レインマン [DVD]/20世紀フォックス・ホーム・エンターテイメント・ジャパン

アカデミー賞・ゴールデングローブ賞・ベルリン国際映画祭において作品賞を受賞した作品。自由奔放な青年チャーリーと、サヴァン症候群の兄レイモンドとの交流を描いたヒューマンドラマである。名作と名高いが、正直、期待していたよりは普通の作品という印象。主人公の兄の、サヴァン症候群は、あまり聞かない病名であろう。サヴァン症候群とは、知的障害・発達障害等を持つ人のうち、特定の能力に極めて秀でた能力を示す人のことをいう。床に落ちた爪楊枝の数を一瞬で数えたり、複雑な計算を瞬時にやってのけたりと、こんな人、本当にいるのだろうかと思われるが、レイモンドには実在のモデルがいる。キム・ピークである。2009年に心臓発作で亡くなっているが、彼は9000冊の本を暗記し、どこに何が書いてあるかまで正確に暗記していたという。テレビでも取り上げられる機会も多く、知っている人も多いだろう。


他にサヴァン症候群の人で有名な人だと、BBCの「ブレインマン」という番組で有名になったダニエル・タメットがいる。彼は数学と語学に秀でており、10ケタの計算を難なくこなし、難解な言語もあっという間に習得してしまう。彼の自伝は日本語でも読める;『ぼくには数字が風景に見える』。この本のタイトルの通り、彼は数字を我々一般人とは違うようにみているという。例えば、数字の4は、物静か、恥ずかしがりやなのだという。彼は計算する時、彼の脳内では数字が混ざり、別のイメージに変化するので、彼は意識的に計算せずとも答えが分かるのだいう。BBCの番組「ブレインマン」では、彼が最も美しい風景と言う円周率を彼に見せた時の脳波を測定すると、脳波は安定していた。しかし、膨大な円周率の一部を彼に見せて、一部をわざと数字を入れ替えたりして彼に見せたところ、脳波が乱れたという。彼は円周率と言う美しい風景に穴が開いていたり、おかしいと感じたという。彼が単に円周率を暗記しただけではないことはこのことからも明らかである。


こうした数字に視覚的な要素を感じたりするのは、「共感覚」の一種である。音楽家は「色聴」といって、音に色を感じる人が一般人より多いという。とはいっても、人によって感じ方はマチマチで、コルサコフはイ長調はバラ色にみえ、スクリャービンは緑だといっている。共感覚を持っている人は珍しいと言われるが、「冷たい言葉」「暗い声」というように、ある感覚を他の感覚で代用して表現することはままあるので、みな少しは共感覚を持っていると思われる。私もそこまで強くないが共感覚がある。1~5の数字は暖色、6~9の数字は寒色のイメージが強い。ただし、3は寒色で水色っぽく、7はオレンジ色。7は背が高い。6は非常に重く、鉄のイメージがあり、知的である。特に6・9の組み合わせは非常に安定的で落ち着く。なんのことか分からないと思うが、これらが個人的に持つ数字のイメージである。といっても、数学はさほど得意ではない。ピアノは弾くが、残念なことに「色聴」はほとんどない。


話が随分とズレたが「レインマン」という映画は、稀有な症例の知名度を高めた点では非常に価値がある。ちょっと疲れた時に心温まるヒューマンドラマが観たいというのであれば、本作はオススメかもしれない。

知識ゼロからのオペラ入門/幻冬舎

私はクラシック音楽が好きであるが、クラシック音楽とはいっても、ピアノが主な関心で、オペラは門外漢であった - 知っているのは教科書に載ってるような本当に著名な作品のみ。主な作品ぐらいは教養として知っておこうと本書をAmazonで購入。映画「ゴッドファーザー PartⅢ」ではオペラ「カヴァレリア・ルスティカーナ」の曲が使われ、映画「フィラデルフィア」では「アンドレア・シェニエ」の音楽が効果的に使用されているなど、オペラは西洋における知識人の教養として様々なところに散りばめられているので、オペラの知識は西洋文化の理解には不可欠なのである。日本でも、フィギュアスケートで有名になった「誰も寝てはならぬ」等、オペラの曲が使用されることは珍しくない。


本書の著者の池田理代子氏は「ベルサイユのばら」の著者である。池田氏は、東京教育大(現 筑波大)文学部哲学科で学んだが、親の援助を打ち切られたことがきっかけで生活の糧として漫画を描き始めた(大学は中退)。その後、40代で音大を受験し、東京音楽大声学科を卒業されている。声楽は歳をいっていても、練習すればそれなりに芽は出るという - ピアノは脳の発達との関係もあってどんなに遅くとも11~12歳頃に開始していないとプロは困難である。


本書は有名な50本のオペラを簡易に説明しており、入門者に優しい本である。おまけに18曲入ったCD付。大目に作品が取り上げられている作曲家は、ヴェルディ・プッチーニ・ワーグナー。ピアノ界の作曲家とはやはり違う面々。ヴェルディがオペラで有名とは聞いていたが、ここまで著名な作品が多いとは意外であった。オペラは1回しか観たことがないが、いつか本場で観てみたいものである。本書を読んで、曲は知っていたが、ストーリーを知らないものが多く、非常に勉強になった。特に理由はないが、観てみたいオペラは「ドンジョバンニ」「サロメ」「アイーダ」「蝶々夫人」である。近々日本でオペラに足を運んでみようかと思う。


久しぶりに早稲田松竹に行ってきた。こちらは名画座で過去の作品を2本立てて放映している。大人は1,300円払えば2本観れる。早大の学生時代、よく通ったものである。カンヌ映画祭グランプリ作品「夏をゆく人々」をやっていたので久々に観に行ってきた。


舞台はイタリア・トスカーナの田舎町。養蜂を営む貧しい一家のひと夏を、四人姉妹の長女ジェルソミーナの視点で描いていた作品。・・・というと、牧歌的なイメージだが、実際は家族のいざこざ等、本当に田舎町のあまり学識もないような家族を現実的に描いていて、田舎の良さはあまり感じられない。映画中に「ミラノに行きたいか?」というような会話や、ジェルソミーナが町にやってきたテレビ番組の都会的な司会者の女性に憧れるように、田舎と現代の都会的な生活との執拗な対比が気にかかる。その対比が映画の焦点なら分かるが、ドイツの不良少年を更生の一環で受け入れてみたり(実際は謝礼目当て)、その少年とジェルソミーナとの恋愛ともとれなくない関係だったり、横柄な夫に愛情を持ちながらも飽きれて別れを決意する妻の姿、居候の女性、やたらと猟師を嫌う主人公の父親、その父親はラクダをなぜか買ってきたり等、よく分からない要素が組み込まれており、映画の軸がよく分からない。主人公一家は結局その田舎から引っ越していく。結局、現代化の波に流されていった田舎の一家を、あまりにも現実的に描写した映画作品なのだろうか。ジェルソミーナと不良少年との交流は、思春期によくある想像的な幻想の一幕なのか・・・。本作、期待したものとは違ったが、やはりカンヌ映画祭グランプリだけあって、観客の視聴力を試してくる。あれこれ思いを馳せさせられる作品である。


二本立てだし、ついでに観た作品だったが、正直、目当ての「夏をゆく人々」より良作だった。全く世に出てなかった写真家ヴィヴィアン・マイヤーに迫ったドキュメンタリー。ジョン・マルーフがオークションで写真のネガの入った箱を落札。よくみてみると素晴らしい写真の数々。写真を撮った人をネットで検索しても、死亡記事しか出ない。しかし、調べてみると、多量に存在する未公表のネガの数々。なぜ未公表なのに写真を撮り続けたのだろうか。この写真家はどんな人だろう?マルーフは興味にかられて調査を始める。どうやら写真は撮っていたが、ただのナニー(要はベビーシッター)としての生涯を送った人のようである。夫も子供いない。ルーツがフランスにあるようではあり、フランス語訛りの映画を話していたが、実はNY生まれ。謎多き写真家の素顔に、マルーフが、関係者のインタヴューを通して迫っていく。何がすごいって、焦点のマイヤーの才能よりも、彼女を狂信的に調べたマルーフの執念だろう。マイヤーはだいぶ変わり者だったらしいが、マルーフもなかなかである。しかし、彼の尽力で、写真家の歴史に新たな人物が加わった思うと、敬意を表せざるを得ない。テンポも良く、写真への興味をかきたてられるドキュメンタリーであった。非常にオススメである。

元航空幕僚長の田母神俊雄氏の政治資金を巡る横領事件で、資金管理団体の元会計責任者が東京地検特捜部の任意の事情聴取に対し「田母神氏らに指示され、毎週のように団体の口座から数十万円を引き出して渡していた」などと話していることが、関係者への取材で分かりました。

NHK:http://www3.nhk.or.jp/news/html/20160308/k10010436021000.html


田母神俊雄は自衛隊出身で、田母神論文問題で、更迭された。2014年には都知事選に出馬も落選、次世代の党の副代表に就任するも、同党は第47回衆院選挙で大惨敗した:同党は「日本のこころを大切にする党」と改称している。教育勅語を重視する等、右翼的な発言が目立つ(*)。とはいえ、教育勅語といっても、常識的な内容である。彼の大好きな教育勅語は12の徳目から成る。例えば、「夫婦相和シ(夫婦は互いに分を守り仲睦まじくしましょう)」「常ニ國憲ヲ重シ國法ニ遵ヒ (法令を守り国の秩序に遵いましょう)」である。
*ブログ:http://ameblo.jp/toshio-tamogami/entry-10489091598.html


彼のブログを読むと、彼は教育勅語を復活させれば日本が良くなるというような空想を抱いているようである。しかし、教育勅語復活を唱道する彼は、不倫し、法律上の妻に離婚と慰謝料を請求し、離婚裁判を起こそうとしていたが、家裁に請求を棄却され、控訴審でも信義則上許されないと棄却されている。そして今度は政治資金の横領である。これは業務上横領という立派な犯罪である。もちろん、有罪と確定していないが、関係者の証言の報道をみるに信憑性が高そうである。自身の行動と、教育勅語との矛盾をどのように考えているのだろう。ちなみに、幸福の科学大で教授になる話もあったが(幸福の科学大は文科省が認可せず)、その設置母体の宗教法人「幸福の科学」の教祖の大川氏も、妻と離婚し、29歳年下の女性と再婚している。奥さんを大切にしない者同士、気が合うのでしょうか?


自民党は保守政党で、道徳教育などを推進している。未公開株を持ちかけて金銭トラブルを起こし自民党を離党した武藤貴也という議員がいるが、彼のブログのタイトルは「私には、守りたい日本がある」である(http://ameblo.jp/mutou-takaya/)。日本を守りたいというブログタイトルの通り、記事は右翼的なものが多い。しかし、彼は議員宿舎で未成年の男性を買春し、おまけに体調不良とかこつけて国会を長期間欠席していた。江戸時代ぐらいまでは男色は一般的だったから、「守りたい日本」というのはそういうことかと一瞬納得しかけたが、歳費を受けながら国会を長期間欠席はいただけない。法律には引っかからないが、売春防止法の立法趣旨からも、議員宿舎での買春行為は到底容認できない。最近、不倫で議員辞職した宮崎謙介も自民党。道徳などの念仏が全く役に立たないことは自身らが身を持って証明している。


政治家がなぜ下半身の不祥事等が多いのだろう。注目度が高く、発覚しやすいということだけではあるまい。性欲はテストステロンという男性ホルモンが関係している。テストステロンは、リスクテイカー(リスクを取りやすい)傾向があるという。リスクが高いがハイリターンの、ウォール街のヘッジファンドの勤務者などはテストステロン値が高いという。議員もギャンブルみたいな仕事だ。おそらく政治家を目指す人は功名心が強く、選挙での落選というリスクも許容するからテストステロン値も高いことだろう。結局、選挙のようなリスクの高い選抜の結果、リスクテイカーが多くなり、彼らはテステステロン値が高く性欲も強いのではないか。ゆえに、政治家は下半身の不祥事が多いのだとすれば、一定の因果関係はあるのだろう。後天的な教育で人は育つと思われがちであるが、それよりも先天的な性質の方が大きな決定力を持っていると思われる。

池田信夫が記事で書いていて知ったのだが、「保育所落ちた日本死ね!!!」という記事がいま話題のようで(*)、国会でも取り上げられたそうである(**)。

*http://agora-web.jp/archives/1671945.html
**http://www.j-cast.com/2016/02/17258821.html


日本の少子化は異常なスピードで、日本は急速に経済大国となったことで名をはせたが、今度は急速に少子高齢化する国として有名になるだろう。首都圏は人口減少の傾向はないが、地方の人口減少スピードは異常ともいえる。秋田県は2012年3月31日時点で人口108.6万人いたが、現在の最新データだと、2016年2月01日時点で101.9万人と、たった4年で人口が7万人近く減少しており、1年1万人を超すペースで人口が減っている。このペースだと、2020年には確実に人口は100万人を割る。これが地方の実情だ。


よく少子化対策として育てやすい制度作りが指摘されるが、少子化の最大の原因は、婚姻世帯における出生率の低下ではない。非婚化である。ここでいう出生率は、合計特殊出生率のことで、女性が一生涯に産む子供の数のことである。合計結婚出生率は2010年頃でも約1.9人程度で、婚姻した女性のみでみれば生涯に2人程度は子供を産むのである - 社人研の2010年調査では夫婦の予定子供数は2.07人でそう大きな乖離はない。少子化の最大の要因は、人口学者で合致した答えである「非婚化」である。なぜ非婚化したのかは、過去に記事を書いたが、学者の間でも合致した見解はない(***)。保育園は婚姻夫婦が出産に際して悩む話で、少子化対策という点ではさして効果はないだろうと考えられる。ただ、待機児童が減少し、女性の就労が増えれば、GDPには寄与するだろう。
***http://ameblo.jp/zivilisation/entry-11842487641.html


保育園の待機児童は単純な話で、池田信夫氏も書くように、マーケットメカニズムに任せればいい。それでは経済的弱者が弱い立場に置かれるので、バウチャー制度を利用して援助を行えばいい。極めて簡単な話である。ただ政治的には難しい。社会福祉法人は、厚労省の天下り先だからである。日本は保育・教育分野は社会主義的である。社会主義国だったソ連時代、多くの人がパン屋に行列をつくった。ソ連時代、学校の制服は年1回の配給制で、1年のうちに身長が急に伸びても新調は出来ず、個人の成長速度は加味されずに一律的に支給された。日本では、多くの人が保育所に行列をなしている。日本の子供は、いくら学校の授業の進度が遅いと感じても留年も飛び級もできない。日本に必要なのは保育・教育分野の社会主義システムを放棄し、経済合理的で、自由な選択が可能なシステムを受け入れることである。しかし、賄賂・不倫・売春で忙しい現代の日本の政治家とは、そもそも問題意識すら共有できていないだろう。安倍首相は道徳教育必修化や愛国心だの実益が分からない意味不明な妄言を吐いていないで、さっさと教育の自由化を進めるべきだ。