『ヒストリエ』のボアの村の解説(前編) | 胙豆

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傲慢さに屠られ、その肉を空虚に捧げられる。

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世界で一番詳しい『ヒストリエ』のボアの村の解説記事を書いていくことにする。

 

いやまぁ、今から書くこの記事以外に、ネット上にボアの村についての解説しているところがなくて、どんなに詳しくなくても一つ記事を上げた時点で世界一にはなるのだけれど。

 

『ヒストリエ』では主人公のエウメネスが作中の序盤で、パフラゴニアにあるボアの村に漂着するくだりがある。

 

(岩明均『ヒストリエ』3巻p.90 以下は簡略な表記とする )

 

このボアの村について、『ヒストリエ』を単体で読んでいたら分からないであろう話題が僕の脳内にいくらかあるので、そう言った話についてこの記事では色々言及していくことにする。

 

そして、言及内容的に『ヒストリエ』のこれからの展開に関する話題を避けて通ることが不可能で、ネタバレを当然の権利のようにしていくので、以下の内容を読む場合は、ネタバレをされる覚悟の準備をしておくか、ブラウザバックするかのどちらかを選んでください。

 

まぁ、どうせ…『ヒストリエ』はエウメネスのパフラゴニア再来まで物語は進まないだろうので、ネタバレになっているのかという根本的な疑問はあるけれど。

 

まず、ボアの村のあるパフラゴニアについて、これは以前言及した通り、史料でエウメネスはアレクサンドロス大王の死後にこの土地に封土されていて、後にエウメネスの領土となるような地域になる。

 

その話は『ヒストリエ』の原作である、プルタルコスの『英雄伝』で言及されている。(参考:『ヒストリエ』の原作について)

 

 アレクサンドロスが死んでマケドニアの歩兵軍が大王の側近と対立した時、エウメネースは内心では側近に味方していたが、口先では両側の人に中立の立場を取る一市民として終始し、自分は外国人であるからマケドニア人の紛争に少しも余計な口を出さないと云っていた。他の側近の人々がバビュローンに撤退しても、自分だけはこの町に残って多数の歩兵を懐柔し、紛争の調停を望むようにさせた。将軍たちが互いに話し合って最初の混乱が静まり、太守や将軍の地位を分け合った時に、エウメネースはカッパドキアーとパーフラゴニアーと黒海沿岸のトラペズースまで取ることになったが、この地方はまだマケドニアのものではなく、アリアラテースを王として認めていたので、レオンナトス及びアンティゴノスが大軍をエウメネースを導き、この地方の太守と宣言しなければならなかった。(プルタルコス 『プルターク英雄伝 8』 河野与一訳 岩波書店 1955年 p.43 注釈は省略 旧字は新字へ 下線部引用者)」

 

 

ここにエウメネスがカッパドキアとパフラゴニアとトラペズスの領地を分け与えられたという記述がある。

 

要するに、予定表的にはエウメネスは将来的にボアの村のある地域にまたやってくるわけであって、エウメネスがあの地域に漂流したのは、大王の死後のエウメネスの動向を視野に入れた描写ということで良いと思う。

 

時々…『ヒストリエ』は流石にディアドコイ戦争までは描くつもりはないのではないかという意見を持っている人が居て、実際、このサイトにもその旨のコメントが来たことがあるけれど、岩明先生はインタビューでアレクの死後も物語は続くと言明している(参考)し、普通にパフラゴニアに流れ着いた時点で、ディアドコイ戦争までを想定しているという話で良いと思う。

 

インタビューで岩明先生は、

「私の心身に問題がないかぎり、「あそこまで」という着地点はあります。アレクサンドロスは確かに歴史上の大スターで、この物語内でも存在感をもって登場しますが、それでも脇役なので、その死後も物語は続く予定です。(同上)」

と言っていて、まぁここで言う着地点は、原作の第十七節の演説だと思う。

 

あそこがエウメネスという英雄の終着点だから…。

 

ともかく、エウメネスが現在のトルコの北の方に流れ着いたことには意味があって、まぁ所謂一種の伏線ということで良いと思う。

 

加えて、パフラゴニアの位置は『ヒストリエ』の描写で分かる一方で、他の二か所については普通に分からないと思うので、地図を用意することにする。

 

エウメネスが封土を受けたのはパフラゴニアに加えて、カッパドキアとトラペズスであって、カッパドキアの位置は以下の画像の赤い部分になる。

 

(英語版Wikipedia:「カッパドキア」より)

 

そしてトラペズスがこの位置になる。

 

(Wikipedia:「トラブゾン」より)

 

上のカッパドキアより更に東の地域ですね。

 

そして残りのパフラゴニアが地図の西の方だから、まぁトルコの黒海沿岸の地域がエウメネスの領土として与えられたという話で良いと思う。

 

(同上)

 

…岩波文庫の『プルターク英雄伝』では「エウメネースはカッパドキアーとパーフラゴニアーと黒海沿岸のトラペズースまで取ることになった(同上)」と言及があって、黒海沿岸であるのはトラペズースだけみたいな書き方がされているけど、全部黒海沿岸の地域だから、あれは誤訳なのでは…?と思った。

 

おそらく、ギリシア語の原文では三つの地域全部を黒海沿岸の地域だと説明するような書かれ方がされているのではないか思うし、その辺りは比較的最近出版された、西洋古典叢書シリーズの専門家が原典から訳したプルタルコスの『英雄伝』や、ネット上にある英訳の『英雄伝』とかを確かめれば分かるけど、それをしても僕に得はないからそういうことはしないでおく。

 

ともかく、こういう地域の領主として任命された以上、ボアの村の人々はまた出てくるだろうし、親切なテレマコスさんを激怒させた件は後を引いてくると思う。

 

エウメネスはこれらの地域を与えられたとはいえ、これらの地域はまだ未征服地で、まだ現地の王が居たらしい。

 

先に引用した『英雄伝』の文章だと、アンティゴノスとレオンナトスの兵を借りて征服しなければならないという話であったけれども、アンティゴノスは驕り高ぶって兵を貸すことを渋って、レオンナトスはマケドニア本土での形勢掌握を目論んでそっちに行ってしまったがために、エウメネスはペルディッカスの兵を借りることになったし、以後のディアドコイ戦争ではペルディッカス陣営で戦うことになっている。

 

『ヒストリエ』作中でもエウメネスはペルディッカスとそこそこにやり取りがあって、まぁああいった描写も、将来的なディアドコイ戦争を見越してのそれだと思う。

 

(1巻pp.95-96)

 

(5巻pp.201-202)

 

そして、ペルディッカスと共に与えられた領土を征服したと原作では書かれている。

 

「かうして(エウメネースは)ペルディッカースのところに逃げ込んでレオンナトスの計画(引用者注:マケドニア本土に渡るという計画)を告げ、忽ちこの人のところで大きな勢力を得て会議にも加わるようになり、その後間もなく軍勢と共にカッパドキア―へ連れて行かれたが、ペルディッカースも同行して指揮に当たった。(敵の王である)アリアラテースは捕虜にされ、その地方が屈服したので、エウメネースはそこの太守と宣言された。この地方の町々は自分の友人たちに委ねて、守備隊長を任命し、自分の欲する人々を裁判官及び行政官として残したが、これらについてペルディッカースは何一つ干渉しなかった。エウメネースは、ペルディッカースに随行して機嫌を取り、諸王の仲間から離れようとしなかった。(同上『プルターク英雄伝 8』p.45 注釈は省略 途中の()は引用者補足)」

 

最後の諸王の仲間というくだりの"諸王"には注釈があって、

「フィリッポス三世の名で大王の後継者となったアリダイオスと、ロークサネーの生んだ大王の息子アレクサンドロス四世。共にペルディッカースの後見の下にあった。(同上)」

とある。

 

こういう風な記述があって、『プルターク英雄伝』に言及があるボアの村周辺の言及は以上になる。

 

ともかく、現地の王であるアリアラテスと戦ってエウメネスは勝っていて、この人物に関してはもしかしたら親切なテレマコスさんがそれになるのかなとも思う一方で、まず名前からして違うし、テレマコスはあの辺りの地域の有力者の嫡男とはいえ、全域の王ではない。

 

考えるに、マケドニアの侵攻軍に現地の人々が抵抗したという話で、王がアリアラテスだとしても配下は存在するわけであって、テレマコスさんはパフラゴニアの地域の兵を率いて抵抗軍に参陣させるとかそういう予定なのかなと思う。

 

再登場するテレマコスがどれ程の地位に上っているのかとかは判断材料がないので分からないとしか言えないとはいえ、まぁ先の引用文の戦争の時にテレマコスさんは出すつもりだろうと思う。

 

エウメネスの友人などを現地の代官にしたと先の記述にはあって、そこにテレマコスさんが充てられる可能性はあるにはある。

 

けれども、『ヒストリエ』のテレマコスはエウメネスに激怒している以上、まぁ出てきても敵としての役回りしかないだろうと思う。

 

・追記

この記事を書いた時には知らなかったけれども、どうやらマケドニアは早々にパフラゴニアの地域を屈服させていて、アレクの東征の開始の一年後にはパフラゴニアに加えてカッパドキアもマケドニアの版図としていたらしい。

 

「 アレクサンドロスはそこからパーフラゴニアー及びカッパドキア―を屈服させ、ダレイオスの海軍の提督の一人で、今後アレクサンドロスにいろいろ厄介や無数の抵抗及び困難を掛けさうに思えたメムノーンが死んだ聞いて一層奥地へ軍を進める元気が出た。(プルタルコス 『プルターク英雄伝』 岩波書店 1952年 p.30 旧字は新字へ 注釈は省略)」 

 

東征開始が前334年でメムノンの病死が前333年だから、これは東征開始してすぐの出来事ですね。

 

先に僕はパフラゴニアのテレマコスらと戦うのではと書いて、けれどもパフラゴニアが既にマケドニア勢力圏となると、色々問題があるから追記でその辺りを補足しようと思う。

 

ただ、記述を変更する必要はないと判断していて、何故というと、混乱があれば普通に離反があるわけで、現にカイロネイアで屈服したアテネとテーバイは、フィリッポスの死後に離反していて、先の引用の記述は大王の横死の後の話なのだから、その混乱を見て、パフラゴニアがマケドニアの軛を脱するという状況は十分あり得る話だからになる。

 

その辺りは岩明先生の匙加減で、ただ、テレマコスを怒らせたということが生きそうな展開となると、敵にまわるというそれくらいしかなくて、あれ程激怒していてマケドニアの支配下の地域の武将としてエウメネスの麾下でいきなり戦うということはあり得ないと思っていて、だとすればまぁ、普通に先のアリアラテスとの戦いでは敵にまわる想定だろうと僕は考えている。

 

加えて、この記事の以下の内容では、ボアの村の住人がディアドコイ戦争に際してエウメネスの部下になる想定だったのではという話が続いているのだけれど、そこについても記述の変更は必要ないと思う。

 

何故なら、マケドニアがパフラゴニアを屈服させた時点でエウメネスはただの書記官で、学のないパフラゴニアの人々を連れて行く理由がないし、立場的に連れても行けないだろうし、そもそもただの書記官の立場で軍から離れてボアの村に行くことは出来ないだろうからになる。

 

だから、言及の変更はしないとはいえ、パフラゴニアの地域はマケドニアに屈服していたという記述があったのは確かで、それを無視するのは不誠実だと思ったという理由で追記しました。

 

追記以上。

 

そしてもしかしたら任命された守備隊長などに、バトが充てられたりするのかなとも思う。

 

「この地方の町々は自分の友人たちに委ねて、守備隊長を任命し、自分の欲する人々を裁判官及び行政官として残した(同上『プルターク英雄伝 8』 p.45)」

 

まぁ『ヒストリエ』でバトは隊長ってエウメネスに呼ばれてたし。


(3巻p.201)

 

ただ、物語としてエウメネスにも部下は必要で、剣の手練れで村一番というレベルではないという設定のバトを現地に残してもしょうがないというか、普通に連れて行った方が面白いと思うので、バトはアリアラテスとの戦いより後はエウメネスの部下になるだろうし、職人になっているだろうグスもおそらく部下になる。

 

(4巻pp.65-66)

 

その辺りは以前言及した通りではあるけれど、僕の方で見落としがあったということに後に気付いていて、グスに関してはやはり、エウメネスと共に行動させるつもりではあると思う。

 

どうやら、エウメネスはディアドコイ戦争において攻城兵器を調達して部下に与えていたらしい。

 

その話は原作の第八節にある。

 

「エウメネースは三日以内に給料を払うと兵士に約束して置いたので、その地方にある幾つかの別荘や城で奴隷や家畜が一ぱいいるのを兵士に売った。それを買ったマケドニアの隊長や傭兵の隊長はエウメネースから道具や機械を供給されて城を攻め、兵士は貸になっていた給料分だけ銘々戦利品の中から分配を受けた。(同上『プルターク英雄伝 8』pp.51-52)」

 

ここにある機械というのは文脈的にどう考えても攻城兵器の話で、攻城兵器なんてものはそうそう売っているものでもない。

 

『ヒストリエ』ではエウメネスは兵器部門のディアデスと交流があって、おそらくあの描写は、今引用した部分を将来的に描くための伏線なのだと思う。

 

(7巻p.205)

 

物語としてエウメネスがディアデスと一緒にいる必然性はないというのに行動を共にしていて、おそらくはディアデスから学んだ攻城兵器をエウメネスは再現して部下に与えたという話を今後するつもりなのだと思う。

 

先の引用だとエウメネスは何処かから攻城兵器を調達したわけで、攻城兵器なんて市場に売っているものでもなくて、言及だと攻城兵器は買ったものではなくエウメネスが用意したものである様子が見て取れる以上、エウメネスが作らせたものという設定にするのではないかと思う。

 

そして、それを作るのにボアの村で共に過ごした友人であるグスが活躍するのかなと僕は思う。

 

先の引用では道具と機械をエウメネスは供給したとあって、村の職人レベルでは機械はもしかしたら難しいかもしれないとはいえ、道具の方は作ることは出来るから、グスはそういう役割なのではないかと思う。

 

まぁこの時点でグスが活躍するとしたら攻城兵器の作製にも携わるとは思うけれど。

 

そうとすると『ヒストリエ』作中の描写と、原作の言及との釣り合いが取れて、そういう意図としての配置と理解すれば諸々の描写は説明できる一方で、結局、僕は岩明先生の知り合いでもなんでもないから、岩明先生が何を考えてパフラゴニアにエウメネスを漂着させたのか、グスというキャラクターを用意したのか、ディアデスさんと交流させたのかは分からないし、その辺りの話はただの推論になる。

 

結局、エウメネスがペルディッカスと行動を共にするに際して現地に誰を残すのかについては、現状の材料では分からないところが多くて、ただ、今のところ『ヒストリエ』で登場している人物で考えると、エリュトライのディオドトスが代官として任命される可能性がある程度になる。

 

(6巻pp.55-56)

 

まぁ実際に『ヒストリエ』ではどうなるのかについては、それが描かれなければ分からないわけで、進行速度と作者の年齢的に、現状ではもう絶対に辿り着かないのだから、永久に謎としてこのことは終わると思う。

 

…関係ないけれど、エウメネスは1タラントンで売られたという描写がある。

 

(3巻p.11)

 

このことに関して、おそらくこれは伏線なんだよな。

 

エウメネスは将来的に100タラントンの懸賞金がかけられることになっていて、それに際して子供の時は1タラントンだったのに今は100タラントンの値段になって、「やるねェ オレ」などと自嘲気味に幼少期を想起するシーンを想定しているのではないかと思う。

 

(9巻p.82)

 

何故このタイミングでこの話をしたかと言えば、さっきの攻城兵器を与えたという話の直後にその話があるからで、今から引用する文章は、城攻めに成功して、略奪品を兵士に気前良く分配したという記述の続きからです。

 

「このため叉エウメネースの評判が良くなった。例えば或る時敵の将軍が陣営に撒いた手紙にエウメネースを殺したものには百タラントンと様々な特権を与えるとあるものが見出されたとき、マケドニアの兵士たちは憤慨して決意をし、上級の士官が千人エウメネースの周りにいつも槍を持って立ち、周遊の際には護衛となって夜も番することにした。士官はそれを承諾し、エウメネースから王が親しい家来に与えるような尊敬のしるしを貰って喜んだ。エウメネースは紅色の帽子や外套を授かる権利を持っていたが、これはマケドニア人の間では王の下賜品の最高なものであった。(同上 『プルターク英雄伝 8』 p.52)」

 

エウメネス…同僚の将軍たちからは死ぬほど嫌われているのに、兵士からは滅茶苦茶良く思われているんだよなぁ…。

 

ともかく、こういう風にエウメネスは100タラントンの賞金首になっていて、昔1タラントンで売られたのはこの場面のための伏線なのかなと個人的に思う。

 

ちなみに、時代が400年くらい違うからあまり参考にはならないけれど、タラントンはどうやら新約聖書に言及があるようで、そこから1タラントンの価値がいくらなのかを言及しているサイトが何個かある。(参考)

 

そこの記述に従うと、1タラントンは6000万円くらいだそうで、そうとすると100タラントンは60億円くらいの値段らしい。

 

…海賊王より上の懸賞金とはたまげたなぁ。

 

まぁバラティエでいかついコックが「一万ベリー入りまーす ザマありません」って言ってるから、1ベリーはイコールで1円ってこともないんだろうけれども。

 

とはいえ、昔は人件費が今に比べて遥かに安いのであって、現代の円に換算すると60億円ということもないと思う。

 

どうでも良いけれど、先にタラントンの価値について参考にした敬和大学のサイトだと、一人が一日で稼ぐ金額から勘案して、それより価値の高いタラントンの値段を導き出すという方法を取っていて、その話は単位は違うとはいえ、『ヒストリエ』に描写のあるタラントンの価値の説明と計算方法が全く同じなんだよな。

 

(同上)

 

おそらく、タラントンの価値をかつて学者が算出して、それを参考にした後学の学者たちがその計算方法を流用して、それぞれ、敬和大学の学長と、岩明先生が違う著書の中で出会って、片方は自身の大学のホームページに、片方は漫画にその話を持ってきたというのがこの事態の真相だとは思う。

 

結局、『ヒストリエ』だと紀元前5世紀のアテネの話で、聖書の方は福音書だから紀元前後より後で、時代は400~500年違っていて、それだけ違えば1タラントンの価値もだいぶ違うはずで、それなのに同じ算出方法を用いているところを見ると、60億云々と言うのは信用できる数字でもないんだろうと思う。

 

と言ったところで前半はここまで。

 

…本来的に書く予定だった話が、この記事ではエウメネスの封土の話の一つしか消化できていないんですが、それは大丈夫なんですかね?

 

僕としてもボアの村についてのあれこれは一つの記事で終わりにしたかったけれども、予定しているヘロドトスの『歴史』からの引用が非常に長くなりそうなので、大事を取って記事を分けることにする。

 

…過去に記事に内容を詰め込んだせいで、アメブロの許容する文字数上限ギリギリになってしまって、追記や修正で文章を足そうとするアメブロ側から拒否されて、文字数制限を越えていると言われてその修正を行った記事がそのままでは公開出来なかったということが、『ヒストリエ』関係で把握している限り今までに三度あった。

 

一回目はハルパゴス将軍の記事で、二回目はカレスの記事の後半で、三回目は参考文献リストの第二弾だったと思うし、それ以外にもあったような気がする。

 

カレスの時と参考文献の時は、Amazonの商品リンクを削ることで事なきを得たけれども、ハルパゴス将軍の記事に関しては削れる箇所が見つけられなかった。

 

正直、ハルパゴス将軍の記事は修正したい箇所があるというか、あの記事では『ヒストリエ』のハルパゴス将軍はヘロドトスの『歴史』由来だと言ってしまっていて、ただ、後に『地中海世界史』にもハルパゴス将軍に関する記述があるということが分かっている。

 

その事についての修正を入れたいという気持ちはあって、けれども、あの記事は一行でも書き足すと文字数制限に引っかかって公開出来なくなるから、もうあれ以上はどうすることも出来ないという事情で放置してある。

 

…ついでだし、この記事の紙幅は余っているから、この記事の残りでその話をすることにするか。

 

僕は以前、『ヒストリエ』のハルパゴス将軍についてあれこれ言及した。(参考)

 

その時に、『ヒストリエ』作中にあるハルパゴス将軍の描写について、あれはヘロドトスの『歴史』由来だと書いたけれども、後に『地中海世界史』にもハルパゴス将軍の話があるということが分かったということがあった。

 

けれども、その記述を見るに、『ヒストリエ』のハルパゴス将軍は『地中海世界史』の言及よりヘロドトスの『歴史』の言及の方が近くて、そうとするとやはり、あの描写は『歴史』に由来するだろうという話にはなるとはいえ、岩明先生はその『地中海世界史』も読んでいるのであって、そうとすると、『ヒストリエ』の我が子を食わされたあの将軍は、『歴史』と『地中海世界史』の"あいのこ"というのが、以前言及した内容より正解に近い理解になると思う。

 

その辺りは実際に『地中海世界史』の記述を見れば分かる。

 

次に引用するのは、ハルパゴスの主君であるアステュアゲスが、不吉な夢を見て、その夢は孫に王位を簒奪されるようなそれで、夢から覚めたアステュアゲスは生まれたばかりの孫を殺せとハルパゴスに命令して、ハルパゴスは部下に殺害を任せたけれども、部下が殺さないでその赤子を育てることにしたという話の後の記述です。

 

「(殺されずに少年にまで育ったアステュアゲスの孫、キュロスは子供たちの遊びの中で王のように振舞い、その中で傲慢な貴族の子供を鞭で打ち、その事を咎められたが)、少年が顔色一つ変えず、自分は王として振る舞ったのだと答えたので、その剛気さに驚き、夢と[卜占者の]答えとを思い出した。顔付きが似ていることや捨てた時期や牧夫の告白が[彼の記憶と]一致したので、王は孫だと認めた。その子が牧夫の間で王として振る舞っていた、と聞いて、夢[の中の予言]が実現されたと思われたので、彼は自分の中にあった強情な心を打ち砕いた。その上で、王は救われた孫のことで彼の友人ハルパゴスに復讐心を懐き、その息子を殺し、食べるためにその父親の前に差し出させた。しかし、ハルパゴスはこの時は悲しみを秘して、王への憎しみを復讐の機会まで取っておいた。(ポンペイウス・トグロス 『地中海世界史』 合阪學訳 京都大学学術出版会 1998年 p.46)」

 

 

『ヒストリエ』でもこのハルパゴスが息子を食わされるシーンがあるとはいえ、『地中海世界史』の記述では、ハルパゴスは王にひたすら頭を下げたりはしていない。

 

(1巻pp.181-182)

 

一方でヘロドトスの『歴史』だと、『ヒストリエ』でそうと言及されているように、ただただ王に頭を下げているし、『歴史』には死体は蔽いに隠された状態でハルパゴスの前に運ばれたとある。

 

「 アステュアゲスは、ハルパゴスの子供が来ると、殺して手足をバラバラに切り離し、肉を焼いたり煮たりして料理を整え、宴が始まるのを待ち受けたのである。食事の時間が来て、ハルパゴス以外の陪食者には羊の肉を盛った膳が据えられたが、ハルパゴスにはわが子の、頭と手足以外の肉がそっくり供されたのである。頭と手足はかごに入れ蔽いをかけて別においてあったのである。ハルパゴスに、食事は旨かったかと訪ねた。ハルパゴスが大変結構でございましたというと、かねて言い付かっていた者たちが、子供の頭と手足の蔽いをかけたまま運んできて、ハルパゴスの側へゆき、蔽いをとってお好きなものをお召し上がり下さい、といった。いわれたとおりハルパゴスが蔽いをとると、蔽いの下にわが子の死骸の残りがあったのである。アステュアゲスが、食べた肉はどんな獣の肉か分かったかと聞くと、ハルパゴスは判りましたと答え、王のなされることはどんなことでも、私は満足でございます、といった。こう答えるとハルパゴスは、残った肉をもって屋敷へ帰っていった。思うに後で遺骸をまとめてほうむるつもりであったのであろう。(ヘロドトス『世界古典文学全集 10 歴史』松平千秋訳 筑摩書房 1967年 p.42)」

 

 

手足をバラバラにしたという話も『歴史』と重なっているし、スキタイ人がメディアの王族を殺して料理にしたという話も『歴史』にはあって『地中海世界史』にはない。

 

アステュアゲスはスキタイ流をそこで学んだという設定で、その話は『歴史』にはあって『地中海世界史』にはないのだから、前に言及したように、『ヒストリエ』のあの描写はヘロドトスの『歴史』由来ということはそうだとは言え、岩明先生は『地中海世界史』も読んでいるのだから材料としては用いられているだろうし、その話をした記事では『歴史』にしかハルパゴス将軍は言及がないと言ってしまっていて、正確ではない話を以前の僕はしてしまったわけで、そう言ったことは修正したいと前々から思っていて、けれども、あの記事は一行でも足すともう駄目なので、もう知らんと思って放置してきた。

 

ただ、より正確な情報は何処かで示さなければならないわけで、今回はついでにその話もすることにした。

 

まぁ後編の記事でヘロドトスの『歴史』の話をする予定ではあるので、岩明先生がそれを読んでいると示すという意味では、別に無関係な話ではないのだけれど。

 

そんな感じのボアの村についてのあれこれ。

 

次回の後編でやっと…ペルシア人貴族ゾピュロスさんの話が出来るんやな…って。

 

では。

 

・追記

この記事を書いた後に、色々書いた内容を見直して、ハルパゴスの記事にも『地中海世界史』の話を書き足しておきました。

 

・追記2

ボアの村に関連する話題で、カロンの出自についての話がある。

 

どうやら、かつてカロンの出自について、2ch辺りではボアの村の出身なのではという説があったらしい。

 

どういう論拠でそういう話をしていたかと言うと、どうやら、カロンが差した剣が、ボアの村と同じように右であったからそのような話があったらしい。

 

(2巻p.207)

 

この右に剣を差すという仕方はボアの村と同じで、その話は3巻でされている。

 

(3巻p.144)

 

まぁ昔は出ていた巻数が少なかったから、少ない情報であれこれ想像を膨らませていて、その中でカロンの短剣の差し方に気付いた人が居たのだと思う。

 

僕はその話をしている人をTwitterで偶然見かけて、それを読んで、カロンの剣の差し方について、長剣だったらボアの村出身だと睨んでも良いだろうけれど、短剣じゃあなぁ…と思っていて、されども、否定する決定的な材料がないから「分からない」でこのことを処理していた。

 

ただ、その事について、やはり間違いであって、カロンの出身がボアの村であるという含みはないだろうと判断できる描写を見つけた。

 

結局、カロンはボアの村と違って短剣をあのように差していて、長剣と短剣だと事情は違うだろうというのが一番の問題で、実際、事情は違うようで、ペルディッカスは短剣をカロンのように右に差している。

 

(5巻p.201)

 

このような描写がある以上、カロンの剣の差し方には何ら含意はないという判断で良いと思う。

 

剣の差し方自体は結構、岩明先生は意識していて、トラクスの剣の差し方をエウメネスは真似るけれども、後にスキタイと戦う時にあの差し方をしているスキタイ人がいる。

 

(3巻p.150)

 

(2巻pp.85-86)

 

このような差し方を実際にスキタイ人がしている場面がある。

 

(8巻p.123)

 

これに関してはスキタイ人の風習として岩明先生は描いているだろうし、トラクスに関してもスキタイ人だからあのような剣の差し方をしていたと考えて良いと思う。

 

そして、先のアタイアスの麾下のスキタイ人の描写から、岩明先生は剣の差し方で文化の違いをしっかり意識して描いていると判断しても個人的に問題はないと思っていて、そうであるならば、ペルディッカスの剣の差し方にも注意を払うはずで、やはり、カロンの剣の差し方は単純に短剣だから右なだけなんだろうと僕は思う。

 

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