ピアニストの故中村紘子がエッセイではまっていると読んで観よう観ようと思っていたドラマ。もう10年前のドラマだがいまさら観てハマってしまった。映画版を先に観たがなかなか良かったが、ドラマのほうが格調高くて良い。ファーストシーズンは短いが結構いろいろ展開があって楽しめた。第2シーズンも楽しみだ。
日本は「総中流社会」という神話があるが、日本は江戸時代までは歴然とした身分社会で、明治時代にも華族制度が成立し、1000を超える一族が華族に叙せられていた。華族制は戦後にGHQによって廃止され、莫大な財産税を課されて没落し、日本の上流階級は解体され、高度成長期に誰でも努力で出世できるという神話が生まれた。ただ実際は半世紀前でも東大生の7割は元士族の家柄など、見えないながらも階級格差は残っていた。努力でなんとかなるという神話は、文化資本・社会関係資本・遺伝的特質などをあまりに軽視している。上位の男子校にある質実剛健の校風は士族階級が多かったことの名残りだろう(とはいえ、旧華族といっても、出自は多様であって、公家から華族に叙せられた公家華族、藩主等の武家から華族となった武家華族、臣籍降下した皇族から華族となった皇族華族、神職や僧侶から華族となった忠臣華族・奈良華族、明治維新にて勲功のあった勲功華族などがいた(LINK))。
税金によって財産は奪えても、上流階級の持っている文化資本・社会関係資本などは奪えないものだ。旧華族の子孫は各界でその名残をみることができ、例えば、政治家の安倍晋三・麻生太郎も先祖は旧華族である。皇族が結婚する場合、旧華族家から選ばれるとも多く、常陸宮華子様は元伯爵家、高円宮久子様は元子爵家、三笠宮百合子様も元子爵家、三笠宮信子様も元伯爵家(ちなみに、麻生太郎の妹)である。
しかし、英国はまだ貴族制が残っていて1%は貴族として上流階級を形成しているという。高級ブランドの「シャネル」の創業者のココ・シャネルに求婚していた英・ウェストミンスター公爵には子孫がいるが、七代目のヒュー・グローヴナー 公爵は、30歳未満の人間としては世界で最も富裕な人物だったこともあり、総資産は1兆円を超える。もちろん、本ドラマやウェストミンスター公爵ほどの生活を維持できている人は、貴族の中でもかなり稀だろうが、なんかこうした浮世離れした生活って庶民からするととても面白い。
ヨーロッパの対比でアメリカはこうした貴族社会がない資本主義の国としてイメージされることが多いが、アメリカの憧憬にあったのはヨーロッパの貴族社会である。それが如実に表れているのが、映画「風と共に去りぬ」である。ただこの作品だと黒人奴隷問題もあって批判も多く、アメリカだと黒人奴隷の待遇を誤認させるとして公的な上映が一部禁止されている。ただ同映画では、白亜の豪邸と、大富豪の白人、黒人メイド、そしてそれを当然に良しとしていた当時の社会の諸相を見事に現代に伝えてくれる。
かくいうイギリスも上流階級は前述のとおり一部存続していても相当に弱体化しており、王室廃止論もある。そうした上流階級の衰退を描いたのが、ノーベル文学賞を受賞したカズオ・イシグロの「日の名残り」だ(1950年代の上流階級に仕える執事が主人公)。ダウントンアビーの描く世界の数十年後である。ここらへんの世界観の変貌と、映画・ドラマ・小説での描かれ方の変貌は興味深いが、歴史に疎い人だと楽しめないかもしれない。
人類の発展速度は急速といわれるが、このダウントンアビーの描く世界が100年前で、電話が敷設されて珍しいという様子が描かれるシーンがあるが、それから100年程度でスマートフォンで動画視聴から金融取引まで何から何までできるというから驚きである。世界最高齢の日本・福岡の田中さんは、118歳だからどちらの世界も知っていることになる。ほんと時代の変化には驚かされる。
