5月に読んだ本(Ⅱ)『女騎手』『ザ・ゴールデン・カップスのすべて』他 | レイモン大和屋の <シネ!ブラボー>

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映画感想、読書感想を備忘録として書いてます。
三浦しをん氏のエッセイを愛読しています。
記憶に残る映画と1本でも多く出会えることを願っています。

5月中旬に図書館で借りた本の感想その2。

 

(パソコンの状態が悪いので途中で入力出来なくなる可能性があり、その場合途中までのものを投稿しますのでご了承下さい。)

 

自分のための備忘録として文章を一部抜粋、引用しています。

 

『女騎手』 蓮見恭子 (角川文庫)

 

<二度目のゲートインは順調だった。呆気ないほど簡単にゲートが開かれる。出鞭を入れて、ダリアにゴーサインを送った。馬は機敏に反応し、内柵(ラチ)に沿って走りだす。十六頭の馬が地響きをたてて坂を駆け上って行く。スタンドから悲鳴が上がり、晴れ渡った空にこだました。その声で何かアクシデントがあったと分かったが、私は振り返らなかった。ダリアは快調に飛ばし、先頭に立とうとしていた。ここで気を抜く訳には行かない。果敢に馬を前に出して行く。外側に目をやるも、競りかけてくる馬はいない。思い描いた通り、ダリアは第一コーナーを先頭で通過し、十五頭の馬を従える形となった。先頭に立つと、まともに風を受ける事になり、気持ちが良かった。逃げ馬の良いところは、前の馬が蹴散らす砂埃や泥を被らずに済むところだ。それだけが理由ではなく、私は逃げ馬が好きだ。現在、いや、デビューした年からずっと、私の成績は後ろから数えた方が速いというお粗末さだ。それが、レースで馬を先頭に立たせれば一番の気分を味わう事ができる。今、飯田を筆頭としたトップジョッキーらが後ろを走っている。気分は最高だ。>

 

<騎手はレースの前日十八時までに調整ルームに入り、一旦入ったら自由に外出はできない。笠原はサウナにいた為、皆の前に姿を現さなかった。しかし、だからといってこっそり抜け出して岸本を襲い、何食わぬ顔をして戻ってくるのは無理だ。トレセンに入るには、守衛が守る関門を通るしかない。塀は刑務所並みの高さがあり、よじ登って侵入する事は不可能だ。外部からの侵入者が犯人とは考えられず、内部の者による凶行と絞られてくる。厩務員の仕事は十七時半に終わる。そして当番を残して帰宅する。生き物が相手の仕事なのだから、トレセンの休日である月曜の出勤もローテーションで決められており、厩舎内が無人となる事はない。厩舎には調教師の住居も設えられているが、外に家を建てる調教師も多い。確か、岸本も栗東市内に大豪邸を建てており、現在はそこで芳美と二人暮らしだ。そして、陽介と龍太郎を厩舎に住み込ませていた。事件当日、陽介は意識不明のまま病院に運ばれ、龍太郎は調整ルームに入っていた。だとしたら、厩舎には当番の厩務員がいただけとなる。可能性としては、警備が手薄な時間帯に何者かが厩舎に侵入したという事が考えられる。凶器を持った男に岸本が襲われるのを目にしたとしても、厩務員一人では対抗しきれなかったかもしれない。そこまで考えて、はたと立ち止まる。>

 

<北海道の日高本線は、その名の通り日高を走る電車である。

苫小牧 ー 様似間、日高門別、新冠、静内、浦河などの馬産地を結んでおり、競馬関係者にとっても馴染みが深い路線だ。乗車は私と父、二人の貸し切り状態だったが、乗り降りのない無人駅にまで各駅停車する。父と旅行するのは初めてだった。雄大な太平洋を右手に見ながら、列車は海岸線を行く。本州の温暖な土地では、決して見る事のできない景色の中を ーー。窓下に迫る灰色の波、錆の浮いた小屋、打ち捨てられた船、材木の山。そして、砂浜で休む海鳥の群れ。車窓から眺める冬の海はわびしい。>

 

感想)栗東(りっとう)(滋賀県にあるJRA(日本中央競馬会)のトレーニングセンターや厩舎がある)の鷹野厩舎に所属する騎手・紺野夏海は久々のレースを逃げ切りで勝利した。そのレースで二頭の騎手が落馬した。落馬した騎手の一人・岸本陽介は夏海の幼馴染で同期に競馬学校を卒業した仲であったが、意識不明のまま病院に搬送される。その夜、陽介の父、岸本厩舎の調教師・岸本圭司が何者かに襲われ重体で発見された。警察の捜査は進展を見せなかったが、やがて岸本厩舎の厩務員、里中浩一が逮捕され犯行を認めた。里中の妻ミチルは夏海と同じ騎手だったが、デビューして間もなく引退していた。純朴な好青年である里中浩一が岸本調教師を襲ったことに何か裏の事情、人間たちが関与していると直感した夏海は独自で真相究明に動きだす。

 

競馬関係の小説は騎手や調教師が主人公であれば、多くが八百長や違法薬物などが関係し、競馬記者(競馬マスコミ関係者)や一般人が主人公であれば、ギャンブルとしての馬券(ノミ行為も含む)が中心になりそうだが、この『女騎手』という作品はタイトルの通り女性騎手を主人公にして、競馬社会に関わる騎手、調教師、調教助手、厩務員、その家族、馬主という特殊で狭い世界にうごめく人間たちの苦悩にスポットがあてられ、経済動物として多くは儚く短い生涯を終えるサラブレッドたちへの哀悼が込められた、競馬推理小説としては異色の作品になっている。

 

「馬は流れていくもの ーー、そう割り切らない事には馬の仕事はできない」そう夏海は語っているが、心ある競馬ファンはおそらく夏海と同じ気持ちを持ちつつ競馬(馬券)と関わっているのではないだろうか。近年『ウマ娘』の登場で女性の競馬ファンも増え、女性競馬記者も増えている。ちなみにサンケイスポーツの三浦凪沙(なぎさ)記者は横浜DeNAベイスターズ監督、三浦大輔氏の長女。 BSイレブン競馬中継不定期出演中

 

 

著者略歴 蓮見恭子(はすみきょうこ)1965年11月9日 大阪府堺市出身、大阪芸術大学美術学科卒 2000年頃から「創作サポートセンター(当時は大阪シナリオ学校エンターテインメントノベル科)」を受講、作品を書き始め、2010年『女騎手』で横溝正史ミステリ大賞優秀賞受賞、2021年9月JRA(日本中央競馬会)運営審議会委員就任。

 

 

 

 

 

『AV女優の社会学 なぜ彼女たちは饒舌に自らを語るのか』 

鈴木涼美 (青土社)

 

<新宿の外れにある飲食店に時折姿を見せる女子高生たちは、大抵は無料の飲食やカラオケを楽しんで夜は自宅に帰っていった。店で会計するのはサラリーマン風の男性たちで、彼女たちに求められるのはその見ず知らずの男性たちとあまり無愛想にせずに話したりリクエストの歌を歌ったりすることだ。そして、時に手でもつなげば人気者になる。

私の育った時代の私の育った街は、日常的にこうした光景を内包する街だった。誰からも傷つけられず、同じクラスの男子がファストフード店や引越屋での一ヶ月のパートタイムで手にする金額を一日で手に入れられる仕掛けがいたるところに転がっていた。エリート高校の日常からも、家族の輪からも、大学や企業に続く道からも逸脱せずに、「性の商品化」の現場に加担できる仕組みが整っていた。>

 

<私は一九九九年に女子高生になったが、すでに東電OLのような引き裂かれるほどの必死さとは程遠く、性の商品化の現場を通ってきた。私たちの立っている場所から飛躍や墜落を必要としない手が届くところに性の商品化の現場はあり、より過激な現場もまた、そこから地続きのところに存在する。この街で、女子高生として女子大生としてOLとして、私はそのような感覚を捨てきれずに生活してきた。地続きのものでありながら線の引き方によっては軽蔑される、羨望される、賞賛される仕組みについて、不思議に思う気持ちを捨てきれずにいた。デートと援助交際、結婚と売春が曖昧に、そして完全に異質である事態を当たり前に思いながら、説明する知識も技術も持たなかった。>

 

<ただし、再生産され続けていくその姿を、社会的に「つくられた」ものだとして冷やかな目で見たところで、彼女たちには何のショックも与えないだろう。業務をこなしていく中で事後的に獲得されたものであれ、もともと彼女たちに備わったものであれ、彼女たちがその「自由意志」の気分を持って、逞しく「AV女優」を全うしていることに違いはない。おそらくその気分こそが、私たちの生きる街の性の商品化をきらきらした魅力的なものにしているのだろうし、これまで紙の上で語られてきた「性の商品化」や「セックスワーク」と、彼女たちの日常を隔てる最も重要な仕切りでもあるのだ。そしてそのAV女優たちの気分は、私たちと彼女たちを差別化するものではなく、それらが地続きにあるからこそ獲得されるものなのである。少なくとも私たちの気分と彼女たちの気分が、もともと全く別物であったならば、彼女たちは自由意志を獲得する必要すら感じないはずなのだ。>

 

感想)副題に「なぜ彼女たちは饒舌に自らを語るのか」とあるように、筆者の興味、関心の中心はAV女優が生まれる実際の現場に立ち会い、AV撮影の現場を生で体験することで見えてくるAV女優たちの真実の姿に近づこうとする試みにある。AV女優たちがビデオの中のインタビューに答える中で見えてくるAV女優の変化(単体女優(主演・女優は一人のみ出演、専属契約で月一本の出演)から企画女優(複数の女優が出演・フリー)への移行がもたらす彼女たちの意識(モチベーション)の変化への興味。世間一般が持つAV女優たちへの認識とAV女優自身が持っている意識のズレに対する違和感。都会育ちの筆者は高校時代から「性の商品化」(下着などを高額で売るいわゆるブルセラ族など)を日常的に受け入れ、大学時代はキャバクラ嬢の経験もある、言わば「性の商品化」を当たり前のように受け入れていた世代だ。

AV女優への世間一般の認識がこの本や数多あるAV関係の社会学的観点からの考察によって劇的変化が起きるとは考えられないが、そういった学術的研究?とは遠いところでAV女優たちは生きている。

 

著者略歴 鈴木涼美(すずきすずみ)1983年7月13日 

東京都中央区出身

慶応義塾大学環境情報学部卒 東京大学大学院学際情報学府修士課程修了 2009年4月、日本経済新聞社入社。2013年6月『AV女優の社会学』(青土社)刊行。2014年、日本経済新聞社退社。父は法政大学名誉教授鈴木晶 母は翻訳家の灰島かり。本名は鈴木碧 高校時代は「ブルセラ少女」でクラブ、カラオケ三昧で過ごす。横浜、新宿のキャバクラ嬢として働き出し、大学在学中に佐藤るりとして20歳でAVデビュー。80本近くの作品に出演する(2004年~2008年)。のちにAV出演の過去を明らかにする。21歳時、単体作品ギャラ80万源泉税引き72万。多彩な肩書を持つ文筆家として活躍中。作家、社会学者、元AV女優、元日本経済新聞社記者 (ウィキペディア参照)

 

『AV女優の社会学』では参与観察という立場でAV現場の取材をしたことになっているが、彼女自身AV女優であった。この著作は、東京大学大学院修士課程の学位論文として書かれたものがもとになっている。

 

 

 

 

『リーダーのための「人を見抜く」力』 野村克也 (詩想社新書) 

 

<京都の田舎の高校しか出ていない私は、学歴コンプレックスが強かった。そこで私は自分にはない知識を得ようと、本を読み漁った。そのきっかけを与えてくださったのは、評論家の故・草柳大蔵先生である。野球評論家として歩み出した私は、その基本を勉強したくて、草柳さんのご自宅を訪問し、アドバイスを求めたことがある。書斎に通された私は、その膨大な数の本を見て呆然とし、己の無学や無知を改めて思い知らされた。草柳さんから、「もっと本をお読みなさい」とそのとき言われたことがきっかけとなり、政治、経済、哲学、小説など、ジャンルにこだわらずさまざまな本を読みあさった。この時期の読書の経験が、私の監督としての基礎固めだったともいえる。>

 

<私の言葉が説得力をもっているのだとしたら、それはこのときの読書経験の賜物である。また、「生涯一捕手」という言葉も、草柳さんから教えていただいた作家の吉川英治先生の「生涯一書生」がもとになっている。チームの指揮官ともなれば、コーチや選手を納得させるための「言葉」が必要になってくる。自分の編み出した方法論や考えを人に伝えようとしても、言葉を知らなければうまく伝えることができない。そうしたときに各界の偉人が書き残した言葉は実に的を射ていて、誰にでもわかりやすくとても役に立つのだ。そのような意味から、私は読書の必要性を強く感じている。ただし、気をつけなければならないのは、目的意識もなく、ただ漠然と読んでいるだけでは意味がないということだ。私は常に野球を意識しながら、「野球だったらどうなるか」と頭の片隅で考えながら読書をしていた。>

 

感想)野村克也の人生は野球道を究めようとする野球人生であり、人間道を貫く自己探求の生涯であったことを改めて感じた。

東京ドームでシダックス監督時代の赤いユニフォームを着たノムさんを見れたのはいい思い出。

 

 

 

 

『ザ・ゴールデン・カップスのすべて』 和久井光司編 (河出書房新社)

 

<横浜・本牧というところには、むかしもいまも電車が通っていない。JR(京浜東北)根岸線の「石川町」か、いまなら東急みなとみらい線の「元町中華街」からバス、というのが東京方面からの最短の交通手段で、クルマがなければ非常に不便な地域である。>

 

<もともと本牧はチャブ屋と呼ばれる売春宿で知られる町で、戦前から小港町など海岸側の路地にはちゃぶ屋が並び、本牧和田、本牧三之谷といったあたりは住宅地という、独特な一帯だったらしい。港町・横浜の”ディープ・サウス”としての必然を感じさせる宿命が本牧にはあったのかもしれないが、港を仕切るヤクザや中華街を牛耳る華僑の目にはとどかない微妙な位置が生むある種の「解放」と、”フェンスの向こうのアメリカ”の自由が相まったのだから、60年代半ば、本牧特有の不良感覚が生まれたのも納得がいく。本牧にGIが繰り出すようになるのはベトナム戦争を受けてのことで、1944(昭和19)年に本牧で生まれたデイヴ平尾の記憶によれば、中華街からGIが流れてくるようになって本牧は一変したというのだ。ビートルズの人気が日本でも爆発した64年の暮れ、そんな本牧にレストラン・バーGOLDEN  CUPが誕生する。京都からやって来た上西四郎が始めたこの店で、デイヴ平尾(当時は時宗)とグループ・アンド・アイが演奏するようになるのは65年の秋、そこから横浜ロックの歴史が本格化するのである。>

 

<ー 優作さんもカップスを知ってたんでしょうね。

「おそらくね。びっくりしたのが、原田芳雄さんがカップスのファンなの。”当時何やってたんですか?〟って訊いたら、”横浜にいた〟って、”えっ、芳雄さん横浜なの?〟って言ったら、”ちがいますよ。横浜で地下鉄の工事やってた〟って(笑)」ー エディ藩>

 

<僕が入ったばかりの時は、うしろの方で聞いている客がガムとか投げるんですよ。「なんでカーナビーツなんかにいたあんなカッタリー奴、ドラムに入れるんだよ」なんて。しかも女の子のファンが。僕なんて腰が低かったから ーーもっと男らしくしてればいいんだけど(笑)ーー アイ高野だからこうなんだって言われないように、チクショーって努力しましたね。ー アイ高野>

 

<みんな個性的だったでしょ?デイヴとかインディアンとのハーフだとか言って、真っ赤な嘘つくんだけど、それが許せる人格者なんですよ。エディはチャイニーズの息子だから、すごい大陸的っていうか、インターナショナルな感じがして。マー坊は、凶器っていうのかな?スゴみのあるベース弾いてましたし、カッコよかったなー。マモルはある意味都会的な、洗練された二枚目っていうんですかね?そういう感じがしましたね。またケネスというのが、なんともこう、掴みどころのないチャーミングさもあったりして。それがひとつになってましたから、同じ音楽を演っている僕らから見てもめっちゃカッコよかったな。ー 鈴木ヒロミツ>

 

<で、ステージが終わって帰って行くときに、自分も楽屋にスッと入って行って、マネージャーの方に自分の気持ちを伝えました。「ゴールデン・カップス」が好きで、このまま高校を続けても自分の中で何も得るものがない」みたいなことを言ったんだと思います。そしたら非常に困り果てていて、「いや、うちはそういうことしないんだよね」って。そのときにデイヴ平尾さんがいらして、めちゃくちゃいじめられましたね。あらゆる罵詈雑言を言われて、なんて酷い人だって思いました。僕、涙目になっていたぐらいでしたから。でも、本当に優しかったのが、加部さん。「いいじゃん、一緒に来れば」って言ってくれたんです。それから1ヵ月ぐらいボーヤをやりましたが、捜索願いも出ていたし、結局家に連れ戻されました。ー 土屋昌巳>

 

感想)2004年に公開された映画『ザ・ゴールデン・カップス ワンモアタイム』でバンドメンバーインタビューなど、映画では未公開だった部分を補完しつつ、カップスのすべてが網羅されたファン必読の一冊。ある時期からカップスに関する情報はほぼゼロだったので、この本で沖縄公演の火事事件や柳ジョージ氏やアイ高野氏が一時期カップスのメンバーだったと知ったのは青天の霹靂だった。デイヴ平尾氏のインディアンのハーフ(ジョーク?)には笑ってしまう。加部さんはやっぱりイイ人だったんだな。

 

 

 

 

 

 

『富士』 武田泰淳 (中公文庫)

 

<いかに火田自身の頭がよかろうと(これは皮肉やからかいではなく、まともな意味においてである)患者たちのおちこんでいるおそるべき混迷の森林、孤独の泥沼の奥の奥、底の底から、一般社会で通用している基準の力を借りて、ほんものの頭のいい奴と、ニセものの頭のいい奴とを、ふるいわけ拾いあげることなど到底不可能であるからだ。私自身だって、そのような身のほど知らずの判断と選定をなしうるほど私の頭脳(あるいは精神)が、うまく充分にはたらいてくれるなどとは、一度も考えたことはないのであるから。>

 

<もしも君が哲学ではなくて、文学方面に傾いているのなら、ここらで『スタンダール曰く』と申しあげたいところだ。スタンダールとドストエフスキーのいずれを選ぶかとなれば、おそらく君はドストエフスキーに清き一票を投ずるであろう。よろしい。どうぞ、君の心からなる一票を、あのロシア文豪に投じて下さい。だが、あのテンカン病患者の描いた女性群には、少し臭気が不足しているんじゃないでしょうか。多少の女くささがキャッチされ表現されているにしても、そのニオイは、あまりにも精神的ニオイでありすぎるんじゃないでしょうか。たしかにドス翁は、女らしい女を、ゆたかに抜け目なく描き出して下さった。だが、あのドス翁は女のニク、女のくささ、女のたまらないほどくさいいやらしさをあたかもそれが男性をもふくんだ人類全体の通性として、いわば救いあるものとしてしか、描こうとしなかったのです。ということは、あの気ちがい的天才にとっては、深大なる人類の苦悩がありさえすれば、女の臭気なんかなくたってさしつかえがなかったんだ。そう断言したっていいくらいなのです。気になるな。君の肩の上にとまった。その白い蝶は。そのみじめったらしい、今にも死にそうな弱々しさが気になるな。そいつは血もないくせに貧血している。歴史もありはしないのに、まるで歴史的受難者みたいにしているじゃないか」>

 

<「おれはまだ死んじゃいないよ」とつぶやいたあと、大木戸は、それをきっかけにして死の崖っぷちに急速に近づいていた。室内に残っていた我々のうちの誰が、その暗い崖っぷちにどんな冷たい風が吹きつのっているか、真実、おもいやっているひまがあったろうか。まだ確実に生きている一条、その一条めあてに病室をとび出して行った火田軍曹は、もとより大木戸の死などチラリとも念頭においていなかったにちがいない。院長、医師、婦長、看護長、われら病院側の勤務者全員が守らねばならぬのは、この病院全体であって、非常用病室に運びこまれた一てんかん病患者ではなかった。全体を守る?全体を?守る?全体とは何か、守るとはどういうことか、それをつきつめて考えるひまもなしに、ただ我々は「何かせねばならぬ」と、あわてふためくばかりだった。>

 

<ーー すべては、くりかえしにすぎないのかも知れない。毎日毎日は、もしかしたら食べては眠り、めざめては食べる、そのくりかえしにすぎないのかも知れない。今や私は、大木戸孝次のあの日記。食事と睡眠と、てんかんの発作に対する怖れ。ただそれだけを、希望もなく喜びもなく書き綴り書き続け、書き残していった胸中を、完全に理解することができた。>

 

感想)相米慎二監督が武田泰淳の『富士』の映画化を考えていたとブロ友さんに教えてもらった。文庫版で正味670ページ以上の長編でとても一回読んだくらいで理解できるものではないが、作中、精神病患者の一条実見の言葉にあるように、この作品はドストエフスキーのある種の肥大化した観念的理想論に対して人間の観念を含めた肉欲的観点から捉えた武田泰淳の大乗的、肉体的アンチテーゼのように感じられた(まったく見当違いかも知れない)。その辺のところを文庫版の解説で埴谷雄高氏が的確に表現しているので、以下引用させていただきました。

 

 

『富士』--- 巨大な記念碑 埴谷雄高(作家)

 

<秘密の重い扉が開かれるとき、一抹の暗い不安と不思議な幅をもった恐怖を私達は覚えるけれども、さて、いま心の秘密の扉が開かれる。《心の秘密》ーー その頑強な扉を敢えて開くことは底知れぬ恐怖にほかならぬが、武田泰淳ならではもち得ぬ全的洞察力を備えた視点によって、さながら時間と空間の合一体を時空と呼ぶごとく、敢えて新造語をもって《セイニク》とも呼ぶべき精神と肉体の統合された一つの装置の扉がいまここに開かれるのである。

精神と性のグロテスクで真剣な《セイニク》の刻印を帯びた存在の諸相が精神病院のかたちをかりた現世の曼陀羅として悠容たる富士に見おろされているこの作品は、いわば大乗的膂力をもつこの作家ならではなし得ぬ貴重な作業であって、武田泰淳は私達の文学の宝蔵のなかに巨大な作品をさらにまた一つつけ加えたのである。(単行本『富士』帯推薦文 一九七一年十一月)>