エドワード・ヤンは10年前に死去した台湾の監督である。「台湾ニューシネマ」の旗手だった。彼の生誕70周年を記念し、彼の1985年の作品「台北ストーリー」が、4Kデジタルで修復され、渋谷のユーロスペース等で公開されている。彼の作品はヤンヤン 夏の想い出しか観ていないが、当該作品は、急速な台湾の社会変化の結果、人々に生じた歪みがリアルに描かれた傑作だった。

 

「台湾ニューシネマ」と書いたが、これは1980~1990年代の台湾映画界におけるムーブメントである。戦後からしばらく続いた文化・政治・経済の停滞から、その後の急速な経済発展と社会政治における自由化 (これによる社会環境の急速な変化)の影響によって、単純なストーリーのヒーローものやプロパガンダ的な映画から分離した、国際映画市場で評価される作品が希求される。そんな中、社会変化に市井の人々を客観的・写実的に丹念に描く映画が生まれた。それが「台湾ニューシネマ」である。抑揚のない落ち着いたストーリー展開が特徴である。

 

「ヤンヤン 夏の想い出」では、印象的な台詞などが多かったが、本作では台詞も少ない。しかし、その分、映像描写が見事だった。興味深いのが建物をとおして、台北という都市の変化を感じさせる点である。前半、新しいビル群はどれも一様で同じように見えると主人公が述懐するシーンがあるが、映画の後半では、台北の歴史的な重厚な建物が光が当たっては消えていくというシーンがある(一瞬蜃気楼のように感じられる)。このシーンは、新しいものにとってかわられていく旧い台湾を象徴するかのようである

 

若者がバイクで市内を疾走するシーンで、ライトアップされた建物が次々に映し出され消えていくシーンがあるが、その垂れ幕に「中華民國萬歳」と書いてあったのが印象的だった。政治的には不安定ながら、経済発展していく中華民国という国家の不安性を暗示するかのようだ(台湾をあえてこのように捉えるのは、監督が外省人で、かつ米国留学をしていたので台湾を客観的に見つめられたからだろう)。ラストのシーンでは、主人公が、米国企業の支社が入る予定の空っぽのオフィスの窓から、向かいのビルの壁に貼り付けられた”鏡に映った車の流れ”を見ている。もはや過去は蜃気楼のように消えてしまい、鏡に映る幻影をみているような気分にさせられる。監督は、ここにひたすなら経済発展に対する哀愁を描こうとしたのだろう。

 

ストーリーテリングな映画ではないので、恋愛のもつれ云々の話は全然頭に入ってこなかった。しかし、監督は本作によって80年代の台北の在り様を見事に描写することに成功している。興行的には失敗し、台湾では4日で打ち切られたらしいが、台湾ニューシネマの貴重な作品として歴史に残るのではないだろうかと思われる。なんとなくだが、視聴感が、ジャジャンクーの「プラットフォーム」のそれに近い。

「都民ファーストの会」代表の小池百合子都知事は17日、都内で開いた東京都議選(23日告示、7月2日投開票)の街頭演説で、妊娠中の女性候補に心ない批判が出ているとして、「他の国ではあり得ないことだ」と、強い怒りを示した。 「都民ー」は48人の公認候補を擁立。小池氏は、女性候補は17人で、そのうち2人が妊娠中であることを明かした。-- 日刊スポーツ

 

「都民ファーストの会」候補者の2名が妊娠中らしい。この身重でありながら出馬することについて批判があったらしく、小池氏は「他の国ではあり得ないことだ」と主張しているらしい。この小池氏は批判させてそれに反論するという構図を描くのが好きだから、わざわざ妊娠中の人を候補者に入れたのだろう。炎上商法ならぬ、炎上選挙戦術である。

 

しかしながら、常識的に考えれば、妊娠中であれば出馬すべきではない。選挙期間中は走り回るし、睡眠時間だっけ削られる、ストレスも増える等、母体への負荷が大きく、赤ちゃんへの悪影響が懸念される。一人は現在妊娠6か月目のようだが、流産などのリスクは承知なのだろうか。自分のわがままのために胎児を危険にさらすことは倫理的に許されない。出産を終えたあとで、出産・子育ての苦労を踏まえ、その声を都政に活かすために出馬すればいいだけだ。わざわざ妊娠中に出る合理性は全くない。

 

さらに、他の国ではあり得ないことだといっているが、一体全体どこの国の話だろう。日本もかつてはそうだったが、海外では政治家は名誉職に近いところもある。ボランティアに近いにも関わらず、自分の仕事と折り合いをつけて政治活動をするからこそ誰も批判しないし尊敬を集めるのだ。ドイツだと市町村議員は名誉職であり給与がなく(年金も当然無し)、仕事を休んで議会に出る費用弁償として数万円が支払われる程度である。

 

給与の出る場合でも、パリ市の市会議員は年収600万、アメリカ第三の都市のシカゴ市会議員は850万程度に過ぎない。一方、都議会議員は年収1600万に、政務調査費・手当がついて年間2400万~2500万が支払われる。サラリーマンの年収の数年分を1年でもらう高給取りでありながら当選したら出産のために休業に入られては、たまったものではない。行政チェック機能も果たせないではないか。

 

会社でも出産休暇や育児休業制はある。女性労働者が出産・育児の機会で会社を辞めると、会社は新しい人を採用して育成しないといけないので、この募集・育成コストと、出産休暇や育児休業制にかかるコストを比較考量し、後者がコスト的に割安だから導入しているに過ぎない。会社からすれば優秀な女性社員が出産・育児の機会で会社を辞めるデメリットが大きいから、出産休暇や育児休業制を用意しているのだ。一方で議員の場合は、そのコストの対立がそもそもないので、議員活動できないなら出馬するなというだけだ。「年間2500万はしっかりもらうけど、出産もしたいので議会は休みます」なんてわがままは通るわけがない。

 

小池氏は、常に敵をつくり、自分たちがその犠牲者だと強調し、自分たちこそが新しい未来を切り開くのだという選挙手法を使う。豊洲移転問題ではその手法が大失敗し、大恥を晒した。そればかりか多額の機会費用と、不要な築地の維持管理費を発生させ、築地の卸業者の経営を圧迫した。「都民ファーストの会」は一過的な現象で、10年後には残っていないだろう。

 

 

博報堂の荒川氏の本である。早大法学部卒業後、博報堂に入社し、数々のプロモーションを担当。従来はマーケティングで主眼とおかれなかった独身男性生活者に着目して会社で新プロジェクトを立ち上げるという。こういう系の本は感想文みたいものが多いが、前半部分では統計を読み解き、後半では社会学の概念を援用し、思ったより読みごたえがある。

 

まず、衝撃なのはもはや核家族は日本のメインの家族世帯ではないということである。2010年時点で構成率が3割を切っており、最も多い世帯が単身だという。2035年には15歳以上の人口に占める独身者(未婚・離婚・死別)は48%にもなり、世帯の4割が単身という「ソロ社会」が訪れるという。あと18年後の話である。

 

日本だと結婚などの議論が、「みんな結婚したいが結婚できない」という前提でなされているという。みんな結婚したいというのは、国の調査で9割がいつか結婚したいと答えている事実をもとにしている。しかし、これは「一生涯結婚しないか」「いずれは結婚するつもり」の二択であるから、堅く非婚を誓った人ではない限り後者を選ぶという。設問構成がそもそもミスリーディングなのだ。実際には今時点で結婚したいと人は4~5割程度しかいない。

 

そして、最近の若者は草食だというが、そうではないという。婚約者・恋人がいるという割合をみると、たしかに2005年から2015年では減少しているが、2015年の水準は1980年とほぼ同じなのだ。つまり、バブル時代に派手に男女が遊んでいる時代が異様だっただけで、恋愛事情は昔もいまも大差ないという。日本神話でもイザナギとイザナミでは、女神のイザナミから告白しているという。昔から事情は変わらない。

 

それに老後は寂しいから結婚しようという人もいるが、離婚率は高かまっているので、結婚しても老後に夫婦で暮らせる保証など存在しない。ちなみに、日本は江戸時代から離婚大国だったらしい(明治時代の離婚率はいまの2倍)。姑が息子の嫁を「家にふさわしくない」と追い出すことが多かったからだという。それに皆婚社会は別に歴史的にみても珍しく、歴史人口学で明らかになっているように江戸中期以前の非婚率はいまよりも高い-財産を相続しない次男などはそもそも結婚できなかったのだ。だから、今の非婚化も別に歴史的に見れば珍しくもなんともないという。

 

別にソロ社会は別に異様でもないし、それを止める必要もなければ、止めることもできないという。そして、企業としてはこのソロ社会に適したマーケティングを行うべきだという。もともと「モノ消費」から「コト消費」に移行したがいまは「エモ消費」になってきているという。エモ消費というのは、モノの所有や、体験の消費はパーツでしかなく、それらから得られる精神的な価値に重心が移行しているのだという。エモとはエモーショナルということである。

 

本書の興味深い指摘が「恋愛」「性愛」の分離である。VRが拡張されることによって「性愛」は充足される。「恋愛」は「性愛」と別のものとして成立するのではないかという。卵子や精子は生成可能で、子供も人工的に作り出すことができるようになるかもしれない。ここら辺はSF的であるが、あり得ない未来ではない。この世界は空想としても、ソロ社会は約20年後には確実に訪れる。本書も指摘するように、ソロ社会にあわせた社会認識が必要である。

 

 

前、テレビで眞鍋かをりさんがひとり旅について語っていて、やや気になっていた本を読了。眞鍋かをりさんは大学時代から芸能活動を行っていたため、自由な時間がなかったが、30歳で海外のひとり旅に目覚めたという。彼女がこれまでに行ったひとり旅についてまとめたエッセイ集。2時間ほどあれば読めてしまう。ひとり旅好きという設定の企画かと思いきや、結構内容がリアルで面白い。ただもうちょっと写真が豊富だと良かった。

 

海外旅行というと大イベントのように思う人もいるが、いまどきスマフォで簡単にチケット予約ができるので海外は意外と近い。ネットでやや有名な「リーマントラベラー」(社畜寸前ながら世界一周するサラリーマンの東松さん)が注目を集めたりと、海外へのハードルは確実に下がってきている。

 

実は当方一人で海外に行ったことはないので、眞鍋さんの本を読んで、海外ひとり旅の欲求が高まった。夏は友達とタイ旅行の予定なので、一人海外は最短で年末年始。欧米は時間がかかるのでアジア圏かなぁ。3日程度ならシンガポール・北京・ソウルあたりがいいけど、もう少し日数とれるならカンボジア・ベトナムのセットがいいかな。旅行するときは予定をかっちり決めるタイプだが、眞鍋さんみたいにノープラン旅も面白そうである。

東京都の築地市場(中央区)から豊洲市場(江東区)への移転問題で都は13日、豊洲に移転した上で築地市場の敷地を売却せず活用する案を軸に検討に入った。豊洲市場は地下水から有害物質が検出されたが、都は「地上部は安全」との立場を取っており、業界団体から早期移転を求める声も上がっていた。近く都の幹部による「市場のあり方戦略本部」を開いて課題を整理する。-- 時事.com

 

迷走していた築地市場の問題だが、ついに豊洲移転で妥結したようだ。なぜこのタイミングかといえば、都議選での争点にされるのを防ぐためだ。小池氏は相変わらず選挙戦術がうまい(というか、姑息)。

 

小池百合子は、地下水が汚染されていると豊洲移転反対を掲げた。しかし、そもそも地下水の環境基準は2リットルの水を毎日飲んで70年間過ごした場合を想定した基準であり、地下水を利用しないので今回は全く関係がない。この話題にワイドショーも飛びついて燃え上がった。ここまでは小池百合子劇場の演出はうまかった。

 

しかし、築地も汚染が発覚したことで豊洲への移転を拒絶する理由がなくなってしまった。すると小池百合子は、築地はコンクリートでカバーされているから問題がないと、意味不明なことを口走りだした。そうであれば、豊洲もコンクリート・アスファルトで埋め立てられているので問題がないということになる。「どうせワイドショーをみる主婦は教育水準も低いバカだから分からないだろう」と思ったのだろうが、築地市場の業者らが、延期によって生じる維持管理費用1億8000万円を小池都知事に求める住民訴訟を提訴し、収集がつかなくなった。小池百合子はこれ以上豊洲移転を延期して、訴訟額が膨らむのを恐れたのだろう。

 

小池百合子は、「都民ファーストの会」の代表に就任したが、小池氏は、知事と議会の関係を理解していない。議会は、地方公共団体の意思を決定する機能及び執行機関を監視する機能を担っている。一方、住民から直接選挙された知事は執行機関であり、議会と相互に牽制し合う。この牽制と相互監視により適正な地方自治の運営が期待されるのである。知事が議会を支配してしまったら、知事の暴走を誰がとめるのか。小池百合子は、従来の都議会に知事が牽制できていたのかと詭弁を弄する。こうした従来の都議会を悪として、それを倒すというバカにでもわかる単純な構図を描くことは、選挙戦略上は正しいが、歴史をみると議会機能の麻痺は、ヒトラーやレーニンを生んだ。政治独裁者は、賢人であればいいが、悪人だった場合の被害は甚大だ。歴史的には後者のほうが多い。小池百合子は政界の渡り鳥で、多くの人を裏切り続けた女だ。小池氏がまともであることに賭けて都民ファーストに投票するのは危険だ。選挙の公募で選ばれた人材が軒並み粗悪であるように、都民ファーストの候補もどこの馬の骨か分からない。都民が小池百合子の選挙戦術に惑わされないことを期待するばかりである。