『にっぽんぱらだいす』『ブルージャスミン』『ディア・ハンター』他、2022.12月 | レイモン大和屋の <シネ!ブラボー>

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映画感想、読書感想を備忘録として書いてます。
三浦しをん氏のエッセイを愛読しています。
記憶に残る映画と1本でも多く出会えることを願っています。

12月の映画鑑賞記録Ⅲ、前回1月11日の記事の続きです。

鑑賞後時間が経過している作品もあり、記憶違い、誤記、皆様の作品評価と違う際はご容赦ください。

★5が満点 ☆は0.5点

 

 

 

 

『にっぽんぱらだいす』1964年

監督・脚本・前田陽一 撮影・竹村博 音楽・山本直純

 

出演 香山美子、ホキ・徳田、長門裕之、加東大介、加賀まりこ

   益田喜頓、勝呂誉、浦部粂子、柳沢真一、中村雅子、原泉

   菅原文太、上田吉二郎、長門勇、菅原通済 他。

 

 昭和20年(1945年)連合軍が日本に進駐し、日本は国民外交の円滑な発展を計るという名目で、R・A・A(特殊慰安施設)を開設した。桜原という赤線地帯の業者、蔵本大典(加東大介)も疎開させていた店の娘達を連れ戻し、R・A・Aで働かせていた。その中におさげ髪の処女、光子(香山美子)もいた。

然しR・A・Aも性病の蔓延を防ぐというGHQの指令で閉鎖。

蔵本は自分の店の女を連れ再び桜原に戻り、廓を復興し「日ノ丸楼」と名づけた。そんな時、一人息子の希典が復員して来るが、父の商売を嫌って家を飛び出した。

昭和28年(1953年)「日ノ丸楼」も「ハレム」と改称、

なじみ客のにわか成金紀ノ国屋(益田喜頓)が光子を水揚げ、妻(浦部粂子)の了解を得て妾にした。そんな中、女子大生楠千恵子(加賀まりこ)が「日本売春史」という論文を書くために「ハレム」にやって来る・・・(松竹公式サイトより)

 

1945年の終戦から昭和33年(1958年)3月の売春防止法発効によって公娼としての売春婦が消えていく時代の、風俗の変遷とそこで働く女たちの生きざまをユーモアとバイタリティ、情感を込めて描いた前田陽一監督の隠れた傑作。

 

香山美子の代表作とも言っても過言ではなく、バイタリティ溢れるホキ・徳田やコケティッシュな女子大生加賀まりこも魅力で、硬派の復員軍人に扮して菅原文太も出演している。

 

とかく湿っぽくなりがちなこの種の作品には珍しい明るさとユーモア、ある種の悲哀が溶け込んだ稀少な日本映画。★★★★★

 

 

 

『パラサイト 半地下の家族』2019年

監督・脚本・ポン・ジュノ 脚本・ハン・ジンウォン

撮影・ホン・ギョンピョ 音楽・チョン・ジェイル

 

出演 ソン・ガンホ、チャン・へジン、チェ・ウシク、

   パク・ソダム、イ・ソンギュン、チョ・ヨジョン 他。

 

半地下のアパートに住むキム(ソン・ガンホ)一家の四人は全員失業中で、ピザの箱を組み立てる内職を家族全員でやっているが支払われる賃金はわずかだ。

ある日大学に通う友人からIT企業の社長の娘の家庭教師の仕事を依頼された息子ギウ(チェ・ウシク)は大学生になりすまし、

エリート社長パク家(イ・ソンギュン)の高校生の娘ダへ(チョン・ジソ)の英語教師として採用される。

 

娘と恋仲になったギウは妹のギジョン(パク・ソダム)を息子の美術教師に、続いて父を社長の専属運転手に、母を家政婦としてパク家に送り込むことに成功する。

ある夜、息子の誕生日で郊外へ泊りのキャンプに出掛けて留守になったパクの豪邸で浮かれていたキムの家族は不審な来訪者に慄然となった・・・

 

日本以上に階級格差が激しい韓国社会の現実がユーモアとリアリティを込めて描かれている。エリート社長のパクは新しく雇った専属運転手キムの事を妻のヨンギュ(チョ・ヨジョン)に話す。「言葉や行動が度を越す瀬戸際だけど絶対に越さない、それがいい。匂いが度を越しやがる」半地下で生活するパク一家には半地下の匂いが染みついている。キムは半地下で生活していることを隠しているが、エリート社長のパクは異質な匂いを敏感にかぎとり、その匂いに我慢がならない。セレブ妻のヨンギョは同じ階級の人間たちしか知らない世間知らず。

 

大雨の夜、豪邸から逃げ出したキムが息子や娘と一緒に家に戻ると半地下のアパートは浸水して悲惨な有りさまだった。体育館に避難した息子のギウがキムにこれからどうする計画かと尋ねる。

「絶対失敗しない計画は何だと思う?無計画だ、無計画。

ノープラン、なぜか?計画を立てると必ず人生その通りにいかない。皆を見てみろ。”今日、全員体育館に泊まろう”って計画したと思うか?でもどうだ。床に転がっている。俺たちも。だから人は無計画なほうがいい。計画がなければ間違いもない。それに最初から計画がなければ何が起きても関係ない。人を殺そうが国を売ろうが知ったこっちゃない。分かったか?」

「父さんすみません」

「何を謝まる?」

「全部何もかも責任とります」

「何を言うんだ。なんで石を抱えてる?」

「これ?僕にへばりつくんです」

「お前少し寝た方がいい」

「本当です。僕についてくるんです」

 

『パラサイト 半地下の家族』は観る人によって幾通りもの面白さを感じ取れる仕組みになっていて、そこには今の韓国社会に対する批判的隠喩、寓意が埋め込まれているが、観客がそれぞれの置かれている立場から映画の観方、楽しみ方を享受できる多面性と奥行きを持っている。観客はこの作品を思い返した時、人生とは何か、社会とは何か、匂いとは何か、ギウにとって石とは何だったのかを考えるだろう。娯楽映画として楽しめ、そのあとにもう一度人生や社会について考えさせる力を持っている理想的な映画のように思えた。★★★★★

 

 

 

 

 

『ブルージャスミン』2013年

監督・脚本・ウディ・アレン 撮影・ハヴィエル・アレキサロべ

 

出演 ケイト・ブランシェット、サリー・ホーキンス       

アレック・ボールドウィン、アンドリュー・ダイス・クレイ

ボビー・カナヴェイル、ピーター・サースガード 他。

 

ジャスミン(ケイト・ブランシェット)はニューヨークで不動産業や金融業を手掛ける男性ハル(アレック・ボールドウィン)のセレブ妻だったが夫は詐欺の現行犯で逮捕された。

一文無しで借金を抱えたジャスミンは里子として同じ家庭で育てられた義理の妹・ジンジャー(サリー・ホーキンス)を頼ってサンフランシスコにやって来る。ジンジャーの住む家が予想以上にひどいので驚くが、ジャスミンには過去にジンジャーへの大きな負い目があった。

 

『欲望という名の電車』との類似点と相違点をコメントで教えて頂き興味を持って鑑賞。『ブルージャスミン』は『欲望という名の電車』を下敷きにして作られてはいる。ただ、原作を元に換骨奪胎して創作された別物の作品として立派に成り立っている。

ケイト・ブランシェットの演技の深さに魅せられ、自分に不都合な現実を見て見ぬふりをし続けてきた女性の悲劇に違いないが、ウディ・アレンの手にかかると悲劇というより、ブラックコメディのような楽しい映画にも感じられて本来はシリアスなドラマがコメディ映画のように錯覚してしまう。部屋の中で、道端で、

独り言をぶつぶつささやくジャスミンは不気味だが思わず笑ってしまうユーモアがある。

 

ジャスミンがジンジャーの新しい恋人チリ(ボビー・カナヴェイル)とその髭のダチ・エディに会うシーンの会話が魅力。

「仕事は?ジャスミン」(チリ)

「来たばかり。これから探すの」(ジンジャー)

「ほんとか?歯医者のクチがあるぜ」(エディ)

「実は学校に戻るつもりなの」(ジャスミン)

「学校?何を勉強する?」(チリ)

「さあね。大学を1年残して辞めてしまったから学位も取ってない」(ジャスミン)

「何の?」(チリ)

「人類学よ」(ジャスミン)

「化石を掘ったりするやつ?」(エディ)

「それは考古学」(ジャスミン)

「ジンジャーから聞いたよ。大変だろうな、セレブ三昧から転 落。亭主は犯罪者」(チリ)

「彼は競走馬も持ってたのよ」(ジンジャー)

「ええ、本当か?」(チリ)

「ええ、1~2年サラブレッドに熱中してたわ」(ジャスミン)

「大学で何の勉強を?当てるよ、看護師だ」(エディ)

「私そんなふうに見える?看護師に?」(ジャスミン)

「悪いか。妹は看護師だ」(エディ)

「看護師は床上手さ。体に詳しいからな」(チリ)

「妹はヤリマンかよ」(エディ)

「いやあ、すげえテクの女が・・・」(チリ)

「チリ、話題変えて。ただの勘違い男になってる」(ジンジャー)

(うわの空でボンヤリしているジャスミンを見て)

「空を見つめる癖が?ダチもよく見つめてたっけ、テンカン患者で」(エディ)

「私はちがう」(ジャスミン)

「で、何の勉強を?」(チリ)

「しつこいわね。3度目よ」(ジンジャー)

「答えない」(チリ)

「もし分かったら連絡するわ」(ジャスミン)

「悪かった。もうやめとく」(チリ)

 

会話がただの説明にならず、何気ないやり取りの中にジャスミンの今の心境や迷い、自尊心の高い性格が巧みに描き出されている。贅沢な暮らしを望み自意識が高く結局大学も1年を残して辞め、夫のハルに依存して生きてきたジャスミン。ハルが逮捕されたあと靴店で働いたりしたが、昔のセレブ仲間がジャスミンに気付いて見て見ぬふりをした屈辱感を今も忘れず恨みを抱いている。

 

サンフランシスコで知り合った独身の外交官に結婚を申し込まれ、今の仕事はインテリアデザイナー(実は現在無職)元夫の仕事を外科医(実は詐欺師)と言った嘘がバレて決裂してしまう。

ハルの逮捕で家を飛び出した義理の息子が近くに住んでいることを知り訪ね「もう、俺の人生に関わらないでくれ」と追い返される。他人に依存して生きようとするジャスミン、捨てられないプライド。人生は他人に依存してはダメ、他人まかせでは幸せになれないというテーマがストレートに伝わって来る(ウディ・アレンの考えたテーマはともかく)。

 

虚栄や出まかせの嘘、捨てられないプライド、嫌なことを見て見ぬふりの自己逃避は結局身の不幸を招く。

最後に幸せをつかんだ?のは自分の身の丈に合った相手を選んだジャスミンが頭が悪いとバカにしていた妹のジンジャー。

ベンチに腰掛けブツブツ独り言をつぶやくジャスミン、隣で新聞を読んでいた女性がそっと立ち去っていく。

ラストのブランシェットの演技は迫真性がありすぎて、本当にイッちゃってるのではと心配になった。

 

会話が多い作品なのに説明を感じさせないウディ・アレンの名人芸。ケイト・ブランシェットはセレブ役がよく似合う。

『キャロル』という作品もセレブに扮して輝いていた。

オーストラリアの舞台で『欲望という名の電車』のヒロイン、ブランチを演じている。アカデミー賞主演女優賞受賞作。

★★★★★

 

 

 

 

『地獄の黙示録 特別完全版(2001年』初公開1979年

監督・脚本・フランシス・フォード・コッポラ 

原作・ジョゼフ・コンラッド『闇の奥』 

脚本・ジョン・ミリアス マイケル・ハー 

撮影・ヴィットリオ・ストラーロ 

音楽・カーマイン・コッポラ フランシス・フォード・コッポラ

 

出演 マーロン・ブランド、マーティン・シーン、 ロバート・デュヴァル デニス・ホッパー、サム・ボトムズ、ハリソン・フォード、クリスチャン・マルカン、スコット・グレン 他。

 

1969年ベトナム戦争末期、米陸軍第173空挺旅団のウィラード大尉(マーティン・シーン)はMACVーSOG(南ベトナム軍事援助司令部)の一員としてCIAによる要人暗殺の秘密作戦に従事してきた経験を持つ。今はサイゴンで戦地を離れて無聊にさいなまれて酒におぼれる日々を送っていた。

その実績を買ったアメリカ軍上層部から、元グリーンベレー隊長・カーツ大佐(マーロン・ブランド)暗殺指令を受ける。

カーツは元々優秀な軍人であったが、常軌を逸し軍の命令を無視しカンボジアのジャングルに独立王国を築いていた・・・(Wikipediaより一部抜粋)

 

過去2回この作品に挑戦して挫折、難解な映画という評判から再々チャレンジを見送っていた作品をようやく制覇(とはややオーバーか)。今まで最後まで観なかった事を後悔するくらい面白く、難解な映画でもなかった。

制作サイドが難解な映画になり観客にそっぽを向かれ興行成績が惨敗になることを恐れたせいでもないだろうが、オープニングのドアーズの曲をはじめ、ウィラード大尉のモノローグによる説明、カーツの告白などによって観客はこの作品のテーマを自分なりに消化し理解することは十分可能なのではあるまいか。

 

オープニング。

遠景で捉えられた緑色のヤシ林。ヘリコプターが通り過ぎ下から黄色い煙が立ちのぼる。一瞬にして炎に包まれるヤシ林。

音楽が流れる「これで終わりだ 美しい友よ これで終わりだ ただ1人の友よ 築きあげた理想は もう二度と君の瞳を見ることはないだろう 心に描けるだろうか 限りなく自由なものを あえぎながら見知らぬ人の助けを求め 絶望の大地をさまよう 果てしない苦悩の荒野に 進むべき道を失い すべての子供たちは 狂気に走る すべての子供たちは 狂気に走る 夏の雨を待ちわびて」

 

オープニングの数分間のシーンで観客は作品のテーマを理解する糸口をドアーズの歌によって提示される。

ウィラードによるカーツの経歴と自分自身の内面がモノローグで紹介されることでこの作品から難解さが消え、観客はウィラードの内面に寄り添うことが可能になる巧みな映画術。

ウィラードの内面がモノローグで語られる。

「故郷(くに)に戻った時はひどかった 目覚めた時の空しさ  戦場では故郷を思い 故郷ではジャングルに戻ることばかり考えた ここに来て1週間指令待ちだ 身体がナマル 部屋の壁が俺に迫る 戻っても故郷はもうない 故郷に戻る道は2つ 死か勝利」

 

ウィラードは故郷に帰ることすら望んでいない。この戦場で朽ち果てていく運命を予感しているかのようだ。べトナム戦争に対する自分の思いも語っている。

「カーツが怒ったのも当然だ。この戦争は四つ星のお偉方が演出している道化芝居だ。米軍兵士のべトナム駐屯限度は1年。

彼らは戦争を横目で見ているツーリストだ。彼らの要求は冷えたビールと温かい食事、ロック音楽。当然戦力は弱体化する。

ベトコンに慰安はない」

 

河をさかのぼってカンボジアに向かったウィラードの一行はフランス人入植者の農園で一夜を過ごす。そこでフランス人の未亡人がウィラードに語りかける。

「あなたって人間は2人いる。”殺すあなたと愛するあなた”  夫は言ったわ ”僕はケダモノなのか神なのか” その両方なのよ。あなたは生きてる、それが大事なのよ、あなたは生きてる そうでしょう?あなたって人間は2人いる 人を殺すあなたと人を愛するあなた」

同じ言葉を最初と最後に繰り返し強調している所にコッポラからのメッセージ的なものを感じる。(初公開の劇場版ではカット)

ウィラードの本音もモノローグで説明される。

「俺の任務はカンボジアに潜入しイカレたグリーンベレーの大佐を殺すことだ。ケッコーな話だぜクソッ!それがべトナムだ。

味方を殺しにこんな所まで、すばらしい!うれしくて涙が出る クソッ!そんな話があるか」

 

やがて一行(この時点で5名のうち2名が死亡。残ったのはウィラード、ランス、チーフ)は河の終点に辿り着き、ウィラードはカーツと対面する。(カーツが登場するのは2時間38分のあたり)カーツはウィラードに問いかける。

「君は考えるか?”真の自由”とは何か?他人の意見にとらわれぬ自由、自分からも解き放たれた自由、私の作戦手段が不健全?

君は殺し屋か?」

「軍人です」

「どっちでもいい。使い走りの小僧だ、店の主人に言われて勘定を取りに来た・・・」

 

カーツに捕らえられたウィラードの前に投げ出されるチーフの生首

 

「空ろな人間たち 互いにもたれ合っているわら人形 頭の中にはわらが詰まっている ひからびた囁き声は低く すべて無意味

枯れ草を渡る風 破れガラスの下を走るネズミの足音 りんかくのない形 色のない影 マヒした力 動きのない身振り 彼は家族を捨て 自分をも彼をすてた 彼ほど苦悩に引き裂かれた男をおれは知らない 私は地獄を見た 君が見た地獄を だが私を殺人者と呼ぶ権利はない 私を殺す権利はあるが 私を裁く権利はない 言葉では言えない地獄を知らぬ者に 何が必要かを言葉で説いて分からせることは不可能だ 恐怖 地獄の恐怖には顔がある それを友とせねばならぬ 恐怖とそれに怯える心 両者を友とせねば一転して恐るべき敵となる 真に恐るべき敵だ」

 

「君が私を理解するなら君が殺ってくれ」

 

「これで俺は少佐に昇進 軍隊などどうでもいい 皆が殺る時を待っていた 特に彼が 俺が苦痛を取り除くのを彼は待っていた 軍人として死ぬことを願っていた みじめな脱走兵としてではなく ジャングルを彼の死を求めていた彼の城であったジャングルを 地獄だ 地獄の恐怖だ 「爆弾を投下してすべてをせん滅せよ」」

 地獄だ 地獄の恐怖だ

ウィラードがカーツを殺すシーンに未開人たちが神への供物として奉げる牛の屠殺シーンが重ねられカットバックされる。

戦場では人間的な理性は失われカーツは戦場で人間の理性の限界を超えてしまう。CIAの要人暗殺者として生きてきて戦場で地獄を見たウィラードもカーツと同じ運命を辿る。

カーツを殺したウィラードが今度は神に祀りあげられる。

何とむなしい神。

やがてウィラードとランスは哨戒艇に乗り込みジャングルを去っていく。

 

カーツの人物像はミステリアスだが、戦場で常軌を逸した経験を語るシーンなどから理解の糸口は見つかりそう。

映画内でカーツの愛読書として示されるT・S・エリオットの長編詩『荒地』やフレイザーの『金枝篇』を読んでいれば(どちらも未読)更に後半シーンの理解が深まるかも知れない。映画公開前の長谷川和彦のインタビューで「この映画のテーマは何だ」という質問に、コッポラは「撮っていて途中から分からなくなった」と答えている。撮影中のトラブルが多すぎてコッポラも混乱の極みだったのだろうか。マーティン・シーンが演じたウィラード役は、当初ハーヴェイ・カイテルで撮影されたようだ。(Wikipedia情報)

★★★★★

 

 

 

 

『ディア・ハンター』1978年

監督・脚本・マイケル・チミノ

脚本・デリック・ウォッシュバーン

ストーリー・マイケル・チミノ

      デリック・ウォッシュバーン

      ルイ・ガーフィンクル

      クィン・K・リディカー

撮影・ヴィルモス・シグモンド

音楽・スタンリー・マイヤース

 

出演 ロバート・デ・ニーロ、クリストファー・ウォーケン、

   メリル・ストリープ、ジョン・カザール・ジョン・サベー

   ジ、ジョージ・ズンザ、チャック・アスペグレン、

   ルタニヤ・アルダ、シャーリー・ストーラー ほか。

 

1960年代末、ペンシルベニア州クレアトン。鉄鋼所に働く仲間、マイケル、ニック、スティーヴンの3人は、スティーヴンの結婚式の2日後、共にヴェトナムに出征する。平和な田舎町に住み、鹿狩りを楽しんでいた若者たちは、戦場での過酷な体験で何を得、何を失ったのだろうか?

『ディア・ハンター』は、アメリカの若者たちがヴェトナム戦争によって受けた心の傷を重量感のある演出で描き切り、人々に深い感銘を与えた傑作である(DVD解説)。

 

オープニングで朝もやの中を走るタンクローリーが高架下を走り抜け、坂道を下っていく背景の空が紫色に染まっている。

八神純子の『パープルタウン』という曲に「紫に煙る夜明け~」という歌詞があるが、「紫に煙る夜明け」がアメリカには本当にあったんだと『ディア・ハンター』の冒頭シーンを観て感動した。

 

ストーリーは分かり易い三部構成になっている。

一部では、主人公三人が暮らす故郷ペンシルベニア州クレイトンの自然豊かな田舎町での暮らしが、二部でベトナム戦争の戦場に赴いた三人の過酷な体験、三部で故郷に帰還したマイケルとスティーヴン、サイゴンにとどまり精神を病んだニックとニックを故郷に連れ戻すためサイゴンに渡るマイケルが描かれる。

 

鉄鋼所で夜勤の仕事を終えた三人はほかの鹿狩りの仲間たちと

一緒に馴染みのジョンの酒場で一杯やり、ビリヤードに興じる。

スティーヴン(ジョン・サベージ)は今夜が結婚式だが、花嫁のアンジェラ(ルタニヤ・アルダ)は妊娠していてスティーヴンの子供ではない。スティーヴンの母(シャーリー・ストーラー)は教会(ロシア正教会)の神父に腹ボテの花嫁を嘆く。

ニック(クリストファー・ウォーケン)の恋人リンダ(メリル・ストリープ)は正気をなくした酒飲みの父に殴られて顔にあざをつくる。マイケル(ロバート・デ・ニーロ)は鹿狩り仲間のリーダー的存在で特にニックとは親友の間柄。マイケルはニックの恋人、リンダに秘かな思いを寄せている。

 

スティーヴンの結婚式が教会で挙行され、その後結婚披露宴と、ベトナムへ徴兵される3人の壮行会が町の人々を集め盛大に開催される。翌日、鹿狩りに出かける仲間たち。翌月曜日は3人の出征の日。

 

ベトナムの戦場で3人は偶然再会するが、捕虜としてとらえられ、スティーヴンは精神に異常が見え始める。ベトナム人民軍兵士による捕虜たちへのロシアンルーレットの強要。マイケルとニックは隙をみて敵を射殺、どうにか脱出しニックは米軍のヘリで救出され、マイケルとスティーヴンは川に落ちるが、その後スティーヴンは北軍のジープで病院に移送される。

 

グリーンベレーの英雄として故郷に帰還するマイケル。

仲間たちがマイケルの帰りを待ちわびるが、マイケルは家を素通りしてホテルに泊まった。翌朝仲間たちが引き揚げたあとリンダが住む家に入るマイケル。思いがけないマイケルの姿に驚きと喜びを隠せないリンダ。ニックから手紙や電話の連絡はないようだ。リンダの勤めるスーパーへ車で送ったあと鹿狩りの仲間と再会するマイケル。そこで、スティーヴンが帰還しているが居所が分からないと知らされる。スティーヴンの妻アンジェラを訪ねたマイケルはスティーヴンの居場所を聞き出す。

スティーヴンの居る陸軍病院でニックの消息を知ったマイケルは陥落寸前で騒然とするサイゴンに向かう・・・

 

ベトナム戦争が背景になって、特にロシアンルーレットのシーンなどは目を背けたくなるが、『ディア・ハンター』は青春映画、恋愛映画としての深い描写と感動ゆえに今も多くの映画ファンに愛され続けている。

時に喧嘩や言い争いもあるが鹿狩り仲間たちの変わらぬ友情、

ニックの恋人リンダに思いを寄せ、親友の恋人ゆえに自分の気持ちを抑え境界を超えまいとするマイケルの気持ち。

それを感じていながらやはりニックが忘れられないリンダ。

「人生がこうも変わるものとは」(リンダ)

「意外だ」(マイケル)

 

ニックの葬儀のあとジョンの酒場に集まったマイケル、リンダ、スティーヴン、アンジェラ、スタン、アクセル、ジョン。

ジョンがスクランブルエッグを作りながら思わずハミングする 合衆国第二国歌、ゴッド・ブレス・ザ・アメリカ。

全員がハミングし、リンダが歌い始め全員が後に続く。

 

神よアメリカに祝福を

我が愛する祖国に

見守り導き 頭上より光もて

夜の闇を 照らしたまえ

山並みから平原 白く泡立つ海辺まで

神よ アメリカに祝福を

マイ・スイート・ホームに

我がいとしの祖国アメリカに

神よ祝福を

 

鹿狩り仲間の一人、スタンに扮したジョン・カザールの遺作。

エンディングに流れるジョン・ウィリアムズのギターが胸に沁みる。ラストのストップモーションの乾杯シーンとそれに続く出演者たちの紹介。マイケル・チミノに乾杯。

 

★★★★★