コロナ禍で在宅時間も多いし、資格試験をいろいろ受験しているが、本日は美術検定3級を受験しました!合格発表は来月ですが、出来栄え的に受かっている水準でしょう(←こういう余裕ぶってる奴にに限って落ちるのですが)。

 

たぶん3級っていうと簡単という人がいるのかもしれませんし(私もそう思っていました)、実際、正答6割で合格なので合格率は7~8割で難しい試験ではありませんが、出題自体は西洋・日本の古代から近現代までカバーしていて、合格ラインの6割くらいは余裕でも、ハイスコアで合格するなら結構勉強しないといけません。4級でも8割以上正答するレベルであれば「美術の教養があるんですね!」と言われるレベルだと思いますし、3級で8割以上正答であれば、一般的には「美術史に詳しいですね!」と言われるレベルだと思います。資格の取得難易度はともかく、美術史の全容を知れるとても良い試験でした。

 

ちなみに、コロナ禍ということで、オンライン受験なので自宅で受けられます。カンニングされることも踏まえて、単純な知識問題ではなく、知識があった上で考えないと解けないような問題が多めだったと思います。また、問題数も多くてイチから調べていたら解き終わらない感じでした(それでも6割正答でOKですので、知識問題だけでもカンニングしちゃえば合格ラインはクリアしちゃう気が・・・)。まぁ、別に受かったからどうなるわけでもない、ただの自己啓発資格&趣味資格だからあまり厳密に考えない方がいいのかもしれませんが。

 

ちなみに、美術検定4級は通年でオンライン受験できるのですが、こちらはほぼ全員合格できるものの、当方が受けたときも、絵と画家が一致しないものも結構あって、8割以上正答するような人は、一般的にみて相当美術の教養がある人だと思います。3級でもモダンアートは普通だと聞いたこともないような画家が並ぶので、数か月に一度程度美術館に行って、好きなジャンル以外は無頓着みたいな私のようなにわかの自称美術好きだと、勉強ではヒーヒーいうことになります。とはいえ、出題は素直なので、3級の問題集を2~3周して、かつ公式テキストの写真が載っている作品を中心にザっと押さえておけば余裕で合格点は取れると思います。

 

3級以上は1年に1度しか受験チャンスがないのですが、来年2級を受験するかは検討中。正直、3級レベルの美術史の知識でも、趣味であれば十分過ぎるほどに美術は楽しめます。というか、美術を観て「いいな」と思うのに知識は不要とすら私は思います。ただより深く美術を理解するために2級ぐらいは受けておいた方がいいのかなとも思います。3級の結果を見て、2級の受験は検討しようかなと思います。

ショパンコンクールのガラコンサートが東京・池袋の東京芸術劇場で開催予定で、チケットが本日10時発売だったのだが、2分もたたずに売り切れ。私は10時00分00秒にアクセスしたが、悠長に座席指定を選んでいる間に次々に売り切れに・・・。座席をおまかせにしていれば購入できたのに・・・。

 

とはいえ、チケット買えなかった人も諦めてはいけない。以下でも開催されるのだ!

・愛知県

・栃木県

・大阪府

・富山県

LINK

 

とうわけで、私は愛知県観光もちょうどしたかったので(犬山城、復元された名古屋城の本丸御殿、熱田神宮)、愛知県のコンサートを狙っている。たぶん栃木県は東京のコンサート取れなかったチケット難民が多そうな気配。しかも栃木県のコンサートは反田さんを除く7名の演奏が聴けるので人気そうである。愛知県は反田さんと小林愛実さんを除く6名の出演である。ちなみに、愛知も栃木もコンチェルトの演奏はない。愛知県のチケットは取れるといいなぁ。

ショパンコンクールの採点結果が公開!!の記事で、「コンクールでは上位入賞なのに、その後、人気を得られないピアニストがいる。そこそこ良い演奏であり、低評価もつけられないが、高評価も得にくく熱狂的なファンも持ちにくい優等生型ピアニストは、コンクールの評価点においては上位になるのだろうが、しかし、コンサートでは特に熱狂的なファンもいないので飽きられてしまうからだろう。一方で、個性が強く評価が分かれるピアニストは、一部に嫌われても、一部の熱狂的なファンに支えられてコンサートピアニストとして活躍し続けることがある。」と書いたが、もう少し詳しく書いてみようと思う。


一般的にコンクール入賞者を「上手」というのはやや語弊がある。そうというのも、ショパンコンクールレベルになると、予選の前に予備予選があり、さらに予備予選の前には書類審査・音源審査もあるので、予選出場の時点でそれなりの入賞歴がある人達なのである。国際ピアノコンクールで上位入賞者が、別のコンクールだと不甲斐ない結果になることもある。なぜなら審査結果というのは、①演奏する楽曲、②採点方法、③審査員の趣向、④演奏時の体調、⑤ホールや演奏するピアノとの相性など、様々な要素に影響を受けるからである。特に海外でのコンサートだと時差の問題、宿泊中に感じる文化・言語の差異ゆえのストレスなど様々な要因が絡むのだ。 

 

ショパンコンクールはショパンの曲しか演奏しないから、ショパンが苦手であれば、いくら古典派・バロックが絶妙な演奏でも入賞は不可能なのだ。それにショパンコンクールはショパンの楽曲の性質ゆえに予備予選~予選は全てソロで、ファイナルのみ協奏曲である一方で、例えば、浜松国際ピアノコンクールは、一次予選こそ自由曲だが、二次予選は古典・ロマン・近現代のうち2つの時代から曲を取り上げる必要があり、三次予選では室内楽も演奏し、四次予選では協奏曲と、総合力が問われる。ソロや特定の時代の楽曲の演奏が得意なピアニストは通過不可能だろう。こっちのコンクールでは落ちたのに、あっちのコンクールでは上位入賞というねじれ現象はいまや珍しくもない。

 

ミロスラフ・クルティシェフは、チャイコフスキーコンクール(ピアノ部門)で堂々の第2位入賞(優勝者なし)だったが、ショパンコンクールではファイナリストに残ったが入賞していない。盲目のピアニスト梯剛之は、ロンティボー第2位だったが、ショパンコンクールではミスタッチとスローな演奏が受け入れられずに予選敗退(ただ観客の支持は絶大でワルシャワ市長賞受賞)。三浦謙司は、浜松国際ピアノコンクールでは奨励賞にとどまったが、ロン=ティボー国際コンクール(ピアノ部門)、Shigeru Kawai国際ピアノコンクール、スタインウェイコンクールベルリンで優勝している。世界的な名声を得ている内田光子も ウィーン・ベートーヴェン国際ピアノコンクール優勝、ショパンコンクール、リーズコンクール、クララ・ハスキルコンクールで各第2位であるが、エリザベート王妃国際音楽コンクールでは第10位にとどまっている。今回のショパンコンクールでも、ルービンシュタイン国際ピアノコンクール優勝者のシモン・ネーリングは三次予選敗退であるし、浜松国際ピアノコンクール第2位だった牛田智大も二次予選敗退である。だから特定のコンクールの結果で云々いうのもナンセンスである。あくまでコンクール結果はどうであれ、ピアニストを育てるのは観客である。

 

 その点で言うと、若手人気ピアニストのユジャ・ワンは、コンクール歴だと、仙台国際音楽コンクール第3位に過ぎないが、人気は相当なものである。世界的ピアニストのラン・ランも仙台市で開催された第2回若い音楽家のためのチャイコフスキー国際コンクールで優勝しているが、そこまで名のあるコンクールというわけでもない。なんなら神童の名をほしいままにして、現在でも人気のエフゲニー・キーシンなんてコンクール歴なんてない。あくまでコンクールは才能のある若者を発見する場であって、音楽性に順位をつけているわけではない。いまはYoutubeもあるから、コンクール以外でも世に出る手段はある時代である。

 

実際、今回のショパンコンクールに出場していた開成卒・東大卒・東大院修了の角野隼人は人気ユーチューバーである。正直、彼にコンクール歴など不要だろう。 当然、名のあるコンクール入賞者のほうがコンサートチケットが売れやすいという興行的問題もあるが、ある程度のコンクールで優勝したら、他のコンクールには出ないというのも手である(実際、コンクールにかける準備など考えると研鑽に時間を費やした方がいい)。例えば、ムン・ジヨンは、ブゾーニと高松国際ピアノコンクールで優勝したが、ショパンコンクールは途中で棄権した。逆にショパンコンクールで落選したら経歴に傷だと判断したのだ。コンクールは世に出るチャンスでもあるが、スティグマになる危険もあるのだ。

 

それにコンクールの採点は難しい。例えば、1点が最低評価で10点が最高評価、審査員が10人いたとして、平均点が6点以上だったら次の審査に進めるとする。この場合、5人が満点の10点、5人が1点をつけたとすると、5.5点で落選となる。一方で全員が6点という穏当な結果だと平均も6点なので次の審査には進める。コンクールだと、極端に酷評されないタイプのピアニストも入賞する傾向があるのだ。一方で、強い個性のピアニストは落選する可能性がある。しかし、コンサートだと熱狂的なファンを獲得しやすい後者の方がコンサートピアニストとしては人気が出やすい。一方で優等生的な平均的ピアニストは、あまり演奏に面白みや特徴がなく、徐々に飽きられてしまう。優等生的演奏家は、コンサートピアニストより教師が適任だったりする。

 

危険なのは、コンクールに入賞すると多量のコンサートが約束されるが、それに忙殺されて、研鑽を詰めないという危険性もある。典型的なのが米国人のヴァン・クライバーンで、チャイコフスキーコンクールで初代優勝者になり、圧倒的人気を誇ったが、アメリカの消費社会よろしくコンサートが多忙を極めて徐々に精神を病んでしまった。ブーニンもロンティボーとショパンコンクールで優勝するが、その後はコンサート三昧で、加齢とともに演奏もキレを失い、いまや国際的な名声はないといっていい。肉体は衰えるので、キレのある技巧的演奏でもてはやされた人は徐々に飽きられる。この点でいうとほとんどアスリートに近い。最近だと、ユンディ・リもを忘れてはいけない。ショパンコンクールは2大会にわたり優勝者を出せなかったところ、2大会ぶりかつ中国人初のショパンコンクール優勝者ということで脚光を浴びたが、共産主義の中国から一躍西側でスポットライトを浴びたので、その自由で豊かな消費社会に飲み込まれ、アイドルのような容姿とも相まってラグジュアリーブランドの広告塔に成り下がり、演奏は18歳をピークに落ちぶれていた。中国の一人っ子政策の弊害よろしく「小皇帝」らしく、ショパンコンクールの審査員に選ばれるも有名人の結婚式に招待されたので審査員を欠席して中国に帰国して国辱といわれた。この前、買春で逮捕されて、中国では演奏活動は困難なので、もはや演奏家としての彼の命運は尽きた。

 

この点でいうと、ポリーニは、ショパンコンクール優勝後は、大学で勉強したり、ハードなスケジュールをこなせるようにボディビルをしたりと、ピアノ以外での教養と肉体の修練を行った。最近だとラファウブレハッチもショパンコンクール優勝後にサバティカルで大学で哲学を修めたりしているので、彼は今後ますます円熟するだろう。ピアノ演奏は指の技巧だけではなく、全身の肉体的活動および精神的活動の所産であるが、多くの人は指の技巧にとらわれすぎである。キリスト教の理解無しにフランツ・リストは弾けないし、軟弱な肉体ではラフマニノフは弾けない。

 

本当にピアノという楽器は奥が深い。人類の芸術・文化・知の結晶である。これを縦軸の数字(順位)で表現できるわけがない。コンクールの結果は一つの現実であるが、その結果に個人の価値観を隷従させる必要はない。我々観客は、審査員の出した結果の奴隷ではないのだ。個々人が教養を深めて音楽に対置して、己の趣向を極めることこそが豊かな文化社会を築くのだ。

18th Chopin Competition - jurors' scoring
 

3日前にショパンコンクールの採点結果が公開された。ファイナルは審査員の協議で決定したので非公開であるが、1~3次の予選について、各審査員のスコアが公開されている。25点満点で、Points averageが審査員の平均点、Index YはYESの割合である。各審査員は、次の審査に進めるか否かを、スコアとは別にYES・NOで判定しており、それの比率である。YESが半分を割ると次の審査には進めない。一次予選は人数が多いので飛ばして、二次予選からみてみよう。

 

なお、事前に書いておくが、審査員でもかなり点数が分かれるので、聴衆の我々も順位なんて気にしなくていい。大切なのは自信をもって「このピアニストが好きだ!」といえる自分の価値観である。例えば、美人・イケメンのコンテストがあって、優勝者が自分の好みと合致するとは限らない。美人・イケメンコンテストが容姿の絶対的な基準ではないように、ピアノコンクールも絶対の基準なんてありえないのだ。自分にとっての最高を見つけられればいい。コンクールの順位予想もあるが、結局、ケインズのいう「美人投票」に過ぎず、個人の審美眼とはあまり関係がない。

 

【二次予選】

二次の結果で気になったのは、やはり上位入賞を期待されながらも二次予選で敗退した牛田智大さん。Index Yの比率は0.35(つまり、35%の審査員しか次審査に進めることにYESとしなかった)。平均点は18.33点。審査員のフィリップ・ジュジアーノ が14点とかなり辛口の採点。パレチニは21点をつけているが、結果的にYESの数は半分に満たなかった。私の師事しているピアノ先生に聞いたところ、「ブラームスとかベートーヴェンでも弾いてるかって思うぐらいにガッツリした演奏だったから、ショパンコンクールとしてはハイスコアはつけられなかったんじゃない?それに左右の音を微妙にズラす技巧があまりに多くて気に名ちゃったし」と。なるほど。。マイクで拾った音だと悪くないと思ったが、名のあるピアニストや研究者の過半数がNOというからには、”ショパンコンクール”としては評価が難しかったのだろう(ショパンコンクールはショパンの曲しか演奏しないが、演奏家によって得意な作曲家は分かれるので別にショパンコンクールで落選したから悪いというわけではない)。

 

ブルース・リウはINDEX Yは1.00で満場一致で三次に進んでおり、平均点は23.03点で、二次予選唯一の23点代である。それでもディーナ・ヨッフェは19点とやや低めの評価であるから、音楽の感じ方は人それぞれである。第2位入賞の反田恭平さんはINDEX Yは0.88、平均点21.50点。アルトゥール・モレイラ・リマ、ディーナ・ヨッフェが満点の25点を出している。一方でエヴァ・ポブウォツカは17点と辛口。繰り返しになるが、審査員でもこれだけ評価が分かれるので、聴衆は順位なんて気にしなくていい。

 

さらに評価が分かれるのは同じく第2位のアレクサンダー・ガジェブである。INDEX Y0.76で、平均点21.41と好調で、海老 彰子が満点の25点(海老さんが二次予選で満点をつけたのは彼だけである)、ネルソン・ゲルナーとディーナ・ヨッフェが24点のハイスコア。この一方で、ケヴィン・ケナー16点、さらにはアルトゥール・モレイラ・リマが12点と酷評している。独創性、ショパンらしさ、技巧面、総合的な演奏の印象など、どこに重きを置くかによって評価が変わる好例であろう。

 

第3位の若きスペインの情熱マルティン・ガルシア・ガルシアはINDEX Y0.76で、平均点20.14であり、3人が23点の高得点をつけているが、ダイ・タイ・ソンは15点とかなりの辛口評価。6人が20点未満の評価をつけている。一方で、第5位に入賞したイタリアの女流ピアニスト、レオノーラ・アルメリーニは、INDEX Y0.71で、平均点20.60。ケヴィン・コナーとアルトゥール・モレイラ・リマが24点と高得点をつけており、これはガルシアの最高評価の23点を上回り、20点未満の低評価も5名にとどまっている。ただ総合的にみるとINDEX Yと、平均点だとガルシアが勝っている。いかに比較が難しいかを示している。

 

なお、ブルース・リウと同じくINDEX Y 1.00をたたき出したのが、第6位入賞のジェイ・ジェイ・ジュン・リー・ブイである。平均点も22.91で、ブルース・リウに次いでおり、二次の結果だけだと、彼は第2位入賞でもおかしくはなかったということだ。ちなみに、この2名に次ぐINDEX Yだったのは、シモン・ネーリングミシェル・カンドッティであるが、三次予選敗退であるからコンクールというのは分からない。

 

【三次予選】

結果だけをみてみると、第2位入賞の反田恭平さんのIndex Yの比率は0.8、平均点は21.57。満点は0人。一方で、第4位入賞の小林愛実さんについては、Index Yの比率は0.81で、平均点22.36である。おまけにエヴァ・ポブウォツカ、ジョン・リンク、ディーナ・ヨッフェが満点の25点をつけている。平均点では小林愛実さんは優勝者のブルース・リウに次いでおり、三次予選の平均スコアだけみると小林愛実さんが第2位でもおかしくはない。やはりコンチェルトを踏まえて、小林愛実さんの儚くも華麗な弱音より、反田恭平さんのほうが高位に据えたのだろう。

 

そして、これも採点の難しさであるが、小林愛実さんと同じく第4位のヤコブ・コシュリクは22.0点で小林愛実さんよりは平均点は低く、満点をつけた人もいないが、Index Y(つまりYESの割合)でみると0.93でYESの数は小林愛実さんを上回っている。最終結果の順位だけみて、より高い順位のピアニストが良い演奏をするというのは大変ナンセンスである。

 

第2位のアレクサンダー・ガジェブは、やはり評価が分かれており、満点の25点が4名、24点も2名つけているが、フィリップ・ジュジアーノは19点、アルトゥール・モレイラ・リマは18点とやや辛口。二次で16点と低評価をつけていたケヴィン・ケナーだが、三次の演奏には20点と穏当な点数を与えている。

 

二次でINDEX Yが1.0(満場一致)だったジェイ・ジェイ・ジュン・リー・ブイは三次予選では失速しており、Index Yだと0.67で、3分の1が彼にNOを出しているから、曲目とその時の演奏によって評価は変わるのである。実際、人気ピアニストでも、この曲は名演だが、この曲の演奏はちょっと・・・という場合もある。しかし、ブルース・リウは、INDEX Y 1.00で、平均点23.22で評価が高いから、彼の優勝は必然だったようだ。

 

【総評】 

コンクールでは上位入賞なのに、その後、人気を得られないピアニストがいる。そこそこ良い演奏であり、低評価もつけられないが、高評価も得にくく熱狂的なファンも持ちにくい優等生型ピアニストは、コンクールの評価点においては上位になるのだろうが、しかし、コンサートでは特に熱狂的なファンもいないので飽きられてしまうからだろう。一方で、個性が強く評価が分かれるピアニストは、一部に嫌われても、一部の熱狂的なファンに支えられてコンサートピアニストとして活躍し続けることがある。私は一見すると保守的と言われるが、リベラルにも理解があり、極端にも理解を示しつつ、結局は中道を好む人間である。正統派ピアニストも好きだが、一方で個性的なユジャ・ワン、ファジル・サイも好きだったりする。彼らはクラシックの正統派からは邪道だろうが、私は好きなのでとやかく言われる筋合いはない。

 

個性的で、一部に最高評価を受けても、一部に最低評価をつけられて、平均すると平凡な評価のピアニストと、全員から平凡な評価の平凡なピアニストの場合、圧倒的に前者のほうがコンサートピアニストとしては生き残りやすい。平凡な演奏なんて飽きてしまうからだ。コンクールでは上位入賞者に目が行きがちだが、あくまでコンクールの結果は審査員の評価に過ぎない。予選で落選した人でもお気に入りピアニストがいれば、その人のファンになればいい。コンクールは審査員の総合評価で順位が出るが、その順位に個人の価値観を従属させる必要はない。「個人ファースト」でいいのだ。音楽を聴衆する場合、聴衆の個人それぞれが主役なのだ。

BBCが行ったイギリスの階級に関する意識調査を複数の社会学者が分析した本である。従前の英国では、上流階級・中流階級・労働者階級の3つに分け、また中流階級が上位・中位・下位に分かれていると考えられてきたが、今回の調査ではそのような従来型の階級構造は古くなっており、7つの階級が成立しているということを明らかにしている。


最上位に位置するエリート層と、何も持たない最下層のプレカリアート(不安定な無産階級、Precariousと Proletariatから成る造語)をトップとボトムにして、多様な中流層が存在するという。本書では「経済資本(所得・貯蓄・住宅資産)」、「文化資本(学歴・趣味・教養)」、「社会関係資本(交友関係・人脈)」の観点から分析している。日本だと”階層=経済資本”で考えられがちだが、学歴もない肉体労働者が宝くじを当ててお金が入っても上流階級とはみなされないように、経済資本のみで階級は決まらない。分析結果から明らかになったのは次の階級の存在である。

 

【現代英国の7つの階級】※カッコ内は構成比率
1.エリート(elite) 〔6%〕
2.確立した中流階級(established middle class) 〔25%〕
3.技術系中流階級(technical middle class) 〔6%〕
4.新富裕労働者(new affluent workers) 〔15%〕
5.伝統的労働者階級(traditional working class) 〔14%〕
6.新興サービス労働者(emerging service workers) 〔19%〕
7.プレカリアート(precariat) 〔15%〕


とはいえ、調査はインターネット調査であり、サンプルに偏りがあったことも指摘されている。下層のほうが調査への参加率が低いという。それは当然で、自己が下層に属すると調査で明確にされることを忌避するという心理的抵抗感もあるだろうし、単純にPCの前で調査項目に答えるのは、知的労働者ではないとなかなかしんどいという影響もあるようだ。また、地域的な偏りもあり、英国の調査ということで毛嫌いされたのか、北アイルランドの調査参加率が低いという。ここらへんのサンプリングの難しさは調査の難しいところだ。そのサンプリングのバイアスを提言させるために、追加的なインタビュー調査を実施しているが、エリート層だが、お高く留まっていないと示すために下層の人との交流があるといってみたり、従来的な労働者階級であるが教養があることを示したがったり等、アンケートだけでは明らかにならない生の声を知ることができて、非常に興味深い。また、使用人がいるカントリーハウスに住み、領地からの収入で暮らして、オペラを鑑賞して、という典型的な上流階級は瓦解していることも明らかにしている。

 

日本人は”総中流社会”の意識が強いが、英国は領地からの収入で生活できる上流階級がいて、産業革命で大量に発生した工場労働者のような労働者階級と、近代化の中で勢力を伸ばしたホワイトカラー層(弁護士、医師、学者、企業経営者等)を中心とした上流階級と労働者階級の間に位置する中流階級という構図が長らく続いていた。日本も階級社会であり江戸時代までは身分社会であり、その後も明治期に華族制度がつくられ、華族が上流階級として存在していたが、敗戦後にGHQが華族制を廃止したために、上流階級は消滅した。また財閥家も栄華を誇ったが、GHQによって解体された。そのため結果的に日本は総中流社会となった。しかし、昨今の日本でも「上級国民」という単語がメディアで取り上げられたように、明らかに社会階層は存在している。こうした社会階層の分類は心理的抵抗感もあって日本だと一般的ではないが、日本にもプレカリアート相当の社会階層は存在しており、カテゴライズしないと可視化されない。

 

社会格差を示すGINI係数でみると、OECD加盟国において英国8位(0.366)、日本は13位(0.334)だから日本も格差社会になってきてきる。 World Economic Forumによる社会流動性ランキングだと、82か国中、日本は15位(76.1)、英国は21位(74.4)である(LINK)。南米・アフリカなどの途上国に比べれば流動性(つまり下層から成り上がれるし、逆に上層からの転落もあり得る)はあるが、やはり日英ともに北欧などには流動性が低く、また数値も大差ない。英国は階層社会であるが、日本もそれに近似しているから、英国の本書のような調査は他人事ではない。

 

本書は居住地による格差や、学歴はもちろん進学する大学での格差も明らかにしている。つまり、富裕層の多く住む地域とそうではない地域との差や、社会階層毎の大学教育を受けた割合、また経済資本・文化資本のスコアが高い階層が進学する大学などは傾向がある。日本でも大学進学率は地域によってかなり格差があり、東京23区内だけみても、居住者の大卒率・所得水準は明確に色分けできる。

 

よくネットの普及で地域格差や教育格差は是正されるという人がいるが、それは誤りである。こんな楽観論はトフラーの「第三の波」やらフリードマンの「フラット化する世界」でも予見されていたが、大都市部への人口流入は止まらないし、格差拡大も止まらない。例えば名門大の授業を無料で一般公開するプロジェクトもあったが、大半の受講者は修了できない。なぜなら自宅でPCの前で長時間の授業を定期的に受講することは並大抵ではないし、試験に向けて勉強するのもかなりの労力を伴う。つまり、情報へのアクセサビリティが確保されて、実際にアクセスしたとしても、机でじっとして授業を聞いて、また試験に向けて勉強するというスキル(文化資本)がないと意味がないのだ。そもそも学歴水準が低いと、そういうプラットフォームがあることも知らないし、そういうプラットフォームがあるということを検索しようとすらしないことが問題なのだ。それに在宅勤務の拡充で分かったことは、リモートのコミュニケーションはフェイストゥフェイスのコミュニケーションは勝てないということだ。

 

明確には見えざる社会階層の影響は大きいが、多くの人は無自覚である。特に社会階層が下位の人は、下位にいるという認識も薄く、その結果、脱しようとする意欲も生じない。しかし、上位層は明確に自己の地位を把握して、自己の富を増やしてきている。富める者はますます富むという「マタイ効果」の通りであると思う。日本のNHKもこうした社会調査を行ってみたらどうだろうか。