都市のかなしみ―建築百年のかたち/中央公論新社

「中央公論」等の連載記事をまとめた本。鈴木博之氏は、日本を代表する功名な建築史家である。学生時代に鈴木氏の講演会などに足を運んだことがあり、本書は前から読もうと思っていた本である。講演会に行く前は気難しそうな印象であったが、実際にみてみると非常に見識高く博識ながら、優しげな御爺さんという印象であった。東京大退官後に青山学院大で教鞭をとられていたが、在職中の2014年に肺炎のために残念ながら死去されている。本というのは、情報の多さという量的な側面だけではなく、文体の精妙さや、読者に新鮮な視点を与える等の質的な側面も備えているべきものだと個人的に思っているが、本書は、その両方を備えており、脱帽であった。良い本を読んだという読後感を感じる。


鈴木氏は、建築における「ゲニウス・ロキ(地霊)」という概念を提唱したことでも知られている。pp.12-35の「都市と機能、装飾、ゲニウス・ロキ」には鈴木氏の思想が非常にコンパクトにまとめられている。産業革命後、機械生産が一般化し、また人口が増大したため、工場での大量生産が主流となった。こうした時代の潮流の中にあって、装飾は、非生産的で非実用的なものと毛嫌いされた。その時代に成立したモダニズムデザインは、合理性と機能性を希求した。都市も、そうした時代の潮流に呼応するように、建築も各土地に根付いている文化・歴史から離陸した非個性的なものとなった。ゲニウス・ロキとはラテン語で地縛霊といような意味を持つ。ゲニウス・ロキは、各場所に存在する歴史と、蓄積された文化を復活させ、その土地に活力を与えるものであると、鈴木氏はいう。


特に日本では建築士といえば、理系的な仕事と考えられがちである。しかし、海外では建築士というのはデザインの資格であるという(p.229)。私は高校1年ぐらいまでは理系志望で、建築家を志望していた(理系に弱い学校で理系だと有名校へ進学は叶わないと考えて文系に転向した どうでもいいが、私が興味のある社会学・法学・国際関係学なども、社会や国際社会の構造を扱う分野という点で似ている)のでよく思うのだが、日本の建築は、都市の拡大期とモダニズムの時期が重なったせいもあろうが、無機質で無味乾燥としている。日本の分譲住宅などは機能性はあるのだろうが、デザインが酷い。日本の各都市をみても、建築は土地の持つ歴史的文脈から切り離され、各鉄道の駅も規格化され情緒じられる要素は微塵もない。経済合理的なのかもしれないが、どの都市も“のっぺらぼう“である。昨今、各地域の伝統や文化等を尊重する動きも大きくなってきたようであるが、ゲニウス・ロキを、日本に紹介した鈴木氏の果たした役割は大きなものであろうと思われる。しかし、こうしたゲニウス・ロキの配慮という点では、人文科学に明るい文系の役割が期待される。(門外漢がおこがましいが)学問領域に束縛されない、学際性・リベラルアーツが建築家にも求められていると思われる。