菅内閣で内閣参謀参与を務めている髙橋洋一(嘉悦大教授)の本をこの前読んで記事にしたが「さらば財務省!」(髙橋洋一)」、また一冊読んでみた。一般的に言われている日本経済史の定説について一刀両断している。

本書によると、戦後の経済復興の要因は、傾斜生産や通産省の行政指導などではなく、朝鮮特需の発生であり、高度成長の最大の要因は1ドル360円に固定された為替相場であるという。為替に介入して日本の輸出産業に圧倒的に有利な環境を作り出して輸出国として莫大な利益をあげたという。池田首相の「所得倍増計画」も特に常識的な政策で、この計画で高度成長したというのはほとんど神話である。「官僚たちの夏」に描かれるように、通産官僚が高度成長を支えたというのも嘘で、通産省に逆らって四輪車に参入したHONDAは今や世界的企業である。通産省があたかも高度成長の立役者にみえるのは、民間主導の経済発展を後追いしてあたかも自己の手柄のようにしたためだという。

1973年からは変動相場制になったが、日本はダーティ・フロートという為替介入を続けた。介入のないクリーンフロートになったのは1985年のプラザ合意以降であるが、ブラザ合意から間もなく日本はバブル景気になる。このバブル期については経済成長が著しく、高インフレだったという印象があるが、実際のところ、GDP成長率・物価上昇率ともに一般的な値だったという。著者によると、異常に高騰したのは株と不動産の価格だけだったらしくデータでそれは裏付けられている。この原因は、「簿価分離」という法律の不備を突いた証券会社の財テク、不動産会社による土地ころがしである。結局、大蔵省は、証券会社をターゲットに営業の適正化にかかる通達を出し、また、不動産引についても不動産融資総量規制によってバブルを沈静化させた。悲劇なのは物価は適正だったのにも関わらず、日銀が金融引き締めを行った結果、「失われた二十年」に突入したのだった。一方で米国はリーマンショックで相当な打撃を受けたが、しかし 連邦準備制度理事会(FRB)は、物価の暴落をみるや金融緩和を実施し、米国は短期間で不況から脱出することができた。一方で、日本の日銀は自己正当化のために誤った政策を踏襲して傷を拡大させたのだった。成熟国は経済成長できないという人もいるが、欧米先進諸国は経済成長しており日本が例外である。不適切な政策が日本を停滞させたのだ。

「終章」も一般的なマスコミの言説を論破しており、なかなか面白い。本書は2016年に書かれているので、当時ホットな話題だったTPPについて書かれている。本書の指摘するように、自由貿易は経済的依存関係を深化させて戦争を抑止し(データで裏付けられている)、死荷重を減らすのでトータルでの経済的メリットは大きい(これは経済学のロジックで数理的に説明できる)。IDS条項があるから反対という意味不明な主張もあったが、これは日本が結んでいる貿易・投資協定に入っている通常の条項である。おまけにアメリカの陰謀説という噴飯物の主張まで出てきたが、トランプ大統領になってさっさと脱退して、おかげでTPPでは日本は議長国で太平洋の貿易ルール策定で有利な位置にいる。英国なども興味を示しており、日本がリーダーシップを示せるチャンスになっている。

控えめに言って、TPP反対派は相当お馬鹿だったが、問題はそうした馬鹿げた発言が繰り返しマスゴミから垂れ流されて、その内容の正誤が分からずに真に受ける人が多いことだ。最近では原発処理水海洋放出問題が報道されているが、本当にばかばかしい。中国・韓国はもちろんフランス・カナダ・英国なども処理水を放出しているが問題になっていない。日本の放出のみ問題化するのは政治的である。だいたい処理水に残存しているトリチウムは微小ながら自然界に存在しているので薄めてしまえば何の問題もない。この問題も髙橋先生は一刀両断にしている。いかにマスコミが偏向報道しているかよくわかる(本当に理解していない可能性もあるが・・・)。

 

 

 

三陽商会の2021年2月期連結業績は売上高が379億円(20年2月期は688億円)、営業損益が89億円の赤字(同28億円の赤字)、純損益が49億円の赤字(同26億円の赤字)だった。20年2月期は決算期変更により14カ月決算のため、カッコ内は参考値。16年の“バーバリー・ショック”から5期連続の最終赤字となった。-- WWD

 

三陽商会は個人的に好きなので応援しているが、「三陽商会は倒産するのか?」の記事でも書いたが、「楽観的に過ぎる」し、「三陽商会、再建は厳しそう;希望退職に180人応募、特別損失13億円計上」の記事でも「社長は黒字化に躍起だが、コロナの逆風もあって本当に実現できるのかは怪しい。」と書いたが、案の定、最終赤字に終わった。純損失は35億の赤字予想が、49億の赤字だから予想を上回っている。バーバリー・ブラックレーベルからブラックレーベル・クレストブリッジまで一貫して購入している一消費者の私が思うに、復活は相当に難しいと思う。

 

そもそもクレストブリッジ・ブラックレーベルについてであるが、こちらはブランドの若返りも目指しているようで、BLACK LAB.」のラインを展開している。こちらはスポーティで機能的なラインであるが、デザインがストリート系を意識しており、バーバリー・ブラックレーベル以来の既存の顧客(コンサバなラグジュアリー感志向)には受けが悪いと思う。おまけにコロナ禍で経済状況も悪化しており、さらに若手はコロナショックで就職難なのでこうした若者を意識したストリート系はあまり需要がないと思うし、そういうストリート系を志向する人はクレストブリッジ・ブラックレーベルに来ないと思う。実際、私もBLACK LAB.」のラインは購入したことがない。結局、ブランドイメージが混在しており、顧客への訴求に失敗している。

 

その結果、売れないので在庫が余り余っているようで、ネットでの会員向けセールを頻発しているが、4~6割引きのものもあり、もはや定価で買う意味が分からない。私も最近は店舗の定価ではほとんど買わない。それに以前は店員さんの積極レベルも高く、店舗で買う特別感があったが、いまは店員さんも、着合わせの提案もできない、展開している色すら分からない、自社ブランド着ているお客さんがいるのにスルーなので正直、店舗で買うメリットがない。値引きや安売りは結構だが、そうであればCOACHやマイケルコースのように値引き前提でアクセッシブルラグジュアリー戦略を立てており利益率が高い企業を見習うべきだ。米国ブランドはそこらへんが経営上手である。

 

ネットでの安売り で定価購入の減少を招き、せっかく来店した客も、デザイン戦略の失敗や接客レベルの低下で購入意欲が定価し、結果的に在庫が余ってしまいネットで安売りし、赤字のために早期退職を募集しさらに接客レベルを落とすという悪循環に陥っている。この負の循環を赤字が続ている状態で打開することは難しい。海外のラグジュアリーブランドは、著名なデザイナーに服飾から店舗デザインまでをトータルコーディネートさせている。三陽商会もいっそのこと著名なデザイナーをクリエイティブディレクターに引き抜いて一任してみたらどうだろうか。実際、ユニクロだと、ジルサンダー、​クリストフ・ルメールのコラボ商品は超人気である。

 

海外のアクセッシブルラグジュアリーブランドも日本市場に進出しているが、正直、日本のブランドはそれらに比すると販売力は弱い。物作りは良いのに、マーケティング戦略が弱くてこのままでは負けてしまう。バーバリーのような威光もないし、消費者の期待に添うデザインでもないし、消費者を納得させるほどのブランド力もない。三陽商会は、職人さんは良い仕事しているのに倒産するという日本企業的な末路をたどりそうで気の毒だ。

何を思ったのか突然、「統計調査士」の受験を思い立って本日受けてきました!CBT方式(試験会場でコンピューター受験)のため試験後に結果が表示されましたが無事に合格してました!
 
「統計検定」は、統計に関する知識や活用力を評価する全国統一試験ですが、いろいろと種別があり、私が受けた統計調査士は、統計に関する基本的知識と利活用の能力評価の試験。公式HPによると「統計検定3級合格程度の基礎知識に加えて、社会人に求められる公的統計の理解とその活用力の修得を評価します。」とのこと。
 
データサイエンティストがこれから最も”SEXYな仕事”なんて言われる場合もありますが(言ったのは小泉進次郎!・・・ではなく元ネタはNewYork Timesのインタビューに答えたGoogleのHal Variandの発言)、データサイエンティストになってビッグデータを分析するまでいかなくても、統計データを理解するぐらいの能力はビジネスパーソンには必須になってくるのではないかと思っています。これからは「英語・IT・会計」 + 「統計」が、ビジネスパーソンの基礎スキルセットになってくるのではないかと。
 
大学院で統計基礎はやっていたのですが、統計調査士に向けて使用したテキストは次です。公式テキストは出ていないので(!?)、立教大が出しているテキストを使用しました(逆にこれ以外にテキストが見当たらず・・・)。過去問解いてから立教のテキストに戻ると、出題範囲がちゃんと網羅されてますね。ただ読み物として面白かというとNOですね・・・。

 

 
合格率は5割程度だったので簡単だと思っていましたが、70点が合格点で、私はジャスト70点とギリギリ合格でした笑。そうというのも、統計学基礎に加えて国の実施している各種の公的統計の知識が必要なため、知らないとアウトな問題も多く、またひっかけ問題(選択肢の中に”年”と”年度”が混在していたり)もあるのに加えて、5肢問題なのでまぐれ当たりの確率も低いのです。
 
どうやら問題はストックされていて、そこから毎回ランダムに出題されるようで、過去問と全く同じ問題も出ていましたが、未知の問題も結構あってちゃんと勉強していないと落ちる試験でした。正直、知識問題は5~6割の正答で、統計データの読み取りが9割正答でなんとか合格できました。ネットで調べたところ、3日間で合格とかいうブログあったけど統計+公的統計知識の基礎がある人でしょうね。統計学基礎及び公的統計知識がない人は、まず3日で合格は難しいでしょう。
 
統計の基礎知識があるのであれば、テキストをざっと読んで、そのあと、過去問を解いて過去問とテキストを復習し、細かい知識は直前に暗記すればギリギリ合格点に届くかと。なお、分からない統計データの読み方についてはネットなどで調べる必要があります。私はテキストと、過去問2冊(5年分;2015~2019年分)でトータル15時間ぐらいの勉強時間で受かりましたが、全く統計について知らない場合は、30~40時間ぐらいかかるのではないでしょうか?
 
とりあえず、統計調査士の上に「専門統計調査士」もあるので、こちらも今年中には合格したいなぁ。あと、知的財産管理技能検定2級も受ける予定で、加えて、ほぼ趣味で受ける資格ですが、経営学検定中級・美術検定3級・ビジネス会計検定3級あたりも今年中に合格したいですね。
 
テスト前に西新宿のスタバで腹ごしらえしたときの写真。
 

 

 

 

菅内閣で内閣参謀参与を務めている髙橋洋一(嘉悦大教授)がいるが、以前から気になってはいたがあまり彼の本を読む機会はなかった。そんな彼がYoutubeチャンネルをやっていたので最近はまってみている笑。早稲田の大学院生時代に、彼がたまたま授業に来て直接会ったことがあるが、テレビで観たまんまのクリアな物言いで頭の良さを感じた。

 

 

彼は、東大の数学科を卒業し、統計数理研究所で数学者を目指す予定がポストを他の人にとられてしまって、保険で経済学部に籍を残しておいたので、周囲に流されて国家公務員Ⅰ種を受験し、試験をパスして財務省から声がかかって財務官僚となる。その後、プリンストン大研究員を経て、小泉内閣で竹中平蔵の補佐官、第一次安倍内閣で内閣参事官になり、政権中枢で郵政民営化・天下り問題・埋蔵金問題などに取り組んだようだ。プリンストン時代はポール・クルーグマンなどと雑談話していたという。ただ結局、霞が関の利権に手を付けたので、相当に嫌われて霞が関を去ることになり、著作業や大学教授として活躍している。いまだに安倍・菅さんとは懇意なようだ。ちなみに、映画オタクで映画の評論チャンネルもやっている。

 

 

昨今だと、東大生に官僚は不人気であるが(東大出身合格者が過去最少)、それでも伝統的に天下の財務省を牛耳ってきたのは東大法学部で、いまだにエリートの王道である。ただ司法制度改革で弁護士が激増し、弁護士の待遇悪化に加えて、官僚バッシングもあって東大でも法学部の人気が落ちて、理系学部や経済学部などの人気が上がっているようだ。ちなみに、脱官僚した東大生は外資系コンサルに流出しているから頭脳流出といっていい惨状であるが(【3月速報:東大京大 22卒就活人気ランキング】コンサル独占だったTOP10に異変あり?3月以降の「本命」企業はどこだ?)。私の母校の早大は、「在野精神」とは裏腹に国家総合職合格者数では東大・京大に次いで第3位というから、なかなか興味深い。

 

正直、法律なんてひたすら過去の判例と学説に拘泥する非生産的な学問だから東大ぐらい優秀な方々は、もうちょっと生産的な学問に従事して国益発展のために活躍してもらいたいと思う(が、実際は頭脳流出しているから日本企業は頑張らないとである)。東大法が主流の中で、髙橋さんはかなり異色だが、だからこそ霞が関の論理に縛られない政策提言が出来たのだと思う。本書を読んで思うのは政策を担う官僚の矜持の高さと、日銀エリートとの対立の根深さ、霞が関村の伝統の恐ろしさである。

 

行政は無謬であるという信仰心もあるが、実際のところ社会保険庁の年金は杜撰な管理で滅茶苦茶だった。また、財務省も国内向けには財政危機をあおるが、国際格付け会社には「自国通貨建て国債のデフォルトは考えられない」として「貯蓄超過国・国債はほとんど国内で極めて低金利で安定的に消化・日本は世界最大の経常黒字国、債権国であり、外貨準備も世界最高」と意見書を出している(LINK)。実際、政府の借金は1000兆円だけれども、政府の資産(金融資産で売却かのうなももの)をさっぴくとせいぜい200兆円ぐらいしかなくて、これぐらいの債務は先進国では当たり前の水準である。ここらへんの「密教」と「顕教」の使い分けが、天上人ある財務官僚らしい。

 

正直、財政論・経済政策は当方は門外漢であり、本書の是非は当方では判断しがたいが、郵政民営化等で政権中枢で起こっていた内情を知るには名著であろう。それにしても霞が関で個人バッシングを受けまくりながらも耐え抜いた髙橋洋一の鋼のメンタルと処世術には恐れ入る。霞ヶ関の論理に逆らった人の大半はスキャンダルを流出させられたりして消されている。

 

 

 

 

西洋音楽というと、調性が取れた美しい楽曲を思い浮かべるかもしれない。ベートーヴェン、ショパン、リスト、モーツァルト、バッハ、ヘンデル、シューマン、シューベルトなどが代表的な作曲家である。しかし、そうした西洋音楽は20世紀に入ってくるとだいぶ様相が異なってくる。調整が無くなり、楽曲も心地よいとは言えない響きを奏で始める。シェーンベルクがその発端だと筆者は指摘しているが、それを皮切りに多くの作曲家が無調音楽、十二音技法、トーン・クラスター、偶然性の音楽、ミニマルミュージックといったさまざまな技法と実験を繰り広げる時代が到来し、政治や社会・思想・絵画など他の芸術分野とも結びつき百花繚乱の音楽表現が生まれるのだ。

 

本書はそうした現代音楽の歴史を非常に丁寧に描写している。映画、建築、政治など膨大な教養に基づき、様々な現代音楽の作曲家が網羅されており、やや衒学的とも感じられるが、その詳細さには舌を巻く。ただ一貫したストーリーの軸がないのでやや幕の内弁当的で散漫な印象も受ける。岡田暁生氏の名著「西洋音楽史―「クラシック」の黄昏」は、20世紀前半までを対象とした音楽史を範囲としているが、「現代音楽史」はその後継として読んでみると西洋音楽の歴史が中世から現代まで一気にわかる。セットで読むことをお勧めしたい。

 

 

現代音楽で多くの人が困惑するのが、「無調音楽」である。シェーンベルクは十二音技法を発明し、それが発展しセリー音楽となったが、どちらも聞き心地が良い曲では決してない。もともと調性音楽は基軸となる音を中心として曲が構成されるが、それゆえに均整のとれた曲となる。しかし、無調音楽ではその調性を否定したために、非常に不気味で不安定な曲となる。ここで排除しようとしたのは、筆者によると、作曲における「手癖」だという。調性に基づき作曲しようとすると、どうしても習慣・文化・歴史・作曲家の個性などが入り込むが、それを排除することで、システマティックな響きを構築しようとしたのだ。ナチスドイツなど自民族中心主義への反動という面もあるだろう。音楽における過去の痕跡を消して、次世代の音楽を構築しようとしたのである。その結果、音楽は鉱物の結晶が輝くように音が散乱するのだ。そこにはバロックのような理路整然とした音の連なりも、ロマン主義のような情緒感はないが、モダニズム的な”機能美”としての響きが存在している。ちょうどそんな無調が生まれた時代にル・コルビジェなどのモダニズム建築が生まれたのは偶然ではあるまい。時代精神というものが各方面に影響を与えているのである。

 

そもそも西洋音楽のパトロンは貴族をはじめとする上流階級だったが、上流階級が崩壊することで、西洋音楽のインフラクチャーは20世紀初頭にも瓦解する。その名残はしばらく続くものの、しがらみのない作曲家は独自の作曲技法を編み出していく。しかし、当初は受け入れられず、ストラヴィンスキーの「春の祭典」では暴動に近いことが起きている。まして全体主義の中では現代音楽はだいぶ苦難を強いられる。ナチス政権において現代音楽やモダンアートは「退廃芸術」の烙印を押され、ソ連においてはショスタコーヴィチが労働者階級にも分かりやすい旋律で、社会主義を賛美するような曲を作曲する羽目になる。どの時代においても先鋭的なものは批判の的にされるが、特に全体主義国家における現代芸術の受けた苦難は想像を絶するものがある。

 

そして現代音楽の多様性を支えるのは楽器の多様性である。ヴァイオリンやピアノのような伝統的な楽器に加えて電子楽器も登場する。代表的なものはテルミンだろうか。当時の人は、従前からある楽器の響きにはない未来的な響きを感じたに違いない。電子音楽のもたらす響きは、音の響きの多様性を生じさせた。

 

そうした現代音楽も1968年にさらに変容が生じる。「68年」はメルクマールとしてよく言及される年号であるが、これは各国で起きた学生運動によって印象付けられる ― パリでは「五月革命」が起きた。この「68年」における動乱は、黒人・女性の権利向上、エコロジー意識の向上、西洋中心主義への批判、旧文化に対するカウンターカルチャーの構築、進歩主義への反動を含んでいる。この時期に武満徹が注目を集め、ミニマル音楽が地位を得たのは偶然ではないのだ。

 

しかし、社会が安定し、旧社会がある程度克服されて自由な社会となってしまうと、「68年」の精神はその存立意義を失ってしまう。結局、聴衆を置き去りにした音楽の暴走への疑問として、「新ロマン主義音楽」が台頭してくるのである。オペラはSF要素を取り入れたり様々な取り組みはあるし、新ロマン主義というより商業主義の影響でポップ化している面もある。ゲアハルト・リヒターは、東ドイツの”社会主義リアリズム”から逃れて西ドイツに逃れたが、今度は”資本主義リアリズム”に晒されることになったというのは皮肉な話であるが、昨今の音楽の情勢を的確に指摘している。

 

それにしても百花繚乱の現代音楽史を一冊にまとめた筆者の力量には脱帽してしまう。最後にヴェーベルンの名曲「ピアノのための変奏曲」の動画を張っておく。セリー主義の響きは不気味だが、どこか魅力を感じてしまう。