当方は理系だったら建築を専攻していたと思うぐらい建築が好きだ。日本は地震が多かったために頑強な建築が必要であり、また山に覆われた国ゆえに木材が豊富であり、建築技術が非常に発達した。建築界のノーベル賞こと「プリツカー賞」では日本人が受賞者数で米国と首位争いだが、日本の建築家の水準の高さは長年蓄積された技術があるためだ。

 

現在でこそ日本の建築は洋風のものやモダンなものが多いが、当然に江戸時代は日本家屋しかなく、それが明治期に西洋建築を学ぶ中でどんどん西洋化していったのだ。当初は港町だった横浜などで洋風建築ができ始め、地方の宮大工たちは見よう見真似で西洋風の「凝洋風建築」をつくっていた。それが徐々に西洋から建築家を招いて本格的な西洋建築も建設されるようになり、帝都東京も近代都市にふさわしい建築が立ち並ぶようになる。当初の計画だと、東京はパリ・ロンドンのようなバロック建築都市を目指しており、ベックマンなどに起案させたが、費用面などでとん挫してかなり縮小したかたちで実行されたそうだ(法務省の建築にそれをみることができる)。ベックマンの案が実行されていたら東京はパリ・ロンドンのような重厚な都市になっていただろう。当然、西洋建築一辺倒への反動や日露戦争勝利による国威掲揚および第一次世界大戦での西洋の没落は、日本建築を取り入れる機運となり、西洋建築の土台に日本の瓦屋根を乗せた「帝冠様式」も誕生する。

 

本書で最も読みごたえがあるのが国会議事堂の中央の上部がなぜピラミッドなのかという点である。言われてみれば不思議なデザインである。国会議事堂の案は、コンペで入選した案をベースにしているが、ピラミッドの意匠はない。建築史家だった故鈴木博之の説を引用する。、あの意匠は「マウソロス廟」(鎮魂と安置の場)であり、当時の建築では韓国で暗殺された伊藤博文の銅像の意匠に採用されているという。その意匠は、建築家武田によるものだが彼の父は法律家であり、日本国憲法の起案者の一人は初代総理大臣だった伊藤博文であり、父の仕事の原点に伊藤博文がいたのである。そんな政治家伊藤博文は韓国で暗殺されてしまった。そんな建築家武田の弟子ともいえる吉武が、国会議事堂にマウソロス廟の意匠を反映させたのではないかというのである。つまり、国会議事堂のピラミッドは、内閣総理大臣の伊藤博文への鎮魂と、政治家たるもの命を賭して政務を全うすべしというメッセージが込められているというのである。この説はかなり説得力があると思う。なお、繰り返しになるが元ネタの記事は、鈴木博之「マウソロスの墓と伊藤博文ー議事堂の屋根の隠された意味」(ポーラ文化研究所)である。故 鈴木博之先生の著書はいくつか読んでブログでも記事に書いたが(「都市のかなしみ」「東京の地霊」)、名著なのでぜひ読み継がれてほしい。

 

第一次世界大戦の後、昭和初期、建築は全体主義の荒波に飲まれていく。スターリンやヒトラーなどの独裁者は全体主義を支えるために建築を利用し都市計画を立てていたのだった。日本でも例外ではない。しかし、日本は敗戦を迎え、天皇は人間宣言をし全体主義と都市・建築との結合は終焉する。そんな戦後日本では「ゴジラ」がヒットするが、これは著者はゴジラのことを戦争で亡くなった英霊とみる。英霊の怒りは近代文明である帝都を襲い、英霊の遺骨収集もままならない政治への憤怒として国会議事堂をゴジラは破壊するのだ。しかし、それでも現人神と信じていた英霊たちの魂であるゴジラは皇居には向かわず、ゴジラは海に帰っていくのだった。当然、ゴジラ製作者がそこまで考えていたとは思えないが、当時の鬱屈した市民感情がゴジラによってよく表現されていたのでヒットしたというのはあながち間違いではないだろう。

 

本書はなかなか読みごたえがあるが、戦後の建築は射程に入っていない。ぜひ戦後の丹下健三・黒川紀章・安藤忠雄やメタボリズム都市などの発展をも読みたかった感はある。ただここまでわかりやすく建築と歴史を紹介した本も珍しい。ぜひ入門書としておすすめしたい一冊だ。