菊地浩之の「日本の15大財閥」を読了。「財閥と閨閥」を読んで菊池氏の本にはまっている。
そもそも財閥という用語は決まった定義がないようであるが、本書では、日本経営史の研究者である森川英正の「富豪の家族・同族の封建的な所有・支配下に成り立つ多角的事業体」がぴったりだという。複数の産業にまたがり企業グループを形成している三菱・三井・住友は財閥として異論なかろうが、パナソニックの松下家、トヨタ自動車の豊田家なども財閥とされることがある。
本書で扱う財閥は下記である。通常の15大財閥と異なり、重化学工業の財閥を除き、金融系の財閥を加えてバランスを取ったそうだ。鈴木財閥は、1927年に昭和金融恐慌のあおりを受け、破綻しているが、戦前ではGNPの1割を売り上げる巨大財閥だったので取り上げられている。恐慌や戦争を生き残った財閥も、GHQによる財閥解体などもあり、企業グループは再編されて現在にいたる。現在の企業グループを知るためには、財閥の歴史を知ることも重要である。
- 三菱財閥・三菱グループ
- 住友財閥・住友グループ
- 三井財閥・三井グループ
- 安田財閥・芙蓉グループ
- 浅野財閥
- 大倉財閥
- 渋沢財閥・一勧グループ
- 古河財閥・古河グループ
- 薩州財閥(川崎造船財閥)・川崎グループ
- 川崎金融財閥
- 山口財閥・三和グループ
- 鴻池財閥
- 野村財閥
- 旧鈴木財閥
- 日産コンツェルン・春光(日産・日立)グループ
個人的には意外だったのが、住友というとゴリゴリした営業のイメージだったのだが、住友財閥の15代当主は清華家の徳大寺家出身の高貴な血統であり、住友家は皇胤となっている点である。かつて住友銀行といえば、「逃げの住友」というぐらいだったそうだが、安宅産業が倒産した際にメインバンクの責任の住友銀行は磯田一郎を中心に伊藤忠商事へ吸収合併させて救済したものの、不良債権等のおかげで業績が悪化したため、磯田がラガーマンよろしく「向こう傷を問わない」と、モーレツ営業に舵を切ったそうだ。結果、イトマン事件へとつながっていくのだが、そういった事情もあっての社風の変容のようである。なお、住友の白水会というのは、もとの屋号「泉屋」の泉を上下で分けたことに由来するが、泉としたのは住友に銅と金銀の分離技術を教えてくれたハックスレー氏の名前を、白水と当て字した経緯のようだ。住友のマークの井桁は、コンコンと湧き出る水を象徴している。
また、大倉財閥といえば、ホテルオークラでその名前は知られているが、あまりグループにまとまりがない印象だったが、実際、様々な産業に企業を持っていたが、脈絡がなかったようだ。創業者の大倉喜八郎が「初物食い狂」といわれるほど、新しい物好きだったためだそうだ。しかし、後継者の育成やグループをまとめる組織等に関心がなかったため、創業者の死後、グループの整理が行われた。大倉財閥の中核企業の大倉商事は1998年に自己破産しており、大倉グループは崩壊したと考えられているが、創業家は非上場企業(中央建物株式会社)を経営しており、また旧大倉財閥系企業の役員等に就任することで、一定の影響力を持っているようである。
一方、金融系の野村財閥は、全くグループとしての一体感は失われているようである。野村家はもともと両替商だったが、証券業をはじめ、緻密な企業調査で信用を得て事業を拡大。昭和の金融恐慌以後、藤田財閥系の企業を買収し、信託・保険分野にも進出。さらに南方事業にも手を出したが、敗戦で南方に持っていた農場などは接収されてしまった。財閥創業者の第二代野村徳七は1945年1月に亡くなってしまい、また、野村銀行は大和銀行に改称するがメインバンクとして中核的にグループをまとめるほどの規模ではなかったため、戦後、野村財閥系の企業はグループとして再結集することはなかったそうだ。なお、創業者の孫の野村文英は、野村殖産社長・野村證券取締役等を歴任したようである。
財閥も栄枯盛衰だなと思う。万事順調だったわけではない。昭和恐慌や敗戦からの財閥解体、高度成長期での企業グループ再編等、紆余曲折を経ての現在の企業グループなのだ。ただ脈々と企業の文化・歴史などは続いている。そんな日本企業の背景を知れる良書だった。

