さて、せっかくのGWだし天気も良いので、前から行きたかった「江戸東京たてもの園」へ行ってきた。東京は建築がスクラップアンドビルトで建て替えられていくが、歴史的な価値ある建築は後世に伝えるべきものもある。例えば、西洋化の象徴だった鹿鳴館を維持費の観点で解体してしまったことは、建築の歴史的価値を軽視した結果である。江戸から東京の歴史的な建築を移築し保存、展示する目的で設置されたのが本博物館である。犬山市にある明治村も同様の趣旨の施設である。
さて、東京都小金井市にあるのであるが、初めて降り立ったかもしれない。それにしても三鷹駅からバスに乗っていったのだが、ほんと東京の郊外って落ち着いていていいですね。東京の市部って自然も多いし、ファミリー層にはいいだろうな、中央線ならアクセスも良いし、と不動産業者みたいなことも思いつつ。。
さて、ビジターセンターで出入口。旧皇居外苑光華殿である。近衛文麿内閣主催の「紀元二千六百年記念式典」が開催されたおりに、式典のために寝殿造の会場「光華殿」が設営されたが、それが移築されたものである。「紀元二千六百年記念式典」とは、日本神話上、神武天皇が即位してからちょうど2600年なので皇紀2600年を祝ったものである。
田園調布の家(大川邸)。「分離派建築会100年展」(パナソニック汐留美術館)でこの紹介があってから気になっていたが、よくやくみれた。当時、人口急増で都市は過密状態で、郊外に生活圏を求める機運が高まっており、機能的な家が模索されていた当時の建築である。緑豊かな理想の住宅地づくりを提唱して田園調布をつくったのは日本資本主義の父こと渋沢栄一子爵である。これは西洋の田園都市の発想を取り入れたもので、田園調布の放射状の都市計画はパリの凱旋門広場がモデルと言われている。この家を見ればわかるが、当時は富裕層向けではなく、中流のサラリーマン向けである(中流でも上位のアッパーミドルだろうが)。しかし、その後、どんどん東京都市圏が拡大する中で地価上昇もあって現在のような高級住宅街になった。
内部をみても驚かされるが非常にモダンであり、現在でもこのデザインで販売しても普通に売れるだろう。大正14年の建設であり、「大正ロマン」を感じる。
常盤台写真館。こちらも昭和初期竣工のようだが、あまりのモダンな外観に驚かされる。
照明技術も低かったので、内部は自然をふんだんに取り込んでいる。
前川國男邸。これも気になっていた建築。木造モダニズムの傑作である。ル・コルビュジエに師事し、アントニン・レーモンドの事務所で働いていた。東京文化会館、国立国会図書館、神奈川県立音楽堂などの公共建築を設計している。1942年に建設されたそうである。外観は日本家屋のように見える。
しかし、内部は吹き抜けの広い空間が出現し、ロフトも配され、大変モダンな空間になっている。内部は木造コテージのようである。
何よりもすごいのがこの大きな窓。外光をふんだんに取り入れて非常に明るい室内空間を実現している。
さて、モダニズム建築の次は高橋是清子爵邸。高橋是清は総理大臣・財務大臣・日銀総裁を歴任した大御所である。なお、若い時には留学の際に年季奉公人(要は奴隷)の契約をしてしまってアメリカでこき使われたそうだ。もともと港区赤坂七丁目にあったものが移築されているが、当時とはいえ、赤坂にこれだけ立派な日本家屋があったとは。
高橋是清はかなり人気も高かったようだが、「二・二六事件」で暗殺されている。ちょうどこの二階で凶弾に倒れたそうだ。
和の空間であるが、豪奢なシャンデリアが廊下を照らす。和洋折衷である。
襖絵などをみても、三井財閥・華族(男爵)の優雅な生活を偲ばせる。
写真が多いので、「江戸東京たてもの園」を訪問②へと続く・・・。















