『台風クラブ』(相米慎二監督 1985年)            工藤夕貴×大西結花×三浦友和 | レイモン大和屋の <シネ!ブラボー>

レイモン大和屋の <シネ!ブラボー>

映画感想、読書感想を備忘録として書いてます。
三浦しをん氏のエッセイを愛読しています。
記憶に残る映画と1本でも多く出会えることを願っています。

『台風クラブ』(監督・相米慎二 脚本・加藤祐司 撮影・伊藤昭裕 音楽・三枝成彰 美術・池谷仙克 編集・冨田勲 1985年)

 

出演・工藤夕貴、大西結花、三浦友和、三上祐一、紅林茂、松永敏行、小林かおり、石井富子、佐藤允、会沢朋子、渕崎ゆり子、天童龍子、鶴見辰吾、きたむらあきこ、伊達三郎、寺田農 他。

 

木曜日  地方都市のある中学校の夜のプール。一人で泳いでいた三年生の山田明(松永敏行)は後からやって来て水着姿で騒ぎ出した同級生の理恵(工藤夕貴)、美智子(大西結花)、泰子(会沢朋子)、由利(天童龍子)、みどり(渕崎ゆり子)たちに見つかりパンツを脱がされ、プールのコーナーロープを首に巻き付けられ締め上げられて失神した。助けを求めて走っていたみどりの前に夜のランニング中だったクラスメートの三上(三上祐一)と健(紅林茂)が通りかかって助けを求める。みどりに電話連絡されてやって来た担任の数学教師・梅宮(三浦友和)は呆れ果ててみんなを叱ったが、女子生徒たちはうわの空でプールの中ではしゃぎまわる。

 

金曜日  数学の授業中、梅宮の恋人・順子(小林かおり)の母親・八木沢勝江(石井富子)と叔父の英夫(佐藤允)が用務員(伊達三郎)の制止を振り切って教室に入り込んできた。

英夫「順子に相当貢がせたっていうじゃねえすか」

勝枝「100万よ100万。娘といつになったら結婚するのよ、責任取ってもらおうじゃないのよ」と詰め寄って教室は大混乱。三上の家では帰省中の大学生の兄(鶴見辰吾)に「個は種を超越出来るのか」と三上が問いかけた。そばでぼんやり聞いていた理恵は「何のこと」と尋ねる。

 

土曜日  数学の授業が始まろうとしていたが、前の日にやって来た中年女と梅宮の騒動が気にかかる美智子は授業の前に昨日の騒ぎの説明をして欲しいと言い、授業を始めて欲しい生徒たちと言い合いになって教室は狂騒状態に。台風が接近し午後になって風と雨は一段と強くなって来た。生徒たちは下校したが、梅宮から昨日の騒ぎの理由が聞きたい美智子は一人教室に残っていた。

教室を見回りに来た梅宮は美智子に早く帰るように言い、三上のカバンが残っているのを見て美智子を教室に残し三上を探しに行く。理恵の家族から娘が家出したという電話が入った。その頃理恵は原宿でナンパされた大学生・小林(尾見としのり)のアパートにいた。「お前東京じゃないだろ、中学生か?」と聞かれ、「あたし嫌なんです、閉じ込められるの。閉じ込められたまま歳をとって、それで土地の女になっちゃうなんて耐えられないんです」と答え「ありがとうございました。わたし帰ります」と言って土砂降りの雨のなかを駆け出して行った。

 

梅宮と用務員が帰り中学校の教室には授業をサボって演劇部の部室で遊んでいた泰子、由利、みどりたちと三上、健、美智子が取り残された。「みんな、帰んないのか」と三上。何ものにかとりつかれたように誰も帰ろうとはしない。机や椅子を片付け、三上をのぞいた五人は音楽に合わせて踊り出す。そして体育館へ移動して踊り、下着姿になって外へ出て雨の中を歌い踊る。

「♪もしもあしたが晴れならば愛する人よあの場所で」

その頃どしゃぶりの雨の街を走って転んだ理恵も歌っていた。

「もしも明日が雨ならば愛する人よそばにいて」

 

日曜日  朝。教室で一晩中考え続けていた三上はみんなに宣告する。「みんな、起きろ。俺は分かったんだ。なぜ理恵が変になったか、なぜみんながこうなってしまったのか。つまり死は生に先行するんだ。死は生きることの前提なんだ。俺達には厳粛に生きるための厳粛な死が与えられていない。だから俺が死んで見せてやる。みんなが生きるために」 

積み上げた机に上り窓から落下する三上。

 

月曜日 雨があがり晴れ渡った空。カバンと紙袋を下げた理恵が駅の改札を飛び越えて帰って来る。学校へ行く道で明と出会い休校になった学校のプールに向かう。「みんなと会えるかなあ」

黒味になった画面にスタッフタイトルが浮かび、運動会のアナウンスが流れる。

 

 ディレクターズ・カンパニーのシナリオ募集で準入選になった加藤祐司のオリジナル脚本の映画化。高校生を主人公にした恋愛、部活、ヤンキー系映画などが多数制作されているのに比べ、中学生を主人公にした映画は圧倒的に少ないように思うが、中学生の生態をこれだけ生き生きと描いた映画は『台風クラブ』以外に思い浮かばない。中学生の自分自身でもつかみどころが無いような不安定で衝動的な感情、背伸びした論理、大人たちへの反発、田舎町に閉じ込められる閉塞感などは時代が変わっても変わらない普遍性を持っている。三浦友和演じる梅宮という担任教師のどこか投げやりで、いい加減で無責任な態度に生徒たちが抱く嫌悪感も同じ。「お前らだってな、15年もすれば俺みたいになっちまうんだよ」と言われ、「ぼくは絶対そうならない」と言い返す三上。<厳粛な死なくして、厳粛な生はない>という言葉が<真理>だとしても、人生を生きていくには<真理>だけでは乗り越えられない<現実>も存在している。 三上が自らの信念によって<厳粛な死>を仲間に示したとしても死はやがて記憶の彼方に沈殿し、日常は淡々と過ぎ去り彼らはやがて残酷な現実に遭遇するだろう。<厳粛な死>によって<厳粛な生>は贖われるのか。

相米慎二が監督するとどうしてこうも人物に血が通い生き生きするのだろうか。素人っぽさが残る中学生たち、工藤夕貴、大西結花、担任教師三浦友和がとりわけ映画の中で息衝き、脈うつのを感じた。(☆☆☆☆☆) ☆5が満点