西洋音楽というと、調性が取れた美しい楽曲を思い浮かべるかもしれない。ベートーヴェン、ショパン、リスト、モーツァルト、バッハ、ヘンデル、シューマン、シューベルトなどが代表的な作曲家である。しかし、そうした西洋音楽は20世紀に入ってくるとだいぶ様相が異なってくる。調整が無くなり、楽曲も心地よいとは言えない響きを奏で始める。シェーンベルクがその発端だと筆者は指摘しているが、それを皮切りに多くの作曲家が無調音楽、十二音技法、トーン・クラスター、偶然性の音楽、ミニマルミュージックといったさまざまな技法と実験を繰り広げる時代が到来し、政治や社会・思想・絵画など他の芸術分野とも結びつき百花繚乱の音楽表現が生まれるのだ。

 

本書はそうした現代音楽の歴史を非常に丁寧に描写している。映画、建築、政治など膨大な教養に基づき、様々な現代音楽の作曲家が網羅されており、やや衒学的とも感じられるが、その詳細さには舌を巻く。ただ一貫したストーリーの軸がないのでやや幕の内弁当的で散漫な印象も受ける。岡田暁生氏の名著「西洋音楽史―「クラシック」の黄昏」は、20世紀前半までを対象とした音楽史を範囲としているが、「現代音楽史」はその後継として読んでみると西洋音楽の歴史が中世から現代まで一気にわかる。セットで読むことをお勧めしたい。

 

 

現代音楽で多くの人が困惑するのが、「無調音楽」である。シェーンベルクは十二音技法を発明し、それが発展しセリー音楽となったが、どちらも聞き心地が良い曲では決してない。もともと調性音楽は基軸となる音を中心として曲が構成されるが、それゆえに均整のとれた曲となる。しかし、無調音楽ではその調性を否定したために、非常に不気味で不安定な曲となる。ここで排除しようとしたのは、筆者によると、作曲における「手癖」だという。調性に基づき作曲しようとすると、どうしても習慣・文化・歴史・作曲家の個性などが入り込むが、それを排除することで、システマティックな響きを構築しようとしたのだ。ナチスドイツなど自民族中心主義への反動という面もあるだろう。音楽における過去の痕跡を消して、次世代の音楽を構築しようとしたのである。その結果、音楽は鉱物の結晶が輝くように音が散乱するのだ。そこにはバロックのような理路整然とした音の連なりも、ロマン主義のような情緒感はないが、モダニズム的な”機能美”としての響きが存在している。ちょうどそんな無調が生まれた時代にル・コルビジェなどのモダニズム建築が生まれたのは偶然ではあるまい。時代精神というものが各方面に影響を与えているのである。

 

そもそも西洋音楽のパトロンは貴族をはじめとする上流階級だったが、上流階級が崩壊することで、西洋音楽のインフラクチャーは20世紀初頭にも瓦解する。その名残はしばらく続くものの、しがらみのない作曲家は独自の作曲技法を編み出していく。しかし、当初は受け入れられず、ストラヴィンスキーの「春の祭典」では暴動に近いことが起きている。まして全体主義の中では現代音楽はだいぶ苦難を強いられる。ナチス政権において現代音楽やモダンアートは「退廃芸術」の烙印を押され、ソ連においてはショスタコーヴィチが労働者階級にも分かりやすい旋律で、社会主義を賛美するような曲を作曲する羽目になる。どの時代においても先鋭的なものは批判の的にされるが、特に全体主義国家における現代芸術の受けた苦難は想像を絶するものがある。

 

そして現代音楽の多様性を支えるのは楽器の多様性である。ヴァイオリンやピアノのような伝統的な楽器に加えて電子楽器も登場する。代表的なものはテルミンだろうか。当時の人は、従前からある楽器の響きにはない未来的な響きを感じたに違いない。電子音楽のもたらす響きは、音の響きの多様性を生じさせた。

 

そうした現代音楽も1968年にさらに変容が生じる。「68年」はメルクマールとしてよく言及される年号であるが、これは各国で起きた学生運動によって印象付けられる ― パリでは「五月革命」が起きた。この「68年」における動乱は、黒人・女性の権利向上、エコロジー意識の向上、西洋中心主義への批判、旧文化に対するカウンターカルチャーの構築、進歩主義への反動を含んでいる。この時期に武満徹が注目を集め、ミニマル音楽が地位を得たのは偶然ではないのだ。

 

しかし、社会が安定し、旧社会がある程度克服されて自由な社会となってしまうと、「68年」の精神はその存立意義を失ってしまう。結局、聴衆を置き去りにした音楽の暴走への疑問として、「新ロマン主義音楽」が台頭してくるのである。オペラはSF要素を取り入れたり様々な取り組みはあるし、新ロマン主義というより商業主義の影響でポップ化している面もある。ゲアハルト・リヒターは、東ドイツの”社会主義リアリズム”から逃れて西ドイツに逃れたが、今度は”資本主義リアリズム”に晒されることになったというのは皮肉な話であるが、昨今の音楽の情勢を的確に指摘している。

 

それにしても百花繚乱の現代音楽史を一冊にまとめた筆者の力量には脱帽してしまう。最後にヴェーベルンの名曲「ピアノのための変奏曲」の動画を張っておく。セリー主義の響きは不気味だが、どこか魅力を感じてしまう。

メルカリは4月2日、暗号資産やブロックチェーンに関する事業を行う子会社、メルコインを4月下旬に設立すると発表した。メルペイに続く第3の柱として位置づける。メルカリにおいては売上金のビットコイン受け取り機能や、メルペイでも暗号資産を1つのウォレットで取り扱えるようにし、ビットコインでの運用機能を提供するなど、仮想通貨をサービスに組み込んでいく。また、メルコインは今後、暗号資産交換業者の登録申請を行う予定だ。-- IT media ビジネス

 

仮想通貨はコインチェックのハッキングで終わったかと思った人も多いかもしれないが、ブロックチェーンの技術は画期的なものであり、復活している。結局、ビットコインも価格を回復しており1ビットコイン50万だったこともあるが、いまのところ650万円を突破する価格になっており、沈静化するところを見せない。メルカリの他にも様々な事業者が仮想通貨事業に乗り出しており、仮想通貨が終焉するというのはあまりにもブロックチェーン技術を軽視していると思う。ブロックチェーンは送金スピードとコストを削減するものであり、技術的には画期的なものである。私も保有している仮想通貨については手放さずに保有している。

 

仮想通貨は投機的であるという人もいるし、ある側面についてはその通りだと思うが、経済は美人投票なので多数の人がそれに価値を見出せば経済的な価値は生じるものであり、仕方がない。仮想通貨リップルがSECに訴訟を起こされているが、おそらくリップル側が勝つだろう。日本をはじめ多くの国がリップルを「暗号資産」と認めており、SECの見方はかなり強引であり、和解なりになってリップルも価格を戻すだろうと思う。結局、仮想通貨がどうなるかは未知数だが、多くの新技術は最初は様々な懸念をされたのであり、それらを乗り越えて普遍化していった背景がある。仮想通貨技術は価格安定化などの方策がとられれば十分に通貨機能を果たすものである。ただどのぐらいの価格で安定するのは未知数であるが、供給と需要からして仮想通貨はまだ割安という意見もあり、投機的な目的でもいまのうちに購入しておくのは悪くはないと思う。鬼が出るか蛇が出るかは分からないので自己責任だが、当方としては悪くないベットだと思う。

 

 

 

 

 

 

 

グッチはイタリアを代表する名門ラグジュアリーブランドである。その価値は、ラグジュアリーブランドの中ではルイ・ヴィトンに次ぐ世界的なブランドである。GGのパターン柄は、街中を歩いていればよくみかけるほど人気である。しかし、そんなグッチのマーケティング戦略はおろか歴史などを知る人はほとんどいないだろう。ましてグッチがケリンググループを形成していると知っている人はどれだけいるだろうか?本書はラグジュアリーブランドのグッチを、歴史・経営学的な側面から描き出している。編集は早大教授の長沢先生であるが、「ブランド帝国の素顔」も興味深かった。

 

本書は章によって執筆者が異なっており、若干の重複がある。第1章はなんか文章がこなれていないと思ったら、早稲田大MBAの学位論文が元のようである。修士論文相当のものがベースということで納得。2~4章は研究者が執筆しており、なんとなく文章もこなれている. - 文章の執筆技術というのはやはり差が出る。編集者はブランド論で著名な長沢早大教授。付録ではグッチCEOのメールインタビュー、グッチ本社の取材記事など充実した内容でラグジュアリーブランドの経営的な側面に興味あれば必読だ。ただ2014年発売であり、最近のグッチの方向性はキャッチアップする必要がある。

 

ちなみに、当方はグッチはそんなに好きではない。グッチの店舗を覗くが、ビビットな色遣いや派手なデザインにあまりピンとこない。もっとコンサーバティブで落ち着いた感じが好き。まだルイ・ヴィトンのモノグラムやシンプルなプラダのほうが好き。ただ世間的に人気なものの、世間の感性を知ることも重要である。ケインズのいうように何事もマクロ的にみると「美人投票」なのである。

 

本書によるとグッチは経営危機に三回も見舞われている。まず創業時の第二次世界大戦などによる危機、第二は後継者の混乱によるお家騒動、第三は有力なデザイナーとCEOの離脱による危機である。これらの危機をグッチは乗り越え、ファミリービジネスから脱却し、現代的な経営を採用してLVMHに次ぐラグジュアリーブランドとなった。グッチはケリンググループの筆頭ブランドとしてLVMHに次ぐラグジュアリーブランド帝国を築いたのである。

 

グッチ経営については様々な示唆に富んでおり短くまとめることはできないが、個人的に興味深かったのは次である。

・「品質は人々の記憶に残るが、価格は忘れられる」というグッチの理念

・お家騒動による混乱

・クラフトマンシップの重視

・アイコンのバンブーハンドルバッグは戦争中におけるレザーの調達困難から生まれたこと

・毛皮を着た狼ことアルノー率いるLVMHによる買収攻勢とその攻防

・マルチラグジュアリーブランドグループ構想とその買収

・トムフォード×ドメニコ・デ・ソーレによるグッチブランドの復興

 

とりとめがなくて恐縮だが、ラグジュアリーブランドはヨーロッパにおいて上流階級社会を背景に成立し、それが中産階級の台頭によって大衆化した背景があり、その点で日本には西洋的なラグジュアリーブランドはほとんど存在しないし、それに基づくビジネスにも弱い。日本人のラグジュアリーブランドの妄信はラグジュアリーブランドのネームの持つアウラに幻惑されている。”欧米ブランド”とひとくくりにする人もいるが、欧州ブランドと米国ブランドでは歴然たる歴史的な差がある。

 

欧州ブランドのルイ・ヴィトン、グッチ、クリスチャン・ディオール、イヴ・サン・ローラン、プラダなどは欧州上流階級社会を威光とした威厳があるが、いまやそれは商業性に乗っ取られて巨大ビジネスとなっている。「LVMH帝国」を築いたアルノーはその点で先見の明があった。しかし、そのラグジュアリーブランド帝国の成立には骨肉の法廷闘争や買収劇があったことを忘れてはいけない。エレガントで優美なビジネスを支えるのは、法学と経営学の学位であるのが実際である。資本主義社会はまさに弱肉強食だ。そんなシビアな中でクラフトマンシップを維持しているとはグッチはすごいと思う。

 

最近だとネットでなんでも情報が手にはいると思っている人がいるが”No”である。そもそも貴重な経験・豊富な教養がある人は限られており、そのうちそれを文字化してメディアに発信する人は少数であり、さらに彼らの文字化した情報のうちネットに掲載されるのは一部である。だから、読書や対面でのヒアリングなどによって得られる情報量はネットとは比にならない。コロナ禍において情報格差は縮小するという人がいるが、それは二進法で表現されるネット空間で得られる情報をあまりに過信し過ぎである。グッチの経営戦略は店舗にいけば実感できるが、文字面で読んでいてもなかなか分からない。本物が持つ質感や所有したときの充足感は、ネットでは味わえない。コロナ禍でラグジュアリーブランドも逆風であるが、プレシャスな所有感を充足させてくれるラグジュアリーブランドの価値は損なわれない。コロナ禍が終われば需要は元通りだろう。

昨日、ちょうど好きな画家の美術展をやっていたので行ってきた。西新宿にあるSOMPO美術館。まずは、スタバで腹ごしらえ。新宿はゴミゴミしていて嫌いだけど、西新宿はオフィス街ゆえ土日はガラガラで良い(新宿いるときは、新宿伊勢丹あたりから西新宿のカフェまで歩いたりします笑)。

 

場所は「SOMPO美術館」。このビルの隣に美術館があります。もともと「東郷青児記念 損保ジャパン日本興亜美術館」でしたが、改名して今の名前に。東郷青児のコレクションで定評がありますが、さらにゴッホの「ひまわり」も所蔵しているが、約58億円という世界最高落札額(1987年当時)で落札し、ジャパンマネーを世界に見せつけたことでも有名です(その後、バブル崩壊で日本経済はズッコケたのですが)。そんなゴッホのひまわりを陶板に焼き付けて美術館の前に展示されています。

 

初訪問だったのですが、展示は3~5階で、2階はギフトショップ。意外とこじんまりとした美術館でした。お目当ての美術展は「モンドリアン展」。ピエト・モンドリアンは、抽象絵画を描いたオランダ人の巨匠である。オランダって小国だけど、レンブラント・ゴッホ・フェルメールとか著名な画家が多い。初期には風景画などを印象派的なタッチで描いていたが、徐々に色彩は単純化されて、物体はその形を喪失し、抽象的になっていき、ついに数色の色と図形のみで構成される抽象絵画へといきついた。本展示だと若いころの作品から順番に並んでおり、その過程が垣間見えて非常に楽しい。彼はいろいろな手法を試したようで、当時はやっていた点描がの作品も展示されていた。彼の抽象絵画は被服や家具にも影響を与えている。イヴサンローランのモンドリアンスタイルの服は有名だ。建築にも影響を与えて、ヘリット・リートフェルトがモンドリアンにインスパイアされて建てた「シュレーダー邸」は世界遺産に登録されている。

 

近代以降、絵画では非常に多様な表現が生まれた。なぜなら写真の発明により写実的な絵画が写真に代替されてしまったこと、またチューブ絵具の発明で野外政策が可能になったこと、貴族社会の崩壊によりパトロンを失ったことで個性的な表現をし得る社会的土壌が整ったこと、万博などにより東洋文化も流入しそれに触発されたこと、および工業化社会となり機能性・実用性・合理性の重視により華美な装飾が毛嫌いされたこと、などがあげられる。現代における美術の潮流やスタイルを言い表すとすれば「百花繚乱」であろう。そんな現代アートのルーツをモンドリアンの絵画にみることができた。

 

iPhone 12の広角レンズは優秀。西新宿の高層ビルを見上げてパシャリ。

なんか西新宿の無機質なビル群がどうも苦手。

 

 

なんかここ数年、ビジネスマン向けの美術・アートに関する本が多い気がする。知的で理性的なメソッドがコモディティ化したことで、それでは解消できない問題解決には美的感覚も重要だというだろう。美的感覚の重要性を説いた次の本「世界のエリートはなぜ「美意識」を鍛えるのか」はかなりよかったのでおすすめしたい。あと、美術系の本だと「ピカソは本当に偉いのか?」も読んで良かった一冊。

 

ちなみに、当方はルーブル美術館は大学の卒業旅行で行ったが、正直、当時は美術に疎くて「モナリザ」、「サモトラケのニケ」、「ミロのヴィーナス」など有名どころしか関心がなかった。その後、社会人になっていろいろな美術展や美術館にいったが、個人的に好きなのは印象派~モダンアートという結論にたどり着いた。私の好きな芸術家は、モネ、モディリアーニ、ピエト・モンドリアン、草間彌生など。その一方で、音楽はロマン派が主に好きだから人間の感性とは不思議なものだ。

 

本書のような「世界のビジネスエリートは知っている」(だから知らないとやばいから本書を読め!)という、危機感をあおって買わせようとする軽薄なタイトルの本がたまにあるけど、日本人のビジネスパーソンの大半は海外のビジネスパーソンと会話することはないし、会ったとしても語学の問題があるし、さらに商談でアートの話になんてほとんどならないから心配いらないと思う笑。ただのスノビズムへの迎合だ。そういうありがちな突っ込みは置いておいて、あまりモダンアート以前は興味がないが、教養のため読んでみた。本書はコンパクトに地域ごとに名画が解説されてて良いと思う。

 

絵画はそれ自体を観て感慨深いが、やはり絵画は当時の社会情勢とも密接に関わるものであり、芸術を切り口に描かれた時代の政治・経済・社会情勢などを読み解いていくのはとても興味深い。寓意画代表的だと思うが、絵画とは読み物なのである。こうした背景知識はヨーロッパで美術館に訪れた際に非常に有益な知見を与えてくれると思う。ただ本書を読んであらためて思ったが、あまりルネッサンス~18世紀美術は個人的には性に合わない。パリの「ルーヴル美術館」よりNYの「ニューヨーク近代美術館」にもう一度行ってみたい笑。