博士課程を修了した人の翌年度の年収は、男性で最も割合が高い層は「400万~500万円未満」だったのに対し、女性は「300万~400万円未満」だったことが、25日に発表された文部科学省科学技術・学術政策研究所の「博士人材追跡調査」でわかった。女性が多い人文科学分野の年収が低いことが一因とみられ、男女間の格差の改善が必要だとしている。- 朝日新聞
朝日新聞の記事によると、博士の賃金の男女格差を指摘しているが、これは記事にもそのままあるように、「女性が多い人文科学分野の年収が低いことが一因」であり、これは男女格差ではなく「専攻格差」である。人文科学分野の年収が低いから、男女間の格差の改善が必要だというのは論理的につながらない。人文科学分野の男の博士は低賃金だろう。一方、医師免許を持った医学博士の女性の賃金は高い。女性が低賃金領域に進学し過ぎであって、これが女性に実学不要というジェンダーによるといえば男女格差ともいえるが、お金にならない学問を専攻した人の賃金格差を持ち出して男女格差というのは意味不明である。
それにしても女性は非実学系学部に進学し過ぎである。昔は文学部・家政学部などを卒業して一般職に企業に入って総合職の男性と結婚し寿退社というルートが確立されていたが、もはやそうしたルートは崩壊している。日本では増税・社会保険料は増加しているが、賃金は伸びていないので可処分所得は減少トレンドで、男性のみの稼ぎで専業主婦というのは男性の所得が相当高くない限り難しい。一方で、社会認識はそれについてきているだろうかというと疑問符である。依然として女性は非実学系への進学が多いが、昨今の経済情勢を考えると不思議でならない。
だいたい専攻でみると人文科学のような非実学系への進学率が高過ぎる。結果的にIT業界は慢性的に人材不足であるし、法務部や財務部など専門性が求められる分野も人手不足のところが多い。専門性がある場合は性差に関係なく給与水準は高い。つまり、解消すべきは男女の賃金格差ではなく、男女の専攻格差である。法学部卒の女性弁護士、医学部卒の女医、経済学部卒の女性公認会計士や、外資系コンサル・金融の総合職の女性が男性と同じ仕事なのに賃金が低いなら差別であり、解消が必要である。一方で、労働負荷の低い職種や代替性の高い単純業務が低賃金なのは当たり前である。
福沢諭吉の「天は人の上に人を造らず人の下に人を造らず」という標語が有名だが、この部分だけ読むのはナンセンスである。真意はその次にある。人は平等に生まれるのに、賢人も愚者もいれば、金持ちも貧乏人も世の中にいる。それは学ばないから生じるのである。また、難しい仕事と簡単な仕事があり、難しい仕事をする人の身分が重いとも書いている。福沢諭吉の指摘は「脳内お花畑」の平等主義ではない。説いているのは徹底的な実学主義である。彼のつくった慶応義塾大は実学志向であり、実際、経済界では「慶應閥」というほどに大きい勢力である。一方で、趣味的な学問はお金にならないのは当然の話である。
(引用)
「天は人の上に人を造らず人の下に人を造らず」と言えり。されば天より人を生ずるには、万人は万人みな同じ位にして、生まれながら貴賤上下の差別なく、万物の霊たる身と心との働きをもって天地の間にあるよろずの物を資
り、もって衣食住の用を達し、自由自在、互いに人の妨げをなさずしておのおの安楽にこの世を渡らしめ給うの趣意なり。されども今、広くこの人間世界を見渡すに、かしこき人あり、おろかなる人あり、貧しきもあり、富めるもあり、貴人もあり、下人もありて、その有様雲と泥との相違あるに似たるはなんぞや。その次第はなはだ明らかなり。『実語教』に、「人学ばざれば智なし、智なき者は愚人なり」とあり。されば賢人と愚人との別は学ぶと学ばざるとによりてできるものなり。また世の中にむずかしき仕事もあり、やすき仕事もあり。そのむずかしき仕事をする者を身分重き人と名づけ、やすき仕事をする者を身分軽き人という。すべて心を用い、心配する仕事はむずかしくして、手足を用うる力役はやすし。ゆえに医者、学者、政府の役人、または大なる商売をする町人、あまたの奉公人を召し使う大百姓などは、身分重くして貴き者と言うべし。
- 「学問のすすめ」(福沢諭吉)