『ヒストリエ』のアッタロス及びエウリュディケの今後について | 胙豆

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傲慢さに屠られ、その肉を空虚に捧げられる。

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次は某鬱漫画についてとか、ネアルコスについてだと言ったな。

 

あれは嘘だ。

 

今月は個人的な理由で、記述量が少なくなるであろう事柄について色々書いてく。

 

以下の内容には12巻収録分の描写についてのネタバレがあります。

 

今回は『ヒストリエ』のアッタロスとエウリュディケについて。

 

まぁアッタロスというのは普通に、『ヒストリエ』に出てくるあの酒飲みのおっさんの事です。

 

(岩明均『ヒストリエ』8巻p.147 以下は簡略な表記とする)

 

…まぁこんな記事を開いてこの文章を読んでいる人にそういう説明が必要である場合なんてないだろうけれど、『ヒストリエ』にはアッタロスという人物が登場していて、エウメネスは彼の所で世話になっている。

 

そのアッタロスという人物は史料に言及のある歴史上の人物で、僕は『ヒストリエ』のために色々とギリシア関係の歴史書とかを読んでいて、ちょいちょい言及のあるアッタロスについて、『ヒストリエ』の描写との兼ね合いとかを踏まえて思うところがあった。

 

今回はそういうことについて色々書いていく。

 

基本的にアッタロスについてという前提で色々書いていたのだけれど、その姪であるエウリュディケについての話も多くなったので、表題にはそれも加えることにした。

 

まず、『ヒストリエ』の原作がプルタルコスの『英雄伝』で、この本は世界史だと『対比列伝』だと習うけれど、岩明先生はこのプルタルコスの著書を読んでいることが既に分かっていて、岩明先生が参考にしたのは岩波文庫の旧字体の全十二冊のそれだということが分かっているから、基本的にプルタルコスのこの本を言及する場合、僕は『英雄伝』と呼称している。

 

 

岩明先生がこの全12冊の文庫本を読んでいるということは既に分かっていて、12巻のアルタクセルクセス伝の所に、『ヒストリエ』11巻であった、エウリュディケ暗殺未遂の際の手口である、毒の塗られた包丁の話があることは既に検証が済んでいる。

 

エウメネスについても色々な史料を確かめたけれども、『英雄伝』以上に『ヒストリエ』と関連性を持っているそれが存在していないから、僕は『英雄伝』が『ヒストリエ』の原作にしてベースであると判断しているし、それをそうと断言までしてしまっている。

 

その『英雄伝』のアレクサンドロスの列伝の中にアッタロスが登場する。

 

「しかし、フィリッポスの度重なる結婚や恋愛のために一家に捲起された混乱によって、後宮のみならず或る意味では王国全体にまで及んだ害毒が齎したいろいろな非難や甚だしい不和を一層大きくしたのは、嫉妬の強い怒りっぽい女オリュンピアスの不機嫌がアレクサンドロスを駆り立てたためである。その不機嫌を最も明らかにさせたのは、フィリッポスが年甲斐もなく若い女に恋愛して処女のまま娶ったクレオパトラ―との結婚(このためにフィリッポスはオリュンピアスを離婚した)に列なったアッタロスである。アッタロスはこの娘の叔父であったが、酒に酔った時マケドニアの人々に勧めて、フィリッポスとクレオパトラ―との間にこの王国の正当な後嗣が生まれるように神々に祈れと云った。これを聞いてかっとなったアレクサンドロスは、『畜生、貴様は私を庶出だというのか。』と云って、盃を投げつけた。フィリッポスは剣を抜いてアレクサンドロスに掛かろうとしたが、二人にとって幸なことに、憤激と酒のために滑って転んだ。アレクサンドロスは嘲って云った。『諸君、この方はこれでもヨーロッパからアジアに渡るつもりで準備をなさっていたが、座席から座席を渡る間にお転びになっている。』かういう酒の上の争があってから、アレクサンドロスはオリュンピアスを連れ去ってエーペイロスに住まわせ、自分はイルリュリアーで時を過ごした。(プルタルコス 『プルターク英雄伝 十巻』 河野与一訳 岩波文庫 1956年 pp.16-17)」

 

ここで言及のあるクレオパトラは『ヒストリエ』に出てくるエウリュディケの事で、この場面は『ヒストリエ』でもあって、12巻収録分でその話がされている。

 

ただ、この場面については一応、フィリッポスとアレクサンドロスとの間に諍いがあったという描写はあるのだけれど、『ヒストリエ』ではナレーションで当時のマケドニアは一夫多妻制で、この逸話はその風習を知らない人物が作った創作だろうという話がされている。

 

それについては以前書いた通り、筑摩書房から出ている、アレクサンドロスの時代の専門家である森谷公俊氏の著作が由来だろうと僕は判断している。

 

その『王妃オリュンピアス』という本には実際、まんま『ヒストリエ』の言及通りの説明が書いてある。

 

「 プルタルコスらが伝えるところでは、花嫁クレオパトラの叔父であるアッタロスは婚礼の祝宴において、自分の姪とフィリッポスとの結婚から王国の正当な後継が生まれるようにと公言した。アレクサンドロスはこの言葉を、自分が正当な後継者であることを否定するものと受け取って怒りをあらわにし、アッタロスに盃を投げつけた。これに対してフィリッポスは、直ちに剣を抜いてアレクサンドロスに襲いかかろうとした。つまりフィリッポスはこの口論において息子のアレクサンドロスを庇うのでなく、花嫁の後見人であるアッタロスの側についたわけである。

 まず「正当な世継ぎが生まれるように」というアッタロスの言葉に引っかかる。別の史料はもっとはっきりと、アッタロスが「今や庶子ではなく、正統のお世継ぎが生まれんことを」と言ったと伝えている。しかし王の息子がすべて嫡出子であることを知っていたはずのアッタロスが、たとえばアレクサンドロスを侮辱する意図を持っていたにしても、「庶子」という言葉を用いたとは考えにくい。この場面で「庶子」という言葉を使うのは、いかにも一夫一妻制をとっていたギリシア人の発想である。あるいはアッタロスはアレクサンドロスが外国人女性の子であることを指して「庶子」と呼んだのだろうか。しかし実はフィリッポス自身の母親も、イリュリア出身の外国人女性だったという可能性があるのである。したがって王と外国人女性の間に生まれた子を庶子と見なすなら、アレクサンドロスばかりかフィリッポスまで庶子呼ばわりすることになる。自分の姪を王に嫁がせたアッタロスが、ほかならぬ婚礼の席上でそのような言辞を弄するはずがない。

 結局その用語から判断して、この場面がギリシア人作家の作品に由来することは間違いない。ではその作家は誰か。今日の研究はサテュロスという人物を特定している。(森谷公俊 『王妃オリュンピアス』 ちくま学芸文庫 2012年 pp.95-96)」

 

 

実際に『ヒストリエ』でどのような描写がされているかについては、来年あたりに出るだろう12巻のその話を参考にしてもらうとして、ここに書いてあるようなことが『ヒストリエ』では描かれている。

 

ただ、その場面でアッタロスの登場は終わりで、その後どうなるかは今現在の時点だと良く分からない。

 

これを書いている今現在だと、『ヒストリエ』はフィリッポスがパウサニアスに刺されて、その体をアリストテレスがなんやかんやしているところであって、アッタロスがこの後どうなるかについては判然としていない。

 

ただ原作である『英雄伝』だとアッタロスについての言及はあれで終わりのようで、以後はアッタロスという名前は出てくることはあっても、同名でペルディッカスの義兄弟であるアッタロスという人物に関する言及しかない。

 

けれども、『ヒストリエ』の参考文献である『地中海世界史』では以前引用したアッタロスがパウサニアスを辱める場面以降にも一応言及がある。

 

以前引用したように、その『地中海世界史』という本では、フィリッポスが死んだ理由としてアッタロスのパウサニアスに対する暴挙が挙げられている。

 

…ここでその文章を引用しようと思ったけれど、色々冗長になるし、その話は以前書いた通りなので、それを読んでください。(参考)

 

ともかく、そのようにパウサニアスを辱めたアッタロスではあるのだけれど、その後どうなったかは不明で、けれども『地中海世界史』だとアレクサンドロスが殺したという設定になっているらしい。

 

東方遠征中にあった酒宴でアレクサンドロスは酔って気が大きくなって自分は父親より遥かに偉大で、その偉大さは天まで届くと豪語した時に、老将であったクレイトスが「いやいや、あなたのお父様も立派でしたよ」とフィリッポスを擁護して、それを聞いたアレクサンドロスは激怒して、クレイトスを槍で殺害した後に、冷静になって自分がやったことを悔いて、その場で後追い自殺をしかけた場面で、以前殺した人々の幻影を見るという描写があって、そこにアッタロスが現れている。

 

「(アレクサンドロス大王は自身の武勇を称揚し、父よりも自身の事績の方が優れていると語った。)それ故、王の友情を得ている点では第一であった一老人クレイトスが、王の友情を信じて、ピリッポスの思い出を大事にし、その事績を誉めた時、王を大変怒らせ、王は護衛兵の槍を奪って宴席の中で彼を殺した。この死に興奮して、アレクサンドロスは、クレイトスがピリッポスを弁護し、父の遠征を称賛したと言って死者を咎めた。殺害によって心が満たされ、平静になり、怒りに代わって冷静な判断が出来るようになった時、彼はあるいは殺された人物を、あるいは殺した原因を考えて、しでかしたことを後悔し始めた。彼は自分に対する悪口を許さなかったのと同様に、 父に対する称讃にも怒りを覚えたために、年老いた無実の友人を宴会、酒盛りの最中に自分の手で殺してしまったことを悩み始めた。かくして、以前、狂乱が怒りに変わったように、今や狂乱が後悔に変して、彼は死にたいとさえ思うようになった。彼はまず泣き出し、死者を抱擁し、傷をさすり、あたかも生きて聞いて いる者に対するがごとくに自分の愚行を告白し、槍を取って自分に向け、もし幕僚たちが間に入って止めなければ自殺するところであった。死にたいという意志はその後の数日間続いた。(中略) そこで彼は、彼の軍隊の中で、また打ち負かした諸民族の許で、自分にどれだけ多くの悪評と嫉みを、そして他の友人たちの許でどれだけ多くの恐れと憎しみを作ったかを反省し、さらに、彼の宴会をいかに苦々しく悲しいものにしたか、武装して戦列にいる時より以上に、宴会において自分がいかに恐れられたかを反省した。ある時は(中略)とピロタスが、 ある時は従兄弟のアミュンタスが、ある時は継母や殺された兄弟たちが、またある時はアッタロス、エウリュロコス、パウサニアス、そして他のマケドニアの殺された貴族たちが彼の眼前に現われた。このことの故に、彼は、全軍隊の懇願で決心を覆すまで四日間の断食した。(ポンエイウス・ トログス 『地中海世界史』 合阪学訳 京都大学学術出版会 1998年 p.196-198)」

 

ここにアッタロスをアレクサンドロスが殺したという言及があって、ついでにパウサニアスもアレクサンドロスが殺したとある。

 

『ヒストリエ』ではアレクサンドロスはパウサニアスに直接手をくだしていて、もしかしたらその辺りはこの『地中海世界史』の描写に由来しているのかもしれない。

 

そのように、アレクサンドロスがアッタロスを殺したのだろうという記述はあるけれど、どうして殺したのか、何があって殺すことになったのかについての言及は『地中海世界史』にはなくて、その辺りは判然としない。

 

けれども、『歴史叢書』にはその辺りについての言及があって、アッタロスはしっかりとアレクサンドロスに殺害されている。

 

「フィリッポスが娶ったクレオパトラの兄弟であるアッタロスが、王位に挑戦する危険があったので、アレクサンドロスは彼を亡き者にすることを決意した。というのも、フィリッポスが死ぬ数日前に、クレオパトラはフィリッポスの子を出産していたのである。四 アッタロスはパルメニオンと共に先発部隊の将軍としてアジアへ派遣されていた。彼は気前のよさと気さくな付き合いによって兵士たちの心を完全につかみ、軍の中で絶大な人気を得ていた。それゆえ、この男が反アレクサンドロス派のギリシア人と共謀して王位を争うことのないようにと警戒したのは当然のことである。五 そこでアレクサンドロスは朋友の中からヘカタイオスを選び、十分な人数の部隊を付けてアジアに派遣した。その際彼は、できることならアッタロスを生け捕りにして帰ること、それがかなわぬ場合には、できるだけ速やかにかの男を殺害するようにと命令した。六 そこでヘカタイオスはアジアに渡り、 パルメニオンとアッタロスの部隊に合流して、託された任務を果たす機会をうかがった。

(中略)

ギリシアの情勢を詳しく述べたので、アジアの出来事へ話題を移すことにしよう。フィリッポスの死後アッタロスは、初めは反乱を起こそうと試み、アレクサンドロスに対決すべくアテネ人と相互の協力を取り決めた。しかし後に考えを改め、デモステネスから彼に送られた手紙を保持していたのでそれをアレクサンドロスに送り、誠意をこめた言葉をそえて、自分に対する誤った中傷を取り除こうと努めた。二 しかし、ヘカタイオスが王の命令に従ってアッタロスを暗殺したので、アジアにいるマケドニア軍が反乱へと決起することはなくなった。アッタロスが死ぬと、パルメニオンは誠心誠意アレクサンドロスに服従した。(参考 PDFが開くので注意)」

 

この記述だとアッタロスとエウリュディケが兄弟関係になっているけれど、これは史料によって言及がまちまちで、『地中海世界史』とかだと、エウメネスとペルディッカスが兄弟だとか書いてあるから、まぁあまり気にしなくて良いと思う。

 

ただ、『歴史叢書』の注釈にエウリュディケが姪だという記述があるから、研究者的には『英雄伝』の続柄が正史とされている様子がある。

 

クレオパトラの兄弟であるアッタロス アッタロスはマケドニアの貴族で、クレオパトラは彼の姪。前三三 七年、フィリッポスはクレオパトラを七番目の妻として迎えたが、彼がマケドニア貴族の女性を娶るのはこれが初めてであった。このため彼女の後見人であったアッタロスは大きな威信を獲得し、結婚式ではこの二人から正統の世継が生まれるようにと祈って、外国人女性の子であるアレクサンドロスを侮辱した。これに激怒したアレクサンドロスに対し、フィリッポスがアッタロスを擁護したため、王位継承をめぐって父子の間に重大な亀裂が 生じ、アレクサンドロスは母親とともに国を出てしまう。こうした事情により、アッタロスはアレクサンドロスの不倶戴天の敵となった。(同上『歴史叢書』)」

 

『歴史叢書』だとフィリッポスとエウリュディケとの縁談によって強い権力を得たアッタロスは、アレクサンドロスを脅かすほどの存在になっていて、ペルシア攻めの先遣隊としてアジアに派遣されていたけれども、アレクサンドロスは彼を警戒して暗殺したという話になっている。

 

この文章を岩明先生が読んだことがあるかは分からないとはいえ、当然、『ヒストリエ』でも『歴史叢書』のようにアッタロスがアレクサンドロスに暗殺されるという可能性はある。

 

けれども、『ヒストリエ』で描かれるところのアッタロスが、アレクサンドロスの地位を脅かす存在たり得るとは思えないし、そのような想定としてキャラクター造形を行っているとはとても思えない。

 

そんな野心家で、そんな有能な人物として今後描くつもりであるとしたならば、あんな飲んだくれで血統が良くて地位だけが高いおっさんとしてアッタロスを設定するということはないと思う。

 

そして、史料に言及のあるアッタロスは以上だから、今後『ヒストリエ』でアッタロスが活躍する場面があったとしたら、『ヒストリエ』のオリジナルだろうし、今後どうなるのかとかは一切分からない。

 

結局、先に引用した『歴史叢書』を岩明先生が読んだのかどうかは分からないままなのだけれど、どうやら、種々の概説書の類は『歴史叢書』を参考に書かれているという場合があるらしくて、『王妃オリュンピアス』を読んでいても『歴史叢書』を由来にする言及があったし、直接岩明先生が『歴史叢書』を読んでいなくても、概説書からというルートから種々の情報が岩明先生に届いているという可能性は十分にあると思う。

 

その解説書の類に先のアッタロスのアジアでの死が言及されている可能性はあると言えども、アッタロスが王位の簒奪を心に抱いてアジアで暗殺されるという物語を想定していたならば、やはり、もう少し違う人物像として描いていただろうと僕は思う。

 

だから、そのような理由で殺害されるということはないだろうとは思うけれど、アレクサンドロスの王位継承に際しての混乱で、テキストによって何が起きたかは全然違う言及になっているとはいえ、人死にが出ているという場合もあるのであって、その騒乱に際してアッタロスは死ぬという可能性はあると思う。

 

『地中海世界史』では、エウリュディケとその娘はフィリッポスの死の混乱に際して殺害されている。

 

「(オリュンピアスは)この後、自分とピリッポスとの結婚が離縁となる原因となったクレオパトラに、まずその娘を[母の]膝の上で殺した後、首つりで生を終えることを強いた。そして、ぶら下がった死体を見物して、夫殺しで遅れていた復讐を果たした。(ポンペイウス・トグロス 『地中海世界史』 合阪學訳 京都大学学術出版会 1998年 pp.164-165)」

 

プルタルコスの『英雄伝』ではオリュンピアスがクレオパトラ(エウリュディケ)に酷いことをしたとだけ書いてあって、訳者の注釈だと、クレオパトラとその幼児を焼き殺したというパウサニアスの『ギリシャ誌』の話がされている。

 

「 (パウサニアースがフィリッポスを殺したとき、その非難は彼を唆したオリュンピアスに注がれたが、誹謗の一部はアレクサンドロスにも触れられた。) と云うのは、パウサニアースが前述の侮辱を被ってからアレクサンドロスに会って嘆いた時、アレクサンドロスは『メーデイア』(エウリピデースの悲劇。夫イアーソーンに離別されたことを怨んで意趣返しに次の花嫁を殺した上、自分の子供まで殺すが、ここに引用された詩句二八八はメーディアに対して花嫁の父クレオーンが警戒を与える言葉。)の詩句を『嫁にやる人も貰う人も行く男も行く女も』と口誦んだと云われるからである。しかしアレクサンドロスはこの陰謀(フィリッポス暗殺のこと)に加わった人々を見つけ出して罰し、自分が国を去っている間にオリュンピアスがクレオパトラ―を残酷な目に合わせたこと(フィリッポスの死後、クレオパトラ―とその幼児を焼き殺したこと。パウサニアース『ギリシャ誌』第八巻七節七)を不満としている。(同上『英雄伝 9巻』pp.19-20 冒頭および陰謀の説明は引用者補足)」

 

 

この『英雄伝』にはパウサニアスは侮辱に対して正当な処置を受けなかったためにフィリッポスを殺したとだけ言及があって、どういう侮辱を受けたのかは書かれていないけれど、まぁ『地中海世界史』のようにアッタロスに辱められていて、それをアレクサンドロスに嘆いたところ、アレクが報復殺人を想起させる文句を言ってしまったために、暗殺が起きたと判断されて非難されたという話なのだと思う。

 

結局、『ギリシア案内記』ではエウリュディケとその子供は焼き殺されたと書かれているらしくて、テキストによって言っていることがマチマチで、『ヒストリエ』に関してはベースがプルタルコスの『英雄伝』であるとはいえ、完全に『英雄伝』をなぞっているかと言えばそうでもないし、今後の展開は全て岩明先生の匙加減次第ということになると思う。

 

だから、アレクサンドロスの王位継承の際に何が起こるのかも不明で、『地中海世界史』の記述に則ってオリュンピアスが嫉妬と怨嗟でその娘を殺害してエウリュディケを縊り殺すかもしれないし、『ギリシア案内記』のように焼き殺すかもしれないし、『歴史叢書』の記述に則って、不穏分子としてアッタロスは殺害されるかもしれない。

 

ただ、『ヒストリエ』だとフィリッポス=アンティゴノスで物語は進行するらしいとこれを書いている時点での最新話で確定的に明らかになったので、アンティゴノスの妻としてエウリュディケは生き残るかもしれないけれど、その辺りは実際に描かれるまで良く分からない。(追記あり)

 

エウリュディケの子として生まれた男児であるフィリッポスの息子でアレクサンドロスの腹違いの弟であるカラノス(『ヒストリエ』では父親と同名であるフィリッポス)はおそらく、アンティゴノスの息子であるデメトリオスとして生きていくことにはなるだろうとは思うけれど。

 

デメトリオスに関しては、プルタルコスの『英雄伝』に列伝が設けられているので、性格設定に関してはその記述が用いられると思う。

 

「 ところで、デーメートリオスは取りわけ父を慕っていて、母に対する心尽くしもさる事ながら、その父に対する敬意は権力の尊重よりも本当の愛情から出ていることがわかる。或る時アンティゴノスが使節の一行と鞅掌していたところへ、デーメートリオスが狩から戻って来て父の傍へ行って唇をつけ、投槍を持ったままその足元に坐った。アンティゴノスは、既に回答を得て去ろうとしていた使節に大きな声を掛け、『それからこのことも報告して貰いたい。我々親子は互いにこういう風なのだ。』と云って、息子に対する一致と信頼が王政の保証と権力の証拠であることを示した。(プルタルコス 『プルターク英雄伝 十一巻』 河野与一訳 岩波文庫 1961年 pp.9-10)」

 

鞅掌(おうしょう)というのはせわしくあれこれ動くことだそうです。

 

ここにデメトリオスの母親に対する心尽くしの話があって、そうとするとデメトリオスが母親に孝行出来る年齢までエウリュディケは生きているということになるだろうから、この記述に従うならばエウリュディケはアレクサンドロスの王位継承に際して死なないということになるけれど、全ては岩明先生の匙加減であって、僕には未来予知は出来ないので、実際エウリュディケがどうなるのかは分からない。

 

・追記

これを書いたときは引用した部分しか読んでなかったから知らなかったのだけれど、どうやらデメトリオスはアンティゴノスの実の息子であるという話の他に、甥であったり、妻であるストラトニケの連れ子である話が残っているらしい。

 

だから、先の引用文で言っている母親に対する心尽くしはストラトニケの話であって、そうであるならエウリュディケがオリュンピアスに殺されても何ら矛盾しない。

 

なんというか、12巻収録分でエウリュディケは普通にオリュンピアスの命で殺害されていて、ただやり方は縊り殺すのでも焼き殺すのでもなく、刺殺だったので、岩明先生は結構その辺りの描写に関しては創作を入れたらしい。

 

いやまぁ、エウメネスがスキタイ人の時点で、『ヒストリエ』は元よりそういう漫画でしかないんだけれども。

 

追記以上。

 

『ヒストリエ』作中で生まれたエウリュディケとフィリッポスの子と、デメトリオスは生年が同じなので、そこに関しては同一人物という想定で良いと思う。

 

それにしてもこのアンティゴノスの振る舞い、やっぱ『ヒストリエ』のフィリッポスっぽいよなと思う。

 

デメトリオスの方はそんな感じだけれど、『ヒストリエ』で誕生しているエウリュディケのもう一人の子である娘の方は、アンティゴノスの子女に女児が確認出来ないから、もしかしたらそれだけ死ぬのかもしれない。

 

そんな感じのアッタロスについて。

 

本来的に、アレクサンドロスの死後に起きた権力争いで、エウメネスと同じ陣営で戦ったアッタロスという人物が、『ヒストリエ』に出てくるアッタロスという話になるのではないかという話をする予定だったけれど、彼についての記述を見ていたら、なんというか無理そうだと思ったので、その話はしないことにした。

 

エウメネスと共に戦うアッタロスは、ペルディッカスの義兄弟で、ペルディッカスの姉妹を嫁に貰っているような人物で、そうとするとパルメニオンの娘を嫁に貰っているあのアッタロスと同一人物として話を進めるのは難しそうだと思ってそういう話はしないことにした。

 

ペルディッカスとあの酒飲みのおっさんだと世代が違っていて、ペルディッカスの姉妹を嫁に貰うという状況が想定できなかった。

 

マケドニアは一夫多妻制らしいとはいえ、あのおっさんに『ヒストリエ』の作中で20代くらいであろうペルディッカスの姉妹が嫁入りするという状況が想定できなかった。

 

そのペルディッカスの義兄弟のアッタロスの話は『歴史叢書』やアッリアノスの『アレクサンドロス没後史』の断片にあるのだけれど、どちらも岩明先生が読んでいるかどうかすら定かではない。

 

けれども結局、『ヒストリエ』はそこまで辿り着かないのだから、もう言い逃げというかなんというか、どうせ真実は明らかになることはないのであって、書いてもそれが間違いだったと分かることはない以上、書いても良かったのかなと思ったりもする。

 

結局、アッタロスが死ぬのか死なないのかは分からないけれど、その辺りは流石に『ヒストリエ』でも描けるとは思うので、期待をおっぴろげて神妙に待っているほかないのかなと思う。

 

そんな感じのアッタロスについて。

 

この時点で8000字を越えてるんですが、冒頭の記述量が少なくなる云々の話は何だったんですかねぇ…?

 

まぁ『歴史叢書』についてはコピペしただけだから、そこまで労力として重かったりはしないのだけれど。

 

色々仕方ないね。

 

では。

 

・追記

先に引用した『歴史叢書』に、ヘカタイオスという人物についての言及がある。

 

「そこでアレクサンドロスは朋友の中からヘカタイオスを選び、十分な人数の部隊を付けてアジアに派遣した。その際彼は、できることならアッタロスを生け捕りにして帰ること、それがかなわぬ場合には、できるだけ速やかにかの男を殺害するようにと命令した。六 そこでヘカタイオスはアジアに渡り、 パルメニオンとアッタロスの部隊に合流して、託された任務を果たす機会をうかがった。」

 

このアレクサンドロスの友人であるヘカタイオスという人物はここ以外に言及がないらしく、どういう人かは分かってはいないらしい。

 

ただ、この時代に生きたヘカタイオスという名前の人といえば、エウメネスと反目し合ったカルディアのヘカタイオスが居るので、注釈では彼の話がされている。

 

ヘカタイオス 他には不詳。トラキア地方のギリシア都市カルディアに同名の僭主がいたことから、両者を同一視する説もある。僭主のヘカタイオスは、同郷のギリシア人でアレクサンドロスの側近だったエウメネスと は敵対関係にあった(プルタルコス『エウメネス伝』三)。(同上)」

 

そのヘカタイオスを"あの"ヘカタイオスと同一視する学説があるらしい。

 

だから、『ヒストリエ』のヘカタイオスがアッタロスの暗殺もしくは捕縛のために、何らか動くという可能性はあるにはある。

 

実際、『ヒストリエ』作中で、アッタロスとヘカタイオスは良好な関係にない。

 

(9巻pp.25-26)

 

この描写が後のアッタロス暗殺の際に、ヘカタイオスがなんかすることの伏線という可能性はある。

 

あるのだけれど、『歴史叢書』でアレクサンドロスの朋友と語られるところのヘカタイオスである一方で、『ヒストリエ』のヘカタイオスは朋友ということはないし、先に言及したように、そもそも暗殺されるような人物として今のところアッタロスは描かれていないし、根本的な問題として岩明先生が『歴史叢書』を読んでいるかが分からないし、読んでいたところで、その記述を『ヒストリエ』の描写に用いるかどうかは定かではない。

 

まぁここでヘカタイオスにアッタロスが殺されたら、原作で語られるところのヘカタイオスとエウメネスとの確執が更に色濃くなってくるのだけれど、そのような展開について、もしやるとしたら個人的にそんなことやってる場合か?と思うというかなんというか、そんな展開描く余裕があるなら、王位継承の後処理とかペルシア遠征に必要なことを描いた方が良いと思うし、何ならとっととペルシア遠征を始めた方が良いと思う。

 

けれども、アッタロスがヘカタイオスをボコった話が伏線という可能性は0ではないので、追記で捕捉することにした。

 

一応、原作のほうだとアンティパトロスとエウメネスが超絶不仲で、アンティパトロスがヘカタイオスに命令してアッタロスを殺させたとかなら、原作の人間関係に関する描写を回収できるけれど、全ては岩明先生の匙加減だから…うん。

 

実際にどうなるかについては、1~2年以内には分かるのではないかと思う。

 

でも、それが単行本になるのは更に数年後なので、まぁ色々どうしようもないね。

 

・追記2

『ヒストリエ』でアッタロスはエウメネスと将棋をしているけれど、それに際して譲位に難色を示す場面がある。

 

(7巻pp.127-129)

 

実際の所、アッタロスがアレクサンドロスの王位継承に際して死ぬかどうかは現時点では不明なのだけれど、もし死ぬとしたら、アレクサンドロスの王位継承に難色を示したということが理由になるのかもなと思って追記することにした。

 

まぁどういう物語が選択されて、どういう結末をアッタロスが迎えるのかは、『ヒストリエ』でその場面が描かれない限り分からないのだけれども。

 

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