郇瑕氏のその古里は | 胙豆

胙豆

傲慢さに屠られ、その肉を空虚に捧げられる。

日記を更新する。

 

今回は小さなトピックを用意していろいろ書いてくいつものやつをやっていくことにする。

 

ともかく、始めることにする。

 

・人々の学力について

昔の人って今よりも学力の点ではおそらく劣っていてたんだろうなと、生物学者の日高敏隆の本のある記述を見て思った。

 

以上。

 

今を生きている人が頭が良いという話ではないのだけれども、単純な学力という観点に関しては、昔に比べて今の方が優れているのではないかと思う部分がある。

 

僕は色々、古代中国の本とかの話をするけれども、それに際してネット上で検索をかけて該当の記述を探し出すということを結構やっている。

 

けれども、そのようなことを僕が出来るのは、ネット上にデータバンクがあって、そこで検索をかけられるからであって、そのような作業は今現在だと簡単に行える一方で、全く同じ作業をアナログな方法で行おうとした場合、多量の手間と時間がかかってしまう。

 

その記述を探すという行為に際して、目当ての文章を見つけ出すために他の文章を読むことをしているのだから、その営みが学習に関して全く無意味ということはないのだけれども、効率で考えれば圧倒的に非効率的であって、僕がものの数分で行える作業は、パソコンのない時代であったなら、下手したら一日がかりで成し遂げられないということもあり得るようなそれになる。

 

僕は漢文でそのような作業をすることも多いけれども、英訳の古代ギリシアのテキストでそのようなことをする場合もあって、もし、ネット上に英訳がなかったならば、書けなかっただろう内容が沢山ある。

 

単純にあることを知ろうとしたときに、コンピューターが発達する以前だと分厚い本を頭から確かめていくしか方法がないし、巻末に索引が用意されていることもあるけれども、必ずしも索引が全ての言及を網羅しているとも限らなくて、本文に言及があるけれど、索引には名前がなかったという場合を僕は実際体験している。

 

『食卓の賢人たち』、てめーだよてめー。

 

文章中にアテネのカレスの話があるというのに、索引には彼の名前が存在していなかったということがあった。

 

けれども、僕は英訳の『食卓の賢人たち』の文章を検索にかけることによって、該当の記述を探し出すことに成功している。

 

ただそれが出来たのはコンピューターがあったから、ネット上に英訳があったからであって、もし、そのようなものがない場合に、同じような作業を行おうとしたならば、ハードカバーで一冊500ページ以上で全五冊の『食卓の賢人たち』という本を頭からケツまで読むしかなくて、情報を入手するという営みに関して、アナログの時代に生きた人が、今を生きている人に勝つことはどうやっても出来ないと思う。

 

この例はあくまで歴史に関する何かの話だけれども、そのようなことは理系学問でも同じで、生物学であろうと医学であろうと、今は最新の論文に簡単にアクセスすることが出来て、しかも英語さえできれば世界レベルの最新の学術的な知識を容易に入手することができる。

 

僕はそのような論文に関しては、古代中東と古代インド、古代中国のそれしか読んだことはないけれど、僕みたいな素人が例えば30年前に同じような知識を仕入れようとした場合、図書館に行って司書さんに事情を話して、そのようなことが書かれた本はあるのかと問う以外に現実的な方法はなくて、実際、似たようなことを僕はしたことがあったのだけれど、司書さんとの会話で、どうやら、"この事柄"についての造詣は僕の方が深いらしいということが分かって、事情を説明して欲しい内容である、古代世界の碑文などの翻訳が書かれた本が見つかったら後日、連絡を貰える話になっていたのだけれど、結局、その直後にコロナが流行ってゴタゴタがあった結果として、連絡は来なくて、話はお流れになったという過去がある。

 

会話の内容から、あまり期待できないというか、僕が自力でやった方が情報をより多く得られそうだし、あまり迷惑もかけたくないと思ったので、こちらからまた何か働きかけたりはしなかった。

 

その司書さんが調べる場合にしても、今だったならデータベースに簡単にアクセス出来る一方で、一昔前であったならば司書さんの知識に依存していて、やはり、今現在僕がやっているように、欲しい資料について、実際にその資料に触れられるかはさておいて、情報を簡単に入手するということは今だったら手段を選べば容易にできる一方で、昔だったらそのようなことも中々できなかっただろうと僕は思う。

 

そのように、何をやるに関しても結局は非効率的なやり方しかなくて、そのような方法で行われる学習も、学力を得るという観点で言えば、今よりも多くの場合劣っていたのだろうと僕は考えている。

 

実際、大学に入る人の単純な学力に関しても、昔より今の方が遥かに高いらしいということはある。

 

聞いた話だと、段々と大学に入るための共通テストの難易度は上がっているらしくて、英語の長文読解における単語数は、年々増加し続けているらしい。

 

聞いた話だと、既にセンター試験の頃より四割増しだとかなんとか。

 

今の受験生はそれを解いて頑張っていて、一方で数十年前だと今よりも遥かに少ない単語数の長文読解を行っていて、けれども、制限時間は同じで、昔で言うところのセンター試験で時間内に解き終わらないとか、難関大学を目指していたらまずないし、読み終えない問題も用意しないのだから、やはり、今の学生の方が、昔の学生に比べて単純な学力という観点では、優れているのだろうと僕は思う。

 

実際、太平洋戦争直後の東大の入試などでは、物理数学を白紙で出しても合格するということはあったらしい。

 

その話は生物学者の日高敏隆の『動物は何を見ているか』の冒頭に言及がある。

 

「僕はかなりいきあたりばったりの生活をしてきたような気がする。東大動物に入ったのも、 子どものころ小学校の校長や何人かの先生にいじめられ、今でいう登校拒否になって、すっかり人間不信に陥り、昆虫学者になれば生きていかれるかなと思っていたとき、新しくきた担任の先生のおかげで父親からそれが許され、それなら動物学科にでも入るか、東京で動物学科のあるのは当時は東人か文理大、試験は東大のほうが先だった、受けてみたら数学も物理も白紙答案を用したのにどういうわけか入れた、という次第だった。けっして東大動物へ入ろうなどと思って、受験に備えたりしていたのではない。そもそも、戦争で仕事の場も家もすっかり失ってしまって無気力になり、収入もほとんどなかった父のおかげで、家計を助けるためにもアルバイトに忙しかったぼくは、受験勉強などできる状況ではなかった。(日高敏隆 『動物は何を見ているか』 青土社 2013年 pp.20-21)」

 

 

なんというか、書いてある通りで、数学も物理も白紙で出して、けれども東大に受かったらしい。

 

今現在の東大の入試でそのようなことをしたならば、受かるということはまずありえないと思う。

 

実際、本試の時は点数配分の問題でうまいこと行けば、数学と物理が白紙でも受かるかもだけれども、そもそも、本試の前に共通試験で足切り点を越えなければ本試に辿り着けないのであって、日高氏の学力で今の東京大学に受験したところで、物理数学の満足な学力を持っていないのだから彼が受かることはないだろうし、今の環境であったならば、彼が生物学の博士になるということもなかったのだろうと僕は思う。

 

…どうでもいいのだけれど、仏教学者の中村元が、自著で戦前の日本は精神が健全で、いじめなどはなかったとかそういう絵空事を語っていたけれども、やっぱり、戦前の日本でもいじめは普通にあるよなと思った。

 

日高氏は戦前生まれで、幼少期に疎開していて、その話もさっきの本の中で言及されていて、彼はあまり体が強くなくて、それが故に体育の授業で満足に動けなくて、それが故に担任の先生に虐められて、毎日のように靴で蹴られて、体操のおぼつかなさを笑われて、「お前なんか日本のじゃまだ。早く死んでしまえ」と先生に言われるような毎日で、学校に行けなくなって、親にも何もわかってもらえなくて、けれども、新しく来た先生が、彼がこのままだと自殺すると見抜いて、彼の親に、彼の学びたいことを学ばせてあげてくださいとお願いして、父親がその言葉を認めたことによって、自殺しないで済んだという経緯があって、昆虫学を志したと言及がある。

 

中村元は戦前はいじめはなかったと嘯いていたけれども、体が弱く生まれたなら、日高氏のようにいじめられるというのはあり得る話であって、中村のあの言説は、典型的な老害的発想なんだろうなと僕は思った。

 

加えて、仏教学で中村元は非常に著名ではあるけれど、実際、彼が語る所の原始仏教にせよウパニシャッドにせよ、その記述に関しては、原典訳のそれらの文章を読むと、かなり的外れというかなんというか、中村の話は話半分で済ませなきゃいけないと思うようなことが多い。

 

"インド学"の大家であることは疑いようがないけれども、そもそもインド学自体がいい加減な側面があって、書いてないことを書いてあるように言及しているというかなんというか、今から何十年とか百数十年前の学者たちの見解は、実際の文章と齟齬があって、中村はそのような研究に深い造形があることは確かだけれども、実際の翻訳を読むと、うーん、と思ってしまうことが割と多い。

 

中村の話はあんまり信じちゃいけないんだろうなと僕は思っている。

 

話を昔の人の学力に戻すと、そのように数学と物理を白紙で出した日高ではあるけれど、彼は語学力は優れていて、ドイツ語と英語の読み書きができて、東大入試の英語は普通に解けていた様子がある。

 

実際、僕が彼を初めて知ったのは、『利己的な遺伝子』の翻訳で、この本を翻訳したのは彼になる。

 

 

僕はリチャード・ドーキンスの本をかなり読んでいて、その翻訳を日高がやっていることが多かったから、彼の名前を憶えていて、彼の翻訳ものではない本は難しすぎず、だからと言って何も得ないわけでもないというちょうどいい塩梅だから、何冊か彼の本は読んでいる。

 

ともかく、彼は英語やドイツ語を勉強していたのはそうだけれど、加えてフランス語やロシア語も高校生の年齢の時に、自発的に勉強していたらしい。

 

そのように外国語を読み書きできる能力があるから、後に『利己的な遺伝子』の翻訳をすることになったわけだし、東大入試の時点でかなり高い語学力はあったはずで、彼はいわゆる虫取り少年だったから、生物についての知識は人並み以上にあって、語学力と生物学の学力で東大に受かったのだろうと僕は考えている。

 

だから、彼には東大に入るに十分な能力はあったわけで、けれども、今現在、彼が東大を志したところでおそらくは入れないだろうというのも確かで、"単純な学力という観点"では、昔の人より今の人の方が優れているだろうという話を僕はしている。

 

僕は哲学科出身なのだけれども、哲学科の教授や講師の話を聞く限り、昔の人たちは高校生の時点でヘーゲルを読んだりマルクスを読んだりして大学に入っていたようで、教養の授業である教授がデカルトの『方法序説』を高校生の時の読んで、あれこそがこの世界の真理だと思ったという話をしていた記憶がある。

 

僕は大学に入るまで、そのような本を一冊も読んだことがなかった。

 

まぁそれは僕が特別劣っていたという話だからそれはまた別の問題だけれども、昔は娯楽は少なかったし、勉強しなきゃいけない範囲も狭かったわけで、今の人たちが他のものに割いていたリソースをそのようなものに割いていただけなのだろうと僕は考えている。

 

僕はそれなりの大学に入ったとはいえ、劣等生だったから、あまり秀才タイプの人たちと話していなくて、秀才タイプの人たちだったなら、もしかしたら大学入学前から哲学書を読んでいたのかなと思ったりするけれど、僕の方はそんなものを読んでいる時間があったら、受験に必要な知識を脳に刻んでいたし、仲良くしていた人たちには、入学前に哲学書を読むような人は居なかった。

 

そのような高校生の時点で哲学書を読んでたという話を聞くと、昔の人は頭が良かったと思ってしまうけれど、大学の教授や講師などというものは、勉強家のヒエラルキーの最上辺の人達ばかりなのだから、昔の人も大概は入学する前から専門書などは読んでいなかっただろうし、読むような人間が教授になったというだけの話だと僕は思う。

 

加えて、昔は娯楽が少なかったのだから、本を読む以外にやることもなくて、哲学書を読んでいるとインテリぶれるから読んでいたりで、そもそも別に読んで内容を理解できていたということもないと思う。

 

実際、そのように語っていた教授の一人は、大学に入る前まで、一冊の本をとても早く読めることが自慢で、そのような形で何冊も哲学書を読んできたけれども、入った後に、自分が内容を全然読めてなかったということが分かったと言っていた。

 

結局、本がそこにあったところで、その内容を理解できるかは別で、例え理解したと思えたところで、昔だったら正誤判定もつけようもなくて、けれども、今だったらネットでやろうと思えばその正誤判定も可能になる。

 

5chなんか行くのは褒められたことでもないし、実際にやったことはないから詳しくは分からないけれど、5chの専門板に行って、自分の見解の正誤をそれなりに詳しい人々に判断してもらうことは可能になる。

 

そうでなければヤフー知恵袋で聞けばいい。

 

その正確性には不安はあるにせよ、一人で理解したと思い込んでいる状況よりはよっぽどマシだろうと思う。

 

そういう方法以外にも、例えば哲学についての平易な解説サイトは無数にあって、読書案内も昔より遥かに充実していて、高校生であっても、手段を選べばある程度正しい形で知識を得ることは可能だろうと僕は思う。

 

まぁそもそも…僕としては哲学なんて劣った学問をやってて、なんも疑問に思えていない時点で…うん。

 

あんな知識集めても、西洋的な文化的伝統についての知識以外の殆ど何も得ることはないと僕は考えている。

 

次。

 

・古代中国の病気事情について

以前の僕は、白濁尿について、古代中国の医学書に言及があるとして色々書いたけれど、それが果たして本当にフィラリア感染症に由来するものなのかは良く分かっていなかった。

 

けれども、『春秋左氏伝』の成公六年の記事を読んで、やはりフィラリアという話で良いのではないかと思った。

 

以上。

 

以前から僕はちょいちょい、白い尿についての話をしている。

 

医学関係の古代世界の本を読んでいると時たま白い尿についての話があって、けれども僕は白い尿を出したことがないから、それは何なんだろうと思っていたところ、『武威漢代医簡』という古代中国の医学書を読んでいたらその注釈でフィラリアの症状であるという話が書かれていた。

 

実際の文章は、

「諸癃を治療する處方。石癃とは石を出し、血癃とは血を出し、膏癃とは膏を出し、泔癃とは泔を出すものであるが、この五癃は同じ藥で治療する。(参考)」

というそれになっている。

 

これは古代中国のある薬の話で、これらの用法のために使う薬の製法も続く文章に書かれていたのだけれど、その文章に用いられている常用外漢字がどうやっても入力できなくて、コピペしようにも文字化けするし、部首で調べて漢字を探そうにも画数が少なすぎてそれもできなくて挫折した。

 

ともかく、先の引用の最後の泔というのが白濁尿であるらしくて、その注釈で以下の言及がされている。

 

「フィラリアによる乳糜尿。(同上)」

 

これは医学博士が書いた翻訳文だから、その注釈もある程度は信頼できるし、中国医学の場合は、先秦の古代は別にすれば、医学書は大量にあるので、その医学書にある語の用法は知られていて、泔というフィラリアに感染した結果として生じる乳糜尿に関する知識があったのだと思う。

 

そういうことがあったから、まぁフィラリアが古代中国にあったのだろうとは思っていたのだけれど、だからと言ってそうと確信することは出来なくて、それは違う病気なのに誤解からフィラリアだとしてしまっている可能性も捨てきれないからになる。

 

ただ、『春秋左氏伝』を読んでいたら、以下の記述があって、古代中国ではフィラリアという病気がやはり存在していたんじゃないかと思った。

 

「晋の人は故絳から遷都しようと相談した。大夫らは口ぐちに言った。 「郇瑕氏(じゅんかし)のもと居た土地がよい。土地は肥え、塩の産地にも近く、国には利益があり、わが君も楽しまれる。あの地をおいて他にはない。」このとき韓献子(韓厥)は新設の中軍の将で、僕大夫(侍従長)を兼ねていた。ある日、〔景〕公が軽く会釈して奥に入った。献子があとから近づいて行くと、公は中庭で立ち止り、献子に「どうしたもんだろう」とたずねた。献子はこたえた。「郇瑕氏への遷都はなりません。そもそもあの土地は地層が薄く少し掘ればすぐ水が出て、地面はいつも垢穢がたまったような状態です。ですからそこに住む民の心は晴れず、心が晴れないから身体も疲れ、その結果、湿気にやられ、足がむくむ病気にかかってしまうのです。新田に遷都するにかぎります。ここは地層が厚く、よほどのことがないかぎり水の心配はありません。またここには疾病がないばかりか、汾水、澮水の二つの川が土地の垢穢を流し清めてしまいます。その上、住民はよく教えに従いますから、ここに遷れば末代までの利益と存じます。山・沢・林・塩といえば国の宝には違いありませんが、 国がゆたかになれば民はかえっておごり怠り、また財宝の山に近づけば民は本業を忘れて利益に走り、国の税収は少くなってまいります。わが君が楽しまれるなど、とんでもないことでございます。」 公は大変よろこび、この意見にしたがった。夏、四月丁丑の日に晋は新田に遷都した。(左丘明 『世界古典文学全集 13 春秋左氏伝』 大島利一他訳 筑摩書房 1970年 p.164)」

 

ここに「湿気にやられ、足がむくむ病気(同上)」の話がある。

 

これを読んでやはり、古代中国で見られる白濁尿は、フィラリア感染症の結果なのではないかと思った。

 

そもそも、フィラリアがどういう病気かと言うと、蚊によって伝染する寄生虫が引き起こす病気で、その寄生虫がリンパ腺で繁殖することによって、リンパが滞るなどの不調が引き起こされる病気になる。

 

象皮病という、足が巨大化する病気があるけれど、それはフィラリアが原因であるという場合があって、体内のリンパ腺でフィラリアが増殖して、リンパが滞った結果として、足が大きく膨れ上がって、象皮病という結果をもたらしている場合がある。

 

結局、白い尿が出るという話も、通常滞りなく流れているリンパが滞って、尿という形で排泄されるという話なのであって、フィラリアという病気はそのような病気になる。

 

先の『春秋左氏伝』では、湿気の多い土地に遷都しようとして、塩が採れると言っても病気の懸念とかがあるからやめときましょうという話で、そこで流行る可能性がある病気が、足がむくむ病気であると言及されている。

 

結局、蚊が居るのは湿地などであって、そこで足がむくむ病気が起きるというのなら、それはフィラリアの事なのではないかと僕は思った。

 

原文だと「重膇之疾」になっていて、"膇"は辞書を調べたら足が腫れるという意味だそうで、まぁフィラリアの話なのではないかと僕は思う。

 

…どうでも良いのだけれど、古代中国春秋時代では、後の戦国時代と違い国はあまり滅ぼされることはなかったという話を聞くことがある。

 

けれども、引用文では郇瑕氏の土地に遷都しようという話が出ていて、これは滅んだ国の名前になる。

 

実際、郇瑕氏が未だにそこにいるのなら、遷都は出来ないというのに遷都しようとしていて、するとそこに居たはずの郇瑕氏は居なくなったという話になって、そこに晋の国が遷都出来る状態であるということは、晋が郇瑕氏を滅ぼしたという話になると思う。

 

…まぁ別に、そんな記述は持ってこなくても、許という国がいつ滅んだのかとか、温という国が、密という国が、萊という国が、祭という国がいつ滅んだのかを一々見ていけば、春秋時代に国は滅ぼされなかったという話が嘘だということは分かるのだけれど。

 

そんな感じの日記。

 

この記事の後半で、僕は古代中国の色々な事柄について言及しているけれど、それを調べるに際して、僕はネット上にあった『武威漢代医簡』の論文を参考にしたり、重膇の用法を見るために、中国語の辞書サイトを参考にしたりしている。

 

そのような全ては例えば30年前では不可能で、同じ内容のことを書こうと思ったとしたならば、それを可能にする術などないのではないかと僕は思う。

 

だから、そういう調べ事だと今の方が遥かに優位性があって、昔だって調べ事はしたのだから、そのような観点だと、今を生きる人たちの方が学力的には上なんだろうなと僕は思う。

 

もっとも、そういう環境があっても、大半の人は利用しないで生きているし、僕もしょうもない用途でしか使っていないのだから、色々あれだけれども。

 

まぁ色々仕方ないね。

 

では。