『ヒストリエ』のアリストテレスについて | 胙豆

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表題通りこの地球上で誰も得をしない内容を書いていくことにする。

 

『ヒストリエ』では超有名な哲学者であるアリストテレスが登場する。

 

(岩明均『ヒストリエ』1巻p.18)

 

このサイトでは『ヒストリエ』の解説記事をねっとりと色々書いてきていて、その中でアリストテレスの話に触れることがちょいちょいあった。

 

その際に僕は、岩明先生はアリストテレスという"哲学者"に詳しくないだろうと何回か言及していて、この記事はその事についてになる。

 

ただ、そのような哲学者としてのアリストテレスの話は煩雑だし、ぶっちゃけ『ヒストリエ』に関係のない話なのであって、『ヒストリエ』の解説記事でその話だけをするのは普通にどうかと思うので、この記事ではまず、『ヒストリエ』作中に見られるアリストテレス像について、その出典とかの話をした後に、実際の原典訳のアリストテレスの言及と、『ヒストリエ』作中のアリストテレスの描写とを比較して、岩明先生が哲学者としてのアリストテレスを知らないのだろうという話を以下ではしていくことにする。

 

まず、『ヒストリエ』に登場するアリストテレスは彼自身の著作にそのキャラクター像があるということはないと僕は判断している。

 

『ヒストリエ』に出てくるアリストテレスは、非常に優れた"自然学者"であって、実際のテキストに見られる彼の煩雑な議論、数学を基礎に置く論法、ギリシア哲学の連綿とした歴史から紡ぎ出される現代の感覚したら荒唐無稽としか思えない論説、そのようなものは『ヒストリエ』作中から見出すことは出来ない。

 

実際に僕はアリストテレスの著作をほんの少しではあるけれど読んでいるから、アリストテレスがどのような言及をしているか知っていて、そこから浮かび上がってくる彼のビジョンは『ヒストリエ』の描写と重なっていない。

 

ただ、概説書とか歴史本で紹介されるところの万学の祖で偉大な科学者であるアリストテレスとは矛盾がないし、『ヒストリエ』の原作である『英雄伝』で言及されるところのアリストテレスも『ヒストリエ』で見るアリストテレスなのであって、『ヒストリエ』のアリストテレスはそのようなものを材料にして作られていると僕は判断している。

 

『ヒストリエ』ではアレクサンドロス大王がアリストテレスの教えを受けている描写があって、原作の『英雄伝』でもその話はされている。

 

 フィリッポスはアレクサンドロスの天性が動かし難いもので、強制に対して反抗するが、道理には容易に服して為すべき事に向かうことを見抜き、命令よりも説得を試み、音楽や一般の教師にその監と指導を委ねず、さういうことは遥かに重要な任務で、ソフォクレースの言葉によれば『多くの銜と同時に舵の仕事』であるとして、哲学者の中でも最も名声が学識に富むアリストテレースを招いて、これにふさはしい立派な報酬を払うことにした。(プルタルコス 『プルターク英雄伝』 河野与一訳 岩波文庫 1951年 p.14 旧字は新字へ変更)」

 

こういう風にアレクサンドロスがアリストテレスの教えを受けたという話があるし、『ヒストリエ』のアレクサンドロスはアリストテレスの医学的な知識について何か感銘を受けている描写がされている。

 

(11巻p.17)

 

このような話も『英雄伝』でされていて、そのような描写は多く、『英雄伝』の言及に由来を持っている様子がある。

 

八 私の意見では、アレクサンドロスの医学好きの癖を附けたのは誰にもましてアリストテレースだと思ふ。現にアレクサンドロスが医学の理論を好んだばかりでなく、病気の友人には力を藉(か)し、いろいろと治療や療生法を命じたことは、その手紙から分かる。(同上p.15 ()は引用者補足)」

 

こういう所はおそらく『英雄伝』に由来する描写なのだろう僕は思うとはいえ、エウメネスとかいう歴史上のモブキャラと違って、アレクサンドロス大王などは様々な本で彼についての言及があって、その数はとても計り知れないほどで、そのような本にアレクとアリストテレスとの関係性や学校生活のことが書かれているということは想像に易い。

 

だから、岩明先生はそれらの本を読んだという可能性がある…というか、確実にそのような概説的なアレクサンドロスの本は読んでいて、アレクサンドロス関係については情報源が多すぎるから、どのような本や媒体に『ヒストリエ』の描写があるかは特定しようがない。

 

ただそうとは言え、岩明先生は『ヘウレーカ』の巻末の参考文献一覧でまず初めに岩波文庫の『プルターク英雄伝』の名前を挙げていて、100%の確率でこの本を読んでいるのだから、まぁどれ程にそれが色濃いかはさておいて、今引用した文章は『ヒストリエ』の材料として用いられている。

 

 

加えて、『ヒストリエ』ではアリストテレスが散歩に出ている描写がある。

 


(6巻pp.121-122)

 

アリストテレスが行っていたという散歩についても『英雄伝』には記述がある。

 

「 さてこの師匠と弟子(アリストテレースとアレクサンドロス)が学問や研究をする場所としては、ミエザの附近のニュンファイオンを指定したが、そこには今でもアリストテレースの石の腰掛や樹陰の散歩路が示される。(同上p.15 ()は引用者補足)」

 

アレクサンドロスについて書かれた著書があったとして、彼が学んだ場所がミエザ付近のニュンファイオンであったという話はまぁ書かれていることもあるだろう一方で、アリストテレスが散歩をしていたという話に関しては、アレク関係の書籍で言及される内容でもなくて、そうとすると、『ヒストリエ』のあの描写は今引用した文章にもしかしたら由来があるのかもしれない。

 

『英雄伝』に言及のあるアレクとアリストテレスの関係性については、先に引用した内容と、アレクがその哲学者に良く師事したという話程度で、あまり『ヒストリエ』に持ち出されている描写も多くない。

 

ただ、アレクの死後の記述の中で、アリストテレスに関する言及が存在している。

 

次の文章はマケドニア王室の公の日記に書かれたアレクサンドロスの最後の10日間、熱にうなされうわ言を口にするようになってそのまま死んだ様子についての文章が引用されて、大王が死んだという話が終わった後のそれです。

 

七七 以上の事の大部分は文字通りこういう風に日記に書いてある。毒殺の疑はその時直ぐには誰も抱かなかったが、六年後密告があって、オリュンピアスが大勢の人を殺した時、その前に死んでいたイオラースの遺骸を暴いて、このものが毒を盛ったと云ったそうである。又、アリストテレースはこの企ててアンティパトロスの相談役になり、孰れにしてもアリストテレースの取計らいで毒薬が運ばれたという人々は、ハグノテミスというものが王のアンティゴノスから聴いたと話していたのを伝えている。(同上 pp.140-141)

 

ここにアリストテレスが何らか、アレクサンドロス大王の毒殺に関わったという話がされている。

 

『英雄伝』と『アレクサンドロス大王東征記』だと、アレクの死因は病死なのだけれども、『地中海世界史』では完全に毒殺扱いされていて、その下手人はカサンドロスであるという話がされている。

 

(6巻p.117)

 

そういう風に『地中海世界史』に言及されているという事情があるから、アレクサンドロスの死は『ヒストリエ』でもカサンドロスの暗躍の結果であるという予定になっている可能性はある。

 

そうであるならば『英雄伝』にアリストテレスが暗殺に関与したという記述があるのだから、その場面でアリストテレスが何か役割を果たす可能性はある。

 

まぁその辺りに関しては現状の材料だと判断しようがないし、現実問題としてその辺りが『ヒストリエ』で描かれるという未来は起きえないというのが実情であって、この辺りについてはもう、作者以外の誰しもにとって謎になって、そして謎のまま終わっていくと僕は考えている。

 

ちなみに、どうやらアレクサンドロスは10日間熱に苦しんだ末に死んだそうで、毒を盛るにしても即効性の毒を盛るのが普通…というか、10日間も生死をさまよう毒を暗殺者が用いるとは考え難いというか、10日間も死ぬか死なないかヤキモキしながら待つしかない毒を用いるという心理を想定できないので、僕はアレクが病死したと考えています。

 

さて。

 

ここまでで『ヒストリエ』と『英雄伝』に登場するアリストテレスの話が終わった。

 

以下では哲学者としてのアリストテレスの話をして行くことにする。

 

その内容はもう本当に誰の得にもならないので、なんつーかもう、とっととブラウザバックした方が時間の節約になってお得だと思う。

 

とにかくそのために苦行をしながら殺意を抱きながら準備をしたので、それが無駄にならない様にやって行くことにする。

 

…この記事にまとめても結局それは無駄なことに過ぎないのは分かっているのだけども。

 

…。

 

『ヒストリエ』では"心の座"が何処にあるのかという話がある。

 

その話は11巻でされていて、その一連の話のサブタイトルは「心の座」になっている。

 

(11巻p.2)

 

この「心の座」の一話目で、マケドニアの首都であるペラの住人が心の座についてインタビューをして回っていて、その時にエウメネスを捕まえるくだりがある。

 

(11巻pp.8-11)

 

僕はこのエウメネスとペラの住人とのやり取りを見て、岩明先生は哲学について全く知識がないし、アリストテレスの学説について欠片も理解がないと随分前から判断していて、その事についてまとめたいと思ったというのが、この記事を作った動機の一つになる。

 

だから僕的にはここからが本旨になるけれど、『ヒストリエ』という作品としてはまぁどうでもいい話ではあるので、前半で『ヒストリエ』の読者にとって意味がある内容を纏めて、以下では小難しい話をして行くことにする。

 

『ヒストリエ』の先の引用の場面では"心の座"が何処にあるかという話がされている。

 

日本語で"心"という場合、このエウメネスの問答は別に問題がないやり取りで、日本人が心が何処にあるかと問われたら、まぁ脳と答えるだろうと思う。

 

ただ、僕の知識の中にあるアリストテレスがこのように問われたときにどう答えるかを言うならば、その答え方は『ヒストリエ』にあるように、「心は心臓に宿るのではないか」というような曖昧な形ではなくて、「心臓にある」という断言の形以外では絶対にあり得ないと言い切ってしまって良いのではないかというレベルの話になる。

 

アリストテレスがそのようなものを心臓にあるとしたという話は、アリストテレスの実際の言及を見ると、「そのように考えられる」というレベルの話ではなくて、彼の動物の身体の構造の理論の根幹の話になって、そんな適当な話ではない。

 

そもそも、日本語では簡単に"心"と言ってしまえるけれど、その用語は古代ギリシアでは少し特殊な事情があって、アリストテレスがその問題について語った本は、講談社学術文庫では『心とは何か』という表題で出版されている。

 

 

けれども、同じ本は岩波書店の『アリストテレス全集』では、『霊魂論』とされているし、西洋古典叢書のシリーズでは『魂について』というそれになっている。

 

 

 

要するに、この言葉は日本語だと心とも霊魂とも訳せるような概念であって、それが故に翻訳に差異が出ているという話になる。

 

だから、そもそも日本語でいう所の"心"とアリストテレスが想定して論証したその概念は少しニュアンスにズレが出ていて、僕らがイメージするところとは少し離れた議論になる。

 

けれども、『ヒストリエ』では日本語の心と同じようにこの語を処理している上に、アリストテレスにも伝聞の形とはいえそう言わせていて、そういう所を見ると、岩明先生はこの話がどういう話なのかを理解していないということで良いと思う。

 

(11巻p.9)

 

アリストテレスが問題としている"心"というのはギリシア語で"プシュケー"と呼ばれるものであって、それは霊魂ともいえるし、心ともいえるし、感覚器官の根本ともいえるし、生物が生きる場合の最低限の能力ともいえるような概念になる。

 

だから、日本語でいう所の"心"とはニュアンスに差異があって、けれども、『ヒストリエ』では明らかに日本語でいう所の心の話をしている。

 

(11巻pp.4-5)

 

実際にアリストテレスが問題にしたのはプシュケーについてなのだから、岩明先生はアリストテレスが議論したのは何なのか、それはどういう話なのかをおそらく把握していない。

 

実際、その辺りについてはこの記事を書くため…と言うと語弊があるけれど、ともかく僕はわざわざ『霊魂論』というテキストを読むという自傷行為をしていて、アリストテレスがプシュケーについてどのような理解を持っていたかをこの記事で説明するに必要な知識は既に持っている。

 

なので、彼がプシュケーや心臓をどのように理解していたかを以下で説明して、アリストテレスの理解と『ヒストリエ』の描写との差異を指摘して、その事で岩明先生がアリストテレスについての知識を持っていないということを示したいと思う。

 

そもそも、アリストテレスが想定する霊魂(プシュケー)がどのようなものかと言うと、それは生物と非生物とを区別するような要素であって、それは生物であったら何にでもある要素で、植物にも昆虫にも存在している。

 

ただ、植物は動くことが出来なくて、動物は動くことが出来るし、動物は匂いや痛みを感じる感覚というものがある以上、そこに差異があるとアリストテレスは考えていて、霊魂(プシュケー)には、そのようにただ生きるため栄養を集める霊魂(栄養的霊魂)と、行動し感覚するための霊魂(感覚的霊魂)があるとして、その行動するための霊魂は心臓にあるとアリストテレスは考えていた様子がある。

 

まぁ植物と動物とでは心臓の有無がその分かりやすい差で、心臓が止まると動物も止まるから、その行動の根源に心臓があると考えたのかもしれない。

 

植物は栄養的霊魂のみで生きていて、動物は栄養的霊魂+感覚的霊魂という感じで、人間には更に理性があるという話が『霊魂論』ではされている。

 

植物には低次の生きる為だけの霊魂があって、動物にはそれにプラスして、感覚して行動するための霊魂があるらしい。

 

あ、僕が読んだのは『アリストテレス全集』の『霊魂論』なので、以下では『霊魂論』と呼ぶことにします。

 

その辺りの霊魂(プシュケー)の議論については実際の原典訳の本から引用したいのだけれども、アリストテレスの著述はまぁなんつーかクソ…いや、そびえ立つクソなので、そのまま引用しても意味不明になる。

 

アリストテレスの語彙についての知識のない人に、

「従って必然に霊魂は実体、それも可能的に生命を持つ自然的物体の現実態ということになる。(アリストテレス 『アリストテレス全集 6』 『霊魂論』 岩波書店 1968年 p.39)」

とか書かれた文章を提出しても、「?」となるだけで、その辺りはどっかの哲学のお友達がアリストテレスの霊魂に関する議論をまとめた論文があったので、適宜そこから引用する形でやって行くことにする。

 

とはいえ、細かい議論はどうでも良くて、とにかくアリストテレスは諸感覚の原理、根源が心臓にあると考えていたらしいというのは確かであるということを示せば良いと思う。

 

「第2章魂の座
 第2章では、魂の座をめぐる議論について述べる。ここではアリストテレスが魂、感覚、生命、心臓を関連付けて捉えていることを明らかにする。更に本章は、彼が『デ・アニマ』(引用者注:『霊魂論』のラテン語名)のなかで感覚に比重をおいた理由を探る手掛かりとなるものである。考察の結果、彼は魂を「生きる原動力」として捉え、心臓に感覚器官の中枢を措いていることが明らかになる。更に、アリストテレスは「生きていること」と「感覚すること」を密接に関連付けて捉えているということも明確になるはずである。
 (中略)
彼は『自然学小論集』の「青年と老年について、生と死について」のなかで「有血動物においては魂の感覚能力の根源も心臓の内にあらねばならぬ」と、感覚能力の根源も心臓に措いている。更にそこで彼は、その理由を、有血動物は心臓から生じるからだとしている。(長島 智子『アリストテレス『デ・アニマ』における感覚論―「結合体」論との関わりの解明―』pp.7-8)」

 

この論文は学習院大学の哲学会誌に収録されたらしいけれども、著者については名前が一般的過ぎて、教授なのか准教授なのか、院を出たポストドクターなのか、博士課程の大学生なのか、検索しても良く分からなかった。

 

ただ、哲学の大学院に行ったことがあって、哲学について専門的な教育を受けたような人物以外でそのような学会誌に寄稿出来る筈もないのであって、ここに書かれていることは僕なんかより遥かに信頼が置けるのは確かだと思う。

 

ともかく、その論文にあるように、アリストテレスは動物の感覚能力の根幹に心臓があると考えていて、その話は彼の『動物発生論』にもある。

 

「 さて、諸感覚の原理が心臓にあるために、心臓は動物の全身の中ではまず第一に出来上がるのであって、また心臓の熱のために、心臓付近の熱と対立する冷たいものが、血管の上方で終わるところに脳髄を形成するのである。それゆえ、頭のまわりの部分は心臓の直ぐ次に発生し、他の部分とは大きさが違うのである〔はるかに大きい〕。これは脳髄が始めから大きくて流動性だからである。(アリストテレス『アリストテレス全集 9』「動物発生論」 岩波書店 1969年 p.185」)」

 

こういう風に生物の諸感覚の原理に心臓があるとして、感覚機能を司る部位が心臓であるとして、それ故に生物は心臓から形成されるとアリストテレスは理解していた様子がある。

 

そして、アリストテレスにとっての霊魂は、そのような感覚を司る機関の話で、その霊魂が心臓にあるという話こそが、アリストテレスの"心の座"の話になる。

 

だから、日本語でいう所の"心の座"とアリストテレスの文脈での"心の座"ではニュアンスに差異があって、『ヒストリエ』で語られるそれとは割と別の話であるというか、『ヒストリエ』の言及的に、岩明先生がその辺りを理解しているとは全く判断できない内容になっている。

 

何処で考えるのか、ではなくて、諸感覚を司る場所は何処か、という話で、その諸感覚を司る場所で人間は表象、すなわち見たり触ったり嗅いだりした情報を処理しているという議論になる。

 

アリストテレスは胎児の発生を語るに際して、心臓から形成されると言っていて、その理由として、「諸感覚の原理が心臓にあるため(同上『動物発生論』p.185)」と言及していることから分かるように、「心は心臓に宿るのではないか」という言及で済ませられるほどにアリストテレスにとってその理解は簡単なものではない。

 

動物が形成されるのは心臓からで、それは心臓が諸感覚を司る部分であるという話で、その話は彼の動物の発生についての議論の根幹になる。

 

けれども、『ヒストリエ』では「心は心臓に宿るのではないか」という軽い形で処理されている。

 

(同上)

 

こういう風に「心?まぁ心臓にあるんじゃない?」という感じで済ませていて、けれども実際のアリストテレスの言及を見る限り、そんなに軽い話ではない。

 

結局、その辺りは岩明先生が哲学についての造詣を持っておらず、アリストテレスの議論を全く知らないからこのような言及になっているのではないかと思う。

 

…実際、この記事を書くにあたって『霊魂論』を読んだのだけれど、その作業は耐えがたい苦痛で、こんな本読まない方が普通だろとしか思えなかったから、岩明先生がそれを知らなくても当然としか思えない。

 

十数ページ読んで、「ちょっとまってこんな辛くてええん!?」って本気で思ったからなぁ…。

 

121ページまで文章はあるのに。

 

しかも読んだところでここで得た知識が役立つということは今後ないということも分かっていて、更には哲学の、カントのあのクソの由来がアリストテレスにやはりあるということを再認識するに至って、本当にどうしようもない気分になった。

 

そんな話はさておいて、アリストテレスの著作には他には『夢について』というそれがある。

 

一方で『ヒストリエ』にも夢についての話がある。

 

(1巻p.168)

 

ここで語られる夢の話と、アリストテレスの『夢について』では全然言及内容が違っていて、その辺りは参考にされていないと僕は判断している。

 

もし、岩明先生がアリストテレスが夢についてどう判断していたかを知っていたら、ここに挿入される書物にある夢についての言及もそれに倣うはずで、けれどもそうはなっていないところを見ると、岩明先生はアリストテレスの議論についての知識を持っていないと判断できるのではないかと思う。

 

ただ、これを読んでいる多くの人がアリストテレスという大哲学者について、漠然とした知識を持っている場合があるように、岩明先生も専門的ではないとはいえ、それなりにアリストテレスについての知識を持っていて、アリストテレスがそのような観念的な議論の他に動物に関する議論をしたという知識を持っていたという話は知っていた様子はある。


(6巻p.138)

 

そうとはいえ、そんなことは"ものの本"を読まなくても普通に生きていたら得ることもあるような知識で、テレビのなんかで哲学だけじゃなくて動物にも詳しかったアリストテレスが語られる場合ある筈で、その辺りについてはまぁ、どっかで聞いたことがあるのだろうという以上の話は僕には出来ない。

 

そんな感じの『ヒストリエ』のアリストテレスについて。

 

この記事を書いた動機はまぁ、『霊魂論』を読む理由を作るためというのが一番大きい。

 

とはいえ、そんな話は『ヒストリエ』の解説には関係ないからどうでもいい話なのだけれど。

 

では。

 

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