以前、鈴木博之の本を読んで、感銘を受けたため、鈴木氏の別の本を読んでみた。地霊はゲニウス・ロキの訳であり、各場所に存在する歴史と、蓄積された文化のことをいい、土地柄やその土地らしさという意味合いともいえる。本書は、東京の13か所を取り上げ、その土地に眠るゲニウス・ロキを考察している。1990年の本なので(私が生まれた年)、内容はやや古い箇所もあるが、東京という都市の発展を感じられる - 上記のAmazonの本は文庫版であるが、私が読んだのは初版。

 

私は上野が好きである。美術館・博物館・音楽ホールがあり、緑も多く、散歩していて非常に気持ちが良い。上野には寛永寺があるが、これは江戸城からみて上野が鬼門に当たるので、鎮護のために置かれたという。上野は台地であるが、これを比叡山、不忍池を琵琶湖に擬することで、江戸に欠けていたを京都の格式を補おうとしていたという。不忍池の弁財天は、琵琶湖の竹生島の島の模倣なのだという。上野に芸術施設が多いというのは、明治政府の上野という鎮護の土地への敬意のあらわれなのだという。

 

また、柄ではないが、六本木周辺もハイソな感じがして好きである。もともとは林野庁の土地であり、これが民間に払い下げられ、森ビルがこれを購入したのである。さらに遡れば宮家、時代に翻弄された皇女和宮様(その後の、静寛院宮)も住んでいたという由緒ある土地である。GHQが皇室財産を国有化した際にこの土地も国有化されたのである。かつて静寛院宮も通ったであろう、東京と江戸を時代を超えてつないでくれるような趣のある小暗い小路は1980年代にはすべて消滅したという。

 

また、私は建築が好きであるが、特に歴史ある名建築が密集しているのは東京だと東京大学本郷キャンパスであると思われる。本郷キャンパスの建築は、「内田ゴシック」とも呼ばれる様式に統一されている。完成当初から、こういう建築なのだと勝手に思っていたのだが、違うという。最初は建てられる時期によって様式が異なり、擬洋風・ヴィクトリアンゴシック・古典・改良型ゴシック(ロマネスクを加味したようなゴシック)が混在していたという。しかし、それが関東大震災にて大破したため、東大等学部教授の内田祥三であった。彼は自身の出自の東大工学系の建物の建築様式である改良型ゴシックで、東大の建築を復興したのである。そのため、内田ゴシック建築で統一されているのだという。それにしても、なぜ大学にはゴシック様式が多いのだろう。明治学院のチャペル、慶應義塾の旧図書館、早稲田の大隈講堂はゴシック様式である。それは、大学が中世の修道院にその起源があり、その修道院・教会で発達したのがゴシック様式なのだ。

 

銀座にいくと服部時計店は角地に時計塔を持っている。新宿伊勢丹や日本橋三越も角地である。これは商業的に角地の方が適しているためだ。一方で役所はゆったりとした都市に建築できるので、左右対称で威厳のある建築が多い。帝冠様式が良い例だろう。早稲田大のシンボルである大隈講堂が、あえて左右非対称で時計塔を設けたというのは、お上の建築様式は用いないという反骨の校風の現れともとれるのではないかという。

 

何の変哲もない土地にもたしかに歴史・文化が潜んでいるのである。日本も成熟社会になり、スクラップ・アンド・ビルトの土地開発には終止符を打っても良いのではないだろうかと思う。現代は過去の集積である。合理的・経済効率的ばかりでは面白みがない。過去をふと垣間見れる趣のある小暗い小路が少しも残っていない情緒の無い都市など息苦しいだけである。



もはやブログが、本・映画評ブログと化していて恐縮である。「山河ノスタルジア」は、三大映画祭を制覇したジャ・ジャンクー監督の中国映画である。ジャ・ジャンクー監督は、急激に変化する中国社会を市井の人々に焦点を当てて描いている作品が多い。前作の「罪の手ざわり」は、社会変化に暴力的に反応した人々に焦点を当てたが、今回は過去・現在・未来にわたる母と子の関係に焦点を当てている。渋谷のBunkamuraのル・シネマで観てきた。

【ストーリー】
1999年、山西省・汾陽。小学校教師のタオは、炭鉱で働くリャンズーと実業家のジンシェンの、二人の幼なじみから想いを寄せられていた。やがてタオはジンシェンからのプロポーズを受け、息子・ダオラーを授かる。
2014年。タオはジンシェンと離婚し、一人汾陽で暮らしていた。ある日、タオは父親の死をきっかけに離れて暮らすダオラーと再会し、彼がジンシェンと共にオーストラリアに移住することを知る。
2025年、オーストラリア。19歳のダオラーは長い海外生活で中国語が話せなくなっていた。自らのアイデンティティを見失うなか、中国語教師ミアとの出会い、かすかに記憶する母親の面影を探しはじめる――。(Bunkamura:ル・シネマHPより)


中国の社会変化は著しい。欧米で100年かけて進んだ社会変化が、ここ20年ほどで急激に起きている。その社会変化の中で生きる人々の生活スタイルは物質的には大きく変化したかもしれないが、人々の心は変化についていけない。変わらなくてよい部分も変化を強いられ、その結果、人々の中にはどこか満たされない切ない感情が芽生えてしまう。この映画は、変わらなくていいにも関わらず変化を強いられた母と子の切ない関係性から、現代中国及び近い将来の中国の風景を見事に描写してる。異国にいても、母国の言葉は忘れても、母の面影を求めるダオラーの姿はあまりにも切ない。ミアのいう「時が全てを変えるわけではないのよ」という言葉が非常に意味深に感じられる。

映画の曲のセレクトの極めて見事である。印象的に用いられているのが、誰でも一度は聞いたことがあるであろうPET SHOP BOYS 「Go west」。この原曲は西部開拓時代の米国がモチーフの歌で、豊かな大地を目指す精神を歌っている - PET SHOP BOYSのバージョンはリメイクであり、東(ソ連・社会主義)から西(米国・民主主義)への移行をモチーフとしている。本映画では、豊かで自由な生活目指す中国の人々に、その曲想を重ねているのである。最後、Go westをBGMにリャンズーが雪の中で孤独に踊るシーンは、経済発展とは裏腹に孤独を深める市井の人々を、極めて見事に描写している。また、香港の歌姫サリー・イップの1990年のヒット曲「珍重」も重要なシーンで絶妙に使われ、切なさを増幅させる。

あと、映画の画面に注目なのだが、映画のストーリー(過去、現在、未来)につれて、れぞれ、画面の左右が、広くなっていくのである。これは映画の視聴者の視野の拡大とともに、実際に生きる人々の視野の広さをも表しているのだろうか。グローバル化が進み、個人の行動範囲が拡張し、それぞれ己のアイデンティティなどすら自由に獲得できる現代社会。しかし、己のルーツを知りたいという欲求、母を追慕する思いなど、人々の内面はそう簡単には変化しえない。2025年に再度見直してみたい作品である。


非常に評判が良いので、柄ではないが、ディズニー映画「ズートピア」を観てきた。最近のディズニーは好きな作品がなかったのだが、これはかなりの良作である。辛口コメントも多い「Yahoo!映画」で約2600人が評価して4.4点だから相当な高評価である(ブログ投稿時点)。可愛いキャラクターから子供向けかと思いきや、ストーリー展開やウィットの効いた笑い(ゴッドファーザーへのオマージュなど)は大人向けである。

映画のストーリーは簡単にいうと、か弱いウサギのホップスが、周囲に無理だと言われながらも警察官になり、意地悪なキツネのニックとともに、ズートピアで活躍するというものである。ズートピアでは何でも夢がかなうという夢の都市である。テーマは差別と偏見である。これは、偏狭な思考が広がる自由の国アメリカの自己批判的な映画なのである。そうした問題をコメディを織り交ぜながら、可愛らしいキャラクターで上手くまとめるというのはさすがディズニーである - 米国のソフトパワーは強い。ここまでストーリーで楽しめるとは予想していなかったので、嬉しい誤算であった。差別・偏見とはいっても、弱者への差別だけではなく、”多数の弱者”による”少数の強者”への逆差別の問題など難しい問題を上手く取り上げ(か弱い主人公のウサギ・ホップスも実は立場が違うだけで偏見と差別をしているというストーリー上の仕掛けはよく出来ている)、また、最もらしい論拠(生物学的理由など)で偏見を煽ったりするところは現実にも多々あることであり、非常に考えさせられる。差別・偏見を少なからず経験があるだろう大人の方が共感できるかもしれない。なんとなく差別・偏見のために夢を諦めたキツネのニックのいう「自分以外にはなれないんだ」という言葉が印象に残った。また、テーマ曲の「Try everything」も素晴らしい。誰でも楽しめる作品なので非常にオススメである。

 法科大学院の志願者減少に歯止めをかけるため、文部科学省の中央教育審議会・作業部会は、受験者の第一関門になっている共通テスト「適性試験」を各校が任意で利用する方式に転換する方針を固めた。
 11日の中教審・特別委員会に報告書を提出し、2018年度の実施を目指す。これにより、適性試験は廃止に向かう見通しで、法曹としての資質を入り口でチェックしてきた法科大学院は当初の制度設計から一層乖離(かいり)が進むことになる。

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20160507-00050168-yom-soci

 

法科大学院の適性試験が廃止されるという。私もこの試験を受けたが、正直、司法試験との相関性は疑問に感じた。基礎知能検査みたいなもので、対策次第で点数はとれる。とはいえ、全然点数が取れなくても入れる法科大学院はいくらでもあったので、私の受験の時期でもほとんど形骸化していたように思われる。

 

そもそも米国は法学部がないから大学院でロースクールが設置されているのであり、法学部のある日本に法科大学院はそもそも不要であった。多様な人材を法曹にするという理念もあったが、日本では大学院進学が一般的ではなく、学費の高い法科大学院が実質的に参入障壁となってしまっている。法曹の増加も、多様な隣接法曹がいる日本では必要性に乏しかった。

 

ロースクールは米国にならった制度だが、米国は州ごとに法律が違うので州ごとの法律家の専門家が一定数必要である。また、判例法なので判例調査で弁護士の人手が必要となる。不動産も権利関係が複雑で、日本のように司法書士が書類を書いて役所に提出すれば済まないケースが多々あるという。しかも、米国は議員立法ゆえ、法律の条項の解釈で疑義が生じることが多い。日本では行政が行うサービスを、米国は弁護士が提供するなど官治国家の日本とは大幅に事情が異なる。社会・文化の事情の違う国の制度を輸入して上手くいくはずがないのだ。

 

今年の法科大学院全体の入学者はたった計1857人。前年から約16%も減っている。試験に合格しても弁護士は就職難だし、ほとんど全入なので法科大学院卒の学歴などほとんど企業就職では役立たないし、仮に就職できても法科大学院進学に伴う機会費用と学費をペイするとは到底思えない。経済合理的に考えれば進学は回避して予備試験を目指すのが合理的選択である。お金は関係ないという理想論を持ち出す人もいるが、現実問題として金銭問題は個人の意思決定において大きな誘因となっており、制度設計を理想論だけで構築すれば、今日の法科大学院のように瓦解することとなる。

 

近々募集停止する法科大学院の有力候補はH28の入学者が10人未満の次の8校だろう。駒澤大9、南山大9、近畿大9、金沢大8、琉球大8、愛知大7、福岡大5、北海学園大1である。H28年度の対定員での入学者比率が50%未満の大学も募集停止の有力候補である。なぜなら定員の半分も入学がないことは確実に赤字を意味し、大学経営の足かせとなっている可能性が高いからである。全部で15校ある。千葉、横浜国立、名古屋、北海学園、青山学院、駒澤、法政、明治、立教、桐蔭横浜、愛知、南山、立命館、近畿、福岡である。10人未満かつ定員充足率が50%未満の、駒沢・南山・近畿・福岡・愛知・北海学園6校は近々募集停止の最有力候補である。経営が税金頼りながら実績が出せない地方国立大の琉球・金沢は経営に余裕があるとは思えないので(同レベルの熊大・静大・信大等も募集停止を発表済み)、前々から募集停止が囁かれているが、そろそろ募集停止だろう。有名私立大の明治・立教・法政・青学は大学の威信に関わるので意地でも維持するだろう。ちなみに、定員充足率が5割以下の法科大学院には、旧帝大の名古屋大が含まれており、入試倍率2倍未満にも北海道大・東北大が含まれている - 北海道大・東北大は定員充足のためにかなり緩い基準で入学を許可していると推察される。旧帝大ですらこの状態なので、年々志願者が減る法科大学院制度が今後も存続すると考えるのはあまりに楽観的であろう。これ以上、法科大学院を延命するメリットは見当たらない。旧司法試験に戻したらどうだろうか。法科大学院の教育がそこまで意味があるものであれば、社会人の再勉強の場、他学部出身者で法曹を目指す人の勉強の機関として存続すればいいのではないだろうか。とりあえず、国は法科大学院制度の犠牲者に謝罪すべきである。

東京レインボープライド2016
都内で開催された「東京レインボープライド2016」でパレードをする参加者。LGBT(レズビアン、ゲイ..........≪続きを読む≫

昨日と今日、東京レインボープライドというLGBT向けのイベントが行われ、渋谷ではパレードも開かれたようだ。興味深いのはこのイベントに、弁護士で保守系議員の稲田氏も参加したらしい。稲田氏は伝統的な家族を尊重する立場であり、LGBTはおろか事実婚やシングルマザーの支援にすら消極的な人物であったはずである。次回の選挙のために、LGBT支援をして票を集めようという党利が働いているのは明白である。自民党はLGBTには批判的な議員が多く、例えば柴山議員は「同性婚を認めれば少子化が進む」とテレビで発言し、物議をかもした。テレビで柴山氏は「戸籍を変更などの手続きをとれば現在でも婚姻は可能」という趣旨の発言をしていたが、性同一性障害と同性愛を混同している - 出演者のミッツマングローブ氏に同性婚とは全く別問題ですよと、その場で指摘されていたが。同性愛者なんて人口の5~7%程度で出生率の影響は軽微であり、欧米では同性愛を容認後に出生率は逆に回復している。多様な家族を認めない排他的な制度が、人々を結婚、ひいては出産から遠ざけているのである。

 

ただ、稲田氏の矛盾挙動を批判する声もあるがこれは筋違いである。政治家にとって最大の関心事項は選挙であり、集票のために信条なんてコロコロ変わる。LGBT系の団体はこの機をうまく利用するべきである。稲田氏以外にも自民党関係者にLGBTに関して多くのことを話させて、なるべく多くの言質を取るべきである。権利獲得は政治的であり、狡猾に動くべきであろう。もともと同性愛はキリスト教で忌避され、日本は明治期にその概念を輸入したが、欧米はすでに同性婚容認が多数派である。明治期に輸入した同性婚忌避の教条を、日本の伝統だと思い込んで守っている様は滑稽そのものである。

 

ふと不思議に思っていたのだが、なぜLGBTの活動がここまで活発化したのだろう。これは20世紀に都市化が進んだからであろう。農村社会は田畑を子供に相続するために世継ぎの確保が重大事項であり、同性愛を忌避する意識が醸成されやすい。また、LGBTは少数派なので、農村のように田舎では相手を見つけることも極めて困難だし、結婚するのが当然とされる社会であるので個人の性的な自認は尊重されない。しかし、近代化したことで、多くの人は教育の恩恵に授かり、また経済構造の変化で多くの人が都市部へと集まる - 特にLGBTは仲間を求めて都市部を目指した。個人が自我を持ったことで個人の活動範囲が拡張され、また都市部では人口が多いのでLGBT同士が結びつきやすくなったこともあり、世界各地でLGBTのムーブメントが生じてきたのである。特に90年代以降はネットを通じて、LGBTのコミュニティ形成が促進され、ついには政治にまで影響を及ぼすまでとなったのである。アメリカでLGBTの活動が活発だったのは、キリスト教的な価値観による抑圧が強かっただけではなく、典型的な近代都市がいちはやく形成されたことも影響しているだろう。こうしたLGBTの権利保護は、開かれた自由な社会への一歩になるだろう。