日記を更新する。
今回は細かいトピックスについて色々書いていくいつものやつをやって行く。
こういう話題の時はこのスペースにちょっとした話を書くことが多いけれども、ここの所はクソ程調子が悪かったから心持ちに反して日記を全然更新できなかったくしか特になくて、脳内予定表だと既に二つの記事を上げているところが、一つも上げられていないこと以外になんもないので、とっとと始めることにする。
・狂犬病の歴史について
狂犬病の歴史について色々調べていると、『ハンムラビ法典』に狂犬病について言及があるという話が時々見られるけれども、『ハンムラビ法典』にはそんなこと書いてないんだよな。
医学系のクソ真面目な文章にもそういうことが書いてある場合があって、医学といえばエビデンスが重要な場面とは言え、専門外の知識については原典には当たらないというのが普通なんだろうなと思う。
以上。
狂犬病というのは動物に嚙まれたりすると感染する病気で、感染してから潜伏期間を経て発症する類のそれで、発症したら死亡率がほぼ100%のヤバい病気になる。
その狂犬病について色々調べていると、『ハンムラビ法典』に狂犬病に関する言及があるとされているような場合がある。
まぁ例を見た方が早い。
「海外における狂犬病
狂犬病がいつ頃地球上に出現したかについては定かではないが、 古代バビロニアのHammurabi 王 (在位1729~1686B.C.) により発布されたハムラビ法典に既に記載され、 古くから知られていたという (1) 。 紀元前4世紀にギリシャの Aristotelesが、 本病は咬傷によって動物及び人に伝染するものであることを記載しており (4) (5) 、 この頃には既に悲劇が起こっていたものと推察することができる。(参考)」
これは日本獣医師会のホームページの文章で、このように『ハンムラビ法典』に狂犬病について言及があるとされているそれが時たま存在している。
この記事を書くために「狂犬病 法典」でググったら、数件『ハンムラビ法典』にその話があるという医学系のpdfが検出されたけれど、pdfはリンクを作るのが色々あれなので、他の例は持ってこないことにする。
まぁ気になった人は「狂犬病 法典」で検索してください。
そういう風に『ハンムラビ法典』に狂犬病についての記述があるという話が医学系の人々の中に知識としてある様子があるけれども、実際の所、『ハンムラビ法典』にはそういう記述はない。
ないものをないと示すのは本当に難しい所だけれども、僕は『ハンムラビ法典』を読んだことがあって、書いてあった記憶がないし、僕のお手元には『ハンムラビ法典』の全訳の論文のpdfがあるから、それをページ内検索で「犬」と入れて確かめたけれども、狂犬病の話どころか、犬に関する話題すら本文中から検出されない。
普通に、『ハンムラビ法典』自体に犬の話がないという理解で良いのではないかと思う。
先の引用文だと、(1)とか書いてあって何だかそういう出典があって、出典に基づいて『ハンムラビ法典』云々を言っているような様子があるけれど、そもそもの出典自体が間違っていて、『ハンムラビ法典』にその話があると誤解した人物が書いた文章を参考文献に用いてるだけである疑惑がある。
議論が狂犬病の歴史上の記述の初見はいつかではなくて、狂犬病という感染症の疫学についてのそれだから、なんというか、原典を確かめたりはしなかったのだろうと思う。
だって、『ハンムラビ法典』にそんな話書いてませんもの。
ともかく、そういう風に『ハンムラビ法典』には犬の話題すらないけれど、犬が嚙みついて来た時の話がある古代シュメールの法典は実際存在する。
多分、『ハンムラビ法典』に狂犬病の話題があると言及した人は、あんまり古代中東に知識がなくて、いくつかある法典の中で『ハンムラビ法典』についての印象が強くて、以前聞いた狂犬病の話が古代中東の法典にあるという話を出力するに際して、その法典の名前が思い出せなかったのだと思う。
結果として、記憶にあった『ハンムラビ法典』という名前を出してしまって、それが故に、『ハンムラビ法典』に狂犬病の話題があるという誤情報が広まってしまったのではないかと思う。
実際の所、そういう風に犬が噛むような話がされている法典は『エシュヌンナ法典』で、まぁ『エシュヌンナ法典』の名前を思い出せなかったという事態は責められる内容ではないと思うし、実際、この文章を書くにあたって、僕自身、エシュヌンナなんて名前はお手元の翻訳資料をチラチラ見ながらでしか入力することができていない。
他の所ではちゃんと、『ハンムラビ法典』ではなくて、『エシュヌンナ法典』にその話があると言及されているところもある。
「狂犬病は主に罹患動物による咬傷を介して感染し、発症すると特徴的な神経 症状を示して死亡する致死的感染症である。その歴史は古く、紀元前 2300 年頃 の法律であるエシュンナ法典に狂犬病に関する記述があり、紀元前450 年頃に は科学的な記録が残されている(Baer, 2007; 高山, 2000)。狂犬病は、日本、英国、 スカンジナビア半島の国々など一部の地域を除いて、全世界で発生しており、年 間の死亡者数推計は約 60,000 人(アジア地域:約 36,000 人、アフリカ地域:約 22,000 人)、年間の暴露後ワクチン接種者推計は約 2,000 万人に上る(Rupprecht et al., 2018; World Health Organization, 2018)。(「狂犬病ウイルスゲノムの分節化)」より(参考)」
こういう風にしっかりと『ハンムラビ法典』ではなくて『エシュヌンナ法典』の名前を出している場合もある。
だから、元の話は『エシュヌンナ法典』と『ハンムラビ法典』を取り違えただけだろうというのはそれでいいのだけれど、問題はまだ終わらない。
そもそも『エシュヌンナ法典』にも狂犬病の話はない。
その辺りは実際の文章を読めば分かる。
狂犬病の最古の記録とされているテキストは『エシュヌンナ法典』の§56になる。
「56 もし猛犬が癖悪く、地区委員会がその主に知らせたが、それを守らないうちに、彼の犬が人を噛み殺したなら犬の主は2/3マナの銀を払う。(飯島紀他訳 『古代の歴史ロマン4 ハンムラビ法典)』 「エシュヌンナ法典」 国際語学社 2002年 p.263」
このように犬が噛みついた時、予めその危険を行政が通達してたのに事故が起きた時、その賠償を飼い主が払うという話が書かれていて、一般的にこれが狂犬病最古の記述という話になっているけれども、読む限り、どう考えても狂犬病の話ではない。
この記述だけだったなら、翻訳の問題で狂犬病とは読み取れない訳し方なだけで、原文はもう少し狂犬病要素もあるかもしれなくて、もしかしたら狂犬病の話かもしれないと判断を留意すべきところではあるけれど、その§56の直前のセクションの文章を読むと、どう考えても狂犬病の話題ではないということが分かる。
「54 もし牛に突き癖があり、それを地区委員会がその持ち主に知らせたが、その牛が角を保護しないうちに人を突いてころしたなら、牛の持ち主は2/3マナの銀を払う。
55 (前条で)もし奴隷を突いて殺したなら15シュケルの銀を払う。
56 もし猛犬が癖悪く、地区委員会がその主に知らせたが、それを守らないうちに、彼の犬が人を噛み殺したなら犬の主は2/3マナの銀を払う。
57 (前条で)もし奴隷を突いて殺したなら15シュケルの銀を払う。(同上pp.262-263)」
古代シュメールの法典の場合、このように審判の内容が近い判例は続くセクションで連続して言及されていて、ここでは暴れ牛が行政の指導があったにもかかわらず人を殺した場合の賠償金の話がされた後に、犬の場合の話がされているということが分かる。
だから、『エシュヌンナ法典』の先の話は、躾のなっていない牛が人を殺した場合と同じように、躾のなっていない犬が人を殺した場合の判例だと判断するしかないと思う。
ちなみに、原文だと牛の話に連続して犬の話が続いているから、文章は重複されるようなそれで言及されていて、「牛が突いたら」という話と同じように、「犬が突いたら」というそれになっている。
どう考えても牛の場合と犬の場合は同じようなパターンだと認識された上での言及であって、暴れ牛が人を突いて殺した場合と併記される形で、猛犬が人を殺した場合を想定しているという理解の仕方以外にないのではないかと思う。
それだけではなくて、続く§58は壁が崩れて人が死んだ場合の話で、そういう話の流れなのだからやはり、所有者の監督責任の話題だという理解の方が正しく思える。
「58 もし壁が今にも倒れそうであると、地区委員会が壁の主に知らせたが、その壁を強くしないうちに壁が崩れて人の子を殺したなら、(この)生命(の問題)は王の法規に属する。(同上p.264)」
王の法規に属するという言及の意味は、注釈がないからその指示する内容は判然としないけれども、前二例を考えると、やはり判決は所有者の責任という結果なのではないかと思う。
ともかく、元の話は躾のなっていない犬が人を殺した場合の話だということはそれで良いと思う。
今現在だと犬が人を殺すだなんて、柴犬とかダックスフントを見ていると想像が難しい所だけれど、アメリカだとピットブルという犬種の犬がかなりの高頻度で人を噛み殺していて、当時のシュメールで飼われた犬がどのような犬種であるかは分からないところだけれど、犬は普通に人間を殺す場合があるような存在になる。
実際、古代日本でも犬養部というところで犬を飼育していて、この犬は警備などの目的で飼育されていて何らかその犬の獰猛性を利用していたらしくて、現在を生きている犬養さんはその部門の関係者の末裔の場合がある。(参考:Wikipedia「犬養部」)
まぁ服部さんが服部(はたおりべ)の末裔で、卜部さんが占い事をする卜部(うらべ)の末裔であったりするし、犬養さんもそういうルーツという場合もあると思う。(参考:Wikipedia「服部」「卜部」)
まぁなんにせよ、犬は狂犬病でなくとも人を殺すような場合があるし、そもそも、先の文章だと行政が指導したのに犬が人を殺した場合の話で、狂犬病の場合、指導があったところで対策は殺すしかないのであって、行政から言われたところで飼い主は対策が取りようがない。
狂犬病が認知されていて、その話題だったなら行政は殺す所までしなければどうしようもないことは理解できるはずで、それなのに注意で終わって対策を飼い主に丸投げであるところを考えると、やはり躾の問題であって、暴れ犬の話という理解しかないと思う。
調べたところ狂犬病の英語名である"Rabies"はラテン語の狂気に由来するらしくて、何人がそういう勘違いをしたかは分からないけれども、先の『エシュヌンナ法典』の文章を狂った犬とかそういう風に誰かが訳して、それを何処かの誰かが狂犬病の話だと勘違いして、前後の項を確かめずに話を進めてしまったことに由来する誤解だと思う。
前後の文脈を確かめると、どう考えても躾がなっていない犬の話でしかないけれども、「狂った犬が人に噛みついてそれを殺した場合、飼い主は2/3マナの銀を払う。」という文章だけを読んだ場合、狂犬病と勘違いするのはあり得る話なのであって、何処かの誰かがそういう勘違いをして、そして医学系の研究者が対面する問題は多く、目の前にある病気であって、過去の実際の文章ではないから、誰も実際の文章を検証しなかったという話だと思う。
まぁ検証した人も居ただろうけれど、こんな情報が広まって知識が是正されるということもそうそう起きないだろうので、多分、以後も「ハンムラビ法典に最古の狂犬病の記述がある」という話はなくならないと思う。
この話から分かることは、医学博士とか頭の良い人が書く文章でも、専門外だと当てにならない場合があるという話で、こういう話題は古代中東の専門家以外は碌な知識を持っていないのではないかと思う。
…以前、マラリアの歴史とかそういう動画を見ていたら、紀元前1000年の中国に最古のマラリアの記録があるとかそういう話がされているのを見たことがあるのだけれど、その時代になると古代中国だと文章自体があまり存在していなくて、何を根拠に言っているのかがさっぱり分からなかった。
その時代だと甲骨文か金文という、青銅器に書かれ文章が主になって、金文に書かれている情報はその青銅器を作った経緯が主で、大体、戦で勝ったからその記念にとか、主君にその活躍を誉められて銅を下賜されたからそれを使って記念して作ったとかそういう内容で、熱病が発生したとかそういう話題が書かれるものではないし、甲骨文の話だとしても、あれは非常に短い文章が多くて、マラリアと判断できるような情報量があるような物品ではない。
甲骨文は大体、「〇〇は無事か」とか、「何人生贄に捧げるべきか」とかそういう内容で、マラリアであると判断できるような情報量があるようなものではない。
例え、「流行っている熱病が治まるのはいつか」と書かれた甲骨文字があったところで、それをマラリアと断定することは不可能で、甲骨文の情報は特定の疾病を認定できるほどの情報量はない。
中国最古の医学書が戦国末期くらいのもの(『五十二病方』)であって、一体何を根拠に紀元前1000年のその時代にマラリアに関する記述があると言っていたのか全く分からなくて、個人的に狂犬病に関する話がそうであったように、何処かの誰かが適当言ったことが定説になっているだけなのではないかと思う。
やはり頭が良い人でも専門外だと知識がない場合があって、それが故にガセが広まってしまっているのではないかと思う。
…まぁ、専門家の本を読んでいても、怪しい記述は割と多かったりもするけれども。
それらのことに関しては僕の立場からはどうしようもないし、どうすることも出来ないけれども、実際の所どうでも良いとは思っていて、けれども、おそらく狂犬病最古の記述に関しては、それは間違いだろうから間違いだという話をしています。
・追記
狂犬病が『エシュヌンナ法典』に書いてある云々が書かれてる論文って、査読もされている博士論文なんだなあれ。
まぁ本旨は狂犬病のゲノムの話で、狂犬病の初出が何かなんて枝葉の話でしかないからどうでも良いことではあるのだけれども。
次。
・白刃について
古代中国の出土文献である「奇正」篇を読んでいたら"白刃"という表現を見つけた。
話としてはこの文章が埋められた紀元前二世紀の段階で白刃という語彙があったというだけのそれなのだけれど、当時は青銅器と鉄器の時代なんだよな。
鉄器なら白刃という表現は分かりやすいけれど、青銅器の場合…これもう分かんねぇな?
以上。
僕はこの前、銀雀山漢墓から出土した兵法に関連するテキストに関する論文を読んでいた。
…まぁ体調悪かったし、めんどくさいという切実な理由から途中までしか読んでいないけれども
その中で「白刃」という表現が「奇正」という竹簡があった。
「 故に戦勢は、勝つ者には之を益し、敗るる者には之を代え、労する者には之を息わせ、飢うる者には之を食せしむ。故に民は□人を見て未だ死を見ず、白刃を蹈みて踵を旋さず。故に水を行りて其の理を得れば、石を漂わせ舟を折き、民を用いて其の性を得れば、則ち令の行わるることは流るるがごとし。(「銀雀山漢墓竹簡「奇正」篇の思想史的意義 : 兵家思想と道家思想」p.5)」
「それゆえ戦の勢いというものは、勝つ者にはこれを益し、負ける者にはそれを代えさせ、労する者にはこれを救わせ、飢える者にはこれを食わせることができる。故に人々は〇人を見て未だ死ぬことを思わず、白刃を踏んでも踵を返さない。故に水上においてその理を得れば、石を漂わせて敵船を沈めることができるし、民政においてその性を得れば、すなわち、その命令の行われる際には水が流れるようなものになる。」
下の方は元の論文に現代語訳がなかったから僕が現代語にしたものだけれど、不安がある箇所がいくらかあるので、あまり信用しないで貰えると助かります。
まぁこの文章自体は、兵法における勢いの話で、勢いさえ得れば色々上手く行きますよという話になる。
"勢"さえあれば、勝つ者はますます盛んになって、本来敗れる者は勝って、労する者は救われることになって、飢える者はその飢えを解決することができるし、"勢"さえれば、兵士は白刃を踏んでも踵を返さないという言及がされている。
細かいことはさておき、白刃という表現に関して気になるところがあった。
この文章を書いた人にとってすれば、刃物というものは白いものであるという認識があるということが分かる。
まぁ現代でも包丁は使うのであって、あの鉄の色を白と表現するのは、特に炎天下でそれを見るなら、それは普通の判断だと思う。
武器としての刃を使うのは外なので、外で見た色が判断基準で、光を弾いている鉄の刃を白色と表現するのは何もおかしなことではない。
問題は何かと言うと、古代中国戦国時代だと、刃物の色は白とは限らないということになる。
実際、古代中国戦国時代くらいだと、青銅器時代と鉄器時代の境目くらいで、当時の文章や当時に関する論文を読んでいると、青銅器と鉄器が混在していた様子がある。
もし、それが青銅器だった場合、刃物の色は白色ではなくて、金色であるはずになる。
僕らの知っている青銅器というものは、青緑色をしているけれど、あれは錆びた結果そうなっているだけで、元々の青銅器は黄金色に輝くようなもので、青銅器時代はそのような金属で武器を作っていた時代になる。
とすると、白刃という表現は刃物に関する言及として奇妙なものになる。
少なくとも、先の文章を書いた人物は刃物は白いと認識していたわけで、そうするとこの文章は鉄器を前提として書かれているという話になると思う。
出土文献に関しては、一緒に出てくるものやそれらが書かれている布や木簡竹簡自体を放射性炭素年代測定で調べれば、今からどれくらい前のものかを判断することができる。
けれども、文章の場合は複写したものであるという可能性があって、出土した文章を年代測定して分かることは、その文章が書かれた下限になる。
実際の所、元の文章がいつ書かれたのかは未知数で、年代測定と全く同じかもしれないし、同時期かもしれないし、何年も何年も前かもしれないということがある。
僕は先の白刃という表現を見て、この「奇勢」というテキストはそれほど成立が古くないのではないかと思った。
実際、春秋時代くらい古くなると鉄器自体がおそらくなくて、戦国時代になると青銅器と鉄器が混在していた様子がある。
それから青銅器と鉄器がどのように形勢逆転していったのかとかは良く分からないけれども、少なくとも"奇勢"は鉄器をおそらくの前提としているわけで、そうであるならば、それ程に古くない成立なのだろうと僕は思う。
実際、先の論文にはこのテキストに関して、『孫子』などよりも成立が新しいだろうという話がされている箇所がある。
だから、個人的に白刃という表現は、鉄器の敷衍に由来するものなのではないかと思う。
ちなみに、青銅器というものはそもそも銅と錫の合金で、どうやら錫の割合が増せば増すほど硬くなって、色も白色に近づいていくような合金らしい。
だから、錫の純度が高いそれが、武器として使われていた結果として、白刃という表現があったという可能性もある。
ただ、個人的にそういう話ではないのではないかと思う。
硬いということは同時に脆いということで、相手に切かかかる刃物がそのように硬い合金である場合、剣戟に際して折れてしまうのではないかと思う。
折れたらもう使い物にはならないけれど、曲がった程度であればまだ使えて、戦場での戦闘を考えると、硬いが脆いという状態よりも、多少柔らかいが頑丈というそれの方が優位なはずで、そうとすると、戦場で刃物として使われた青銅器はおそらくは白くはなかったのではないかと僕は考えている。
実際、古代中国戦国時代の秦の国の呂不韋が作ったとされる青銅戈は、黄金色のそれであった様子がある。
(八年呂不韋青銅戈:参考)
呂不韋が生きたのは戦国時代の末期であって、そうであるならば当時使われた青銅器の刃物はこのような色をしていて、やはり白刃というのは青銅器の話ではないのではないかと思う。
…まぁ、炎天下ではキラリと光ったはずで、それを言って白刃としていたのかもしれないけれど、個人的にはやはり、鉄器の話なのではないかと思う。
そして、戦国時代では青銅器が武器として使われている様子が先の呂不韋の戈からも読み取れて、そうとすると、「奇勢」篇の成立はそれよりも後なのではないかと個人的に思う。
どう…なんでしょうね。
僕には分からないけれども。
まぁそんな感じです。
では。