ちょうどこの前の土曜に豊洲方面に行ったのだが、その時に撮影した写真。
新豊洲駅から勝どきまで行く道中にある晴海大橋から撮影。
 
iPhoneの加工技術はすごい笑。
 
タワマンみると「住んでみたい!」と思うけど、実際、周辺ってお店とかもあんまりないし、朝のラッシュも凄そうだし、砂上の楼閣って感じはする。高潮来たら低層階は終わりだし。といって、半分は買えないひがみです笑。
 
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本屋さんで平積みされていたので気になって買ってみた。私の祖母は、若い時は茶道の裏千家の先生をしていたそうだが、私が生まれてからはすでに年金生活だったようで、私は茶道の経験はゼロである。しかし、欧米だと「茶道」は日本文化として認知度もある程度あるので、文字通り教養として知っておこうと思ったわけである。余白も多いので、2時間もあればさらりと読めるが、茶道に関するエッセンスは網羅されている。

 

紀元前に中国で茶は薬だったが、平安時代に中国から日本にもたらされ、鎌倉時代に抹茶が伝来。南北朝時代に庶民にも広がり、安土桃山時代に千利休が「茶の湯」を確立したという。ちなみに、千利休は豊臣秀吉に重用されるが、最後は切腹を命じられている。その後、表千家、裏千家、武者小路千家の三千家と大きく流派が分かれている。帛紗の色や、抹茶を泡立てるのか否か、座り方などに違いがあるそうだ。

 

それにしても茶道は日本文化の総合芸術だというが、その通りだと思う。茶室・茶器・和室・生け花・お香など日本文化の様々な要素がつまっている。それにしても「懐石料理」というと、もともと茶道でお茶をいただく前に出される一汁三菜の「茶懐石」が懐石料理だという。濃いお茶は刺激が強いので、その前に少しお腹を満たしてもらうのだ。諸説があるが、昔、お坊さんが修行の際に空腹を紛らわすために温めた石を懐に入れたので懐石というらしい。読み方は同じだが、お酒を楽しむ和食は「会席料理」だという。あと、畳のへりを踏んではいけないといわれるが、昔は、畳のヘリに家紋をいれることもあり、家紋を踏みつける行為が非常に無礼なのでそういうマナーが生まれたという。

 

それにしても本書で感銘を受けたのは、茶道の思想である。「和敬清寂」(主人と賓客がお互いの心を和らげて謹み敬い、茶室の備品や茶会の雰囲気を清浄にすることという意)、「利休七則」( 1. 茶は服のよきように点て、 2. 炭は湯の沸くように置き、3. 花は野にあるように生け、4. 夏は涼しく冬暖かに、5. 刻限は早めに、 6. 降らずとも傘の用意 7. 相客に心せよ)などである。茶道を円滑に行うこういう理念・配慮というのは現代の会社でも必要であろう。

 

また、禅の思想も茶道にはあるそうで、禅語が紹介されているが、「白雲自去来」(はくうん おのずから きょらいす)という禅語が気に入った。白雲は妄想や煩悩などの例えであるが、雲が次から次へと湧き起こって去来してきても、山は元の姿のままそこにある。人間には本来的に仏性があり、これに気づくことができれば、煩悩や妄想の雲に惑わされることはないとのことだそうだ。現在は情報社会で膨大な情報が流れてくるが、自己をちゃんと認識していれば、私は私のままで、惑わされないでいられるという示唆を与えてくれる。「春来草自生」(はるきたらば、くさおのずからしょうず)という禅語も良い。春になれば草木は自然に生えてくる。ひいては、物事は焦らなくてもコツコツと真面目にやることをやっていれば、時期が来れば自然にうまくいくものだという意味である。

 

スティーブ・ジョブズなども瞑想や禅などにはまっていたことは有名だが、現代社会は情報過多である。現代人が1日に受け取る情報量は、江戸時代の人の1年間分だそうだ。しかし、脳はすぐに変化しないので、現代人の脳は多くの情報に晒されて、疲れている。何もしないでゆっくりと心を落ち着ける時間は必要である。文字違いで、「サ道」(サウナ道)も人気だが、やはり現代人はほっとリラックスできることを求めているのだと思う。そのヒントを日本で長く培われてきた茶道などの精神性に求めるのも有意義かもしれない。

 

 
 

ショパンコンクールのガラコンサートの名古屋公演のチケットを購入できたので、再度、ショパンコンクールの復習がてらショパンコンクールの雑誌を購入。コンテスタントや審査員へのインタビューの他に全ステージの講評も掲載されており、参考になる。

 

それにしてもイタリア人ピアニストといえば存命ではポリーニがポリーニがいるし、昔はブゾーニやミケランジェリなどの巨匠を輩出している。一方で同じラテン系ながらスペインは先の3名に比肩するほどの巨匠ピアニストは、イタリアと比較すると寂しい。実際、今回のマルティン・ガルシア・ガルシアが第3位に入ったが、これがスペイン人の初入賞らしい。彼の演奏はかなり評価が分かれており、一次予選でも満点をつけたジョン・リンク、24点のシヴィタフがいるが、一方で15点が2名、17点2名、18点が4名と、かなり評価が割れている。結果的に彼のコンチェルトは素晴らしく、ファイナルまで残したのは世界だったし、ミスタッチが多いにも関わらず入賞させたのはショパンコンクールがどういう才能を評価するのかということの意思表示だったと思う。

 

インタビュー記事で知ったのだが、小林愛実さんの着用していたドレスは西陣織が使用されているようだ。調べたところ、ituwa(イツワ)のオーダーメイドドレスだそうだ。気品あるドレスで美しい。こうした衣装にもこだわりがあるのが素晴らしい。やはり音楽とは”ハレ”の場であり、視覚的にも楽しませてくれる。インタビューだとその人の人となりが出るが、アルメリーニは気さくな感じ。やはりその大らかな人柄が演奏にも出ていると思う。来日経験があり、寿司が好きだそうだ。ぜひ今度のガラコンサートでは寿司を堪能いただきたい笑。

 

審査員のインタビューは非常にやはり興味深い。シモン・ネーリング氏はルービンシュタイン国際ピアノコンクール優勝者だが、今回はファイナリストにも残らなかった。師匠のカタジーナ氏(審査員長)曰く、彼は午前中に弱く、コンサートタイムの夕刻からが彼の本調子だという。しかし、彼の演奏は午前中だったので、演奏が乗り切っていなかったそうだ。午前中の演奏を相当億劫がっていたそうだ。やはり演奏というのは人間が弾くので、機会のようにはいかないのだ。そこを含めてやはり生演奏は面白い。

 

また、審査員のケヴィン・ケナーは正直だ。彼は第2位入賞のガジェブの演奏が当初よくわからなかったという。反対に反田氏については、すぐに頭の良い演奏家で思い通りの演奏を紡ぐと分かったそうだ。そしてステージを経るごとにガジェブはとても人間的で哲学的だと分かったという。きっちりした構築ではなく、広い空間で思索を広げるピアニストであると。ピアニズムは奥深いのだ。

 

そしてポブウォツカのインタビューがとても興味深い。彼女はインターネット配信について良い面と悪い面を指摘する。偉大な演奏を簡単に聴けることは良いことであるが、何もかもが速く、ただ効果的ななものを求める風潮にやや危惧を抱いているようだ。それは音楽に限られず、小説に見受けられるという。本当にポブウォツカ先生の指摘は的確である。ネットという二進法に矮小化される世界が、万能だという愚かな錯覚している人があまりにも多過ぎる。あまりにも即物的なのだ。コンサートホールに響くピアニストのハミングや、観衆の溜息と感嘆が、会場の空気を作り演奏を際立たせる。のっぺらぼうな綺麗な音はあまりにも非人間的である。そうした演奏だけを聴いて技巧だ云々と語るのはまさに無粋である。技巧的に見事な演奏はハイレベルかもしれないが、粋ではない。聴衆は演奏者に多くを求めるが、一方で、聴衆も風雅を解せなければならない。正確無比な演奏を聴きたければ、自動演奏でも聴いていればいい。

 

そして私の推しの小林愛実であるが、ケヴィン・ケナーは彼女の演奏をとてもパーソナルなアプローチだという。ポブウォツカは、彼女の演奏をハイライトの一つといい、真のアーティストと絶賛している。ゲルナーも独自の世界を表現していると指摘している。特に小林愛実のプレリュード全曲は本当に素晴らしかった。審査員が思わず拍手を送ったほどだ。会場で聴いていたらさらに素晴らしかっただろう。

 

なお、前回のショパンコンクールについて、中公新書からも本が出ている。オススメ。なお、中村紘子の「チャイコフスキーコンクール」のほうが読みごたえがある。

 

 

 

 

佐藤優は、同志社大神学部・同大学院を修了しており、神学の修士号を持つ。その後、外務省に入省するが(非キャリア・外務省専門職員)、鈴木宗男事件に絡んで偽計業務妨害・背任で逮捕され、有罪が確定したので失職した。その後、国策捜査だったと主張し、論壇にデビューし、「国家の罠 外務省のラスプーチンと呼ばれて」で第59回毎日出版文化賞特別賞を受賞している。そんな彼は大変な読書家で知られる。読書術に関する本も出版しているが、本書はそんな彼の古典書の読書案内である。200冊を厳選したようだが、それでも十分に多い。

 

読書案内系の本は多いが、そこからつまみ食い的に読書を進めるのも良いが、実際のところ読書案内本の一番の意義は、自分の知識領域の狭さを思い知ることにあると思う。これまでの人類の歴史のうち、個人が知ることができる範囲は相当に限られている。最近の大学生などは読書しないといわれるが、非常にもったいない。ネットでなんでも調べられるという無知から生じる誤解が知の矮小化を招く。Wikipediaもあるが、あんなものは誰でも編集できるので誤情報も多いし、日本語の記事は執筆者が少ないために貧弱で、やはりグローバル言語の英語版が充実している。私も最近Wikipediaの編集を再開して、古い情報などは更新するようにしているが、編集する人が少なくて古い情報になっている記事の多さに驚く。

 

ただビジネスパーソンが、自己と関係のない領域の本や、一般人が知らないような本を読み漁るオタク的行動も教養の深化以外にはあまり意味がない。逆に仕事もそっちのけで社会活動もろくに行わずに、コアな本を年中朝から晩までひたすら読み漁るようでは、教養人というより「読書廃人」である。ビジネスパーソンが自己の読書時間と折り合いをつけて知識領域を広げるのであれば、こうした読書案内がちょうどいい。本書の興味深いのは古典といいつつ、漫画も紹介している。手塚治虫の「火の鳥」、原泰久「キングダム」である。日本の漫画は非常に高度で、表現方法が文章のみであるか、絵と文章であるかの違いだけで、特に手塚治虫の作品は時代を経ても読み継がれるべき重みがある。手塚治虫の「アドルフに告ぐ」を読んで子供の頃に衝撃を受けた記憶がある。日本は西田幾太郎に代表される京都学派というように独自の哲学もあり、本当に文化水準が高いと思う。

 

最近だとリベラルアーツが重要といわれるが、各分野がどんどん専門化しているので、それらを鳥瞰できる視座が必要であるのだ。しかし、現在では大学生の過半数は読書時間ゼロだという(LINK)。ネットで断片的な情報は収集可能だが、それを体系的に理解するにはちゃんとした読書習慣がないと培われない。もちろん、ライトノベルばかり読んでも娯楽にしかならないのだが。いまだとAO推薦で大学に入れて、大学の単位取得も緩いので、特に文系の場合は無勉強で学士をとれる。大学院もカルチャースクール状態のところも多い。日本の大学はどんどん競争力を失っており、知の社会的装置が毀損されている。こうした国の行きつく先は国力の低下であろう。

東京芸術劇場のコンサートはチケット確保できなかったのですが(前記事)、ショパンコンクールのガラコンサート(名古屋公演)のチケットを確保できました!!というわけで、1月は名古屋旅行に行くことが確定しました。

 

ジャストにアクセスするためにわざわざ本日、有給とってチケットサイトにアクセスしてなんとか確保できました。名古屋公演では、なんと予選に進出した沢田蒼梧さん、進藤実優さんも演奏されるそうです。さらに入賞者8名中6人が演奏するという豪華なラインナップ。反田さんと小林さんは別のコンサートで拝聴できればと思います。

 

それにしてもチケットサイトは「㈱中京テレビ事業」の運営らしいが、あまりにも酷いです。ジャストにアクセスしたのにサイトにアクセスできない。連打してなんとかアクセスできたと思ったら、購入には会員登録しろという悪仕様。事前チェックしたときには書いてなかった。みんなチケット購入のために会員登録サイトにもサクセス殺到しているため、会員登録画面にも全然アクセスできない(事前に会員登録済ませておいてねと書いておけばいいのに)。なんとか情報入力し終わったら、また接続不良で、入力が振出しに戻ることに。なんとか登録して、S席を確保して購入画面にいったのに、接続不良で購入できず。また、S席は売り切れたので、まだ余裕あるB席を選択したらなぜか2席選択されてて、1席をキャンセルして購入しようとしたら、席が確保できませんでしたと。再度B席を選択して、接続不良になりながらもなんとか購入。購入に25分もかかりました。いや、アクセスが殺到するのは分かるものの、会員登録を事前にしておいてとアナウンスしていればここまでサーバに負荷がかかるみたいなことにはならなかったと思う。実際、東京芸術劇場の方は土曜日だったけど、アクセスはスムーズだったし(結果、ものの2分経たずに売り切れてましたが)。

 

と、チケット購入にはかなりストレス感じましたが、チケットが確保できてよかったです。