当方は、理系だったら建築学かロボット工学を勉強したかったというほどに人工的な構造物に興味がある。結局、文系で学部は法学部で、大学院は政治学研究科だった。さて、本書は、使用者・鑑賞者の視点から、そして建築家の視点から、最後に社会の視点から建築を入門的に鳥瞰している。建築はその機能性や耐久性という点では工学的であるが、その建築の美しさは美学的であり、建築が社会的に持つ役割という点では社会学的な側面も持っている。建築は、多彩で多様な要素から成り立つが、その点でまるで交響曲のようだなと思う。

 

それにしても、本書の著者の教養の広さは凄まじい。ファッション、音楽、食までを建築論において射程に入れるとはと脱帽である。と思ったが、日本の建築が工学に寄り過ぎているのかもしれない(地震大国であり耐久性が求められ、また可住面積が少ないので土地を効率的に使用しないといけないという点の合理性は仕方がないが)。著者は学部はUCLA卒で学んだようであるが、本書でも言及ある通り、海外だと建築はどちらというとデザインの仕事色が強いため、日本の建築はあまりにも工学的過ぎるのかもしれない。

 

実際、日本で「建築=不動産」というと、耐久性などの工学的な話と、建築維持費やらリセールバリューなどの経済性の話が多いように思う。建築の持つ社会的脈絡や、都市景観的な側面の美学性がなおざりになっているように個人的には思う。いかに建築が多様で多彩な存在かが分かれば、その維持にもう少し為政者も腐心してくれるだろうか。維持が大変だと解体された鹿鳴館やら、大阪市庁舎(3代目)など、保存できていたらと思う建築は多い。建築は歴史の生き証人なのだ。

 

以下、興味深かった記述。

・建築の自律性と他律性

・建築の三原則である用・強・美

・建築のアナロジー:ファッション、食、音楽、アート

・建築の地域性とその一方での普遍性

・建築の社会性と政治性

・スターアーキテクト(ムービースターのような建築のこと)

 

それにしても、玄関がスケルトンで、中身が丸見えの家があるが、あれは建築家の山本理顕の「閾」の発想なようだ。プライベートとパブリックの空間が分断させるのではなく、そのマージナルな空間として、いわば公私が混在する”土間”のような空間としてスケルトンな玄関を取り入れているのだという。もとをたどるとアーレントにまでたどり着くそうだ。ただ思想的背景はおいておいて、正直、実用面だといかんせん使いにくいだろうなというのが率直な感想であるが。。

 

本書を通じて、少しでも建築への関心が広まればいいなと思う。そしてリベラルアーツの重要性が広まればなと思う。日本は専門性に固執した偏狭で偏屈な人が多いと思う。

本作は、リドリー・スコットがメガホンを取り、ホアキン・フェニックスがナポレオンを演じた伝記映画である。1789年のフランス革命から映画は始まり、ナポレオンの皇帝即位から、失脚と百日天下、晩年のセントヘレナ島への島流しまでを、ナポレオンの私生活を交えつつ描ている。

映像は美しく、音楽も格調高く、戦争のシーンなども見ごたえはあるし、なによりホアキン・フェニックスが名演。なかなか良作だったと思う。

ただ158分と長過ぎるし、おまけに歴史を単になぞっているような印象も受ける。本作は映画好きというより、歴史好きや世界史で大学受験する高校生にオススメしたいと思ってしまった。歴史好きの私は、この戦いってこうだったのかと歴史の復習がてら楽しめました。

ちなみに、ナポレオンとマリー・ルイーゼの間に生まれた念願の嫡男のナポレオン2世は、ナポレオン失脚後に、母の故郷のオーストリアに移るが、21歳で子供ないまま亡くなり、ナポレオンの直系子孫は絶えている;ただ愛人との間にもうけた私生児の血統は続ているようだ。ナポレオンの二番目の正妻マリー・ルイーゼは、ナポレオン失脚後にオーストリアに戻り、ウィーン会議でパルマの統治権が認められてパルマ女公となり、二度再婚し、56歳で亡くなった。

(蛇足)ナポレオンというと島出身の庶民の田舎者がフランス皇帝にまで成り上がるという下剋上と思われるが、ナポレオン・ボナパルトの家系は古い由緒ある貴族の血統で、お父さんは判事でイタリア貴族だった(後にフランス側に転向しフランス貴族となっている)。

ナポレオンは兄弟姉妹が多くて成人した者だけで8人おり、兄のジョゼフはナポリ王・スペイン王、弟のルイはホラント王、末の弟ジェロームはヴェストファーレン王、妹のカロリーヌはナポリ王妃など各国の王侯になっている。ちなみに、フランスだと、王政復古で第二帝政となった際にナポレオン3世がフランス皇帝に即位しているが(パリを美しく改造したのは彼の功績)、こちらはナポレオンの弟のホラント王だったルイの息子である(ナポレオンからみると甥っ子)。普仏戦争に1870年にフランスは敗北し、第二帝政崩壊後のフランスは共和政になったため、ナポレオンの血筋がフランスにおける最後の君主であった。さらに蛇足をすると、ナポレオンの配下の将軍ジャン=バティスト・ベルナドット(フランスの平民の生まれで兵卒上がり)は、スウェーデンで国王になり、現在のスウェーデン王家まで血統が続きベルナドット朝となっている。

ほんとナポレオンって、本人は最後に失脚しているけど、欧州史において大きな変革をもたらした人物だったのだなぁと思う。


★ 3.8 / 5.0

 

 

さて、本日は恵比寿の東京都写真美術館で上映されているドキュメンタリー映画「アアルト」を観てきた。恵比寿って洗練されてていいですよね~。

 

フィンランドを代表する世界的建築家でデザイナーのアルヴァ・アアルト。そして彼が愛した妻アイノ。彼の作品というより、アアルトの人生と彼の愛した女性に迫った静謐なドキュメンタリー。フィンランドの映画賞のユッシ賞にて音楽部門と編集部門を受賞している。

それにしても映像はまるで芸術作品。ゆったりと建築を空撮した映像が流れ、そこに音楽が滑らかに華を添える。溜息が出るほどに本当に美しい。特に音楽があまりにも見事。音楽は、Sanna Salmenkallio氏が手掛けたそうだが、感傷ながら格調高くとにかく素晴らしかった。

ただ申し訳ないが、あまりアアルトの人間関係などには興味がないので、もう少々、建築思想とか建築の解説が多かった方が良かった。

 

★ 3.6 / 5.0

 

 

さて、ブログ主である当方の最近の専らの関心は、戦後、日本のかつての上流階級(公卿諸侯)がいかに瓦解して「総中流社会」となったかという点にある。戦後、世代を経るにつれて徐々に社会階層が再び顕著になってきているように思われるが、しかし、一度は断絶していることもあり、職種・学歴・年収等の分かりやすいメルクマールがない限り、ある人の社会階層を知りうるのは我が国においては難儀である。英国のように貴族制がある国では爵位の有無はもちろん、発音、身なり、話す話題、読み物、趣味など何から何まで違うので分かりやすい。ドイツ・フランスなどではより顕著に名前に貴族を示す前置詞(ドイツなら"von"、フランスなら"de")が入るので名前で識別ができる。我が国はもともと階級社会だったが、社会主義化したわけでもないのに、ここまで階級意識が希薄な国も珍しい。

 

我が国はもともと中世は公家が貴族であったが、その後、武家の世となり、武家が実権を握った。本来であれば武家は天皇家を廃しても良かったのだが、天皇に統治権を付与されているという権威付けを行ったので、天皇家と公家は温存され、日本の上層は天皇・公家勢力と武家勢力が存在するパラレルな構造となった。しかし、日本が近代国家化するにあたり廃藩置県を行い、公卿諸侯を廃止して、西洋に模倣して上流階級を一まとめにして「華族」という階級をつくったのだ。

 

先ほどは”パラレルな構図”といって単純化したが、実際は公家の子息ながら僧侶になり再度公家に戻り華族となった「奈良華族」、明治維新で勲功あり華族となった「勲功華族」もおり、さらに、武家華族でも藩主で華族となった者、藩主ではないが大藩の家老等のうち1万石以上がある大身から華族になった者もいる。さらに時代を経ると、財閥家や軍功ある者からも授爵者が出ており、彼らはもともといる「旧華族」に対して「新華族」といわれる。

 

上述しただけでも、いかに日本の上流階級である「華族」が多様だったかわかるだろう。欧州の貴族は社会的地位も教養も政治力も手にしていたが、一方で、先述の通り日本は権力構造が複雑だったので、旧藩主の武家華族や財閥の新華族は豊かだったが、一方で、公家華族やら奈良華族は困窮する家も多く、特に奈良華族には爵位を返上する者がいる有様だったという。軍功で爵位を得た軍人男爵は、要は軍人の成り上がりゆえろくな財産もなく、戦後は壊滅した。例えば、大井成元男爵は、陸軍大将・貴族院議員も歴任したが、戦後は、公職追放され故郷の山口県で銭湯の下足番をして一生を終えたという。

 

さて、凄まじく前置きが長くなったが、本書は前田利為侯爵令嬢として生まれ、酒井忠元(酒井忠正伯爵の長子)に嫁いだ酒井美意子氏のエッセイである。巷にある華族の逸話は、華族ではない庶民が聞きかじったエピソードに尾ひれがついていたり、明らかに曲解されていたり、面白おかしく誇張されていたりするが、本書の美意子氏は、華族として激動の時代を実際に経験しており、説得力が違う。戦後に家を接収されたりするが、軍人にもひるまずに対等に交渉したりするところはさすが武家である。また水商売(ナイトクラブ)を経営したりする肝の座り様である。それでも、戦後に90%もの莫大な財産税を課されたくだりの憤怒はひしひしと伝わってくる。この財産税で日本の上流階級は壊滅に追いやられ、華族が保有していた先祖伝来の国宝級の品々が二束三文で売り払われてしまったことは悲劇というしかない。

 

それにしても随所に出てくる矜持の高さも、大名家でも随一の石高を誇った大富豪だった前田侯爵家らしい。高貴ではあるが貧しい公家華族やら奈良華族とは違い経済的に裕福だったことの矜持、そもそも勲功で成り上がった平民あがりの新華族と一緒にされたくはないという思いが随所に出てくる。それにしても五摂家筆頭の近衛家ですら2800石程度で、加賀百万石とは4桁も違うから経済格差は明らかであるが、大藩でも家老ともなると1万石を超える家もあったから公家はその格式に比較して随分と慎ましい経済力だった。ここからもいかに華族というのが多様な集団だったかが分かる。公卿、武家、勲功の成り上がり者など出自はバラバラで、一様の生活様式等があったわけではない。そもそも華族制制定の中心人物の伊藤博文は(最終的に公爵にまで陞爵しているが)、百姓の子だが、父が長州藩の足軽の家に入って下級武士になったに過ぎない。

 

そして本書では皇族のお話もかなり紙面が割かれている。どうやら美智子様のような平民の生まれが皇族に嫁ぐことは良くないというバッシングが、旧華族あたりからあると当時マスコミで書かれていたが、本書の著者の酒井美意子氏はそんな事実はなく、美智子様には好意的な意見が多かったそうだ(ここらへんが酒井美意子氏の個人的意見なのかどうかは不明である)。個人的に思うに、やはり武家は生き残りのために権謀術数を考えてきたリアリズムの伝統があるため、国民的人気にもあり、気品ある美智子様の婚姻に特に拒否反応はなかったのだと思う。逆に格式だけが頼りの公卿の家柄に拒否反応が強かったのではないかと想像する。

 

さて、戦後から80年近くが経過しようとしているが、華族などという西洋かぶれの制度はもはや忘れ去られてしまっている。しかし、各藩を納めていた大名家というのは、いまだに当主がおり家督を継承しており、旧家臣等で一定の集まりなどが催されているようである。ただもはや市井の人であり、何の特権も公的な称号もない。日本の名家も歴史の風化に任せるままになっている。代々特定の集団が上流階級を占めるのも健全ではないと思うが、一方で、文化・伝統を継承する家が歴史に埋もれて消えていくというのは、なんとも無常というか無情というか。

 

華族として生まれ、激動の時代を生きた女性の手記として興味深く読ませてもらった。

「本能寺の変」を巡る各武将の動きを描いた作品。各場面に迫力があり、個人的には楽しめたが、R15指定ということもあって、かなり血なまぐさい。大河ドラマのようにカッコいい歴史物ではなく、戦国時代の生々しい現実を描写しようとしているので、好き嫌いは分かれるだろう。

やや幻想的な光源坊やら、あり得ない空中戦の描写などから示唆されるが、北野武のイマジネーションがかなり反映されており、このファンタジー要素をどう感じるかもかなり人それぞれだ。加えて言うと、北野武流の(ちょっと下品でドギツイ)ユーモアが解せないとつまらないと思われる。はまる人にははまるが、一般受けは難しい作品であるように感じられたが、個人的には大いに楽しめた。

それにしてもエンタメとして面白いのではあるが、登場人物が多く、またその関係性もやや複雑でわかりにくいところもあるので、ある程度、前後の歴史は復習していったほうがいいだろうと思う。ちなみに、織田信長に仕えている黒人の弥助(アフリカ出身)は実在の人物である(当時、ポルトガルが黒人を連れてきており、織田信長に気に入られ召し抱えられたそうだ)。

それにしても本作の主人公は織田信長でもなく、明智光秀でもなく、農民上がりの羽柴秀吉である。戦国時代は討ち取った「首」で、恩賞がもらえ、出世が決まるところがあり、侍になりたい農民上がりの茂助は滑稽なほどに「首」に執着している。明智光秀も織田信長の首を探し回る。一方で、その後、天下人となる羽柴秀吉は、「首」にどういう対応をとるかというと、最後のシーンがなかなか衝撃的だが、「死んでることが分かれば首なんてどうでもいいだよ」と首を蹴り飛ばすのだ。さらには農民上がりの羽柴秀吉は、切腹に向けて舞を踊り、辞世の句を読み、尊厳ある切腹をする城主をみて、「まだやらねーのか、とっとと死ね」と、武人の最期の散り様すら意に介さない。このブラックユーモアというか、冷笑主義(シノシズム)も好き嫌いが分かれるだろう。ただそんな羽柴秀吉は、冷徹に側近すら”後始末”を考えており、ニヒリズムなのではなく徹底的なリアリストであり、よく考えると、時折見せていたその冷徹さにゾッとする。

ちなみに、映画の登場人物のその後をいうと、(誰もが知っている通り)羽柴秀吉は天下統一し豊臣秀吉に名を変えている(しかし、豊臣氏は「大坂夏の陣」で滅亡している)。弟の秀長は、兄を献身的に支え政権の調整役としても活躍するが、子に男子がおらず、また後継者も若く亡くなったため家系は断絶。秀吉に近かった千利休は、秀吉から切腹を命じられ自害。もっとも繁栄したのは黒田官兵衛だろう。その後も勲功をあげ、家康より長子が移封され福岡藩主となっている(明治時代に華族制発足により侯爵となっている。現在でも血統は続いている)。弥助は「本能寺の変」の後は、記録がなくその後どうなったかは不明だそうだ。ちなみに、曽呂利新左衛門も実は落語家として実在したといわれているが、本作のような活躍は創作で、没年も諸説あり、はっきりとはわかっていない。

 

★ 3.9 / 5.0