最近観た映画 2020 5月『聖獣学園』『ぼんち』他 | レイモン大和屋の <シネ!ブラボー>

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映画感想、読書感想を備忘録として書いてます。
三浦しをん氏のエッセイを愛読しています。
記憶に残る映画と1本でも多く出会えることを願っています。

 4月29日以降に観たブログに感想を書いていない映画の感想と星取りです。自分のための備忘録的感想と星取りなので、皆様の評価と異なる時はご容赦お願い致します。(☆5が満点。☆☆☆★以上は一見、再見の価値あり)

 

「八甲田山」

(森谷司郎監督1977年)

間近に迫ったロシア軍との戦いに備え冬の青森八甲田で雪中訓練の使命を受けた2つの部隊の過酷な運命。撮影監督だった木村大作は「兵隊が雪の中で死んでいくだけではヒットするとは思えなかった」と語り、数名の俳優が過酷さに耐えられず脱走。

「天は我々を見放した」のキャッチコピーのスポットCMを夜8時台のゴールデンタイムに頻繁に流し、映画は配収25億円の大ヒット(当時の日本映画の配収記録を更新)。岡田茂東映社長は「映画としてはそれほどよく出来ていると思わないが、ただ熱意がすごい。時間をかけてじわりじわりと盛り上げ、製作の熱意が宣伝、営業に乗り移ってみんな一丸となってやった。それが成功の原因でしょう」と述べている。(ウィキペディア参照)

岡田東映社長(当時)の言葉にあるように、映画としてはそれほどよく出来た作品とは思えなかった。娯楽映画というより文部省推薦映画に近い感覚の作品。(☆☆☆★) 

 

「家(うち)に帰ろう」

(パブロ・ソルラス監督2017年)

スペイン・アルゼンチン合作。ナチスドイツから受けた迫害の傷が70年経った今も心に深く刻まれている老人。足に病を抱え家族から老人ホームに入ることを勧められる。自分の死を間近に悟った老人は少年時代の親友との約束を果たすため単身アルゼンチンからポーランドへ向かう。深刻になり過ぎずユーモアをまじえた作りは良かったが、旅の途中で出会うのが誰も心優しい人ばかり。列車内で老人が視る幻影も既視感があり最後も予想通りの結末。ラストにもう一工夫があれば。(☆☆☆★) 

 

「エール!」

(エリック・ラルティゴ監督2014年)

聴覚障害の両親と弟がいる高校生のポーラ。家業の酪農やチーズ販売を手伝う普通の女の子だが、ある日高校の音楽教師から歌の才能を見出されパリの音楽院でオーディションを受けることを勧められる。聴覚障害で娘の歌の才能を理解出来ず、家族の支えになっているポーラを失う事に反対する両親だったが・・・。

フランスで4週連続第1位、750万人の観客動員を記録した大ヒット作。聴覚障害の家族を深刻になり過ぎずユーモアを交えて描いたのが大ヒットの要因か。(☆☆☆★) 

 

「男と女、モントーク岬で」

(フォルカー・シュレンドルフ監督2017年)

ベルリン在住の人気作家が新作のプロモーションのためニューヨークを訪れる。かつての大学生時代の恋人と再会し、またやり直したいという男。思い出の地モントーク岬で、過去の自分たちを振り返るふたり。男は思う<してしまってする後悔、しなかったことでする後悔>。当時別れたあと、女には深く愛する男ができたが・・・。「ブリキの太鼓」のシュレンドルフがどうしても作りたかったという作品。大人の男と女の恋愛人生はほろ苦く。(☆☆☆★)

 

「ファントム・スレッド」

(ポール・トーマス・アンダーソン監督2017年)

1950年代のロンドン。オートクチュールの仕立て屋レイノルズ・ウッドコックはある日若きウエイトレスのアルマと恋に落ちる。二人の関係は幸せに見えたが・・・。レイノルズは芸術家肌で繊細で気難しく亡き母の面影に捉われている。レイノルズを支える姉。アルマが入り込めない姉弟の壁。レイノルズを愛するあまりにとったアルマの行動。知りつつそれを受け入れるレイノルズ。やがて訪れる母の亡霊からの解放、ある種の愛の成就のようにも見える。P・T・Aらしい作品(☆☆☆★)

 

「極道の妻たち 赫い絆」

(関本郁夫監督・塙五郎脚本1995年)

シリーズ8作目。堂本組の当代増吉(内田朝雄)が病気で引退、跡目を娘きわ(岩下志麻)の夫で若衆頭補佐・修一郎(宅麻伸)が継ぐことになった。襲名披露の日、対立する三東会組長・後藤修造の弟・信治(古田新太)がホテルの着付け室できわを襲い、久村が信治の子分を射殺。久村の身代わりで組員・村上(渡辺裕之)が服役する。きわも傷害罪で5年の刑を受け和歌山刑務所に収監。堂本組の二代目になった夫を思い離婚し、懲役を終えた後東京で堅気の暮らしを始めるきわだったが・・・。

岩下志麻が組長の姐から足を洗いスーパーの店員になるという所が見所。三東組に追われボイラー室や地下排水道を逃げる岩下志麻が新鮮。(☆☆☆★)

 

「新極道の妻たち」

(中島貞夫監督・那須真知子脚本1991年)

尼崎の藤波組二代目が急死。霊代の加奈江(岩下志麻)が事実上組を統率する。加奈江には妹の頼子(新藤恵美)と雅美(藤奈津子)直也(高嶋政宏)という二人の子供がいた。藤竜会の組長直也は三代目に推されている義兄の藤波組本部長・宗田(桑名正博)に対抗し三代目に立候補。対立する神原組にも強硬な態度に出るが・・・。実の息子を極道の道から足を洗わせたい母(岩下)と反発する息子(高嶋)の情愛、極道とは知らずに愛してしまった女子大生(海野圭子)の話が主軸になっているのが女性脚本家那須真知子らしい。かたせ梨乃が弁護士役で登場。暴走する高嶋を支える綿引勝彦が持ち味発揮。(☆☆☆★)

 

「極道の妻たち 赤い殺意」

(関本郁夫監督・中島貞夫脚本1999年)

主演が岩下志麻から高島礼子に代わっての第一作。

高須組組長(名古屋章)が報恩祭の踊りの最中に何者かに殺される。妻・綾(野川由美子)は若頭の田所(永島敏行)に跡目を継いでもらおうと考えていた。高須には息子の俊之(野村宏伸)がいたが、極道の世界を嫌い大学を出た後「高須運輸」の社長として堅気の道を歩んでいた。阪神淡路大震災の時に知り合った由紀(高島礼子)とグァムで二人だけの結婚式を挙げた夜、父が殺されたという電話で大阪に戻る。幼な馴染みで親友の大樹(古田新太)が組のために懲役13年の刑を受けたことを知った俊之は極道の世界で生きて行くことを決意するが・・・。

堅気の息子が極道に、その妻が極道の姐になる高島版「極道の妻たち」第一作に相応しい内容。ラストで六平直政をホテルのベッドにパンツ一枚にして両手両足を縛り、やって来た中尾彬に銃弾をあびせるかたせ梨乃と高島礼子が痛快。(☆☆☆★)

 

「聖獣学園」

(鈴木則文監督1974年)

多岐川裕美のデビュー作。原作者でもある鈴木則文はポーランド映画「尼僧ヨアンナ」(イェジー・カワレロウィッチ監督1961年)などからインスピレーションを受けて書いたというから素晴らしい。母の死の真相を知ろうとして女子修道院に潜入する多岐川魔矢(多岐川裕美)、司祭役で登場する渡辺文雄が神の不在を糾弾する。プログラムピクチャーの作品として観客を満足させることを第一としつつ、そこに確かな作家性を感じさせる鈴木則文のしたたかな映画精神。興行成績は最悪だったようだが、欧米ではカルト作品化しているそうだ。傑作。(☆☆☆☆☆)

 

「ぼんち」

(市川崑監督1960年)

「ぼんち」とは、関西弁で「若旦那(商家などで跡取りとなる息子、子弟のこと)あるいは「器の大きい坊ちゃんを意味する。船場商家の跡取りに対する呼び名の一つで単なる「ぼんぼん」とは異なり、放蕩を重ねてもぴしりと帳尻の合った遊び方で地に足がついたスケールの大きな者に与えられる愛称」(ウィキペディア等参照)大阪で四代続いた足袋問屋の河内屋。四代目の喜兵衛(船越英二)は婿養子であり、店は実質的にその妻の勢以(山田五十鈴)とその母きの(毛利菊枝)が支配していた。五代目で一人息子の喜久治(市川雷蔵)は妻の弘子(中村玉緒)を母と祖母に追い出され、花街に足を向けるようになった。父が死に河内屋の若旦那となった喜久治は金にものを言わせ芸者のぽん太(若尾文子)幾子(草笛光子)女給の比沙子(越路吹雪)など次々と妾を作っていく。やがて戦争が始まり、河内屋も蔵を一つ残すだけで全焼してしまった(ALLCINEMAより)。原作者の山崎豊子は試写をみて、しみったれた主人公に描かれていることに不満をもらし、監督市川崑の「ぼんち」であって、自分の「ぼんち」ではないと感想を述べたそうだ。市川雷蔵が演じたぼんちは確かにしみったれていて颯爽とした華やかさはない。とっかえひっかえ妾を作ってもどこか鬱屈として、心底遊びを楽しんでいるようには見えない。三人の妾たちは戦災に遭ってもたくましく、風呂の中で屈託なくふざけ合う。先代から河内屋に仕え、胸の奥深く喜久治を慕い続けていたであろうお時(倉田マユミ)の姿がいつまでも心に残る。(☆☆☆☆)