さて、ブログ主である当方の最近の専らの関心は、戦後、日本のかつての上流階級(公卿諸侯)がいかに瓦解して「総中流社会」となったかという点にある。戦後、世代を経るにつれて徐々に社会階層が再び顕著になってきているように思われるが、しかし、一度は断絶していることもあり、職種・学歴・年収等の分かりやすいメルクマールがない限り、ある人の社会階層を知りうるのは我が国においては難儀である。英国のように貴族制がある国では爵位の有無はもちろん、発音、身なり、話す話題、読み物、趣味など何から何まで違うので分かりやすい。ドイツ・フランスなどではより顕著に名前に貴族を示す前置詞(ドイツなら"von"、フランスなら"de")が入るので名前で識別ができる。我が国はもともと階級社会だったが、社会主義化したわけでもないのに、ここまで階級意識が希薄な国も珍しい。
我が国はもともと中世は公家が貴族であったが、その後、武家の世となり、武家が実権を握った。本来であれば武家は天皇家を廃しても良かったのだが、天皇に統治権を付与されているという権威付けを行ったので、天皇家と公家は温存され、日本の上層は天皇・公家勢力と武家勢力が存在するパラレルな構造となった。しかし、日本が近代国家化するにあたり廃藩置県を行い、公卿諸侯を廃止して、西洋に模倣して上流階級を一まとめにして「華族」という階級をつくったのだ。
先ほどは”パラレルな構図”といって単純化したが、実際は公家の子息ながら僧侶になり再度公家に戻り華族となった「奈良華族」、明治維新で勲功あり華族となった「勲功華族」もおり、さらに、武家華族でも藩主で華族となった者、藩主ではないが大藩の家老等のうち1万石以上がある大身から華族になった者もいる。さらに時代を経ると、財閥家や軍功ある者からも授爵者が出ており、彼らはもともといる「旧華族」に対して「新華族」といわれる。
上述しただけでも、いかに日本の上流階級である「華族」が多様だったかわかるだろう。欧州の貴族は社会的地位も教養も政治力も手にしていたが、一方で、先述の通り日本は権力構造が複雑だったので、旧藩主の武家華族や財閥の新華族は豊かだったが、一方で、公家華族やら奈良華族は困窮する家も多く、特に奈良華族には爵位を返上する者がいる有様だったという。軍功で爵位を得た軍人男爵は、要は軍人の成り上がりゆえろくな財産もなく、戦後は壊滅した。例えば、大井成元男爵は、陸軍大将・貴族院議員も歴任したが、戦後は、公職追放され故郷の山口県で銭湯の下足番をして一生を終えたという。
さて、凄まじく前置きが長くなったが、本書は前田利為侯爵令嬢として生まれ、酒井忠元(酒井忠正伯爵の長子)に嫁いだ酒井美意子氏のエッセイである。巷にある華族の逸話は、華族ではない庶民が聞きかじったエピソードに尾ひれがついていたり、明らかに曲解されていたり、面白おかしく誇張されていたりするが、本書の美意子氏は、華族として激動の時代を実際に経験しており、説得力が違う。戦後に家を接収されたりするが、軍人にもひるまずに対等に交渉したりするところはさすが武家である。また水商売(ナイトクラブ)を経営したりする肝の座り様である。それでも、戦後に90%もの莫大な財産税を課されたくだりの憤怒はひしひしと伝わってくる。この財産税で日本の上流階級は壊滅に追いやられ、華族が保有していた先祖伝来の国宝級の品々が二束三文で売り払われてしまったことは悲劇というしかない。
それにしても随所に出てくる矜持の高さも、大名家でも随一の石高を誇った大富豪だった前田侯爵家らしい。高貴ではあるが貧しい公家華族やら奈良華族とは違い経済的に裕福だったことの矜持、そもそも勲功で成り上がった平民あがりの新華族と一緒にされたくはないという思いが随所に出てくる。それにしても五摂家筆頭の近衛家ですら2800石程度で、加賀百万石とは4桁も違うから経済格差は明らかであるが、大藩でも家老ともなると1万石を超える家もあったから公家はその格式に比較して随分と慎ましい経済力だった。ここからもいかに華族というのが多様な集団だったかが分かる。公卿、武家、勲功の成り上がり者など出自はバラバラで、一様の生活様式等があったわけではない。そもそも華族制制定の中心人物の伊藤博文は(最終的に公爵にまで陞爵しているが)、百姓の子だが、父が長州藩の足軽の家に入って下級武士になったに過ぎない。
そして本書では皇族のお話もかなり紙面が割かれている。どうやら美智子様のような平民の生まれが皇族に嫁ぐことは良くないというバッシングが、旧華族あたりからあると当時マスコミで書かれていたが、本書の著者の酒井美意子氏はそんな事実はなく、美智子様には好意的な意見が多かったそうだ(ここらへんが酒井美意子氏の個人的意見なのかどうかは不明である)。個人的に思うに、やはり武家は生き残りのために権謀術数を考えてきたリアリズムの伝統があるため、国民的人気にもあり、気品ある美智子様の婚姻に特に拒否反応はなかったのだと思う。逆に格式だけが頼りの公卿の家柄に拒否反応が強かったのではないかと想像する。
さて、戦後から80年近くが経過しようとしているが、華族などという西洋かぶれの制度はもはや忘れ去られてしまっている。しかし、各藩を納めていた大名家というのは、いまだに当主がおり家督を継承しており、旧家臣等で一定の集まりなどが催されているようである。ただもはや市井の人であり、何の特権も公的な称号もない。日本の名家も歴史の風化に任せるままになっている。代々特定の集団が上流階級を占めるのも健全ではないと思うが、一方で、文化・伝統を継承する家が歴史に埋もれて消えていくというのは、なんとも無常というか無情というか。
華族として生まれ、激動の時代を生きた女性の手記として興味深く読ませてもらった。