彼はただ流転を続けて | 胙豆

胙豆

傲慢さに屠られ、その肉を空虚に捧げられる。

日記を更新する。

 

今回も小さなトピックを用意していろいろ書いてくいつものやつをやっていくことにする。

 

とにかく始めることにする。

 

・パパパパパウワードドン

『地中海世界史』のケルトとプトレマイオスの戦いのくだりを読んでいて、やっぱ「貴公の首は柱に吊るされるのがお似合いだ」って誤訳だったんだなって思った。

 

以上。

 

Civilization4という少し古いゲームがあって、これは歴史上の文明を選択して文明を発展させて、世界征服したり文化で世界を席巻したり、宇宙に脱出したりするゲームなのだけれど、このゲームで敵の文明に宣戦布告するに際して、メッセージとして「貴公の首は柱に吊るされるのがお似合いだ」というそれが存在している。

 

僕はこの「貴公の首は柱に吊るされるのがお似合いだ」というのは誤訳らしいという話は前々から聞いたことがあった。

 

英語だと、「Your head would look good at the end of a pole.」となっていて、最後のポールの部分は日本語訳だと柱としているけれど、どうやら意味合い的には槍の話で、実際のところは「お前の首は穂先にあるほうが良さそうだ」というニュアンスらしい。

 

その話は前々から知っていて、そんな中、『地中海世界史』という、地中海世界についての歴史書を読んでいたところ、実際に穂先に首を吊るしている場面を見つけて、本当に穂先に首を吊るす文化があったんだなと思った。

 

「さて、ガリア人はペルギウスを指揮者として、プトレマイオスの許へマケドニア人の心を試すために使者を送り、もし買い取る積りが彼にあるなら、と言って、講和の締結を提案した。しかし、プトレマイオスは、ガリア人が戦争を恐れて平和を求めに来たのだ、と言って、そのことを彼の部下の間で自慢した。そして、使節に対しては、幕の間で威張っていた時よりもっと狂暴に威張って見せ、次のように言った。即ち、彼らの貴族を人質として与え、武器を引き渡すのでなければ、自分は講和を拒否するであろう。なぜなら、自分は武装していない者でなければ信用しないであろうから、と。この使いの持ち帰った話が伝えられると、ガリア人は笑い出し、四方から叫び声をあげ、自分たちが講和を提案したのは自分たちのためか、彼のためかがやがて彼にも分かるだろう、と言った。数日して戦闘が交わされ、マケドニア人が敗れ、プトレマイオスは倒れて多くの傷を受け、捕えられた。彼の頭は切り取られ、槍につけて、敵を怖がらせるために全前線で引きまわされた。少数のマケドニア人は逃亡して助かったが、他の者は捕えられたり、殺されたり した。このことが全マケドニアに伝えられた時、諸都市の門は閉ざされ、すべてが悲しみで満たされた。(ポンペイウス・トグロス 『地中海世界史』 合阪學訳 京都大学学術出版会 1998年 pp.312-313)」

 

ここに言及があるプトレマイオスは、プトレマイオス朝エジプトの初代の王であるプトレマイオスの長男で、けれども父親との仲違いでエジプト王にはなれなかった人物で、そうと言えどもそれなりに軍才はあったらしく、ギリシアで活躍した人物で、けれども最後は蛮族のケルト人を甘く見て戦いを挑んだところ、普通に殺されて首を穂先に吊るされたらしい。

 

この記述を読んで、やっぱり、ポールの先に首を吊るすというのは穂先のことで、具体的にはこの場面の話なんだろうなと思った。

 

実際、この時マケドニアが戦ったケルトの指導者はブレンヌスという人物で、Civilization4のゲーム中の説明書であるシヴィロペディアを確かめたら、civ4に出てくるブレヌスはこのプトレマイオスを殺したブレンヌスのことらしくて、製作者は彼の逸話を知ってプレイアブルキャラクターとしてブレヌスを選んだだろうから、やはり、ゲーム中のポール云々に関しても、先のプトレマイオスの最後の話ということで良いのではないかと思う。

 

…まぁこの話は発展性がないから以上だけれど、僕はcivのヘビーユーザーで、特にciv5は狂気とも思えるレベルでプレイしていて、『なるたる』とか『ヒストリエ』よりよっぽどciv5に詳しかったりする。

 

そこまで知名度のあるゲームじゃないからあんまりcivの話はしないとはいえ、僕はciv5とか滅茶苦茶プレイしていて、civ5でパンゲア創造主難易度で、文化勝利の最短記録が確か、ショショーニ族で241ターンだったと思うし、次点がインドで243ターンだったと思う。

 

科学勝利だともっと早くクリアできるらしいけれども、創造主難易度でこのゲームをクリアしたことがある人は、ゲーム速度スタンダードで太古スタートで文化勝利であのターンでクリアがどういう意味かは分かるだろうし、特殊な戦術を用いなかった場合、ほぼ理論値だろと個人的に思っている。

 

でも、あんなゲームプレイするのは人生の浪費だから、プレイしないほうが良いと思いました。(小学生並みの感想)

 

最高難易度で勝つ最低限のルール覚えるだけで数百時間かかるし。

 

civ4の話だけれど、プレイ時間1000時間を超えてやっと、civ一年生卒業らしいっすよ?

 

次。

 

・マッカリ・ゴーサラとイエス・キリストについて

イエス・キリストは家畜小屋で生まれたという伝承があるけれど、あれってもしかしたらマッカリ・ゴーサラのエピソードが元で、それが中東やギリシアに届いた結果、イエス・キリストは家畜小屋で生まれたという設定になったのかなと思った。

 

以上。

 

マッカリ・ゴーサラというのは古代インドのアージーヴィカ教の創始者で、彼については原始仏典でちょいちょい言及があるし、アージーヴィカ教徒に関しても、やはり原始仏典で言及がある。

 

「 アージーヴィカ教徒であるウパカは、わたくしがガヤーという菩提樹との間の街道を歩んでいくのを見た。見てから、わたしにこのように言った。――「尊者よ、あなたのもろもろの機関は清浄であり、皮膚の色は清らかで純白であります。尊者よ、あなたは何をめざして出家したのですか。あなたの師は誰ですか?あなたは誰の法を信受しているのですか?」と。(中村元他訳『世界古典文学全集6 仏典Ⅰ』筑摩書房 1966年p.26)」

 

この後、仏陀はウパカに正論を述べて、けれども、ウパカは「尊き人よ、そうかもしれません」とは言ったものの、首を振ってそのままその場を去っている。

 

結局、仏教から見たらアージーヴィカ教徒の人々は異教徒だから、そのような立場の人は原始仏典に登場する場合、論破されたり改宗したり、地獄に落ちたり、あまりよくない描かれ方をする場合がある。

 

そのアージーヴィカ教の創始者であるマッカリ・ゴーサラさんについては、原始仏典の『サーマンニャパラ・スッタ』に言及があって、この記事を作るために翻訳文を読んでいるのだけれど、話が長いし、めんどくさいという事情から引用はしないでおく。

 

一応、どういう教義かについて軽く触れると、ジャイナ教とかだと自信の魂の汚れを苦行や戒律で洗い落とすことで解脱するのが目的なんだけれど、アージーヴィカ教徒の場合は、いかなる努力もそのような汚れを落とすという場合には無意味で、幾星霜も輪廻転生を繰り返すことによってしか、解脱することが出来ないという感じらしい。

 

「生物(衆生(しゅじょう))には汚れがあるが、それには原因もなければ補助因(縁)もない。原因も補助因もなくして、生物には汚れがある。また生物が清浄になるためには、原因も補助因もない。原因も補助因もなくして、生物は清浄になる。(中略) 愚者も賢者も(存在が尽きるまで)さまよい輪廻し、そののち(はじめて)苦を滅するのである。(長尾雅人他訳 『世界の名著 1 バラモン経典・原始仏典』 中央公論社 1969年 pp.510-511 )」

 

仏教の修行のゴールについて、以前の僕は複数あってそのどれが正しいのか分からないという言及をしたことがあるけれど、仏教にしたところで、苦を滅するということがゴールの場合もある。

 

というかまぁ、苦を滅するという語が中々面倒で、この言葉は文字通り苦痛を無くすという意味もあれば、苦痛である生を全て終わらせて、もう輪廻転生してこないという状態も苦を滅すると言ったりする。

 

原始仏教の場合、涅槃に至ることを安らぎの境地に至るというような表現で語ることもあるけれど、それも結局、苦を滅した状態であって、似たようなことを言っているのそうで、アージーヴィカ教にしても仏教にしても、教義に多少の差はあれど、やっていることは大きな差がなかったりする。

 

ただ、仏教の場合は他にも死後、神々の世界に生まれることが目的とされていたり、三つのヴェーダを会得したり、欲望の勝者になったり、人々の御者になったり、瞑想の果てに、考えるのでも考えないのでもない、感受が消滅した状態に至ることをゴールとして定めている場合もあって、どの状態に至れば梵行の大成となるのか、原始仏典を読んでいても良く分からない。

 

結局、経典によって書かれた時代も書いた人も全く違うから、教説の変化と個々人の思惑が複雑に絡み合って、原始仏典の時点で二次創作のし過ぎで設定の崩壊したアメコミ作品のような様相を呈している。

 

ともかく、アージーヴィカ教も苦を滅することを目的にしていたらしく、まぁインドの宗教とかは相互に情報が行き来していて、お互いにお互いの教説を取り入れているから、仏教とアージーヴィカ教で似たようなことが目的とされているのはそういう事情からになる。

 

先の『サーマンニャパラ・スッタ』の記述を読む限り、アージーヴィカ教でいうところの苦を滅するというのは、もう輪廻転生しない状態のことらしくて、いわゆる解脱をゴールとしていて、解脱がゴールなのは仏教で聞いたことがあるような話になる。

 

ただ、アージーヴィカ教の聖典は一切残っていなくて、アショーカ王碑文ではアージーヴィカ教徒の人々の話が残されていて、当時はそれなりに大きな教団を組織していた様子があるけれど、彼らの経典は失われていて、現在だと原始仏典やジャイナ教の聖典などで言及されるところの彼らの話しか残っていない。

 

アージーヴィカ教に関しては、創始者はどうやら元々はジャイナ教の信徒であったらしくて、ジャイナ教から分かれる形で、アージーヴィカ教というものは生まれたらしい。

 

ジャイナ教の聖典とかロクに日本語訳が存在していないのだけれど、僕はこの前、なんやかんやあって、ジャイナ教の聖典の部分訳を見つけて、それを読んでいた。

 

多分、『ゴーサーラサヤ』というテキストということで良いと思う。

 

そのテキストはジャイナ教から見たアージーヴィカ教の話で、ジャイナ教の指導者であるマハーヴィーラが、アージーヴィカ教の指導者である、ゴーサラの振る舞いを弟子に問われて、これこれこういう理由で超能力…仏教でいうところの神通力を発揮しているし、これこれこういう理由で彼は劣っていると説明するようなそれだった。

 

なんか、その話によると、ゴーサラさんが神通力を使えるのは、マハーヴィーラが秘薬の製造法を教えたからで、ただ修行者としては劣っていて、修行の大成には至っていないというような語られ方だった。

 

「そして,そのゴーサーラ・マンカリプッタは,8つの要素から成る大きな予兆を一瞥することにより,サーヴァッティーという町において, ジナではないのにジナであると称し,アルハットではないのにアルハットであると称し,独存知者ではないのに独存知者であると称し,一切 知者ではないのに一切知者であると称し,ジナではないのにジナの言葉を説いて過ごしていた.(参考)」

 

アルハットというのは仏教でいうところの阿羅漢のことで、まぁ修行の大成者のことを言っている。

 

ジナはジャイナ教の大成者のことで、日本語訳だと勝者と翻訳されていて、そもそも、ジャイナ教という語自体が、"ジナ(勝者)"の宗教という意味合いで、ジャイナ教という表現があるらしい。

 

アージーヴィカ教はジャイナ教から独立した宗教である様子があって、ジャイナ教から見たらその教説は真理に至っていないという話なのだと思う。

 

実際、仏教でも似たような話はあって、仏教ではデーヴァダッタという人物が仏陀の死後に教団を分裂させて、新たな宗教集団を作り上げたらしくて、デーヴァダッタの教団はそれなりの規模があったらしいと僕は聞いている。

 

ただ、仏教ではデーヴァダッタは酷く蔑ろにされていて、『イティヴッタカ』には教団を分裂させたデーヴァダッタは地獄に落ちたという言及があったと思う。

 

ジャイナ教にしても離反者であるゴーサラさんはデーヴァダッタと似たような扱いをされているが故に、ジナ(勝者)ではないのにジナの言葉を説いていると言われているという話だと思う。

 

僕は先の翻訳を読んでいて思ったことがあった。

 

それが何かというと、このテキストは原始仏典と一体何が違うというのだということだった。

 

細かい教説に違いはあれど、文章の記述方法は原始仏典と全く同じで、"あの"読むだけで殺意がわく繰り返しの表現がジャイナ教の聖典でも用いられていた。

 

やってることも原始仏典で仏陀が異教徒とイチャイチャするときと大きな差はなくて、登場人物が仏陀からマハーヴィーラに変わっただけという印象を僕は受けた。

 

ただまぁ、今回の本題は、そういう話ではなくて、先の翻訳文にある、アージーヴィカ教の創始者であるゴーサラの出生になる。

 

彼は牛小屋で生まれたという話になっている。

 

「 そして,他のある時,マンカリという絵解き行者は,妊娠している妻 のバッダーとともに,画板を手にして,絵解き行者として自己を修めながら,順に歩みを進め,村から村を遍歴して,サラヴァナという集落にいるゴーバフラというバラモンが所有する牛小屋の方へとやって来ま した.そこへやって来た後,ゴーバフラというバラモンが所有する牛小屋の一隅に道具を置きました.道具を置いた後,サラヴァナという集落の高貴な家柄,卑しい家柄,中程度の家柄の家を一軒ずつ托鉢のために歩き回り,住居のあらゆる方角で,隈なく托鉢を行いました.住居のあらゆる方角で,隈なく托鉢を行っている時に,彼は他の場所に滞在場所を得られず,他ならぬそのゴーバフラといいうバラモンが所有する牛小屋の一隅に雨季の滞在場所 を得ました.

 それから,そのバッダーという妻は,9 か月が完全に満ち,7 日と半日が過ぎる時に,非常に華奢な〔手足を備え〕……(中略)……美しい男の子を産みました.

 そして,その男の子の両親は,11日目が過ぎて……(中略)……12 日目に,次のような,属性にちなみ,属性に由来する名前を付けました. 

『私はこの男の子をゴーバフラというバラモンが所有する牛小屋(ゴーサーラー )で産んだので,私のこの男の子の名前は「ゴーサーラ」「ゴーサーラ」と いうものであるべきだ.』

 そこで,その男の子の両親は,「ゴーサーラ」という名前を付けまし た.(同上)」

 

僕はこのように、家畜小屋で生まれた宗教の指導者という概念について覚えがあった。

 

それが何かというと、イエス・キリストで、彼は馬小屋で生まれたという設定になっている場合がある。

 

日本の聖徳太子も馬小屋で生まれて、それが故に厩戸皇子という名前になったという話もあって、それに関してはキリスト教の情報が巡り巡って日本にやってきたのではないかと僕は思う。

 

ただ、実際の所、福音書にはイエス・キリストは馬小屋で生まれたとは言及がないらしい。

 

…まぁ僕もこの記事を作るために、福音書のイエスの誕生の場面を確かめて初めて知ったのだけれども。

 

ただ、同じく宗教の指導者が同じように家畜小屋で生まれるという事柄について、もしかしたら情報が行き来した結果としてそうなったのではないかと思う。

 

ジャイナ教で悪し様に語られるところのゴーサラさんではあるけれど、アージーヴィカ教では偉大な人物として語られていたはずで、その出生が家畜小屋であったという伝承も偉人の出生譚の一部として語られていたはずになる。

 

だから、そのように聖人が家畜小屋で生まれたという逸話がインドから中東やギリシアにやってきて、結果としてイエス・キリストは家畜小屋で生まれたという伝承が出来たという可能性はあると思う。

 

初期キリスト教とインドの宗教との関係性の話はこのサイトで度々触れていて、インドの宗教由来の教説はキリスト教にある様子があるし、逆に大乗仏教などは、キリスト教の影響で人を救ったり救わなかったりするようになった様子がある。

 

…原始仏典の仏陀、本当に人を救おうとはしないからなぁ。

 

原始仏典で描かれる仏陀は、あくまで梵行の大成者であって、人々の救世主ではない。

 

正しい教えを人々に伝えようとはするけれど、別に人のことは救おうとはしていない。

 

その辺りについては、個人的にキリスト教の影響なのではないかと考えている。

 

とりあえずは以上になる。

 

…早めに次の記事を作ることにしましょうね。

 

インド関係の色々を書いた後は、毎回そう思っているところがある。

 

インドの話は誰も得をしないからね、しょうがないね。

 

では。