あらん。この辺の西の果は池袋と雑司谷の村境にあり」と、書かれてある。これが記されたのは文化十一年、一八一四年だ。だが、寛政十年、一七九八年に書かれた地誌『若葉の梢』には、「今は形ばかりに残れるが」と、池は形ばかりだったともある。地名発祥のもとになったといわれる丸池は今は跡しか残っていないが、かつては白蛇が住んでいると人々におそれられていた。また『新編武蔵風土記稿』では、「池袋村は地高くして……その辺窪地にして池形袋の如くなれば」と地名の由来が記されている。>

 

感想)この本は池袋のダークな世界を取材したルポルタージュで、章のタイトルを列記すれば自ずと内容は察せられそう。

 

第一章 池袋の怪 第二章 史上最高齢のSM女王様

第三章 池袋の女 第四章 変態ママと殺人

第五章 池袋の死 第六章 街娼は駅前に立つ

第七章 池袋の宿 第八章 埼玉県の植民地

第九章 池袋の疫 第十章 東口と西口の間

 

ノーマルな神経を持った方々にはついていけそうもない内容が盛りだくさんなので詳しい内容には踏み込まないでおこう。

ただ、このような世界を心地よく感じ、自分の居場所がここにある(ここにしかない)と感じている人々がいることも紛れもない現実であろう。高校二年の六月に池袋アートシアターで『裏切りの季節』(大和屋竺監督)『女学生ゲリラ』(足立正生監督)を鑑賞し、池袋文芸坐(現新文芸坐)のオールナイトに毎週通い続けた我が青春の街池袋。池袋の危険な猥雑さを愛する者には必携の一冊。