2024年4月21日、フジコ・ヘミングさんは92歳で天国へと旅立っていった。奇しくも本作でフジコさんは自身の最期についても語っているが、天国で家族や自分が保護した愛犬や愛猫と再会できているといいなと思う。本ドキュメンタリーの完成が間に合ってよかった。フジコさんの姿と演奏は映像として永遠に保存され、多くの人に感動を与えるだろう。
前作のドキュメンタリー映画「フジコ・ヘミングの時間」(2018年公開)はロングランヒットだったが、前作はどちらかというとフジコさんの当時の生活に焦点が当たっていた。本作では前作と同じく小松莊一良監督がメガホンを取り、2020年からの4年間にわたる旅路を撮影しているが、本作はフジコさんが疎開した岡山の小学校や父や母との思い出など、半生を感じさせる内容だった。歳を重ねても演奏家として活躍し、明るく生きるフジコさんに生きる希望を貰えた。
一方で本作中、愛犬も愛猫も次々に旅立ってしまう。最後に残った最愛の弟も亡くなってしまった。死が本作の随所に垣間見えるが、その一方で際立つ生きることの素晴らしさもある。苦労を重ねても希望を捨てずに演奏活動を続け成功を掴んだフジコさんが、自身の最期を予感しながら話す人生訓はどこかしんみりとくる。
それにしてもフジコさんの演奏はじんわりとくる。際物のピアニストなどという人もいたが、一世を風靡してから二十年以上経ってもコンサートチケットは売り切れだから、やはり聴衆を魅了する何か魅力があるのだ。
本作でもフジコさんが語っているが、19世紀的なロマンチックな演奏が失われ、機械で氷のような演奏にとってかわられてしまった。後者はノイエ・ザッハリヒカイト(新即物主義)のことである。楽譜に忠実に私情を挟まない演奏で、フジコさんの演奏の真逆である。しかし、フジコさんの演奏が共感と感動を呼ぶように、機械のような演奏ではなく、聴衆が求めるのは19世紀的なロマンチズムなのだ。コルトーやサンソン・フランソワなど人間味ある風雅なピアニズムである。
それを現代に継承できたのは聴力を失っていたからだろう。聴力を失っていたからこそアスリートのようなピアニズムの発展から離れて古き良き演奏スタイルを維持できたのではないかと思う。
劇中でも流れるフジコさんの演奏は技巧等では拙さもあるが、わざわざ観客はフジコさんの演奏を聴きに来る。それは年を重ねた彼女ゆえの詩情ある演奏を求めるからだ。ミロのヴィーナスやサモトラケのニケなどが不完全だからと人を魅了しないだろうか?不完全さにも美を見出すのが人間の感性の豊かさの証なのだ。
フジコさんの生の演奏はもはや聴くことはかなわない。発された音はその瞬間から減衰し消え去ってしまう刹那的な芸術だ。そんな刹那の音に美を見出し、感激することこそ豊かな人間社会の証なのだと思う。即物的な世の中だからこそフジコさんの演奏が必要だった。もう生演奏は出来ないが、彼女の演奏を語り継ぐことはできる。ぜひ多くの人に視聴いただきたいドキュメンタリーだ。
★ 4.5 / 5.0

