経営史学者・歴史家で菊地 浩之の新刊を読了。菊地氏は、國學院大學を卒業後に民間企業に勤めていたが、サラリーマンの傍らで企業の歴史(主に企業集団・企業系列)の研究を行い、著書を多数執筆している。市井の学者といえばそうかもしれないが、明治学院大非常勤講師を務め、また、「企業集団の形成と解体」で國學院大より経済学の博士号を取得している。

 

本書では日本の「10大財閥」の婚姻戦略から、いかに「閨閥(けいばつ)」(外戚(妻方の親類)を中心に形成された血縁や婚姻に基づく親族関係や共同体の意)を形成していったのか、そして戦後の財閥解体とその財閥家のその後を簡単に紹介している。明治~昭和初期に形成された日本の「財閥」「閨閥」は、その後、日本経済社会に影響を及ぼしており、非常に勉強になった。本書では、三菱・三井・住友の三大財閥に加え、安田・鮎川・野村・大倉・古河・中島・渋沢を十大財閥として紹介しているが、現在でも企業名にその名を聞くことも多いだろう。

 

閨閥の戦略は一様ではなく、貴族化を志向した三井家、優秀な婿を迎えた岩崎家、名門公家出身者を当主に迎えた住友家などバラバラだ。また、財閥家といっても、みなが事業に成功し、華麗な閨閥を築いたわけでもなく、戦前にほとんど崩壊した浅野財閥、企業も多数創立し子だくさんだったが財閥としてのまとまりはなかった渋沢財閥、閨閥形成ではいまいちな野村財閥、未完のまま解体された中島財閥など、財閥といっても多種多様である。

 

三大財閥だと、最も華やかな閨閥は三井財閥だろうか。六本家・五連家の三井十一家から成り、家系図には、大名華族・公家華族が並びなんとも華やかである。三井家は、財閥の経営にも関わっており、それが戦後に専門経営者から忌避され、脱創業家の機運を生んでしまったそうだ。三井財閥家出身で三井系の企業に入社しても役員になれないケースが相次いだそうだ。なお、安田財閥の創業者の安田善次郎は三井家の繁栄に憧れて、十数家の同族をつくり、グループ会社に頭取・役員として派遣して指揮させたが、結果的に創業家への反発を招き、財閥解体後の再結集の動きは一切起きなかった。創業家の子孫もせいぜい部長どまりだというから、憧れた三井家と同じ末路になったというのは興味深い。

 

一方、三菱財閥は財閥解体後にグループ再結集の動きが生まれ、現在でも”三菱”は企業グループを形成している。どちらかといえば、岩崎家は経営専門家とも良好な関係だったことに加え、第四代岩崎小弥太の影響も大きかったようだ。小弥太は、恥ずべきところは何もないと、GHQの指示に反発し、自発的な財閥解体を拒否していた。しかし、そのままでは三菱に厳しい処分が下ると考えた幣原首相(当時)が、大蔵大臣の渋沢敬三を向かわせ、自発的解体を説得したそうだ。小弥太は自発的な解体を承諾するが、その翌日に急死してしまう。この非業の死は、専門経営者達に三菱再結集の契機となったと本書では書いている。岩崎家の子孫は、三菱に入社しているようで、一定の敬意が払われているそうだ。

 

さらに興味深いのは住友財閥である。住友家15代当主の住友友純は、徳大寺家に生まれ住友家の養嗣子になった人物である。この友純が出た徳大寺家は五摂家に次ぐ清華家の家格の名門公家であり、父親は江戸時代に右大臣を務めた徳大寺公純(五摂家の鷹司輔煕の密子といわれている)、実兄は総理大臣も務めた公爵 西園寺公望、公爵 明治天皇の侍従長を務めた徳大寺実則である。友純は、東山天皇の男系7世子孫にあたるので、実は住友家は皇胤である。当然、公家出身なので商いにあまり興味を示さず、「君臨すれども統治せず」ということで、専門経営者との関係は良好だったようだ。戦後、住友の専門経営者達は、住友家の没落が後生物笑いにならぬようにいかに安泰を守れるかに苦心したそうだ。結果、現在でも創業家は敬愛されているようである。また、住友家の財産についても住友家評議員会が相談役として助言しているようである。

 

菊地氏はほかにも本を多数執筆しているので、読んでみようと思っている。最近、投資で個別銘柄をみているので、企業の歴史などは参考になる。